発展途上国? 開発途上国?
underdeveloped or developing countries?
先日セミナーをやっていたら、developing countryの訳語をどうするのかが問題になりました。
つまり、developを「発展」とするのか「開発」とするのかという些末な議論です。しかし、 これにこだわると結構たいへんなんですよ。つまり、国際社会の現状をどのように認識するかという大問題につながるからです。
と、言ってもわたくしは、我が国のマスメディアが得意とする言葉狩りや差別と偏見を助長する用語 の審問抜きの強制収容所おくりには賛成いたしません。
収容所おくりになった悲惨なことばの代表格はご存じ「後進国」である。後からちんたらついて くるということが差別のあかしなら、開発「途上国」というラベルも同じ穴のむじなである。しかし、こちらのほうは、検閲の対象からのがれのうのうと生き 残っている。
というわけで、ここでの議論は、あくまでも活発な議論の話題提供であり、またここで開陳するのは 私こじんの意見であることをおわすれなく!
私は、すでに行政用語としては、「発展途上国」という用語がもう定訳になっているのかと思いき や、政府関係の文書に「開発途上国」という用語が使われていることを遅ればせながら発見!
さて~ingというのが、ケシカランというのは、マルクス系あるいは従属論、あるいは左翼的立場 からの批判です。従属論における「低開発の開発」つまり、発展(開発)途上国というのは、本当は「途上」にあるのではなく、開発国によって低開発なままに 留め置かれているのである理論的枠組によっているのです。まあ、これはロストウが考えたような、<今は後進国の国々もさまざまな経済的発展の条件を(先進 国が)整備してやればうまく離陸(take-off)できる>という楽観的――ロストウじしんではなくその理論のという意味です――なビジョンに対する非 難の意味合いもあるでしょう。
というわけで以上を整理すると・・・
発展:先進国・先進開発国への途上にあるという見解をとる(あるいはそう見える)ので開発側 の立場、
開発:従属論の低開発というものが念頭にある(あるいはそう見える)ので被開発側の立場、
かな~っと理解されるわけです。しかし、開発側もどうどうと開発という用語を使っているのでむし ろ、ポイントは「低開発 underdeveloped 」という用語を使うかいなか、あるいは「途上(国)developing」という言葉をよくつかうかいなかが、低開発=発展途上の国々をどのようにみるの かということのようです。
そのようにみると低開発や発展途上の枠組も、開発先進諸国との対比のもとで国家間どうしの比較と いう観点からみているが、開発国にも低開発国にも、国民の貧富の格差がある(双方とも大金持ちがある一方でど貧民もいる)、それぞれの国の特徴はたんなる 所得平均や経済的な層の構成が異なるだけじゃないのか?、という<経済を指標にして国家を色わけすることの限界>について感じてしまう。
専門領域の議論はともかくとして、国際開発経済学をしろうとが勉強をしはじめるてがかりに、この developing countries という用語は有益なものとなるだろう
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文献
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099