身体化
Somatization,しんたいか
解説:池田光穂
身体化 somatization とは、人が心の不安や心理社会的ストレスを身体症状のかたちで訴えることと言われている。
今日におけるもっとも緩やかな身体化の定義としては、「器官に明確な病理所見を欠いた状態で身体的不調を表現すること」および「病理的に確認さ れた疾病に対する症状の誇張」(Katon et al.)である。
ただしその原因をどこに求めるかということをめぐって、現在、(1)心理学や精神医学による説明と、(2)臨床人類学(医療人類学参照)が提案 する説明 という二通りの理解のしかたがある。
米国精神医学会の定める精神障害の分類基準(DSM-IIIR)では、身体化は身体表現性障害(Somatoform Disorder)のなかに位置づけられている。それによると、発症が三十歳以前で数年間持続し、規定の十三以上の症状を有しなければならないという。そ して、その診断の際に器質的病変および生理的な変化が認められたり、薬物を服用したり、医師によって外的な生活規制がないことを前提としている。 多くの心理学者や精神科医は、身体化を精神的ストレスや心の葛藤が直接、精神症状としてではなく身体の反応(あるいは「訴え」)と変換した患者の無意識 的な防衛機制であると説明する。当初、身体化はフロイトの転換 conversion 、すなわち欲求の抑圧によって生じた無意識的な葛藤が知覚あるいは随意運動系の身体症状として表出することの例として取り扱われた。この解釈図式によると 幼児が成長するにつれて、精神的な葛藤を身体症状として表出しなくなるが、時として対処行動がとれない場合の「退行」というかたちで身体化が起ることにな る。 このような視点は、身体化を患者が抱える情緒的問題を理解の中心におくものであり、個人の内的な問題を改善し、社会に適応させるような治療の戦略と深く かかわっている。
臨床人類学が理解する身体化とは、右のような患者の精神状態だけに焦点を当てるだけではなく、患者のおかれた社会的な状況や、そのような訴えの 様式を支配していると考えられる文化のありかたに至るまで、言及しようとする。 比較して言えば精神分析の考え方の背景には、身体は精神の器として考えられ、精神にたいして従属的な位置にあった。したがって身体化は意識化できない原 始的な反応としての「退行」性が強調される。例えば、日本人の身体化傾向は、心身の統制が達成されないゆえに、幼児性の表れと解釈された。 ところが、㈪の見解に立てば、身体のあり方を規定する精神がおかれている社会・文化的な環境に光を当てる。身体化も個人的な精神の不調の反映だけではな く、社会や文化の制度が個人の精神に対して圧力をかけている証拠であるみなされる。そのような見方に立つと、身体化は個人がおかれた社会や文化に対する一 種の<抵抗表現>とすら解釈することも可能となる。
M・ロックはそのような身体化の例として、身体化を連想させる医療用語のかたちをとった流行語として「母原病」や「登校拒否症」を取り上げて、 社会のなかで苦悩する現代日本人の身体化の問題を検討している。身体化という表現行為は、もはや精神病理の類型である必要はなく、それを受けとめ解釈する 個人・家族・社会との相互作用との関連で理解されなければならないというのである。
このような身体化のとらえ方の新しい視点は、今日、脚光を浴びるようになってきた心身医学や*ホリスティクメディスンの隆盛、あるいは医療を臨 床医学の枠組みをこえて*プライマリーヘルスケアの一貫としてとらえていく医療観の登場と無関係ではない。
身体化の様式は、文化によってさまざまな形をとって表出するので、「文化による身体化の様式」を、*文化結合症候群としてとらえ、解釈すること も可能となる。そのような枠組みから分析される症状として代表的なものは、漢人社会の男性にみられるコロ(文化結合症候群参照)や、ラテンアメリカにおけ るネルビオスなどがあげられよう。 後者のネルビオスとは、気持ちがひどく落ち込んだり、イライラして落ち着きがない状態をさす言葉である。現地の人びとは、時にこれはスペイン語で「神 経」をさすネルビオから類推して、「神経が弱いとネルビオスになる」と説明する。 比較文化精神医学の枠組みからみると、これは心理的な悩みを抱えている人(特に女性)が、身体的症状を訴えるという「身体化」の際にみられる表出パター ンのラテンアメリカ版といえる。このような身体化の様式を世界のいろいろな社会のもの(例えば、日本版、中国版、なになに族版など)と比較することによっ て、人間の<こころ>と<からだ>のあり方の理解を深めることは可能である。
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