快楽としての医療:「医療快楽論」聞き書き
medicine as jouissance
お話し 垂水源之介さん(医療快楽研究家家元)聞 き書き 池田光穂(文化人類学専攻)
垂水源之介家元近影
本文の処方上の注意
1.これは真面目な戯れ文です
2.毒気がありますので、ヤブ医学生の方は真剣に読まないで ください。
言い訳ならぬ前口上
長崎大学医学部学生雑誌『ぐびろが丘』編集部(1995年10月当時)より「医療快楽論」というテーマでこの領域にお詳しい垂水源乃介さんにお話しを聞くという企 画が実現した。
はてさて、これは重箱の隅を電子顕微鏡で覗くまで(?) に専門化した現代医療の現場で、跳梁跋扈する怪し気なジャーゴンや、実験オタクと化したスペシャリストの予備軍として「半ば魂を売り渡したヤブ医者の卵と しての医学生」(略して、ヤブ医学生)を無力化するための煽動を意図されてのことなのだろうか。あるいは世間にあまたある医療批判の典型としての垂水さん の話を反語的に学び、現在行われているよりよい「真面目」医療を貫徹することなのか。いささか編集部の意図をはかりかねるところがあった。
とまれ、首尾良く垂水さんのお話しを楽しく聞くことがで きたが、本当にこの聞き語りが印刷されるのかどうか分からない。運良く活字になったら拍手ご喝采ということで、私の聞き手の責務は終えたと思っている。編 集部さん、稿料なしで現物支給とはこりゃひどいぜ!(池田 記)
では、はじまり、はじまり
医療を問題化したり議論したりする際に、私がつねに気になる点は人びとがあまりにシリアスネス(真面目 さ)を全面に押し出す態度です。「ワタクシはその問題に真剣に取り組んでますっ!」という姿勢をあらわにすることです。
臨床現場においてひょうきんでユーモアのある先生が、公開討論の席上で「患者の権利」や「生命の尊厳」 について議論する際、その先生の顔は硬直しています。泣き・笑い・ジョークを飛ばす看護婦さんたちと一緒に医療に関する講演を聴きにゆくと、彼女たちは何 やら真面目で神妙な顔をして講演の先生の意見にうなづいています。会場全体がゲラゲラと笑いの渦に包まれたのはターミナルケアを明るく論じる徳永進先生の 講演会を除いていくらもありません。ところが今度は逆に、素人の私のほうが死に臨んだ人をネタにする話についてゆけず逆にマジに怒りを感じたことがありま す。医療を論じることが、なぜこうも真面目でないといけないのでしょうか?疑問は増すばかりです。
だからといって、医療者にいつも不真面目であれ、と言うつもりはありません。敏速で精確な業務とヒュー マンな態度で接して欲しいという気持ちそのものは変わりません。だが私にとって「医療」という問題を扱う際に、とても窮屈に思うことは、「真面目な」口ぶ りや言葉あるいは態度で望まなければならないという、その暗黙の前提なのです。いま、その前提が問わねばならないときにきているのではないでしょうか。真 面目であってほしいのはその業務の内容においてであって、その人の性格や内面ではないと思います。というか、他人の内面などは我々にとって知ったことでは ありません。ともかく、医療に携わる諸々の人びとが、公の場でその職業の社会的性格を全面に出すとき、鼻持ちならない真面目さが登場することをだれもが証 言しています。
医療がマスメディアにおいて問題化され、そこに登場して意見を開陳する人びとが、時に「偽善者」や「度 の過ぎたヒューマニスト」であったり、あるいは「能天気な理想主義者」に見えてきます。繰り返しますが、これは登場人物の内面的性格のことを言っているの ではなく、その人の「社会的な演技」が我々の眼にそのように映るのだと主張しているのです。言うまでもありません。そのような人たちはモラルにガチガチに 縛られているのではなく、実際の生活において、ごくふつうの生活人であることを我々は知っています。かれらは言葉の正確な意味における常識的なふつうの人 びとなのです。
医療の問題を語るとき、なにが、彼らや彼女らをして<大真面目人間>にさせてしまうのだろうかというの が、私の疑問です。そのような事態を生み出すいつくかの要因について考えてみましょう。
まず今日の<医療>があまりにも巨大になりすぎて、われわれの生活全体を支配するような<権力>になっ てしまったと言えないでしょうか。日々の疾患の予防、健康診断、事故に遭遇した時、生まれたとき死んだとき、‥‥そこらじゅうに<医療>が氾濫していま す。患者の相談事に医療者がコメントすることが新聞・テレビ・ラジオのメディアに流れています。昔なつかしい「人生相談」の専門家、これも相当怪しい連中 がやっていましたが、そんな連中は姿を消し、今は弁護士と専門医が我々の人生の岐路において大きな助言を与えてくれる存在になっています。
「医療」という実体が現代社会において権威を持ちはじめた、あるいはすでに権力を手中に収めているとい うことには誰も異論をもたないでしょう。権威や権力は、ご存じのように<真面目>で<こわばった>顔や態度を要求します。これが医療に隠された<真面目> さの理由のひとつじゃないでしょうか。彼らは、権力をもっている以上、茶目っ気を出す訳にはいかないのです。道化は権力の外側にいますからね。
イタリアの道化「アルレッキーノ」
もうひとつ。医療者は人びとの生命を司る<全能者>です。命にかかわることは、やはり現代社会では<真 面目>に属する事柄なので、<真面目>さが要求されます。これが、私の考えるふたつめの理由です。そのために、医療をおこなう側も、それを問題化して社会 に提起する側も<真面目>さの仮面をつけて議論をおこなうスタイルが定着しました。この場合の真面目さは仮面であると同時に一種のマナー、礼儀ということ もかもしれません。ある意味において、この種の真面目さは現在のわれわれが受け入れてしまったひとつの制度かもしれませんね。
権力としての真面目さ、そして生命そのものに対する真面目さ、これらは荘厳ではあるが、しかし完璧では ありません。他方、権力を見守る人びとの眼は辛らつです。医療人が真面目であってほしいと人びとが希求する一方で、逆の方向では医療人に対する潜在的な不 安感の表明なのでしょうか、しばしばネガティブなかたちで噴出します。いわく医師は「拝金主義者」だ「性的に乱れた生活者」だ「世間の常識を知らない」な どの偏見がそれです。看護婦にもこれと同種のステレオタイプがあることは、説明するまでもありません。これらは真面目さの裏側で真しやかにささやかれる闇 の噂として結構流通していますね。しかし、この流言は侮れないものがあります。別冊宝島なんてものを見ると医者や看護婦の裏の世界というものが結構売れて います。もっともそのようなブラックジャーナリズムの商品を購入するのは他ならぬ当事者が多いということは、ほとんどパロディです。このブラックジャーナ リズムは映りの悪い鏡みたいなもので誰にとっても利益をもたらさないでしょうね。
現実にもどってまわりを見てみましょう。<真面目>に取り組んでいる人びとの医療活動の日常には、笑い やジョークや、余裕といったものが、いたるところにみられますね。真面目な議論をしている私自身、そしてこの聞き語りをマジになって読むだろうと思われる 読者諸氏だって、いつまでも真面目な仮面をつけているわけにはいかないでしょう。<真面目さの仮面>はわれわれにとって、窮屈な仮面にほかなりません。
より重要なことは、医療について議論する人たちのみならず、あらゆることについて意見を交換し語ろうと する人びとの基本的態度を保証する条件や環境とは、相手のことを聞いたり、同意したり反論したり、時には感極まって野次を飛ばしたりする、ごくふつうの日 常性ではないでしょうか? 真面目な先生ばかりが呼ばれるディスカッションの重要性を無に帰する必要はありません。でないと、こちらが<真面目さ>の魔女 狩りに転落してしまうからです。マジな議論と同時に、あるいは平行して、いろいろな意見が取り交わすことができる議論の場所メディアが生まれなければなら ない。『ぐびろが丘』はその意味では医学生ジャーナリズムでは希有な存在でしょうね。ガハハハハ・・・ヨイショしてしまった!。もとい。そこでは<真面 目>さ以上に、一見くだらなさそうな人のおしゃべりや笑いが聞こえてこなければならないのではないでしょうか。
事のついでにもうせば、かつて社会の高齢化と老人医療費の優遇によって病院が<お年寄り>のサロンにな りつつあるという状況が指摘され、それを危惧する意見がでましたね。けれど、医療資源の適正配分などの細かい議論を抜きにして、その危惧の声は私にとって はあまりにも狭量だと思いました。病院が<お年寄り>が集まるサロンと化すことは、まさにそれは奇妙な形態ではありまするが、それは裏の福祉実践の現場 だったのではないでしょうか。福祉行政に従事する人たちは、病院に御株を奪われたことをむしろ嫉妬すべきだったです。
医療の現場は、患者の苦痛を和らげる場所であって、患者の苦悩を増幅させる場所ではないように思いま す。病院から聞こえる音は、病人の苦痛の声ではなくて、患者の笑い声であってほしいように思えます。なんか永六輔みたいな軟弱なことを言っているみたいで すが、これは冗談ではありません。瀕死の床にあったさる著明な看護学の老大先生が、新生児室から洩れ聞こえる赤ちゃんの泣き声に励まされ「生きる元気が 戻ってきた」ことを述懐されていましたが、このような潜在的可能性はどこの病院でも秘められているとは思えませんか?もちろん、赤ちゃんの声がすべての患 者に治癒効果があるとは思えませんけれどね。今からみれば信じられないでしょうが、日本の明治期の病院や、開発途上国で病院に入院することは家族にとって 患者の死を意味しました。いま病院に入院することをそのような意味でとらえれば、それは完全に時代錯誤です。だが、その「死」を社会生活上の不都合やここ ろの苦痛などをも含めた広い意味の苦悩としてとらえれば、事情は明治も今も変わってはいないのではないでしょうか。ちょっと誇張した言い方ですけれど。
医療は患者の困った声にお応えしてゆくものでしょう。かつて中川米造先生はその著書に『サービスとして の医療』という言葉を掲げられました。私は医療が現代においてより社会的に成熟した組織であるべきだと考えるならば、サービス以上のものを期待したいです ね。中川先生の突っ込みはまだ甘いんじゃないか、と。ではなんでしょうか?。それは患者にとって気持ちのよい快適な、もっと過激に言えば<快楽>を提供す るものでなければなりません。サービスこそままならないのに、という悲観論ではいけません。それは真面目教からデプロミングしないといけませんね。
私にとって、医療が現在のままのシステムでは、じぶんの生活では必要最小限度の部分に関わるだけで十分 で、人生の最初から終わりまで医療にかかりっぱなしというのは御免ですね。まあ、こんな患者は相当にコンプライアンスが悪そうですナ。
だいたい医学部では医療の知識ばかり教えて、いかに人をくつろがせるかという話芸などを教えないのはけ しからん。ん?、そうです確かに腹芸ばかり教えていますね。それも内輪うけする芸ばかりですが。 サービスないしは快楽を提供する医療機関において、困った時にはいつでもどうぞ‥‥、という職業的余裕をもつためには、こわばった<真面目>さは、その 最大の障害物になるでしょう。人びとが、自由に医療についてより広範な議論を交わすことができるまで、<真面目>さは当分おあずけにしておきましょう、と いうのが私の今日のお話の結論です。
Señor
recibe a esta muchacha conocida en toda la Tierra con el nombre de Marilyn Monroe,
aunque ése no era su verdadero nombre
(pero Tú conoces su verdadero nombre, el de la huerfanita violada a los 9 años
y la empleadita de tienda que a los 16 se había querido matar)
y que ahora se presenta ante Ti sin ningún maquillaje
sin su Agente de Prensa
sin fotógrafos y sin firmar autógrafos
sola como un astronauta frente a la noche espacial.
Ella soñó cuando niña que estaba desnuda en una iglesia (según cuenta el Times)
ante una multitud postrada, con las cabezas en el suelo
y tenía que caminar en puntillas para no pisar las cabezas.
Tú conoces nuestros sueños mejor que los psiquiatras.
Iglesia, casa, cueva, son la seguridad del seno materno
pero también algo más que eso...
una parte de la "ORACIÓN POR MARILYN MONROE," de Ernest Cardenal, 20 January 1925 – 1 March 2020
お囃子ならぬ後講釈
垂水さんとのなごやかなお話しをうかがい、いろいろため になった。インタビューが終わって数日後、垂水さんから2冊の書籍をいただいた。その本は、医療快楽学には重要な本とのこと。紹介して読者の便をはかりた いと思う。
春日曼荼羅あるいは鹿曼荼羅 Kasuga-taisha
アダルトサイトをみていたらつぎのようなFAQを発見した。とてもよい説明である。
Q: どうして、メッセージやページを隠すの?
A : 偶然アクセスしてしまうのを防ぐためです。皆様に「見たい」という 「強い意志」があるのを確認する意味があります。お手数をおかけ いたしますが、ご理解の程よろしくお願いいたします。
『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?, 1897-1897