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レヴィ=ストロース「自然と文化」の読解

On Levi-Strauss' Nature-Culture Binary Opposition

Lévi-Strauss’ Bororo informant who met the Pope (Lévi-Strauss 1936)

池田光穂

俺がネーチャー(自然)だ——Jackson Pollock

クロード・レヴィ=ストロース「自然と文化」『親族の基本構造』福 井和美訳、 青弓社、Pp.59-73, 2000年

【p.59】

【p.60】

【p.62】

【p.63】

高等霊長類と人間の本質的な差異:言語化・シンボル化能力の圧倒的差異(pp.64-65)

【p.66】

※この記述は、ドゥ・ヴァール『政治をするサル』を読む限り、その後の霊長類研究の再吟味の必要性を感じるのは、引用者(池田)だけだろうか?

【p.67】

【p.68】

【p.69】

【p.70】

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《自然と文化の二元論の応用問題》

図之拾は、ビベイロ・デ・カストロ(1998)による西洋の形而上学とアメリカ先住民のパースペクティズムの位置づけを、アルジダス・グレマ スの意味 の四角形を使って整理し表現したものです。ここでは西洋近代の理性概念もアメリカ先住民のアニミズムも思考様式としては形而上学的な観念論の相対性に位置 づけられます。それらは多文化主義(multiculturalsm)つまり、それぞれの文化に対応する認識論として理解することができます。ビベイロ・ デ・カストロは、そのような認識論を根拠づけている確固とした複数の自然界があると主張して、それをマルチナチュラリズム (mutinaturalism)と呼びます。そして、 図之拾壱をご覧ください。ディスコラやビベイロ・デ・カストロがつかう「存在論(ontology)」は、しばしば、先住民がもつ環境に関する認識論すな わち〈文化〉にすぎないのではないかという批判があげられます。しかしながら、社会の存在様式とは、その人たちが住まう自然環境とそれについての理念的思 考すなわち形而上学(メタフィジカ)とのセット、あるいはハイブリッドとして理解することができれば、それは認識論と相互補完関係をなす自然環境そのもの すなわち人間と動物の存在論的根拠になりえると言うことはできないでしょうか。出典:「自 然」と「文化」の境界面

自然と文化の図式01自然と文化の図式02

《レヴィ=ストロース批判》


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