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民族誌

ethnography,民族誌、みんぞくし,エスノグラフィー


解説:池田光穂

民族誌とは、フィー ルドワークと いう経験的調査手法を通して、人々の社会生活について具体的 に書かれた「体系的体裁によって*」整えられた記述のことである。「エスノグラ フィー」とも言い、完全な同義語である。

今後の改定は「エスノグラ フィー(民族誌; ethnography)」でおこなっています。

「民族誌(英文:Ethnography;希臘文 ἔθνος [ethnos,民族、人群] 加上 γράφειν [graphein,書寫])是一種寫作文本,它運用实地考察來提供對人類社會的描述研究。民族誌呈現一個整體論研究方法的成果,這套方法建立在一個概念 上:一套體系的各種特質未必能被彼此個別地準確理解。這種寫作風格在形式上與歷史上,均與旅行家書寫與殖民地官員報告有所關聯。某些學術傳統,特別是建構 論與相對論的理論典範,運用民族誌研究作為一個重要的研究方法。許多文化人類學家認為,民族誌是文化人類學的本質。」from Wikipedia(维 基百科, 自由的百科全书) in Chinese,

*体系的記載などは不要だという論者もいるだろう。物語記載に は規則とい うものがないからである(→「そうとは言えない面もある!」およ び以下の【補論】参照)。 だが、この文言がなければ民族誌的ノート(ethnographic/-phical notes)と区分が付かなくなる。このように民族誌と民族誌的ノートを峻別する別の論者がいるかぎり、民族誌の著者の中には、多かれ少なかれ「体系的体 裁によって」整えられた記述という意識が少しでもあるはずである。

民族誌(ethno-graphy)は文字どおり、民族(ethnos)について書かれたも の(graphy, document[下記参照])という意味である。ただし、すでにマリノフスキーらの近代民族誌の確立時期[1920年代]にもあったように、写真やス ケッチなどの映 像資料、現代にまで続く「旅行記/旅行談(travel literature/travelogue)」さらにはメディア技術の発展を通して動画(フィルムやビデオ映像)による映像記録なども、民族誌に含まれ る。(なお、その場合は ethnographic film のようにメディア形式に形容詞をつけて表現する)。民族誌(古い英語の辞書では民俗誌と表現された)は、文化人類学民族学(あ るいは民俗学)研究にとって、重要な基礎資料となる。

    それに対して、ドキュ メント (document, 記述された文書や記録)に基づく記録物——今日ではスクリプトで構成された映像作品——をドキュメンタリー(documentary)という。ドキュメン トのラテン語の語源は「証拠」であり、記録されたものが「真実」であると証明し、それを利用する人に伝えるという「使命」を担わされていると考えることが できる。もちろんドキュメントは、証言を語る人、証言を記録する人、証言を利用する人たちによって、その「真理」の処遇がことなり、真理の多元性を産むと いう社会的特徴を持っている。

民族誌という言葉を定義する際につきまとうややこしい問題は、この用語が2つ の言葉 「民族」 と「記述(ドキュメント)」に分解され、それぞれの用語とは何か、という議論を内包することである。だが、専門職としての人類学者の誕生は、民族について 記載されたものは、なんでも民族誌であるという理解を我々の意識からは排除することに成功し「よく訓練された人類学者(あるいは民族を研究する専門研究者)によって書か れた当該民族の生活の全体ないしは一部に関する具体的な記述」という今日流通している、民族誌の理解——民族誌は経験的事実(=記述概念) であるので、その用語を論理的に定義することはできない——を確立することに成功した。

したがって、民族誌学(ethnography)とは、今を生きる世界のさま ざまな 人びとの 生活をおもに記述したり記録することを通して、人間の文化の個別性と普遍性について考える学問分野をさす[→民族誌学とは?]。


今後の改定は「エスノグラ フィー(民族誌; ethnography)」でおこないます。