自然権
Ius naturale, natural rights
自然権(natural rights)とは、人間が保持している生命・自由・財産・健康に関する不可譲の権利のことで、これまでホッブス、グローティウス、ジョン・ロックなどに より論 じられてきた。米国のバージニア権利章典(1776)、フランス人権宣言(1789)、日本国憲法(11条、97条:1946)
ブリタニカ国際大百科事典:「法的規定以前に人間が本性上もっている権利を「自然権」という。伝統的「自然法」を社会形成の積極的な構成原理に援用した際に生れた近代的な観念である。思想的先駆は
T.ホッブズで,彼は個人の生存の欲求とそのための力の行使を自然権として肯定した。自然権は政治的変革を正当化する原理として歴史的に重要な機能を果す
とともに,現代の人権思想の根底ともなった。
J.ロックは「生命,身体および財産」への権利であるとし,国家はこの自然権を保障するための組織であるから,いかなる国家権力も自然権を侵害することは
許されず,そのような侵害に対して人民は抵抗権をもつと主張」自然権)する。
日本国憲法(The Constitution of Japan, Promulgated November 3, 1946)
第三章 国民の権利及び義務(Chapter III. Rights and Duties of the People)
第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
Article 11. The people shall not be prevented from enjoying any of the fundamental human rights.
These fundamental human rights guaranteed to the people by this
Constitution shall be conferred upon the people of this and future
generations as eternal and inviolate rights.
第十章 最高法規(Chapter X. Supreme Law)
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
Article 97. The fundamental human rights
by this Constitution guaranteed to the people of Japan are fruits of
the age-old struggle of man to be free; they have survived the many
exacting tests for durability and are conferred upon this and future
generations in trust, to be held for all time inviolate.
ハンナ・アーレントにおける自然権(ius naturale)
「人間と法とのこの同一化は、古代以来の法思想の悩 みの種だった合法性と正義との差を解消するもののように見えるが、これは〈自然の光〉(lumen naturale)もしくは良心の声とは何一つ共通するものを持たない。自然権(ius naturale)もしくは歴史を通じて啓示された神の掟の権威の源泉としての〈自然〉もしくは〈神〉は、〈自然の光〉(lumen naturale) もしくは良心の声を通じて、その権威を人間自身の内面に告知すると考えられているのだが、しかしこのことは決して人間を法の生きた具現にはせず、反対に法 は人間に同意と服従を要求する権威として人間とは異なるものとされていたのである」[アーレント 1981:304]。
"This identification of man and law, which seems to cancel the discrepancy between legality and justice that has plagued legal thought since ancient times, has nothing in common with the lumen naturale or the voice of conscience, by which Nature or Divinity as the sources of authority for the ius naturale or the historically revealed commands of God are supposed to announce their authority in man himself. This never made man a walking embodiment of the law, but on the contrary remained distinct from him as the authority which demanded consent and obedience. " (Adendt 2004:596)
「法による統治という言葉でわれわれが理解している ものは、不変の自然権(ius naturale)もしくは永遠の神の提を善悪の基準に翻訳して実現するために実定法を必要とする政治体である。このような基準のなかでのみ、神の掟は真 に政治的現実となるのである」[アーレント 1981:306]。
"By lawful government we understand a body politic in which positive laws are needed to translate and realize the immutable ius izaturale or the eternal commandments of God into standards of right and wrong." (Adendt 2004:598)
自然権としての先住民権を確立するためには……
生 命・自由・財産・健康に関する「多様性」「多元的現実」を普遍的唯一性の否定と見做すことなく、包摂的概念として権利として認め、それらが普遍的唯一性か ら逸脱していないことを証明しなければならない(シュトラウス 2013:18-19, 25)。生 命・自由・財産・健康に関する「多様性」「多元的現実」を普遍的唯一性の否定とみなす代表は、(価値の相対主義をとり、合理的な配分原理の均衡点を模索す る)功利主義的なリベラリストである。シュトラウスの論法では、あらゆる文化において、正/不正の概念が存在することは、普遍的な正/不正の概念を否定す るものではなく、むしろ、比較研究を通して普遍的な正/不正の概念の(我々の集合的な)探求の出発点となる(シュトラウス 2013:26)。
また、自然権を根本的に批判する社会科学の勢力ついては、シュトラウスは2つあるという。ひとつは「歴史の名においた」批判(=歴史相対主義)と、事実と価値を切り分ける科学主義あるいは価値中立主義である(シュトラウス 2013:23-24)。
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