医療人類学の挑戦
1990年代末の状況
1990年代末における医療人類学について、私が指摘したいことは、次の四点である。
以下、この点について説明していこう。
1 自然人類学の影響力の後退
医療人類学は当初、その有力なフィールドとして自然人類学的研究を多く包含していた。現に、自然人類学的な知識は医療人類学を学ぶ上でも不可欠である。にもかかわらず、純粋に自然人類学的な成果のもつ影響力が大きく後退したといえる。どうしてだろうか、それはこれまでに触れてきたように自然科学的な研究そのものが人文社会科学的な医療人類学の研究対象にされることによって、自然人類学が提示するデーターを必ずしも「普遍的」なものと扱うことが困難になってきたからである。これは、医学と文化人類学の混成領域から、より文化人類学的傾向に回帰してきた北米の医療人類学――研究の質量ともにこの学問そのものである――に言えることである。自然人類学的な成果は、もし援用されるにしても、それは折衷されたり、傍証のために使われる傾向がある。もちろん、これはこのジャンルの衰退を意味するものではない。むしろ栄養、疫学、人口に関する人類学的研究は、それぞれ独立の分野をなすほどの学問的基礎ができあがり、今後さらにその傾向を強める方向にあることを示唆する。これは例えばマックエロイとタウンゼントの教科書『生態学的視野かたみた医療人類学』(第2版)を見れば用意に理解できることがらである(McElroy and Townsend 1989)。
2 歴史研究の位置づけの変化
医療人類学の創生期には、古代医学を研究する医学史家が加わり、その理論的発展に寄与してきた。だが現在では最近まで影響を持ち続けていた進化主義的な思考は現在においては完全に排斥されている。しかし、これはある意味で医療人類学からある種の知識が失われたことも意味する。例えば、現在では古病理学などについて議論されることはめったにない。もちろん、古代人の病態について、現在の「未開人の病態」から比較法をもちいてアプローチする研究は未だに後を絶たないし、これからも完全にはなくならないだろう。しかし、それに批判的な我々は、これらのアプローチが進化の中で登場した人々と現在に生きる人々を混同するという誤謬に同意することはないだろう。古代人が「文化変容」をうける以前の未開人であるという学問的保証はどこにもないからである。 しかし、他方で歴史主義的なアプローチはつねに医療人類学者にインスピレーションを与えていることも事実だ。シゲリスト、マッケオン、マクニールなどの疾病の歴史的な変遷を大きなスケールでみる議論には相変わらず刺激を受けている。またエスノヒストリーや植民地史研究における流行病などの統計・政治・民族誌などの論文はむしろ量産されつつあるといってよい。
3 病気の認識論に対する功利主義的理解
医療人類学の創生期には、未開社会での報告にもとづいて、その文脈から遊離した思弁的な病因論が多く論じられたことがある。しかし、現在ではそのような純理論化の傾向の後退は著しい。思弁的な理論の構築よりも、むしろそれを解釈の道具として利用する傾向がより強い。この背景には、病気の分析についての細かい民族誌的な報告、臨床現場での臨床的インタビューの会話分析など、よりそれが生起する社会的文脈に即した研究が出てきて、思弁的な議論を色あせたものにしたという事情がある。また、哲学的には興味深い民俗病因論のモデルを提出するよりも、従来のそれらを利用して、近代医療や現代社会を解釈したり、現実にフィードバックさせようとする応用的な観点に立つ臨床人類学や開発医療人類学が登場したこともこの傾向に拍車をかけた。社会と病気に関するすべての知識は社会的に決定されるという ヤングの論文は、この傾向に対して理論的な保証をしたといえる(Young 1982)。
4 マクロとミクロの分析視角をどう扱うかという問題
実証主義的な社会科学には、ミクロとマクロの分析視角をどのように調和させるかという問題がつきまとう。人間の保健を文化人類学的に分析する医療人類学もまた、この問題を抱えている。例えば、健康問題が世界的な視野の広がりのなかでとらえられなければいけない一方で、臨床の現場における診断や治療の決定においてさまざまな文化的社会的影響について議論する必要も他方ではある。現代社会における医療問題を臨床という実践の場から具体的に解決していこうとする臨床人類学の実践と、開発や医療援助、あるいは近代医療におけるへゲモニー問題を通して政治経済的批判を展開し、その国の政策決定に対して注文をつけていこうとする実践が、どのようなところで接点を持ちうるのだろうか。医療現場においてミクロな観点から分析を加える際に過度に功利性を追求すると保健の行動科学研究のように数量化や演繹にもとづくマニュアル化の傾向に拍車がかかり、健康の政治経済学が指摘するように、現実の制度の背景に潜む不正を黙認するだけでなく、科学という名のもとでそれを補完し続けるという弊害すら生む危険性がある。他方、マクロな観点から社会の大きなシステムを批判的に論じても、それがミクロな個々人の保健の実践の場でのやりとりとどのような関係をもつのか明確でないし、また多様な広がりをもつ人間の病気の文化的構築の様子を理解する糸口のところでとどまったままになる。
この冒頭であげた医療人類学の折衷主義的な伝統は際だって異なったアプローチをお互いにとることで人間と「医療」をめぐる現象にさまざまな回答を与えた。折衷主義の生産的な活用とはこのような医療人類学の技法にあるように思われる。
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