On Polysemic nature of the term,
Animal
人間は本来的に、あらゆる動物である——ブレーズ・パスカル『パンセ(中)』664、塩川徹也訳、岩波文庫
■動物という語の多義性について
パルマー(1976)によれば、動物の意味は少なくとも3ないし4つの次元の意味をもつ。それらの次元は、動物に対する対立項をたてること で明らかになる。まず(1) 最初は生きていないものの対立項としての「動物」がある。この意味の動物は、生きて動くものである。(2)つぎに生きている物(=生物)のカテゴリーの中 で植物に対立するものとしての動物がある。これの変種としては、「植物」「細菌(バクテリア)」「動物」という3種の分類の中での動物というものある。ま た、この水準では、微細な生き物として「プランクトン(=浮遊生物の意味)」を、名詞の形容詞的用法をつかった「動物プランクトン」「植物プランクトン」 という分類がある。この場合は、プランクトンは二分されるために、それ以外のカテゴリーはない。そして(3)動くもの(=旧約聖書「レヴィ記」)のカテゴ リーとしての動物の中の再分類としての「下位分類」としての動物がある。これは「鳥」「魚」「虫」とは峻別される「動物」である。この動物のカテゴリーの 中には「爬虫類」や「温血動物」などの属性が含まれるが、脊椎動物で冷血動物である爬虫類はこの中に入るが、温血動物としての鳥類は脊椎をもっているにも 関わらず含まれない。この水準の動物は哺乳類だけとみなすことができない。その理由は、先に述べた爬虫類や両生類が含まれる。蛙や蜥蜴などは「鳥」「魚」 「虫」に含まれないために、その残りを包括するカテゴリー(=残余カテゴリー)として含まれる。残余カテゴリーのために、例えば鳥と哺乳類の両方の性格を もつ動物、例えばカモノハシは「動物」なのか「鳥」なのかという論争がかつてあったが(エーコ )、このような混乱の原因は、この水準において動物というものが「鳥」「魚」「虫」とは峻別される残余カテゴリーとしての「動物」だからである。そして、 (4) 人間と対比されるものとしての動物、つまり、非人間的なものとしての「動物」がある。これには、霊長類のように人間に限りなく近いが、人間として法的権利 を与えられないものが動物である。あるいは、人間のカテゴリーに存在する者が、非人間的な行為に及んだとき、それを隠喩的に「動物」ないしは動物的所業と みなしたりする。さらには、人間としてのカテゴリーに属しているはずなのだが、人類学という科学が生まれる以前における「未開人」は——現時点では噴飯物 であるが——限りなく「動物的」だとみなされた。この水準の動物の使い方は、人間と動物の両義性を、しばしば「動物」というカテゴリーの圏外のおいてしま おうという言説上の修辞に入る。ただし、生物学や遺伝学などでは、「生物あるいは動物としての人間」の普遍性を想起させる場合は容易に、この二分法はくず れる。この水準の動物の使い方はしばしば論争の的になるのは、このような人間と動物の峻別は紙一重であり、恣意的に決定される、言い方を変えると、自由に 人間と動物が線引きできるという理由による。
■「動物殺し」という不明瞭な用語法について
Homicide を人間殺しとすると動物殺しの単語を一言で表すとzoonocide®
になるが、残念ながらこれは動物バクテリアを殺傷する薬品の商品の登録商標になっている。そのため動物優越論(theriophily)における「野獣」
のギリシャ語由来の接辞でこのようなかたちで表現するしかできない。ただし、これだと正確には家畜が含まれない。動物には昆虫などの動くものも含まれる
が、動物学者以外の日本語使用者には「動物殺し」は殺虫行為なども包含されることになる【図:「動物」という多義語の位相、を参照せよ】。つまり、動物殺
しという用語法は、あまりにも日本語の統語法による文化的バイアスが検討されていないと言う点で、人類学という科学的な概念の検証に堪え得る学術用語とし
て未だ十分に検討されたものではないのではないかという疑念を申し述べておきたい
■ディープラーニングにおける哺乳動物のカテゴリー分けのシミュレーション
作図は、3つの入力だが、4つの入力からなるパーセプトロンを考えてみる。「恒温の有無」「肺呼吸の有無」「胎生の有無」「足の有無」の弁
別を考えてみる。通常の哺乳類はすべてを満たすので4点。しかし、鯨は、このパーセプトロンは足がないと判断してしまうので、3点となる。鳥もまた胎生の
有無で3点となる。この判断の誤りを是正するためには、点数の重みづけを変えてみればよい。恒温3点、肺呼吸1点、胎生3点、足1点とする。5点以上で、
哺乳類とすると、この得点配分だと、鯨は6点となり、めでたく哺乳類入りする。ただし、この一次のパーセプトロンを、多数繋げ、優先度の配分を使えば使う
ほどあげていくとすると、よりニューラルネットワークに近いものができ、学習も可能になると考えるのが、人工知能におけるディープラーニングの考え方の基
本である。(参照:http://stonewashersjournal.com/2015/03/05/deeplearning1/2/)
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