はじめによんでください

中央アメリカのメスティソ社会における苦悩の諸相

Body and soul among the Central American Mestizo

Descripción de la foto: Imagen de María Mercedes Coroy quien usa un vestido blanco y lleva un velo transparente blanco. (Crédito: Ámbito.com)

池田光穂

1. メスティソ社会における苦悩の表現 ホモ・パティエンス(受苦 的人間)

 1.1 苦悩の諸事例

2 研究対象としての苦悩

2.1 苦悩のイディオム

 2.2 「神経」の意味論


3. ネルビオスの生成


 3.1 欲望と苦悩

 3.2 変貌する苦悩

 3.3 苦悩とわれわれ

【初 出:クレジット】池田光穂、「苦悩を表現すること」の意味−ネルビオスとラテンアメリカ社会,からだの科学,151 号,pp.18-23 ,1990 年3 月。後に、『現代人類学を学ぶ人のために』[共著]米山俊直編,世界思想社,(担当箇所:10. 苦悩と神経の医療人類学,pp.205-221 ),1995 年3 月に収載。

【注】

 (1)本章は、池田光穂「『苦悩を表現すること』の意味」『からだの科学』一五一号、一八-二三頁、一九九〇を下敷きにしている。だが解釈や 主張は旧稿とはほとんど異なったものになった。理由は筆者の見解と立場の変化の一言につきる。興味のある方は、旧稿をU・エーコ(谷口勇訳)「原稿の作 成」[『論文作法』而立書房、一九九一、所収]を参照しながら、その変化について検討していただきたい。

 (2)柏瀬宏隆「身体化」『増補精神医学事典』弘文堂、一九八五による。

 (3)ジョロナについては旧稿[↓注(1)]を読みコメントしていただいた黒田悦子先生からうかがった。しかしジョロナのテクスト読んで当初 これがどのように関連するのか理解できなかった。その三年後にフィールドを再訪したときに、かつてのインフォーマントである友人が、当時ジョロナと遭遇し 死にそうになったプロテスタント(!)の牧師の「実話」をその現場で臨場感溢れんばかりに話してくれた。だが又しても私はそのことをあまり気にせず再び うっちゃっておいた。今般ジョロナと欲望について考えてみた際に先のコメントの示唆することがやっと自覚できるようになった。職業として文化人類学を教え る人間にとっては情けない話ではあるが、これを読んだ学生には他山の石として、あらゆる資料や体験を関連づけて常に考えることの重要性を改めて確認してい ただきたい。

 (4)ここで現実のメスティソ社会における自殺率のデータを提示しても論証にはほど遠い。だが参考までに、コスタリカ(一九八三)の人口十万 人に対する自殺による死亡率(実数換算)は五・四、殺人は三・九である。ちなみに日本(一九八九)では自殺一七・三、殺人を含むその他の外因は二・八、米 国(一九八八)ではそれぞれ一二・四と一〇・二である。(Pan American Health Organization(PAHO),1986,"Health Conditions in the Americas,1981-1984(I)",PAHO,p.211.厚生統計協会『国民衛生の動向』一九九一、四二二頁)。

 (5)フィールドで私が聞いた、女性への性的魅力と恐怖のもうひとつの物語としては女性の妖怪ドウェンダ(duenda)の話がある(池田光 穂「いのちの民族学(10)もっと恐い話を‥‥」『看護実践の科学』一九九二年十月号、五二-三頁)。いたずら者として男の妖怪ドウェンデは女性に横恋慕 し、彼女に近づく男性を邪魔をする存在として語られるが、ドウェンダは美しくエロティック――セックスをせずに男を快楽に溺れさせる――で、正体を明かす と今度は男性を恐怖のどん底に落とす存在である。この話は私にクラパンザーノの著作(↓参考文献)に出てくる女の精霊アイシャ・カンディーシャを思い起こ させる。

 (6)ラテンアメリカにおける女性解放の思想は、男性中心的なそれまでの歴史的ビジョンを完全に転倒させる。歴史は「白人男性によるインディ オ女性の征服」にはじまり「両性関係に暴力的要素をもち込んだマチスモの伝統は‥‥男性優位のみならず、独裁性、大土地所有制、外国の支配と干渉、軍事政 権など権威主義的現象と結びつい」ているのだ。国際婦人年メキシコ会議(七五年)は「ラテン・アメリカの多くの女性が貧困と不正義からの解放と、これを再 生産するマチスモ的な国際・国内秩序の変革を求め」るという行動指針を提起した。それは、世界認識が変わることが世界に対する関わりをどのように変える か、それがどのようなところに結びついてゆくのかについて我々に教える。(乗浩子「女性解放」『ラテンアメリカを知る事典』平凡社、一九八七、二〇九-一 〇頁)

 (7)この用語と概念を育んできた比較精神医学領域からも良質で総合的な研究[J・レフ『地球をめぐる精神医学』星和書店、一九九一]が公刊 されているいるが、その著作でさえ「文化」に対するイメージ[同書、四八-九頁]は極めて静態的である。

 (8)R・ベネディクト(米山俊直訳)『文化の型』社会思想社、一九七三(原著は一九三四)は、例のプエブロ=アポロ型、クワキウトル=ディ オニソス型を「論じた」ことで有名な古典であるが、私は偏見(こんなもの古くさい!)に捕らわれていてよく親しむことはなかった。だがM・カフリー『さま よえる人ルース・ベネディクト』(福井七子他訳)関西大学出版部、一九九三を読み、作品としてのこの著作が彼女の文化人類学者としての文化概念への挑戦、 そして女性としての生き方と価値の創出に深く根ざしたものであることを知るにつけ認識を新たにし、このテクスト読解が以前よりも面白くなった。同様の示唆 は太田好信さんご本人および彼のいくつかの論文より学んだ。読者の中で、先生に「いい本だから読みなさい」とすすめられて手にとってみても「分からず」途 方に暮れている学生がいたら、ひとまずその著者の経歴や評伝を読んで、独断でもいいから著者の生きてきた生活とその作品を結びつけるように読むと意外に局 面が打開できるかもしれません。

 (9)大貫恵美子『日本人の病気観』岩波書店、一九八五、一一八-一三七頁は、この傾向をレヴィ=ストロースから構想を得て物態化 (physiomorphism)の用語をもって身体化概念を批判しつつかつそれをも包摂する概念の確立に向けた議論をしている。この可能性と限界を考え ることも我々にとっての課題である。


La Llorona es una canción zapoteca escrita y nacida en la comunidad zapoteca del istmo de Tehuantepec, Oaxaca.

Cuenta la historia que un joven de Tehuantepec fue a una fiesta en la comunidad vecina llamada Juchitán y ahí conoció a una chica tan hermosa que salía de la iglesia vistiendo el famoso traje regional istmeño llamado huipil.

Por un tiempo se esforzó para conquistar a la joven. Después consiguió la aprobación de los padres para casarse con ella. Pero los vientos de la revolución soplaron en Oaxaca (1911/1912) y antes de irse a la guerra, le dijo algo como esto:

“ʀᴇᴄᴜᴇʀᴅᴏ ᴇʟ ᴅɪ́ᴀ ϙᴜᴇ ғᴜɪᴍᴏs ᴀʟ ʀɪ́ᴏ ʏ ʟᴀs ғʟᴏʀᴇs ᴅᴇʟ ᴄᴀᴍᴘᴏ ᴘᴀʀᴇᴄɪ́ᴀɴ ʟʟᴏʀᴀʀ,
ᴄᴏɴᴛɪɢᴏ ʟᴀs ɴᴜʙᴇs ᴅᴇ ᴍɪ ᴄɪᴇʟᴏ ɴᴏ sᴏɴ ɴᴀᴅᴀ, ɪɴᴄʟᴜsᴏ ᴇʟ sᴏʟ ᴄᴏᴍᴘɪᴛᴇ ᴄᴏɴ ᴛᴜ sᴏɴʀɪsᴀ.
ʟᴀ ɢᴜᴇʀʀᴀ ᴍᴇ ᴇsᴛᴀ́ ʟʟᴀᴍᴀɴᴅᴏ ᴘᴏʀϙᴜᴇ ʟᴀ ᴘᴀᴢ ᴅᴇ ɴᴜᴇsᴛʀᴏ ᴘᴀɪ́s ʜᴀ sɪᴅᴏ ʀᴏʙᴀᴅᴀ.
ᴠᴏʟᴠᴇʀᴇ́ ᴀ ᴛɪ́ ʏ ᴘᴏʀ ɴᴜᴇsᴛʀᴀ ғᴜᴛᴜʀᴀ ғᴀᴍɪʟɪᴀ. ɴᴜɴᴄᴀ ᴅᴇᴊᴀʀᴇ́ ᴅᴇ ᴀᴍᴀʀᴛᴇ, ᴇɴ ᴇsᴛᴀ ᴠɪᴅᴀ ʏ ᴇɴ ʟᴀ ᴍᴜᴇʀᴛᴇ”.

Finalmente el día de partir llegó y cuando él se despedía de ella, el llanto corrió por sus ojos y los suspiros de dolor invadían el rostro de su amada. Mientras hablaba con ella le tomaba ambas manos, al mismo tiempo que la limpiaba con las suyas las lágrimas que caían por las mejillas de su esposa y entonces la llamó “llorona” porque ella no paraba de llorar, sabiendo que quizás no volvería a ver a su esposo. Besos y promesas volaron por el aire y él juró que volvería por ella de la vida y la muerte con impunidad total. Ella también prometió esperarlo sin importar lo que sucediera.

Muchas personas de la época conocían a la pareja y se consternaron por ellos. El joven se fue a la guerra pero nunca regresó. Tiempo después un amigo mutuo de ellos regresó al pueblo y le dijo: tu esposo fue alcanzado por las balas y las heridas eran tan terribles que fue imposible salvarlo. Pero mientras agonizaba me pidió que te dijera que siempre te amará y que por favor lo perdones. Te entrego la carta que me dio para tí.

Extractos de esa carta decían:

"sᴀʟɪ́ᴀs ᴅᴇʟ ᴛᴇᴍᴘʟᴏ ᴜɴ ᴅɪ́ᴀ ʟʟᴏʀᴏɴᴀ ᴄᴜᴀɴᴅᴏ ᴀʟ ᴘᴀsᴀʀ ʏᴏ ᴛᴇ ᴠɪ́
ʜᴇʀᴍᴏsᴏ ʜᴜɪᴘɪʟ ʟʟᴇᴠᴀʙᴀs ʟʟᴏʀᴏɴᴀ ϙᴜᴇ ʟᴀ ᴠɪʀɢᴇɴ ᴛᴇ ᴄʀᴇɪ́
ᴇɴ ᴇʟ ᴄɪᴇʟᴏ ɴᴀᴄᴇ ᴇʟ sᴏʟ ᴍɪ ʟʟᴏʀᴏɴᴀ ʏ ᴇɴ ᴇʟ ᴍᴀʀ ɴᴀᴄᴇ ʟᴀ ʟᴜɴᴀ ʏ ᴇɴ ᴍɪ ᴄᴏʀᴀᴢᴏ́ɴ ɴᴀᴄᴇ ʟʟᴏʀᴏɴᴀ
ϙᴜᴇʀᴇʀᴛᴇ ᴄᴏᴍᴏ ɴɪɴɢᴜɴᴀ.
ᴀᴜɴϙᴜᴇ ᴍᴇ ᴄᴜᴇsᴛᴇ ʟᴀ ᴠɪᴅᴀ ʟʟᴏʀᴏɴᴀ
ɴᴏ ᴅᴇᴊᴀʀᴇ́ ᴅᴇ ϙᴜᴇʀᴇʀᴛᴇ.

¡ᴀʏ, ᴅᴇ ᴍɪ́ ʟʟᴏʀᴏɴᴀ!
ʟʟᴏʀᴏɴᴀ ᴛᴜ́ ᴇʀᴇs ᴍɪ xʜᴜɴᴄᴀ
ᴍᴇ ᴘᴇᴅɪʀᴀ́ɴ ᴅᴇᴊᴀʀ ᴅᴇ ϙᴜᴇʀᴇʀᴛᴇ ʟʟᴏʀᴏɴᴀ
ᴘᴇʀᴏ ᴅᴇ ϙᴜᴇʀᴇʀᴛᴇ ɴᴜɴᴄᴀ,
ɴᴏ ᴄʀᴇᴀs ϙᴜᴇ ᴛᴇ ᴄᴀɴᴛᴏ ʟʟᴏʀᴏɴᴀ
ᴛᴇɴɢᴏ ᴇʟ ᴄᴏʀᴀᴢᴏ́ɴ ᴀʟᴇɢʀᴇ,
ᴛᴀᴍʙɪᴇ́ɴ ᴅᴇ ᴅᴏʟᴏʀ sᴇ ᴄᴀɴᴛᴀ ʟʟᴏʀᴏɴᴀ
ᴄᴜᴀɴᴅᴏ ʟʟᴏʀᴀʀ ɴᴏ sᴇ ᴘᴜᴇᴅᴇ,
ɴᴏ ʟʟᴏʀᴇs ᴘʀᴇɴᴅᴀ ϙᴜᴇʀɪᴅᴀ
ᴛᴇ ᴇsᴘᴇʀᴀʀᴇ́ ᴇɴ ᴇʟ ʜᴏʀɪᴢᴏɴᴛᴇ ᴄᴀᴅᴀ ᴍᴀᴅʀᴜɢᴀᴅᴀ."

Está de más decir que ella lloraba todo el tiempo por esa carta y nunca volvió a casarse porque esperaba reunirse con su amado en el paraíso y cumplir con su promesa. El bebé de ellos nació una semana después de la noticia. Cada 30 de octubre cenaban juntos. Una esposa y un hijo en la tierra de los vivos y un esposo del reino de los muertos... hasta que la gran águila los juntó nuevamente. El tiempo pasó y la historia fue escrita como una canción folclórica local y ha sobrevivido todo este tiempo.

Entonces, esta hermosa canción no trata acerca de la leyenda de la llorona azteca engañada que ahogó a sus hijos en el río. La Llorona zapoteca es una historia de amor, una historia triste, pero una bella historia de amor.
https://www.facebook.com/leerescrecerok
ラ・ジョロナは、オアハカ州テワンテペック地峡のサポテカ・コミュニティで作られ、生まれたサポテカの歌である。

物語は、テワンテペック出身のある青年が隣のフチタン集落で開かれたパーティに出かけ、そこで教会から出てきたフイピルと呼ばれる有名な民族衣装を着た美しい少女に出会った。

しばらくの間、彼は懸命に彼女を口説こうとした。そして、彼女の両親の承諾を得て結婚した。しかし、オアハカに革命の風が吹き荒れ(1911/1912年)、出征する前、彼は彼女にこんなことを言った:

「ʀᴇᴄᴜᴇʀᴅᴏ ᴇʟ ᴅɪ́ᴀ ϙᴜᴇ ғᴜɪᴍᴏs ᴀʟ ʀɪ́ᴏ ʏ ʟᴀs ғʟᴏʀᴇs ᴅᴇʟ ᴅᴇʟ ᴄᴀᴍᴘᴏ ᴘᴀʀᴇᴄɪ́ᴀɴ ᴀɴ ʟʟᴏʀᴀʀ,
ᴄᴏɴᴛɪɢᴏ ʟᴀs ɴᴜʙᴇs ᴅᴇ ᴍɪ ᴄɪᴇʟᴏ ɴᴏ sᴏɴ ɴᴀᴅᴀ, ɪɴᴄʟᴜsᴏ ᴇʟ sᴏʟ ᴄᴏᴍᴘɪᴛᴇ ᴄᴏɴ ᴛᴜ sᴏɴʀɪsᴀ.
ʟᴀ ɢᴜᴇʀʀᴀ ᴍᴇ ᴇsᴛᴀ́ ʟʟᴀᴍᴀɴᴅᴏ ᴘᴏʀϙᴜᴇ ʟᴀ ᴘᴀᴢ ᴅᴇ ɴᴜᴇsᴛʀᴏ ᴘᴀɪ́s ʜᴀ sɪᴅᴏ ʀᴏʙᴀᴅᴀ.
ᴠᴏʟᴠᴇʀᴇ́ ᴀ ᴛɪ́ ʏ ᴘᴏʀ ɴᴜᴇsᴛʀᴀ ғᴜᴛᴜʀᴀ ғᴀᴍɪʟɪᴀ. ɴᴜɴᴄᴀ ᴅᴇᴊᴀʀᴇ́ ᴅᴇ ᴀᴍᴀʀᴛᴇ, ᴇɴ ᴇsᴛᴀ ᴠɪᴅᴀ ᴇsᴛᴀ ᴠɪᴅᴀ ʏ ᴇɴ ʟᴀ ᴍᴜᴇʀᴛᴇ」.

ついに旅立ちの日が来た。彼女に別れを告げるとき、彼の目には涙が流れ、最愛の人の顔には痛みのため息が浮かんでいた。話しかけながら、彼は妻の両手を握 り、妻の頬を伝う涙を自分の手でぬぐった。もう夫に会えないかもしれないと思いながら泣き続ける妻を、彼は「ジョロナ」と呼んだ。キスと約束が宙を飛び交 い、彼は生死を問わず彼女のために平然と戻ってくると誓った。彼女もまた、何があっても彼を待つと約束した。

当時の多くの人々がこの夫婦を知り、彼らのために狼狽した。青年は戦争に出かけたが、戻ってくることはなかった。しばらくして、二人の共通の友人が村に戻 り、彼女に言った:あなたの夫は銃弾に倒れ、その傷はとてもひどく、彼を救うことは不可能だった。でも、死ぬ間際に、あなたをずっと愛しているから、どう か許してやってくれと頼まれた。あなたのために、彼からもらった手紙を渡すわ」。

その手紙の一部を抜粋する:

「sᴀʟɪ́ᴀs ᴅᴇʟ ᴛᴇᴍᴘʟᴏ ᴜɴ ᴅɪ́ᴀ ʟʟᴏʀᴏɴᴀ ᴄᴜᴀɴᴅᴏ ᴀʟ ᴘᴀsᴀʀ ʏᴏ ᴛᴇ ᴠɪ́ ᴅɪ́ᴀᴀ ʟʟᴏʀᴏɴᴀ ᴄᴜᴀɴᴅᴏ ᴀʟ ᴘᴀsᴀʀ ʏᴏ ᴛᴇ ᴠɪ́.
ʜᴇʀᴍᴏsᴏ ʜᴜɪᴘɪʟ ʟʟᴇᴠᴀʙᴀs ʟʟᴇᴠᴀʙᴀs ʟʟᴏʀᴏɴᴀ ϙᴜᴇ ʟᴀ ᴠɪʀɢᴇɴ ᴛᴇ ᴄʀᴇɪ́
ᴇɴ ᴇʟ ᴄɪᴇʟᴏ ɴᴀᴄᴇ ᴇʟ sᴏʟ ᴍɪ ʟʟᴏʀᴏɴᴀ ʏ ᴇɴ ᴇʟ ᴍᴀʀ ɴᴀᴄᴇ ʟᴀ ʟᴜɴᴀ ʏ ᴇɴ ᴍɪ ᴄᴏʀᴀᴢᴏ́ɴ ɴᴀᴄᴇ ʟʟᴏʀᴏɴᴀ
ϙᴜᴇʀᴇᴏᴍᴦɴɢᴜɴᴀ.
ᴀᴜɴϙᴜᴇ ᴀᴜɴϙᴜᴇ ᴍᴇ ᴄᴜᴇsᴛᴇ ʟᴀ ᴠɪᴅᴀ ʟʟᴏʀᴏɴᴀ
ɴᴏ ᴅᴇᴇ́ ᴅᴇ Ǚᴇᴜᴇʀᴇᴛᴇ.

ᴀʏ ᴅᴇ ɪ́ ʟʟᴏʀᴏɴᴀ!
ʟʟᴏʀᴜ́ ᴇʀᴇs ǐɪ xʜᴜɴᴄᴀ
ᴍᴇ ᴘᴇᴅɪʀᴀ́ɴ ᴅᴇᴊᴀʀ ᴅᴇ ϙᴜᴇʀᴇʀᴛᴇ ʟʟᴏʀᴏɴᴀ
ᴘᴇʀᴇ ϙᴜᴇʀᴇ ɴᴄᴀ、
ɴᴏ ᴄʀᴇ ᴛᴇ ᴄᴀ𝁴ᴛ ʟʟᴏʀᴏɴᴀ
ᴛᴇɴɢᴏʀᴀᴢᴏ́ɴ、
ᴛᴀᴍʙɪᴇ́ɴ ᴅᴇᴇ ᴅᴏʟᴏᴏʀ sᴇ ᴄᴀɴᴛᴀ ᴄᴀɴᴛᴀ ʟʟᴏʀᴏɴᴀ
ᴄᴜ ᴀ ᴅ ᴏ ᴀ ʀ ɴ ᴏ ʀ ᴀ ʀ ɴ ᴇ ᴇ ᴅ ᴇ ᴈ ᴜᴇ
ɴᴏ ʟᴇ ʀᴇ ᴘʀᴇɴᴅ ᴀ ϙᴜᴇʀɪᴅᴀ
ᴛᴇ ᴇsᴘᴇʀᴀʀᴇ́ ᴇɴ ᴇʟ ʜᴏʀɪᴢᴏɴᴛᴇ ᴄᴀᴅᴀ ᴍᴀᴅʀᴜɢᴀᴅᴀ.」

言うまでもなく、彼女はその手紙のことでずっと泣いていたし、楽園で最愛の人に会って約束を果たすことを望んでいたので、再婚することはなかった。その知 らせから1週間後、ふたりの間に赤ちゃんが生まれた。毎年10月30日には、ふたりは夕食を共にした。生者の国の妻子と死者の国の夫......大鷲が二 人を再び引き合わせるまで。時は流れ、この物語は地元の民謡として作られ、今に至っている。

つまり、この美しい歌は、子供たちを川に沈めたアステカの欺かれたジョロナ伝説を歌っているのではない。サポテカ・ロロナは愛の物語であり、悲しい物語だが、美しい愛の物語なのだ。





【参照画像】

池田蛙  医療人類学蛙 電脳蛙

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