1990年代の医療人類学の動向
北米を中心とする医療人類学は広い領域にまたがり、またそれぞれの下位領域も深みが増してきたので、すべての研究動向を把握することは至難 である。一般的に言って、アメリカでは1970年代までの臨床医学指向から80年代以降、人類学理論への回帰現象がおこりつつある。また研究者の多くも医 療人類学が文化人類学の領域と深く結びついており、自らは人類学者であるというアイデンティティをもっているので、主流の文化人類学理論の動向には敏感に 反応する傾向がある。医療人類学のセントラル・ドグマは文化人類学であると言っても過言ではない。
このような状況認識を前提にして、比較的影響力の大きい最近の医療人類学関連の仕事を私は三つの動向として整理したい。今それを、仮に 「モノグラフ志向」「体制順応志向」「批判的医療人類学」の3つのグループに名づけて概説したい。それぞれのグループには、いくつかの流れがあるので実際 には(a)から(g)まで7つのジャンルにさらに細分化してある。この分野を図1.の古典的四象限に分けて配置したものが図2.である。
1 モノグラフ志向――民族誌としての医療人類学
最初は「モノグラフ志向」の流れである。これは文化人類学者が実地調査にもとづいて報告する民族誌の制作を通して、世界のさまざまな医療 のあり方や患者の実態について報告、分析、解釈したものである。研究対象を広く当該の社会に求めようとするものと、患者や個人にもとめるものでは、自ずか ら描き方が異なる。
(a)医療民族誌 Ethnography of medicine
まず、社会の全体的な現象として医療を取り扱うの民族誌的研究がある。ニッチャー、グッド、クラインマンなどがその代表である。対象 地域も伝統社会から近代工業国まで多様である。これらの著者たちは具体的な民族誌記述の実践を通して、より抽象度のある理論的な枠組を提示していることに 特徴がある。たとえばニッチャーは南インドをフィールド経験を中心として、人びとが病気を通して彼らがおかれた苦境を表現することを「苦悩のイディオム」 と呼んだ(Nicher 1981)。グッドはイランの人たちが心=心臓の不調を訴えるのだが、それは現地語以外には翻訳不能な用語で表現されるものであり、その意味することは老 齢、悲哀、貧困、出血、対人関係の不調などきわめて多義的である。彼は、このような不調が、一種の社会的な自由連想法であることを指摘して、それを「意味 論的な病気のネットワーク」(semantic illness network)と呼んだ(Good 1977)。
(b)患者指向民族誌 Patient-Actor oriented ethnography
他方、焦点をより絞って患者指向の民族誌とも言える流れがある。オベーセーカラやクラパンザーノなどの民族誌がこの代表である。精神 分析理論の各派の影響を受けながら特定の個人に焦点をあてて分析的な叙述を試みているものと言えよう。オベーセーカラ(1981)はアメリカ合衆国で教鞭 をとるスリランカ人であり、スリランカの宗教的職能者に焦点をあてた民族誌において、ウエーバーの文化理論とフロイトの深層心理解釈を駆使して、職能者の 個人史における語り、夢や幻想などに現れる個人的な象徴が、どのようにして社会的な象徴と統合されているのかについて、現地の社会的歴史的文脈に即してき わめて特異的に語っている。クラパンザーノ(1991)の民族誌は、精霊にとり憑かれたと主張するモロッコの煉瓦づくり職人の男との出会いを通して、病い を含めた人の語りを理解することに焦点がおかれている。クラパンザーノは、研究者と研究対象であるインフォーマントとの関係を、「人類学者」と「治療者」 という隠喩的表現で語っているが、これはオベーセーカラと同様、主体と客体の問題について独自の議論が展開されてきた精神分析理論に負っている。
2 体制順応志向――制度的医療人類学
次のグループは「体制順応志向」とも言うべき研究の流れである。これらは現状の医療に対する批判よりも、現在の医療を運営するなかでより よい視座を文化人類学から得ようとする態度を共有している。この体制順応という言葉には彼らの理念を損なう意味で使っているのではなく、現状に対する不満 のエネルギーを理論のより生産的な利用に転化させようとしている彼らの立場や方向性を示すために使っている。
(C)臨床人類学 Clinica anthropology
クリスマンやメレツキに代表される臨床人類学あるいは「臨床的に応用された人類学」であり、人類学の理論成果を実際の近代医学の治療 という実践の場において試みるきわめて功利主義的な立場である。そのために調査研究の場も、病院の病棟や診察室、さらには研究室など、近代医療の実践家に とっての現場にねざした空間である。したがって調査研究する者も、専門の人類学者だけでなく、医師、看護者、カウンセラー、作業療法士、臨床検査技師など の業務に携わる人びとにわたっている(池田 1991)。臨床の概念をより拡張すると、地域精神保健や薬物濫用の問題にとり組んでいる人類学者もそのカテゴリーに含めることもできる。
(d)開発医療人類学 Development-Medical anthropology
低開発国(地域)において、保健衛生計画に関わる領域である。人びとの健康の「開発」に組することを前提に、医療人類学的知識の応用 を強調する立場である。このような領域が成長してきた背景には、保健医療計画の実施責任者たちが文化人類学的手法に関心を寄せてきたという事情がある。こ の分野の歴史的展開については、すでに述べたために(池田 1996)、現在この分野が抱えている問題点を指摘するにとどめておく。それは開発医療人類学の概念や方法の確立され、情報収集がいよいよ体系化されてゆ くなかで、調査研究そのものがオートメーション化されているという問題がある。例えば、最初、医療の民族誌のなかで提唱されたクラインマン(1992)の 説明モデル(Explanatory Model,EM)は、個々の病気が周囲の人たちにどのように理解されるのかについての概念モデルであったが、臨床の現場で、あるいは地域保健計画の現場 で使われるにようになるにつれて、病気の背景にある文化的社会的認識論が問題になるのではなく、即席にその社会の病気認識をしるための方法として理解され るようになった。説明モデルと同様、世帯レベルでの健康状態を把握するために即席の疫学調査手法の規格化がされるようになったが、そのことは訓練を受けた 調査者には容易に利用可能することができ、かつ容易にデータを出すことができる手順になってしまった。ある社会の状況を把握するために文化人類学の方法論 が、データを得るための作業になってしまったのである。
3 批判的医療人類学 Critical Medical Anthropology
最近の動向の三番目の流れは、批判的医療人類学ともいえるものである。これには少なくとも三つの領域がある。それは「保健の政治経済学」 「批判的−解釈的アプローチ」あるいは「ジェンダー研究」である。
(e)保健の政治経済学 Political Economy of Health
保健の政治経済学は、シンガー、モーガン、ドナウ、タウシグなど、政治経済に組み込まれた医療状況を批判的に論じる立場である。例え ば、低開発国の医療援助について考えてみよう。たしかに、低開発地域では感染症の罹患率が高く、また乳幼児死亡も高い。ただ、そのことをもって開発諸国か ら医療援助か必要になったのだと結論づけることは性急で思慮深いとは言えないだろう。現実に眼をむければ、医療援助物資が届く前に、低開発国では多国籍製 薬企業の売薬が現地の伝統的な薬草を駆逐してすでに浸透していることをみるだろう。また現地で適切に使われるかどうかも分からないような粉ミルクの成分だ けをみて、乳児の栄養を改善できると信じることもばかげている。もっと重要なことは母子保健の改善だからである。この種の最大の矛盾は、人口政策にもっと も典型的にあらわれている。低開発国の人びとの保健は開発国である先進諸国の人びとの保健とは切り離して考えることができないのである。
保健の政治経済学の立場を明確に打ち出す研究者たちが、マルクス主義や従属論、あるいは世界システム論に理論的根拠を負うことが多い のは、局所的な現象をより広い文脈の中で理解しようとする際にこれらの理論がそのようなインスピレーションを与えるからに他ならない。
(f)批判的−解釈的アプローチ
(g)ジェンダー研究
この保健の政治経済学と深い関係をもつのが、医療人類学における批判的−解釈的アプローチである。これは、医療が文化的に構成された ものであるという見解に立って文化批判の観点から考察する分野である。先に医療人類学の始祖としてのリヴァースの三つの重要な指摘をおこなったが、その最 後の主張である「医療は権力関係である」という見解をもっとも色濃く受け継いだ領域といえる。この領域の研究者たちがルカーチ、グラムシ、トムソンなどの マルクス主義的な概念装置を好んで使って医療を批判的にとらえていることが、このことを裏づけている。この文化批判のなかで、もっとも成果をあげているの が、近代医療が人間の身体をどのようなかたちで文化的に構築してきたかというであり、最初はフーコーの精神病やホモセクシュアリティに関する文献、アリエ スの幼児や子どもの社会的カテゴリーにかんする思想史や社会史的の研究が、後にはフェミニズム諸理論がそれらの研究に刺激を与えつづけている。フェミニズ ム研究でもっとも活発におこなわれているものは、女性の医療化に関する現象に焦点をあてたものであろう。生殖技術、出産、月経、更年期=閉経期、身体化、 セクシュアリティと医学など枚挙にいとまがない。
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