お天道さまがまた昇りなすった!
El sol viene otra vez
1945年7月16日、お天道さまがまた昇りなすっ た!と、ニューメキシコの先住民の老婆が叫んだ。これはレスリー・マルモン・シルコの『儀式』(Silko 1977:257)[1982:357]という小説からの引用である。正確な事実ではないかもしれない。だが、私の母は、1945年8月6日朝、広島市に 投下された原子爆弾を 呉市仁方町で目撃し「ピカドン」と言っていたと、僕が子供の頃、よく話してくれた。ピカドンの名称は中沢啓治『はだしのゲン』の中にも登場する。
Jack Aeby's still photo
is the only known well-exposed color photograph of the detonation,
cited from "Calloway, Larry (July 1995). "The Nuclear Age's Blinding
Dawn". Albuquerque Journal."
NHKニュースから「岡ヨシエさんは昭和20 (1945)年、高等女学校の3年生だった14歳のときに、広島城にあった旧日本軍の司令部に連絡係として学徒動員され、原爆が投下された直後に「広島が 全滅です。新型爆弾にやられました」と電話で第一報を軍に伝えたとされます」NHKニュースより)。その彼女は「自身も原爆の後遺症に苦しみ、被爆した元 教師などで作る会に所属して、当時の体験や平和への願いを訴える証言活動を長年にわたって続けてきました」同上)とある。彼女が2017年5月19日に、 悪性リンパ腫で死亡。
●ウィキペディア「中国軍管区司令部跡」より、岡ヨシエの部分 1945年8月6日 「0709 警報発令「天候偵察機B29ストレートフラッシュ(B-29, 44-27301)に反応したもの」 0731 警報解除 0806 (松永防空監視哨は大型2機発見と報告[12]) 0809 (同哨は3機と修正報告[12]) 0815 B29エノラ・ゲイにより広島市への原爆投下 「指揮連絡室で勤務していた比治山高女生徒岡ヨシエは証言を残している。まず、8時09分の報告時点で防空作戦室が手薄だったため8時13分になってやっ と「〇八一三 ヒロシマ・ヤマグチ ケハ※」のメモがでたという[10]。そしてメモの内容を岡が担当する電話交換機を使って伝達しようとした瞬間、窓か ら入ってきた爆風で飛ばされ気を失った、という[2]」 ※ケハ=警戒警報発令?(引用者コメント) 広島原爆第一報をここから外電したのは岡ヨシエ(旧姓大倉)と荒木克子(旧姓板村)の当時14歳の比治山高女生徒2人である。以下、岡の手記「交換台と共に」[43]から引用する。 +++++++++++ 「....(前略).... 一せいに出た相手の方に、「広島、山口、警戒警報発令」を、言いかけた途端ものすごい紫色の閃光が目を射り、何か事故 が・・・と思う瞬間、意識を失った。2、3分もたったであろうか。回復しかけた、意識のぼやけた目に灰色一色だけが目に入った。 舞い上がった砂塵がしだいにおさまり、意識も完全にはっきりして次第に明るくなった部屋の中、私はすわって居た元の位置より2m位飛ばされていることに 気づいた。机は横だおしになり、いすはこわれ、ただごとでない光景を目で追う中に、まだうすぐらい部屋の隅に板村さんが手で顔をおおってしゃがんで居る。 思わずかけ寄ると彼女が手をはなした。目のまわりに血が・・・。 でもよかった、瞼にわずかの傷であった。2人は机をざっと元にもどして外に出ようと隣の部屋に入る。どの部屋も誰一人居ない。 板村さんより一歩おくれて外に出た私は一瞬呆然となった。今迄あった司令部も、あっちこっちの建物も、ないではないか。ただの木屑と壁土が山になってい るだけ。私は思わず壕の土手の上にかけ上がった。広島の街は・・・。その目に映ったのはあまりにも残酷な瓦礫の町と化した広島であった。赤茶けた想像する ことも出来ないむごい光景を目にやきつけながら私はその時初めて、「大変だ。」と血のさがる思いをしたのである。下の方で兵隊さんが「新型爆弾にやられた ぞう。」とどなって居るのが聞こえる。私は元の部屋にかけ込んだ。そうだまだ通話の出来る所へ早く連絡を、そう思いながら電話機を持った。九州と連絡がと れた。そして福山の司令部へ、受話機に兵隊さんの声が聞こえるのももどかしく 「もしもし大変です。広島が新型爆弾にやられました」 「なに新型爆弾!師団の中だけですか」 「いいえ、広島が全滅に近い状態です」 「それはほんとうか」 大きくわれる様にひびく声。その内に火の手があがったのであろうか。壕の上の草がパチパチ燃える音が耳に入った。 「もしもし火の手がまわり出しました。私はここを出ます」 「どうかがんばって下さいよ」と兵隊さんの声を後に受話機をおく。再び外に出ると炊事場のあたりではもう火がまわりパチパチと木のはぜる音がする。その音にまじり建物の底から女の人の助けを求める声が耳に入った。....(後略).... — 岡ヨシエ、[43]」 |
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文献
その他の情報
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099
Straight Flush nose art
- 広島原爆を投下したエノラゲイは多くの人が知っているが、それに先立ち偵察した天候偵察機B29ストレートフラッシュ(B-29,
44-27301)を知る人は少ない。この機体前方に描かれたイラストノーズアートである。