言語の人類学的側面
Anthropological aspects of language : animal categories and verbal abuse
(エトマンド・リーチ)ノート
解説:池田光穂
言語の人類学的側面(エドマン ド・ロナルド・リーチ):
Leach, Edmund Ronald. - 1964. -
"Anthropological
aspects of language : animal categories and verbal abuse", in: New
directions in the study of language / Eric H. Lenneberg, ed. - [9th
print.]
- Cambridge Mass. : MIT press, 1975. - P. 23-63(→ ELeach_animal_Cate_ver_abuse.pdf
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『現代思想』に翻訳されたことがあります。現時点で書誌(『現 代思想』4(3)1986)
リーチの書誌は、Ouvrages d'Edmund Ronald Leach: (Universit・de Neuch液el)にあります。
【【イントロ】】
メアリー・ダグラスの仮説
「人間のもつ分類体系は、名称と事物を一致させることのほかに、カテゴリーや名称の境界 線上にある事物を回避するか、これをタブーとすることにも依る」
食用の禁止とは、自然界の単純で分離的な分類の実践である。
【参照コメント=ヘーゲル精神現象学】
■悟性(Verstand)による暴力的介入、それは分離である
「分離の活動は、悟性という、[すなわち]最も驚嘆に価し[あ
らゆるもののうちで]もっとも大きい威力、あるいはむしろ絶対的な[威力]のもつ力であり労働である」――ヘーゲル(序論『精神現象学』原著29ページ)
Die Tätigkeit des Scheidens
ist die Kraft und Arbeit des Verstandes, der verwundersamsten und
größten, oder vielmehr der absoluten Macht.
The activity of separation
is the power and working of the mind, the most astonishing and
greatest, or rather the absolute power.
「分けるというはたらきは悟性、最も不思議で偉大で、あるいは
むしろ絶対的な威力である悟性の力であり仕事である」樫山欽四郎訳、平凡社ライブラリー版(上):48ページ。
「悟性が遂行する分離はまさに「奇跡的なこと」である。なぜな
らば、この分離は実際「自然に反して」いるからである。悟性の介入がないならば、「犬」という本質は実在する犬において、そしてそれにより現存在するにす
ぎぬであろうし、実在する犬のほうが、逆にその現存在自体によって一義的にこの本質を規定するであろう。だからこそ犬と「犬」という本質との関係は「自然
的」或いは「直接的」と言いうるのであるが、悟性の絶対的威力により本質が意味となり、一つの語の中に組み込まれるとき、もはや本質とその支えとの間には
語を除いては「自然的な」関係は存在しなくなる。そして、音声上或いは書法上、その他何か時間的空間的に実在するものとしては相互に何の共通点をもたぬさ
まざまの語(chien, dog, Hund
など)は、たとえそのすべてが唯一にして同一の意味をもちうるとしても、唯一にして同一の本質に支えるものとしては何ら役立つものではないのである。した
がって、ここには(本質と現存在との間の「自然的」な関係を含めた)在るがままの所与の否定があった、すなわち(概念、ないし意味をもつ語、しかも、語と
しては、それ自体からは、その中に込められた意味と何の関係ももたない語の)創造があった、すなわち行動ないし労働があったのである」。――アレクサンド
ル・コージェブ「ヘーゲル哲学における死の概念」p.381『ヘーゲル読解入門』上妻精・今野雅方訳、国文社、1987年。
<タブー>と<神聖なもの>の共通性と類似点
アンビヴァレント(両義的)/畏怖され易い
【【言語とタブー】】
人類学と心理学の文献は等しく、一見不合理な禁止と抑圧の記述と学究的な説明で充ち満ちてい る。
ただし、重要なことは言語におけるタブーと、行動におけるタブーは、しばしば混同させられてい る。
例)性行動と性用語
一連の行動が禁止されているから、それに関する言葉が禁止されているわけではない。(→殺す、 殺害するという行為と言葉)
①ときには、言語的(音韻的)理由から禁止されるときもある。(地名[固有名称]を使った ジョークなど)
「お万」神戸にゆく/オマンコの放送用語の禁止/オマン+コ・・による茶化し表現/オマンコの 非ヴァナキュラー化
②地口(同じ音韻の明かに異なった二つの意味をごっちゃにして冗談をいう)
queenの同音意義語(ホモニム)としてのquean
これらは音声的には区別できない[kwi:n]
[王の配偶者あるいは自らの権利による女性の君主][古くは売春婦、現在では同性愛の男性]
自然界ではqueen bee(女王蜂):すばらしい繁殖力/quean不妊でふしだら
【留意点】
queenとqueanは正反対だが、同じ観念であるという理解も可能である。
肯定的で高潔な意味で並外れた地位の女性/堕落した性質や気まぐれな性欲をもったひと否定的と いう意味で並外れた女性
共通の異常性が「神秘的な」存在へと変化させる
形而上学的には神/悪魔::双方とも神秘的な存在
【結論】
このようなタブーのありかたは、これらが優れて言語的なものであると同時に、そこに意味を込め る人びとの社会性が反映されている。
【おまけ】
歯音nを両唇音mに変え、中間母音を短音にする[kwi:n]→[kwim](女性の生殖器をあ らわす卑猥語)
【【動物のカテゴリーと卑猥語】】
英語に「この雌犬め(bitch)」という表現があるのになぜ「この北極熊め」という表現がな いのはなぜか?
17世紀英国の魔女裁判では、悪魔はdogの姿で現われたが、これはgodの逆さことばであ る。このような音位転換が、牧師の襟をgod coller とよばずdog collerと呼ぶ際に見られる。
猥褻語 fux は、狐 fox の母音を少し変えればよろしい。
【ご注意】
人類学はタブー現象(=タブーが破られる)の個人の心理的側面を理解しようとしているのではな い。むしろ、その際に見られる一定の社会現象に興味があり、行為者と聴き手にどのような効果があるのかを知ろうとする。
卑猥語の3つのカテゴリー
1. 汚いことば・・通常、性と排泄物をさす
2. 冒涜と涜神
3. 動物の侮蔑語・・人間が他の動物と同一視されること
【【動物の可食性と社会的価値の関係】】
ある特定の文化の状況のなかで、ある動物たちが儀礼的行動の中心となり、他の動物たちはそ うにはならない。(これは、なぜか?)
動物の侮蔑語が儀礼的価値(ラドクリフ=ブラウン)と結びつき、これらの動物を含めた動物 一般の屠殺と食用に関するタブー規則に関連している(リーチの仮説)
タブーという用語に対する一般的了解
「意識的なレベルでの罪悪観と神秘的な拘束力によって支えられている明白な禁止」(例:近親 相姦)
【【食用の価値の文化的かつ言語的決定】】
食文化における正統性の認識は、それだけで正しいと理解させられるのみでなく、道徳的価値 や、自己の集団の優秀性を表明することにもつながる。(自民族中心主義/ethno-centrism)
フランスの食通における珍味としての「蛙の脚」が、イギリス人をして侮蔑表現として「かえ る野郎」とフランス人を呼ばしめる。
[自験例:chino come raton/中国人はネズミを食べる]
ホンジュラス人にとってネズミは食用動物のカテゴリーに入らない。中国人に対する知識の不 足や、中国人商人に対する侮蔑観がある。これらが、ないまぜになってホンジュラスでは、「中国人はネズミを食べるというが、(顔のよく似た)日本人もネズ ミを食べるのか?」ということが、頻繁に聞かれた。
自然物の食用部分の3つのカテゴリー
1. 食物として認められ、正常の食事の一部として摂取される食用可能の物質
2. 食物になると認められているが、禁止されているか、特別な(儀礼的条件)のもとでの み、食べることを許される食用可能な物質
3. 文化と言語によって、全く食物とは認められていない食用可能の物質(これらは無意識の タブーである)。
ユダヤ人、ムスリムの豚肉禁忌
バラモンの牛肉禁制
「豚肉は食物であるが、ユダヤ人は食べてはいけない」
イギリス人の犬肉食への嫌悪:「犬は食物ではない」という断定的仮定
【【タブーと命名できるカテゴリーの分離性】】
タブーの一般理論
[前提]幼児の物質的かつ社会的環境は、ひとつの連続体として認識される。
(A) われわれの抑制されない(未訓練の)知覚は、連続体を認める。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
世界は名前によって区別される「物」からできている、とわれわれは教えられる。したがって、 われわれは、不連続の環境をみとめるよう知覚を訓練しなければならない。
・・・・・ ・・・・ ・・・・ ・・・・・
われわれは、言語とタブーを同時に用いて、この二番目の種類の訓練された知覚に達する。言語 はわれわれに、物を識別すべき名前を与えてくれる。そして、タブーは、連続体のなかの物を分離している部分の認知を禁止する。
命名された「物」
↓ ↓ ↓ ↓
・・・・・ ・・・・ ・・・・ ・・・・・
↑ ↑ ↑
環境のタブーの部分
(B)
ベン図のp,~pにおけるp∩~pの部分=タブーとされる重複部分
(C)
「自己からの(認識論的)距離」によって空間領域を弁別する 例)
(い)自己‥‥姉妹‥‥いとこ‥‥隣人‥‥他人
(ろ)自己‥‥家‥‥農地‥‥野原‥‥遠方(遠隔地)
(は)自己‥‥ペット‥‥家畜‥‥「獲物」‥‥野生動物
(い)(ろ)(は)における関係陳述は相互に等しい
【タブー】
タブーにおいて見られるものは、聖性、価値、重要性、力、危険であり、不可触で汚らしく、口に 出せないものである。
そのカテゴリーの一例として
<人体から沁み出るもの>
糞便、尿、精液、月経血、切った髪や爪、垢、吐いた唾、母乳
これらの特性として、<自己>であって<自己でない>
タブーである証拠として言葉の言い換えがある
(英語では短音節語→ラテン語)(日本語では慣用表現→漢語)
例)shit(クソ),feces(クソ)→excrement(排泄物) [L.extrement(um)]
piss(しょんべん)→urine(尿)[L.urin(a)] 【聖性】
生者と死者
生は死のたんなる二者択一的な反対命題にすぎない。あるいは貨幣の両面にすぎない。
しかし、宗教は、その二つの側面を分けようとする。→「あの世」を「この世」に対比するものとし て・・
この世/あの世
不完全/完全
死すべきもの/不死の
人間/神
これでは、不連続のままだが、現実にはその〝中間領域〟(=聖なるもの(=タブー))で埋められ る。
例)肉体をもった神、処女である母、半人半獣の怪物
これらは、神と人を媒介する能力があり、タブーの対象であり、神自身よりもさらに聖なるものであ る。
聖母マリア・・人にして神の母たるもの=人でもなく、神でもない
B=~A,A∩B=C C=タブー
【【英語における動物と食物の関係】】
1. 魚fish:水に棲む生物、軟体動物(cuttlefish)や貝および甲殻類 (shellfish)も含むことが可能
2. 鳥bird:卵生で羽根をもつ2本足の動物(必ずしも飛ぶとは限らない penguin,,ostrich)
3. 獣beast 食用になる動物は、
すべて、この3つのカテゴリーに入ってしまう。
カテゴリーから外れた昆虫、爬虫類は害虫と見なされる(例外:蜜蜂→人間以上の感性と組織原理を 持っていると考えられている)
タブーである例:爬虫類=卵生であるのに羽根をもたない、魚のような鱗をもつ
蛇=卵生であるのに足がない。
サメ・くじら=魚であるのに鱗がない、産卵されない(+共通の祖先?)
人間との近縁性
獣>鳥>>魚 :その理由として、獣と鳥は温血で(交接というかたちの)性交をおこなう
従って、獣と鳥には〝残酷〟の概念が適用されるが、魚にはそれがない。
殺すことに対して一定の制限があるのは鮭のみである(鮭の肉は赤い=血液の色と同じ)
金曜日に魚を食べてもよい(英国のカトリック教徒)
聖週間にのみ干し魚を食べて、肉を食べない(ラテンアメリカのメスティーソ)
英国の動物愛護協会の取り扱う動物のほとんどは<獣>である。
【応用問題】:くじら保護運動について、どうして今世紀末に西洋世界で盛んになったか?
くじら=魚であって、魚でない
動物分類上におけるほ乳類としての<再確認>
胎性:親子の絆/知性の存在/食べる対象ではなく、同胞として
くじらの危機=地球の危機
資源の枯渇、食物としての認識の不足(もともと生物資源的な取り扱いしか受けなかった)
【【食物用語と親族用語】】
食事と性交のあいだの、儀礼的かつ言語的連想
動物の可食性/人間の性関係
★ 男性の「自己」からみた付近の若い女性のカテゴリー
1. ごく身近な女性―実の姉妹:近親相姦のカテゴリー(禁止)
2. あまり近くない女性―実のイトコ「氏族の姉妹」:近親相姦(禁止)または抑制される/ あるいは推奨される(例:平行イトコと交叉イトコ;ただし、性関係と婚姻は別のものであることが多い)
3. 親族ではないが、縁続きになるかも知れない隣人(友人):通常はこのカテゴリーから妻 を娶る。ただし、潜在的な敵も多く含んでいる。なぜなら、友愛と敵意は同一の構造関係の平面上にあり、それらは交換可能である。
4. 遠い他人:いかなる形の社会関係もとることはない。
☆ 英国人における動物のカテゴリー
1. 身近な動物:「ペット」:食用の厳禁
2. 家畜:去勢すれば食べれる。性的に成熟した家畜は食用にはなりにくい(→応用問題:犬 に比べてどうして猫は去勢されるのか?)
3. 山野の動物:親しみと敵意が交錯する(入り交じる):獲物は、禁漁期などを通して保護 されるが、しかし飼育されているわけではない。性的に成熟しても問題はない(儀礼が必要になることもある)
4. 遠くにいる野獣:人間の支配が及ばす食べられない。
★と☆の比較
★ : ☆
近親相姦の禁止 : 食べられない
性関係とむすびついた結婚の禁止: 食用とむすびついた去勢
婚姻、友愛か敵対という曖昧さ : 性的に完全な形で食べれる。交錯する敵対と親しみ
遠い他人と性関係を持てない : 遠い野獣は食べれない
venery(性的耽溺) : venery(古語:狩猟された獲物) venery(性的耽溺)/venerate(敬う)
[queenとqueanの関係を連想させる]=両方ともタブー
venery(ヴェネリー:狩猟獣)とvermin(ヴァーミン:獲物・害獣pest)
vermin:獲物、有害(穀物に対する)ほ乳類と鳥類、狐、いたち、ねずみ、もぐら、ふくろ う、害虫、のみ、しらみ、寄生虫、ならず者
【整理】
p / p∩~p / ~p
人 人-動物 人でないもの
動物でないもの ペット 動物
飼育 獲物 野生
友好 友好と敵意
敵意 ※「かくして、儀礼的価値(タブー)は、ペットや獲物のような中間的カテゴリーに著しく付着することになる。
【【動物の侮蔑語と食べる際の習慣】】
身近な動物を表わす単音節語の大部分は人間の性質を描写するのに利用されている。
A.侮蔑語
bitch,cat,pig,swain?[??豚/田舎の若衆],ass(ろば), goat,caa?[??野良犬]
chicken(鶏肉/臆病者:"Back to the Future")
B.友好または愛情がこもる
ram(子羊),duck(あひる),cock(雄鶏)[スペイン語gallo]
また、単音節の言葉が口に出せない卑猥な言葉の婉曲語として流用される
C.卑猥語
口に出せない部分を、手軽で猥褻な婉曲語として使う
cock=ペニス,pussy(ねこ)=女性の陰毛,ass(ろば)=尻(米語)[英国では 1700~1930年はarseはほとんど印刷できない単語だとされていたという]
単音節語が「身近で親しい動物」で表現されるが、タブー語と区別されるために婉曲語にとって 変わる場合がある。(例:ass→donkey/cunny[コウニー]→rabit)
★ いわくのあるcunnyの語源
毛皮業界 Tony と韻を踏んで発音←ラテン語のcuniculus
18世紀のうさぎは、cunnyでこれは、女性生殖器を表わすcuntに似ている(ちなみ に、これはD.H.ロレンス『チャタレー婦人の恋人』の出版が認められて英語で印刷されるようになった単語)
従って、cunnyはrabitに変わるようになったが、幼児語としてbunnyとして残 された
E.リーチは、bunny club(N.Y.)が、18世紀ロンドンのcunny house[意味不明:池田, cunt?]と関連があると指摘している。
【動物の性別とその食物としての利用について】
牛などの飼育動物は(1)完全な雄、(2)完全な雌、(3)幼獣、(4)未成熟の雌、(5)去勢 した雄、に対してそれぞれ別個に名がつけられている。(ただし、英国でもいろいろな言い方がある)
(1)bull,(2)cow,(3)calf,(4)heifer,(5)bullock
豚に対しても同じように言える。(1)boar,(2)sow,(3)piget,(4) gilt,(5)hog;porker
しかし、ペットに対する語彙の数は限定されてくる。例えば、犬では,dog,bitch,pup (puppy)しかなく、そのうちbitchはめったに用いられない。猫に関しては、cat,kitten,のみである。
また、この犬と猫の性別に関しては、性をあえて区別しなければならないとき、犬ではbitchで 雌犬となり、猫ではtomcat(雄猫)となり、それぞれの動物において、犬は通常では雄、猫は通常では雌と考えられていることがわかる。
そして、家畜は死ぬと、それぞれの肉に名称がつけられる。beef,pork,mutton, chicken,。しかし、犬や猫には、肉としての名称がない。(←これは実用的価値:すなわち、名称があっても使用される機会がほとんどない、と解釈す ることも可能だ!)
どちらにせよ、身近な動物が単音節で表わされる一方で、野獣は、社会の外部にあるという印象を強 くするような長ったらしい名前が多い。例)elephant,hippo.=hippopotamus,rhinoceros(ライノサラス:犀)[この ような用語は、一朝一夕にできたものではなく、長年にわたって使われてきたものなのだ]
【結論:講義のまとめ】
「どうして、雌犬(bitch ! )!であって、北極熊!ではないのか?」に対する暫定的答え
P/P∩~P/~P
家畜/ペット/野生動物
食用/タブー/食されない
では、どうして雄犬ではなく、雌犬なのか?
※以上が私(池田)の結論。しかし、これに対する反論や、もっと上手な説明が学生諸君から出るか も知れない。これを今後期待して、この説明は終えることにする。
表題:リーチ論文の要約
リーチ論文の要約
考察 ノート
図. 〈人間〉と〈動物〉あるいは〈文化〉と〈自然〉のあいだの位相関係について
リン ク
文献
その
他の情報