病院を社会的・文化的に記述すること
On Ethnographic methodology in
Hospital in Japan
(1990年版)
■病院の民族誌とはなにか?
およそ現代人の生活や文化について書かれたもので、病気や医療について触れられていないものはないだろう。日常生活におけるごく普通の出 来事としての病気や、それを通して関わりをもつ医療についての記述は、現実はおろか、フィクションの世界においても茶飯事に見られ、「病気や医療」は人び との大きな関心事となっている。また、患者の闘病記や医療者による手記などは、世論にも影響力をもち、それ自体がひとつの文芸のジャンルとして確立してい るといっても過言ではない。
「病院の民族誌」(1)とは、そのような現代医療の中心的な存在をなしている「病院」を舞台にして繰り広げられる人びとの活動についての 「具体的な記述にもとづく報告」のことである。そして、それらの報告は、病院のスタッフや調査者として受け入れられた観察者の眼を通して記述されるのであ る。
本稿は、今日の病院医療に新たな観点から光を当てる「病院の民族誌」という方法論について概説した後で、欧米で試みられたいくつかの報告 について紹介する。また、民族誌的手法が示唆する、病院内での観察の留意点やヒントについて最後にふれる。
■民族誌というジャンル
「病院の民族誌」という方法が人びとに受け入れられるためには、「病院について描かれた記述」が、病院医療という現象の理解に貢献し、そ れがまた研究の資料として活用可能となる必要がある。「民族誌」とは民族学や文化人 類学(以下まとめて、文化人類学と記す)において確立した概念なので、 まずそれをについて説明しておこう。
文化人類学者は、自己の属する社会を離れ、それとは異質な世界―すなわち異文化の社会―に足を踏み入れ、その社会の人びとにイン タビューをおこなったり観察をするのみならず、そこでおこなわれるさまざまな行事や出来事に参加する。このようなことを通して、その世界についての重層的 な情報を得ようとする行為を「参与観察 participant observation 」(2)という。
参与観察を通して描写された、人びとの生活や考え方についての文化人類学者の記述は、先頭にその社会[集団]の名称をつけて、「〜族 の」あるいは「〜社会の民族誌」と呼ばれる。そして民族誌 ethnography は、文字通り、「民族についての記述」を意味する。
したがって、このような記述は、ジャーナリズムにおけるルポルタージュ、民俗学における民俗誌、文芸における生活誌などと、類似する点も 多い。
しかしながら、民族誌が他のそれらの記述(モノグラフ)と区別される点があるならば、それは公的なインタビューではわからない、人びとの 生の声や行動を直接に体験できる点にある。文化人類学者は、自分が属してきた社会で体験してきたものとは異なる、この種の「新鮮な体験」(=驚き)を通し て、それを理解しようと試みてきた。「病院の民族誌」においても、観察者が感じるであろうこのような体験が、今日の医療のなかでどのような意味や役割を果 たしているのか、という考察に誘う点で、諸社会の民族誌を記述することと類似しているのである。
文化人類学の領域では、「〜社会の民族誌」を満たす要件として、(a)実際に研究対象と接触した結果の報告であること、(b)対象とな る人間集団を記述する際に、文化的な偏見や価値観を交えないような努力を常に怠らないこと(これを「文化相対主義」という)、(c)具体的な個々の生活に ついて記述しても、それが社会全体との関連のなかでどのように位置づけられているかについて触れられていること、などが挙げられている。
民族誌という用語は、かつては、おもに文化人類学者が調査方法について説明する際に使われてきたが、社会学などの領域においても「民族誌 的方法」(ethnographic method)という用語(3)などでしばしば採用されており、現在では、その方法論は文化人類学の独占物にはなっておらず、多くの研究者に対して開かれ たものになっている。
■調査の単位としての病院
「病院の民族誌」という方法の対象は、病院や診療所である。病院に代表される現代の医療体制は、これをしばしば「病院医療」と一語で呼ぶこ とがあるが、実際は、大学附属病院や高度医療を取り扱っている専門病院から中小の病院や診療所まで、その規模の違いや医療の質についてきわめて多様な広が りをもつ。
にもかかわらず、病院の組織運営における基本的な形態や構成は変わらないので、それらの多様性は、病院間における共通性や相違点という観 点から比較することができる。 さらに、病院はそれ自体で「独立した」病院医療のひ とつのまとまりであることが、病院を調査単位として可能ならしめている。これは、職場として複数の病院に勤めた医療関係者であるならば誰でも経験したこと があるように、医師、看護婦、臨床検査技師、放射線技師など、それぞれの職務の主たる内容は変わらないが、診察や検査のシステムをはじめとして、職場で使 われる隠語や符丁にいたるまで、微妙に異なっている経験的事実によっても、「病院」がひとつのまとまりをもった単位であることが理解されよう。
むろん、そのように述べたとしても、病院を「完全に独立した社会」であると見なすことには限界がある。例えば病院のスタッフや患者がそこ で1日の大部分を過ごしていても、病院は完全な生活の場では有り得ない。それは、人びとは病院を媒介として、病院外の社会的な活動と密接につながって生活 しているからである。
したがって、調査単位として病院を対象にするさいにも、そこに関わる人びとが病院の内外を通して、どのような活動に従事しているか?、病 院内における通念や行為の基準が、一般的な社会のそれとどのような関係にあるのか?、ということも考察のための重要な留意点となる。
■病院の位置づけ
このような研究を概観するだけでも、「病院」には明かにされていない現象が数多くあることがわかる。病院についての文化人類学・社会学的 な研究が要請される理由もここにある。
ただし、それは病院の内部が明かにされる―極端な場合には「暴露される」―だけでは不十分である。明かにされる事象が、その事実 の報告や確認に終わるだけでなく、社会のなかにどのように位置づけられるかを検討しなければならない。
現代社会に対して病院医療の影響が大きいことは誰もが認めることである。しかしながら日常生活からみれば、それが常に人びとの意識の中心 にあるわけではない。病院は、社会生活において不可欠ものであるが、それは「病気」や「死」という不可避な状態に対して常に準備されているにすぎないと、 人びとは考える。病院が社会において「マージナル(周縁的)な位置」を保ち続けているという所以である。
この病院のマージナル性は、社会における意味づけのなかにも、また病院の世界に関わってゆく患者の意識のなかにも出現する。例えば、今日 あらゆる人間関係が商品化され、顧客が丁重に取り扱われるようになっても、病院の患者のみが医療者のパターナリズムに服従しなければならない。すなわち、 医療者は「患者のためを考えて」あれこれ命令することができるのであるが、これは商品化社会において「売り手(=医療者)」と「客(=患者)」の力関係が 「逆転」している希な例である。
このような現象にはさまざまな角度からのコメントが可能である。
例えば、総体的に見れば、商品社会におけるサービスの一環として、患者は「顧客」として取り扱われ、病院は集客のためにあらゆる努力を払 うが、個々の医者−患者関係のレベルでは近代医療の「合理的患者統制」の論理がより貫徹している。そのため、技術水準の高度な医療を実現するためには、そ の精度を上げるために、逆に患者統制は強力にならざるを得ない。
医療の「専門職支配」の歴史から見れば、欧米近代社会において患者が医療職に従属するような形式になったのは十九世紀以降であり、我が国 においては、きわめて最近、つまり第二次大戦後以降のことである。すなわち「地位の逆転」は、医療において一般的な現象ではないという。
あるいは、患者の「下の世話」について、完全看護が満たされた病院においても、患者の家族が排泄の面倒を看たいという意見が家族の側から 出されるという。現代日本において患者の排泄が「家族内の領域」であると認知されているなら、「下の世話」を家族でみることを申し出る人たちは、強制力に よってではなく「自発的に」それを望んでいることになる。
もし、最後のような構図を認めると、そこに医療関係者が患者家族に「命令している」という図式は成立しにくくなる。これは、近代医療のヒ エラルキー的現象(=患者の統制管理)を認めた上で、さらに、その原理とは異なる組織原理が、病院とそれを含む社会の中に、存在する可能性があることを示 唆する。
病院の中での観察は、とりも直さず「社会における病院の位置づけ」をめぐる議論に直結しているのである。
■研究の現状
わが国において病院を舞台にした文化人類学的研究は、そう多くは見られない。民族誌的な視点を加味した調査研究が試みはじめられようとし ているのが、今日の現状であろう。
そこで、この分野における調査研究の枠組みを位置づけながら、非常に限られたものではあるがその研究の一端を紹介しよう(4)。
病院を民族誌記述の対象にする場合、いくつかの調査研究の類型化が可能である。ここでは、(α)病院内における調査者の位置づけ、と (β)調査対象の病院がおかれている社会、の2つの特性に注目してみよう。
(α)調査者の位置づけとして、まず、病院内で職務に従事している「医療者」と、それ以外の「専門の調査者」―その多くは社会学・文 化人類学者―に分けられる。また、(β)調査対象としている病院が、その調査者にとって同じ文化を共有する「同文化」にあるのか(例えば、日本人が日 本の病院を研究する)、あるいは「異文化」(例えば、英国人が中国の病院を調査する)にあるのかが、区別される。したがって、この(α)と(β)でそれぞ れ二分される2×2=4つの領域に便宜的分けることができる。
I. 文化人類学者によって同文化
の病院が研究される 例)臨床人類学 |
II. 医療従事者によって同文化
の病院が研究される |
IV. 文化人類学者によって異文化
の病院が研究される |
III. 医療従事者によって異文化
の病院が研究される |
まず(I)専門の研究者によって「同文化」における病院を研究対象としたものの代表として、米国における「臨床人類学 clinical anthropology」があげられる(5)。米国では、臨床人類学の成立以前から、とくに精神病院をフィールドにした社会学者の民族誌的調査(6)が 盛んに行なわれており、その種の論文は、現在でも『社会科学と医療 Social Science and Medicine』誌などで読むことができる。
また、特殊な例ではあるが「二つの奇妙な保健部族:米国のグニスラン族とエニシデム族」(1976)という論文がある。著者のM・レーニ ンジャーは看護人類学のパイオニアの一人であるが、彼女は米国におけるグニスラン(Gnisrun)族=「看護」者集団と、エニシデム (Enicidem)族=「医療」者集団を、未開社会を観察する文化人類学者の眼を通して描写した。ちなみに、それぞれの「部族」のつづりは英語の「看 護」と「医療」を逆にしたものである(Leininger,1976)。このような手法は、1950年代中ごろに文化人類学者H・マイナーが、文明社会の 人びとの慣習や行動も、「未開」な部族社会の人びとのそれらと変わらないほどの「奇習」であり、「文化人類学の考察に足る」ことを指摘するために、自己の 論文のなかで使用したものであった。
(II)医療者が自己の属する社会の病院を研究対象とするものには、大まかに2つの方向性がある。 まず、自分や同僚が行なっている臨床行動を「文化人類学的に評価」し、それを現場に還元させてゆこうとする実践的研究である。ただし、この分野の研究は 行動科学的な成果が多いのだが、行動のパターンの解析に際して文化的要因を過小評価する傾向がある。このような状況の背景には、臨床実践において「行動変 容」を可能ならしめるには、文化の構造云々を議論するよりも、いかに社会固有の価値体系(=文化)と葛藤することを回避し、患者や医療者を順応させてゆく かということが、重要になるからであろうと思われる(7)。
医療者の「同文化」における病院研究の新しい傾向は、言わば「内省的」研究と名づけられるものである。内省的(reflective)と は、その知識そのものを批判したり、何かに役立てようとするような姿勢を留保して、その現状を内省的に把握しようとする傾向や態度を含んだものという意味 である。
このような研究は、いまだ多くはないが、英国の医師・医療人類学者C・ヘルマン( Helman,1988)、米国の精神科医・人類学者A・クラインマンなどの一連の著作のうち、英米の「同文化」について再帰的な言及をおこなったものが それに相当する。これらの著作は、同文化における臨床的な問題を論じながらも、社会・文化的な課題に引きつけて論を展開しているのである。先に挙げた看護 人類学レーニンジャーも、看護における文化の理解を「民族看護学(ethnonursing)」という概念でとらえ理論的な寄与をおこなっている (Leininger,1985)。
(III)医療者として活動しながら「異文化」の病院でおこなった調査研究もそう多くはない。文化人類学・社会学者であると同時に医師ま たは看護婦であった者が、第三世界における医療活動を通して、その状況を描写し考察するのがこの分野である。例えば、米国の医師コーエンは、ヘンダーソン と組み、文革後の中国における近代病院の勤務経験を通して、その医療システムについて詳細な報告を残している(Henderson and Cohen,1984)。クラインマンの台湾におけるフィールドワーク経験をもとにした『文化の文脈における患者と治療者』という民族誌においても、一部 分ではあるが台北の病院で「精神科医」として診療した時の経験についての言及がある(Kleinman,1980)。
(IV)文化人類学・社会学者が「異文化」社会の病院を研究したものが四つめの分野である。西欧の学者が第三世界の国々において「近代病 院・近代医療プロジェクト」に数多く携わってきたが、この種の文化人類学・社会学者の報告書や論文はそれにあたる。が、その数は枚挙に暇がないほどであ り、ここでの紹介は省く。米国の応用人類学会(Societyfor Applied Anthropology)の機関誌『ヒューマン・オーガニゼーション Human Orga- nization』などに掲載されている論文を参照していただきたい。ただ興味深い例として、同学会のニュースレターに掲載されたカナダの人類学者K・ギ ルの南太平洋フィージーの病院でのフィールドワークについてのエピソードを最後に紹介しておきたい(Gill,1990)。
彼女は、フィージーの女性がどのように自分たちの医療行動を決定しているかについて調査するためにフィールドに赴いた。当初の彼女の方法 論は、現地の医療にコミットせずに病院を舞台にした人びとの医療行動を観察してゆくことだった。しかしながら、女性を対象に母子保健や出産を介助する「病 院補助部」の活動に関わるうちに、「純粋な」観察者であることが不可能であると彼女は感じた。それは、眼の前で生じる医療の生々しい現場からの影響力のみ ならず、病院における外国人の調査活動そのものが、現地の病院内における人びとの政治的な力学にも深く関与せざるを得ない状況を作り出していると、ギルは 言う。このようにして、彼女は「病院補助部」における教育活動などへの関わりを通して、その様子をまとめている。
■今後の課題
方法論としての民族誌の利点は、その描写の個別性や具体性にある。
病院という素材を取り扱う際に、しばしば用いられる手法は、その活動の指標になる統計資料を列挙し、それを比較検討することである。その ために検討される個々の病院は、結果的には、数量として一元化される傾向が否めない。民族誌的手法は、その欠点を補い、病院医療の実態を把握するためのイ メージを容易に人びとの前に提示することができる。
民族誌的実態を把握し、それを病院医療の理解のために貢献させ、現実の医療に還元させてゆくためには、次のような2つの課題をクリアする 必要があろう。ひとつは、ある特定の病院について、内容の豊かな民族誌が描かれること。他のひとつは、いくつかの民族誌的トピックスについて、複数の病院 からの実態が報告されることである。
最後に、独自な世界としての病院について、いくつか関心が持たれるトピックスを列挙してみよう。
[ルール]病院には、スタッフのみならず患者の遵守すべきルールがある。それは公的な規則から非公的な「慣習」にまで、多様な広がりを もっている。そのなかでも出生や臨終は人間生活における特に劇的な場面であるので、それらの出来事に伴う規則や慣習は、そこに従事する者や参加する人びと にとって、情緒的感情を伴うさまざまな思惑が交錯する民族誌記述にとっては格好の素材となる(8)。
[身体]病院において身体はさまざまな処遇を受ける。身体は、人間を理解するための「器」であると同時に、医学的処置をおこなう「単位 (ユニット)」でもあるのだ。未熟児の身体、意志を表明している成人の身体、意識不明になった身体、死体などは、同じ身体でありながら、その処遇は多様で ある。さらに、CATやPET、超音波エコー、コンピュータ・グラフィクスなど、画像診断の発達を通して、我々はそのような身体イメージを、徐々にではあ るが変更しつつある。
[時間]病院における時間の経過は、病院外におけるそれとは異なる。スタッフの勤務時間配置、夜間に多発する入院患者の訴え、一定の間隔 をおいた検温、手術の時間など、患者と医療者の「時間意識のずれ」は常に体験することである。人間は、日常生活を通して、時間意識を形成するものであり、 それへの配慮は現実の問題に対処するための指針にもなる。
[空間]病院内には、さまざまな記号(サイン)や文字が見られる。「放射線管理区域」「関係者以外立ち入り禁止」「禁煙」「外科・制限区 域」「霊安室」など、病院という空間は、さまざまに分割され、それぞれに意味づけされているのである。病院で働くにせよ、入院するにせよ、人びとはそれら の空間を利用し、使い分け、理解しているのである。
[儀礼]先に挙げたルールにも関連するものに人間の儀礼的行為がある。病院には、その要・不要を抜きにして、一定の儀礼化された作業がし ばしば見受けられる。このような作業は、やっておかないと気が済まないような信条に裏付けられている。そのもっとも興味深いものは、軒並に不幸を遂げた患 者を受け持った看護スタッフが「占い」や「御祓い」を受けゆくことである。婦長クラスのメンバーが例年「御祓い」を受けにゆくことが慣例化しているケース もある。このような事態は目立ちにくいにもかかわらず、その実数は相当なものに上るであろう。だが、私たちはこの実態について詳しいことは報告されておら ず、またそれが日常の医療のなかでどのような意味をもっているのかについて説得力のある説明をしたものもいない。
[レッテル]病院内では、病棟や専門科が多くあり、それらの人間関係についてさまざまな偏見が常に生まれる素地をもっている。また、患者 にとって、病院の格付けや専門科のスタッフへの評価や噂は、常に関心の的となる。医療従事者のあいだでは、特定の病院の名前を聞くだけで、そのクラス、周 りでの評判、経営の実態についてイメージすることができるという。病院で働くスタッフの意識には、「外の」病院はひとつのまとまりをもったイメージとして 把握されているのである。
これらのことを挙げるだけでも、病院という世界は、多様な広がりをもったものであることが容易に想像できよう。「医療の転換期」と言われ る今日、近代医療を再考する際には、病院の民族誌的研究が重要となる理由もここにある。
■註
(1)「病院の民族誌」ということばは、日本人類学・民族学連合大会(於:岡山理科大学)の期間中において一九八九年十月二十二日に開催 されたシンポジウム「病院の民族誌」において初めて使われた。このシンポジウムは波平恵美子(九州芸工大)の司会のもとに村岡潔(大阪大)、黒田浩一郎 (愛媛大)、佐藤純一(結核予防会大阪府支部)と池田光穂(日本学術振興会)、そして広瀬洋子(放送教育開発センター)が基調となる四演題について発表 し、それを踏まえ会場の参加者を交えた総合討論がおこなわれた[所属は発表当時のもの:敬称略](池田,1990)。
(2)看護学では「参加観察」という訳語が与えられている。このことについては波平( 1990)参照のこと。医療人類学における方法論に ついては池田(1989:233-260)に詳しい。また、文化人類学理論における参与観察の位置づけをめぐって、現在では、その理論的見直しあるいは反 省期にあり、いくつかの文化人類学者による論文が公表されている。関本(1988,1989)を参照。
(3)民族誌ということばは、研究者によって多様な定義がなされている。 Hammersley and Atkinson(1989:1)によると、それらには「文化的知識を引き出すこと」「社会的相互作用のパターンの詳細な調査」「諸社会の全体的な記述」 時には「「物語るような」記述」などがあるという。
(4)米国における最近の近代医療の文化人類学的研究の論文集としては Hahn and Gaines(1985)を参照されたい。
(5)米国には多数のエスニック・マイノリティーが存在し、病院医療においても「異文化間コミュニケーション」が重要となることが多い。 看護の人類学の専門家であるN・クリスマンらの編になる『臨床的応用人類学』(1982)という論文集には、米国の臨床人類学成立期における、その教育と 研究についての意欲的な方向性を窺うことができる(Chris-man and Maretzki,1982)。この臨床人類学の成立事情については武井(1986)による紹介がある。最近のこの分野の現状は、Lock and Gordon(1988)の論集で知ることができる。
(6)ゴッフマンの『アサイラム』は、この種の調査研究の古典としての名声を獲得していると言えよう。
(7)日本保健医療行動科学会が編集する、同学会の年報には、臨床における行動科学的観点から描写された論文がしばしば掲載されている。
(8)近年、社会学の宝月教授(京都大)らのグループによるICUにおける詳細な研究報告がなされている(宝月,1990)。
■クレジット:病院を社会的・文化的に記述すること:方法論としての「病院の民族誌」(1990年版)
■文献
はい、よく読まれました! 池田光穂
Copyright 1990-2017, Mitzu Ikeda