意味の四角形(グレマス)について
On semiotic rectangle
言語学者のアルジルダス・ジュリアン・グ レマス(1917-1992)は、意味 論研究(1992)において、特定のテクストのある項目に注目すれば、そのテクストに明示されていない項目が 何であるかを予測発見することを可能にする「意味の四角形」(semiotic rectangle)という論理的図式を考案した[図1.]。まずある意味体系Sにおいて、 s1とその反対の意味をもつs2を反対の関係にとれば、すなわちグレマスによれば「相反する意味素に分節」すれば、それぞれに対応して矛盾する意味である ‾s1(s1ではない)と‾s2(s2ではない)[→図中ではこれをSの上部に−が引かれた表記形で示している]が、同じく反対の関係として存在すること を示唆することができる。否定の否定は肯定であるから、s1と‾s2、s2と‾s1の間には含意関係がなりたつ。大文字で書かれたSは相反するs1とs2 を分離と接合という二重の関係によってs1とs2を複合的な意味として再定義され、〜SはSと矛盾するものとして、すなわち「意味の絶対的な不在として」 対立することになる(グレマス 1992:156-8)。
すなわちひとつの項目を取れば、その一 方は反対の関係と含意の関係という2つの要素が並び、2つの対角線の要素は矛盾の関係で構築される というものである。これによって一つの項目が決まると他の項目も自動的に決まり、特定のテクストにある一つの項目に注目すれば、テクストに明示されていな い項目が何であるかを予測・発見することができるというのが、グレマスの主張である。
このモデルを流用して、文化遺産として の遺跡(s1)という現象から残りの3つの項目を導出してみることにしよう。まず文化遺産としての 遺跡がしばしば巨大な建築物である——アメリカ大陸の考古学遺跡にはそれが著しい——ことを念頭におくと、その反対は現代建築モニュメント(s2)であ る。現代建築モニュメントの欠如概念は、モニュメンタルなものではないもの(‾s2)であり、文化遺産としての考古学遺物を含意するものである。古代的な ものという意味で遺跡と遺物は含意関係にあると言ってよいだろう。他方「文化遺産としての遺跡に矛盾し、かつ遺物ではないもの」(‾s1)は何であろう か。これにあたるものは現代の宝飾品である。そしてこれは、現代的なものという意味で現代建築モニュメントと関連づけられてい。
グレマスによればSと〜Sはそれぞれ矛 盾の関係にある意味体系である。これらの四角形の要素を眺めてみれば、Sはモニュメンタルな建造物 の体系であり動くことのない不動産の体系でもある。またそれに矛盾する〜Sは価値を担わされた動産という事物の体系であることがわかる。私の議論にひきつ けて考えると、これらの体系間の関係は事物(〜S)とそれが置かれる社会的文脈(S)の関係に対応する。このことが明らかにしたわけだが、ここでさらに事 物と文脈の関係を別の角度から考えて、これらの4つ項目から発見される文化的事象を考察してみよう[図 2]。
私が新たに導入したいのは、異所性(heterotopia, heterotopy)という分析的診断用語である。もともとこの用語は、医学の分野で「内臓が本来の場所とは異なる所にある異常」のことである。異所性 の概念は、生命体の個体発生過程において臓器が配置する本来の場所は決まっているという前提にもとづくものである。これをヒントにして、事物の系列(〜 S)が本来置かれるべき社会的文脈の系列(S)と含意関係をもつ場合と矛盾項の関係をもつ場合について考察してみよう。
1.文化遺産としての遺跡という社会的文脈に置かれている考古学遺物の組み合わせがある(s1と‾s2の関係)。この典型的な例として、 遺跡から発掘されつつ彩色土器について考えてみよう。ここでは学問的鑑識眼によって遺物の価値が決定されると同時に出土品の内容如何では遺跡の学問的位置 づけ、すなわち学問的価値そのものをも変えてしまうこともある。発掘された遺物の偉大さによって、出土した遺跡そのものの価値が格上げされるような場合で ある。
2.遺跡から発掘された考古学遺物が研究室に持ち込まれ分析の対象になったり、また学問上の評価が確立され考古学の博物館に収蔵、展示さ れるような関係(‾s2とs2の関係)がある。これは、考古学遺物が本来あるべき場所(埋蔵されていたオリジナルの場所)から離れて存在している異所性 (矛盾項の関係)である。この異所性には、そのオリジナルの場所との関係において強度の違いがある。つまり考古学博物館は異所性が弱いが、現代美術館には 異所性がより強くなるという具合である。本来の場所である考古学博物館にあるべきような彩色土器が、脱コンテクスト化された状況である政府の迎賓館や現代 美術のギャラリーに存在することを想定すれば、この事態は容易に推測できる(これはs2と‾s1の関係にあたる)。異所性の強度が強いということは、遺物 にとっては疎外状態にあるということである。
3.考古学遺物(‾s2)と「文化遺産としての遺跡に矛盾し、かつ遺物ではないもの」(‾s1)の関係は意味の四角形によると相反項の関 係にあるため、この例として現代の宝飾品を先に挙げた。しかし、これは考古学遺物が異所性の性質をもち、別の価値が付与されたときには、遺物そのものの属 性が変わりうるということを指している。この代表が芸術品としての考古学上の盗掘品である。なお盗掘品の定義は相対的に決定される。ロゼッタストーンのよ うに歴史的に組織的な盗掘結果掘り起こされたと場合でも、事物の異所性よりも固有の価値に力点がおかれることもある(これはs2と‾s1の関係がs2と ‾s2の関係に移行することを意味する)。
4.文化遺産でもなく、遺跡を含意するものでもない社会的文脈に置かれた物の例は、観光客が記念に買い求める彩色土器の複製品や模倣とし てのフォークアートである(s1と‾s1の関係)。おみやげ品は、そこにしか売っていないという理由で購入されることがあるが、それはおみやげ品が遺跡と いう空間領域(s1)に属していることを証明する。しかし、結果として観光客によって自宅に持ち帰えられるわけ(=異所性を増す)であるから、これらの項 目の関係は図式のどおり矛盾項の関係にある。おみやげ品は本来あったところ(制作された工房や売店の店頭)から矛盾した場所を見いだす。これは見方を変え ればコレクションの一員として新しい場所を見いだすことにほかならない。複製品が遺跡との関 連性を失い、脱コンテクスト化された彩色土器の複製品が装飾という機能だけになるような場合もある(‾s2と‾s1の関係)。例えば、観光案内所や旅行代 理店に置かれている複製品は脱コンテクスト化された状況にあるが、遺跡観光を演出するだけに機能している(=異所性という概念が意味をもたなくなる)。極 端な例は遺跡にも考古学遺物にも属さなくなった意匠や商標である。
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文献
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