かならずよんで ね!

よはね君の一生

La vida dolorosa de San Juan Bautista

池田光穂

★【解説】洗礼者ヨハネ(せ んれいしゃヨハネ、ヘブライ語: יוֹחָנָן הַמַּטְבִּיל‎, Yōḥānān ha-Maṭbīl, 希: Ἰωάννης ὁ βαπτιστής, 羅: Ioannes Baptista, 伊: Giovanni Battista, 英: John the Baptist, 独: Johannes der Täufer, 仏: Jean le Baptiste, 西: Juan el Bautista, 蘭: Johannes de Doper、紀元前6年から前2年頃 - 36年頃[要出典])は、『新約聖書』に登場する古代ユダヤの宗教家・預言者。個人の回心を訴え、ヨルダン川でイエスらに洗礼(バプテスマ)を授けた。 『新約聖書』の「ルカによる福音書」によれば、父は祭司ザカリア、母はエリサベト。バプテスマのヨハネ、洗者ヨハネとも表記・呼称される。ヨハネは 「יהוה(ヤハウェ)が深く恵む」という意味の名。正教会ではキリストの道を備えるものという意味の前駆(Forerunner)の称をもってしばしば 呼び、日本ハリストス正教会での呼称は前駆授洗イオアン(ぜんくじゅせんイオアン)。【注意】イエスの弟子である使徒ヨハネとは同名の別人である。

幼年時代のヨハネ——「美しき女庭師」[4](ラファエロ画)

『ルカによる福音書』1章36節では、ヨハネの母エリサベトとイエスの母マリアは親戚だったという。同福音書においては、天使ガブリエルによってその誕生を予言されている。

福音書筆者はイエスの言葉として、洗礼者ヨハネは預言者のうち最大のものであるが、天国の最も小さいものでも彼よりは大きいとしている。キリスト教におけ るヨハネの位置は、旧約時代の最大の預言者であり、イエスの到来を告げる役割をもっていたとする。そのような解釈の根拠となったのはイザヤ書やマラキ書に ある「主の道を備える者」についての預言である(イザ40:3、マラ3:1)。この理解は比較的早くキリスト教内に成立したとみられ、共観福音書すべてが 旧約のこの箇所に言及している。またマラキ書には、この預言者をエリヤと呼んでおり(マラ3:23)、福音書ではヨハネをエリヤの再来と捉える見方が提出 されている。エリヤはユダヤ教において、モーゼに匹敵する預言者とみなされており、またその不死が信仰されていたのである。また、キリストの洗礼をもって 三位一体の顕現とみなす立場からも、ヨハネはキリストの本性を示す役割を担ったとされた。——(『図説 聖書の世界』P164 月本昭男・山野貴彦・山吉智久著 学研)

このような「イエスに導くもの」としての理解から、後に、ディーシス(執り成し)において、マリアと洗礼者ヨハネを並置して描く図像表現が生まれている。 また時代が下がった伝承では、新約外典のルカ福音書外典等に、荒野の幼子洗礼者ヨハネがエジプト逃避行にある聖家族と出合ったとする伝承も生まれた。これ はルネサンス以降特に西方で好んで描かれる題材となった。
美少年ヨハネ——『少年としての洗礼者聖ヨハネ』(アンドレア・デル・サルト画)、パラティーナ美術館、(フィレンツェ)

『マタイによる福音書』3章によれば、ヨハネは「らくだの皮衣を着、腰に革の帯をしめ、いなごと野蜜を食べ物とする人物」と記述されている。ヨルダン川河畔の荒野で、神の国が近づいたことを人びとに伝え、悔い改めるよう迫り、罪のゆるしに至る洗礼を授けていた。

洗礼は当時すでに、改宗者をイスラエルの一員として受け入れる儀式の一部として行われ、異邦人の汚れからの清めを象徴するものとされていた。しかし、ヨハ ネは洗礼に新たな意味と緊急性を付与した。ヨハネは、ユダヤ人でさえも罪の汚れによって神の民と呼ばれる権利を失ってしまっていると考え、洗礼は悔い改め た者に対する神の赦しの確証と、新しいイスラエルの一員として受け入れられた確証とを意味する預言的しるしとしたのである。[1]
洗礼者としてのプロの時代のヨハネ。ブリューゲルの絵は、ヨハネが民衆から預言者ではないかといわれた時に、もっとすごい方(=ジーザス・クライスト・スーパースター)がいらっしゃると、紹介しているところ。
西暦28年ころ、ナザレのイエスも彼の洗礼を受けた。彼はこの後、ヨハネによって創始された荒野での洗礼活動(荒野の誘惑)に入っている。なお、ヨハネが 求めた「悔い改め」とは道徳的な改心ではなく、むしろ従来の当時のユダヤにおける人間の生活上の価値基準を180度転換すること、すなわち文字通りの「回 心」であった。ヨハネは、ファリサイ派など当時のユダヤ教の主流派が、過去において律法を守って倫理的な生活を送ってきたことを誇り、それを基準として律 法を守らない人びと、あるいは貧困などによって守りたくても守ることのできない人びとを、穢らわしいものとして差別し、蔑む心のありようを罪と考えた [2]。
イコンのヨハネ

『ルカによる福音書』3章5〜6節では、ヨハネの登場にあたり、イザヤ書40章4〜5節が引用され「谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くなる。曲がった 道はまっすぐに、でこぼの道は平らになり」と二重の並行句によって、イエスの先駆者としてその道を整えるヨハネの使命が示され、社会的不均衡の是正が示唆 されている。これに続く「人は皆、神の救いを仰ぎ見る」という引用句は、ルカの普遍的救済思想を示している。[3]

“イエスが誕生する以前、ユダヤの地に一人の「預言者」が出現した。それが浸礼者ヨハネである。ヨハネは、ローマ皇帝ティベリウスの在位十五年に、ヨルダ ン川流域で活動を開始した。彼はラクダの毛衣を身に着け、腰には革の帯を締め、イナゴと野蜜を食べていた。その姿は、かつてイスラエルに現れた大いなる預 言者エリヤの姿を彷彿とさせるものであった。『旧約聖書』には、次のような予言がある。「見よ、私はあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよ う。荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ』」この使者こそ、洗礼者ヨハネであった。彼の活動の中心は「洗礼」であった。彼 は終末の接近を説き、神に心を向ける(回心する)よう人々に求め、その回心を認証するものとして洗礼を施していた。こうして洗礼を受けることが、最後の審 判の際に救われる唯一の手段だというのである。この活動は「罪の許しに至る回心の洗礼」と称され、民衆の絶大の人気を得た。その活動を聞き及んだナザレの イエスも、ヨハネのもとに赴いて彼から洗礼を受けた。” ——(『図説 聖書の世界』P164 月本昭男・山野貴彦・山吉智久著 学研)
じじくさいヨハネ——洗礼者ヨハネ(サンドロ・ボッティチェッリ画)

なお、『ヨハネによる福音書』1章35節では、他の福音書でもイエスの最初の弟子としているシモン・ペトロとアンデレは、元は洗礼者ヨハネの弟子であったとしている。

ヨハネの弟子たちは、その後も地中海世界において集団で宣教活動をおこなっていたことが『使徒行伝』19章1-5節から伺われる。
グリューネルヴァルトのヨハネ

フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』には洗礼者ヨハネへの言及がある。

イスラム教はヨハネをイエス同様、預言者として認めている。イスラム教における名はヤフヤー。イエスとモーセを預言者として認めないマンダ教においては、ヨハネは最後のもっとも偉大な預言者とされる。
ヘロデとサロメのたくらみで殺されるヨハネさん——『洗礼者聖ヨハネの斬首』(カラヴァッジオ画)
ヨハネは当時の領主ヘロデ・アンティパスの結婚を非難したため捕らえられた。そして、ある少女が、祝宴での舞踏の褒美として彼の首を求めたため、処刑されたとする記述が各福音書に見られる。
「さて、イエスの名が知れわたって、ヘロデ王の耳にはいった。ある人々は「バプテスマのヨハネが、死人の中からよみがえってきたのだ。それで、あのような 力が彼のうちに働いているのだ」と言い、他の人々は「彼はエリヤだ」と言い、また他の人々は「昔の預言者のような預言者だ」と言った。ところが、ヘロデは これを聞いて、「わたしが首を切ったあのヨハネがよみがえったのだ」と言った。

このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤをめとったが、そのことで、人をつかわし、ヨハネを捕えて獄につないだ。それは、ヨハネがヘロデに、「兄弟の 妻をめとるのは、よろしくない」と言ったからである。そこで、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。それはヘロデが、ヨハ ネは正しくて聖なる人であることを知って、彼を恐れ、彼に保護を加え、またその教を聞いて非常に悩みながらも、なお喜んで聞いていたからである。

ところが、よい機会がきた。ヘロデは自分の誕生日の祝に、高官や将校やガリラヤの重立った人たちを招いて宴会を催したが、そこへ、このヘロデヤの娘がは いってきて舞をまい、ヘロデをはじめ列座の人たちを喜ばせた。そこで王はこの少女に「ほしいものはなんでも言いなさい。あなたにあげるから」と言い、さら に「ほしければ、この国の半分でもあげよう」と誓って言った。そこで少女は座をはずして、母に「何をお願いしましょうか」と尋ねると、母は「バプテスマの ヨハネの首を」と答えた。するとすぐ、少女は急いで王のところに行って願った、「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆にのせて、それをいただきとうござ います」。王は非常に困ったが、いったん誓ったのと、また列座の人たちの手前、少女の願いを退けることを好まなかった。そこで、王はすぐに衛兵をつかわ し、ヨハネの首を持って来るように命じた。衛兵は出て行き、獄中でヨハネの首を切り、盆にのせて持ってきて少女に与え、少女はそれを母にわたした。ヨハネ の弟子たちはこのことを聞き、その死体を引き取りにきて、墓に納めた。」マルコによる福音書(6:14-29)
『洗礼者ヨハネの首を持つサロメ』(カラヴァッジオ画)——

食卓にのぼるヨハネの首(ヨハネの胴体はどう処理されたのか福音書は不詳)——ヨハネの首(ルーカス・クラナッハ画)
洗礼者ヨハネ


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