医療人類学入門出典情報
What is the field for Medical Anthropologists
? : Past and Present.
2. 折衷主義の遺産 [→はじめにもどる]
1977年にガーバリーノは次のように言っている。
たとえば、医療人類学は、機能主義の方法でも、構造主義でも、生態学でも、あるいは認識科学、といったアプローチでも研究することが可能である。‥‥[このような分野は]学説上の新生面を切り開いたものだとは思わない。それらはむしろ、既存の分野を、大きく拡大したものというべきであろう(ガーバリーノ 1987:4)。
これは現在でもみられる代表的な見解である。しかしこのコメントは、医療人類学が「医療」を対象にした人類学的研究であること以上のことを物語っている。つまり、医療人類学はきわめてハイブリッド(異種混淆的)な学問であるということだ。
Mutatis mutandis つまりしかるべき点に手を加える、ことで医療人類学の方法論は発展してきたということができる。
このハイブリッドには、むろん肯定的と否定的の両方の意味がある。肯定的な意味においては、人類学研究と医学や生物科学などの研究の交流の場であり、両分野の意見交換によってより生産的な学問の成果が期待できるという含みがある。いわゆる学際領域がもつ双方の研究者に対する生産性という意味である。他方、否定的な意味では、どっちつかずの学問であり、その多角的な視野は中途半端な分析に終わり、総花的な研究は結局は人類学にも医学研究にもその成果をもたらさないだろうという見解がある。C・ギアーツはその著名な論文「厚い記述」のなかで、この種の折衷主義は失敗に終わることを指摘している。学問上の隘路とは方向がひとつしかないということではなく、進むべき方法がたくさんありすぎるということからくるらしい。
学問における折衷主義が成果を生むか否かという議論にはたぶんに水掛け論的なところがあるので、それらの主張の議論の結論だけを追っても、医療人類学の有効性の可否を定めることはできない。医療人類学が近代医学と人類学の相互の交流によって新しい領域を開拓したことは事実であるし、そこに折衷という側面がみられることもあった。その意味では折衷には生産的な効果もあったのだろう。しかし「医療人類学は折衷主義的な学問である」という非難は医療人類学という独自の領域が形成されることによって、次第に聞かれなくなった。もっとも自称「医療人類学」と称する論文のなかには、確かに人類学と医学のそれぞれの分野から、その概念や方法を批判的に吟味することなしに接ぎ木しているものも少なくない。そのような論文は確かに「既存の分野を拡大した」と言えなくはないが、論理的な跳躍があって読んでいて退屈なばかりだけでなく、誤解を生む点では有害なものである。学際研究にはこのようなものがしばしば見受けられる。