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ラテンアメリカという概念

Concepts on Latin America

América Invertida (1943)

池田光穂

このページは、ラテンアメリカという用語と概念が、イスパノアメリカ(や対概念とされるアングロアメリカ)と並んで、政治的あるいは地政学的概念であり、文化的中立性などを担保することができないことを証明(ないしは主張)するために作られたものである(→「クロノトポスとしてのラテンアメリカ」)。

さて、ウィキペディア(日本語)でラテンアメリカを引くと およそ次のような記述に出会う(2021年3月27日現在):「ラテンアメリカ(西: Latinoamérica, América Latina, 葡: América Latina, 英: Latin America, 仏: Amérique latine)は、アングロアメリカに対する概念で、アメリカ大陸の北半球中緯度から南半球にかけて存在する独立 国及び非独立地域を指す総称である[田中高, 1997『ラテンアメリカ研究への招待』新評論]。 ここでの「ラテン」という接頭語は「イベリア(系)の」という意味であり、これらの 地を支配していた旧宗主国が、ほぼスペインとポルトガルであったことに由来している。 多くの地域がスペイン語、ポルトガル語、フランス語などのラテン系言語を公用語として用いており、社会文化もそれに沿ったものであったことから名付けられ た。 図(上掲の地球儀の緑の領域をさす)にあるようにラテンア メリカは北アメリカ大陸のメキシコをふくみ、南米大陸のガイアナ・スリナムをふくまない。ラテンアメリカは中南米と呼称される場合もあるが、図に合う正確 な表現ではない[1987『ラテン・アメリカを知る事典』平凡社]。」

この解説から次のようなこととその「問題点」がわか る。

1)アングロアメリカと対立する概念である。すなわ ちアングロアメリカという概念が存在しないと、ラテンアメリカという概念すらその存 在が怪しくなる。 しかし、アングロアメリカはしばしば、先住民の土地だといわれるが、アングロアメリカという概念抜きにラテンアメリカの存在を多くの人は自明視している。 また、歴史的には、北米大陸の西沿岸から少なく見積もって2、300キロぐらいの範囲は、スペイン(後のメキシコ)やロシアの植民ポストが多く存在してお り北米にも「かつてのラテンアメリカ」が多く存在する。この問題は、実は1860年代にまで遡り、ナポレオン3世が、新大陸での覇権を主張するために、 1861年のメキシコ出兵以降アングロアメリカに対抗するために政治的概念として使い、ミシェル・シュヴァリエを使い、パンラテン主義を主張した。

2)「ラテン」という接頭語は「イベリア(系)の」 という意味であるが、ラテン諸語=ロマンス語の範疇から考えると、このラテン=イベリア半島という概念はあまりにも大雑把すぎる。むしろ、歴史家がいう 「スペインとポルトガルの植民地由来」と表明するほうが正確であり、スペインとポルトガルはラテン世界の構成メンバーだからである。

3)スペインとポルトガルという言挙げの舌の根も乾 かないうちに、「スペイン語、ポルトガル語、フランス語などのラテン系言語を公用語」と言い、次の文章では「南米大陸のガイアナ・スリナムをふくまない」 と恣意的な排除をしている。ガイアナでは先住民の存在の他に、「1834年に奴隷制度が廃止されると、砂糖工場の労働力としてまず年季奉公人としてイング ランド人、アイルランド人、マルタ人、ドイツ人、マデイラ諸島からのポルトガル人などが導入されたが、やがてインド人が導入され、約34万人のインド・パ キスタン系移民が1838年 - 1917年までに流入した。彼らは主に黒人奴隷廃止後の農園労働者となった」。スリナムで は「ギアナ地方がヨーロッパ(スペイン)人に「発見」されたのは1499年である。16世紀にオランダ、イギリス、フランス、スペインの探検家によって探 検され、17世紀に入るとイギリス人とオランダ人が入植し、黒人奴隷を使用してタバコ栽培を行った。両国は領有権を巡り争ったが1667年のブレダ条約で オランダはニューアムステルダム(現ニューヨーク)とスリナムを交換し、その後幾度かイギリスによる占領があったものの、以降オランダの領有権が確定し た」ために、公用語はオランダ語である。

ラテ ンアメリカの名称

「ホセ・マリア・トーレス=カイセード(José María Torres Caicedo, 1830-1889)とFrancisco Bilbao, 1823-1865によって1856年初めて用いられたと言われるが、その後、ナポレオン3世(在位1852-1870)による介入は、 新大陸でのフランスの覇権を主張するために、1861年のメキシコ出兵以降、マクシミリアーノ皇帝(1864-1867)を即位させ、アングロアメリカに 対抗するために政治的概念として使い、ミシェル・シュヴァリエを使い、パン・ラテン主義を主張した。他方で、スペイン系の植民者や知識人はイスパノアメリ カという名称を選好するのは、当然である。ラテンアメリカもイスパノアメリカも政治的な言語によるカテゴリー区分なのである。

典拠:"L'expression « Amérique latine » a été utilisée pour la première fois par le poète colombien José María Torres Caicedo en 18564 et par le socialiste chilien Francisco Bilbao, tous deux proches de Lamennais5. Le concept d'une Amérique catholique et latine s’opposant à une Amérique anglo-saxonne et protestante a été repris par l’entourage de Napoléon III4. En 1861, c’est au nom de la défense de ces pays « latins », considérés comme culturellement proches de la France, que l'empereur envoie une expédition du Mexique6 dans un contexte de panlatinisme7. Le développement de l'expression « Amérique latine » est donc lié aux visées coloniales de Napoléon III dans cette région, aux alentours de 1860, lors de l'aventure mexicaine. C'est le Français Michel Chevalier qui mit alors en avant un concept de « panlatinité » destiné à promouvoir les ambitions françaises en opposant les régions de langue romane (espagnol, portugais, et français) dans les Amériques, aux régions de langue anglaise8. Cette sorte d'« ingérence » est toujours combattue, au nom des droits de la mère patrie, par Madrid, où le concept d'Amérique latine n'a toujours pas droit de cité, mais où prévaut au contraire le concept d'hispanité9. Les Espagnols ont toujours préféré les expressions Hispanoamérica ou encore Iberoamérica pour la désigner4. Plus récemment, les géographes utilisent l'expression « Extrême-Occident » pour parler de l'Amérique latine10,11. L'Académie française définit l’Amérique latine comme « l'ensemble des pays d'Amérique anciennement colonisés par l'Espagne et par le Portugal »12." - Étymologie et apparition de l’idée d’Amérique latine.

ラテ ンアメリカ域内における文化の「均質性の神話」

ラテンアメリカの歴史と文化を注意深く調べると、ラ テンアメリカは文化的に均質な全体を構成していないことがわかる。また言語による共通性で、しばしば国際会議などが行いやすい、CNN、ABC、BBCな どの国際的なパンアメリカ的放送局もスペイン語での報道をおこない、またソープオペラやコメディーショーを配信することができるが、地域的な固有性はつね に保たれており、文化的なものが節合されるプロセスはきわめて複雑である。また「ラテンアメリカ」という表現は、コロンブス以前の地域の過去(の記憶)を 消去し去るという意味でも、先住民の側からはスペイン・ポルトガルによるヨーロッパ白人による支配状況は依然として続いているという指摘もある(→)。

1825 年以降のラテンアメリカ

独立戦争後1825年の新大陸とりわけラテンアメリ カとよばれる政治的領域の区分についてのべてみよう。

After many years of thinking I had mistakenly thrown this out, I found my Keith Haring today! Haring came to a class being taught by Robert Ferris Thompson (Master T) in 1986, and he came with a sharpie. If you gave him a sheet of paper he would give you a little drawing. I handed him the xerox map that we were given in class (showing the path of African culture through the Americas), and he added the figures to make the map dance. Time to get it framed!
By @blakeatphillips
Joaquín Torres-García (28 July 1874 – 8 August 1949) was a Uruguayan-Spanish artist[1] who was born in Montevideo, Uruguay. Torres-García emigrated to Catalunya, Spain as an adolescent, where he began his career as an artist in 1891. For the next three decades, Torres-García embraced the Catalan identity and led the cultural scene in Barcelona and Europe. As a painter, sculptor, muralist, novelist, writer, teacher, and theorist, Torres-García was considered a "renaissance" or "universal man." He used a simple metaphor to deal with eternal struggles he faced between the old and the new, between classical and avant-garde, between reason and feeling, and between figuration and abstraction: there is no contradiction or incompatibility. Like Goethe, Torres-García sought to integrate classicism and modernity.[2] Although he lived and worked primarily in Spain, Torres-García was also active in the United States, Italy, France, and Uruguay; he influenced European and North American and South American modern art. - América Invertida (1943)

"Traditional" Latin American's Territory
緑の広大な領域がメキシ コである。出典は:Territorial evolution of North America since 1763(Wikipedia)
出典は、South America, 1825, 出典はブログによる投稿者によるものである。
http: //www.alternatehistory.com/discussion/showthread.php?t=222529


それが50年後の1875年には、そのいくつかの領 域が再度、ヨーロッパ列強に再占領さたり、独立国内部で分裂をしていることがわかる。

●ラテンアメリカという概念を「所有」しようとする意思

自分たちが根無し草だという意識には、2つの感覚がある。ひとつには、世界と自分たちが断絶しているという意識、もうひとつは、世界を創造しようといする意思である。

リンク

文献


Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099

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