かならず 読んでください

記憶=記録の悪魔:

ドキュメントにおける記憶(声)とジャズレコードの記録(刻印)について

Memory and Recording as Devil's thing: An Anthropological analysis of Charly Parker and his recodings

池田光穂

The paradox is that something as impersonal as a text, or a record, can nevertheless deliver an imprint or a trace of something as lively, immediate, and transitory as a "voice"(Edward Said, 1983:33).

テキストやレコードのような非人間的なも のであっても、"声 "のような生き生きとした、即時的で一過性のものの刻印や痕跡を伝えることができるというパラドックスがある——エドワード・サイード

[予稿集テキスト]

たとえばある特定の民族誌がそれらを読む人類学者にとって、読む度ごとに新たな発見や感動を呼ぶことがあるだろうか。人類学者はお 気に入り の民族誌エスノグラ フィー)から、その全体構造を模倣し、クリーシェを借用し、類似の修辞を使うことはあるだろうか。意識的/無意識的にこれらの行為をおこなってい る可能性 は、あるだろうと思う。この事実は、民族誌そのものと、民族誌記述をおこなう我が文化人類学界における命令語法(imprative)が、歴史的かつ社会的な文脈のなかではじめ て、その確かな存在意味をもつことが明白であっても——つまり歴史的な制約を受けた限定的行為——であっても、書くことと読むことを通しての〈想像行為〉 にまつわる一般的特性もまた同時に存在することを意味する。民族誌的非近代というものがあるのだ。

唐突だが——悪魔は唐突に現れる、ジャズ レコードもまた、リスナーにとって聴く度ごとに新たな発見や感動を呼ぶことがある。そして、ジャ ズの演奏家は、さまざまな楽曲の全体構造を模倣し、クリーシェを借用し、楽器の音色を真似ることをおこなう。この事実は、ジャズという音楽ジャンルとそれ を支える大衆消費社会における命令語法が、歴史的かつ社会的な文脈のなかではじめて、その確かな存在意味をもつことが明白であっても、音楽を演奏し、音楽 を聴くことを通しての〈想像行為〉にまつわる一般的特性もまた同時に存在することを意味する。ジャズにも、モダンではない即興演奏性が存在する。

しかし民族誌はジャズレコードとは異な り、ドキュメント(レコード)に書かれた(刻印された)ことをめぐる真贋論争や、民族誌的対象の解 釈の妥当性をめぐる論争の中に容易に回収・再利用(リサイクル)される。これは民族誌を生産する人類学者たちにとって災難のごとく理解されてきた。しかし はたしてそうだろうか? 人類学者は、民族誌(家)の受難や苦境と称しながら、実際には民族誌生産の社会的過程——フィールドにおける社会記述のインプロ ヴァイゼーション技巧の駆使と自社会に戻った複製技術に支えられた洗練された民族誌修辞の加工過程——の再検討を結構楽しんでいるようである。ひとつの社 会を描写する対照的なふたつの民族誌に関する数々の論争の度ごとに、それらの論争の学問的意義を検証した後には、これらの議論は〈進歩した〉という事後的 な多幸感に人類学者たちは浸っているのではないだろうか?

写真・録音・民族誌という近代の複製技術 は、この種の事後的な多幸感をハイファイアンプのごとく増幅した。だが、現地の人々の声を表象し たはずの民族誌(ドキュメント)は、これまた唐突に現れた、現地の人たち(当事者)や人類学の専門家以外の人たちによって再読、再解釈され、また批判的に 再検証されることにより、民族誌は、もはや多幸感を得るための人類学者のテキスト的専有物ではなく、表象される人々の受難を追体験することを目的としたマ ルチメディア的公共物——それゆえに解釈により相反する論点(矛盾)も多く含まれる——としての地位を築きつつある。モダンジャズのレコードの隠喩によっ て語られる民族誌的近代について私は考えたい。

[口頭発表原稿]  池田光穂

私の発表は、現代の大学キャンパス内にお ける文化研究に関する授業をより生き生きとすべく改善し、文化人類学の研究をこれまで以上に「格好良 く(クールに)」するためには、何が必要であるかを探究することです。また、その授業改善のためのヒントを、音的近代が触発する強力な社会的想像力にもと めます。民族誌とモダンジャズのレコードという全く異質なものの対比を通して、近代の複製技術としての民族誌を考えます。

今から半世紀以上前の1949年元旦の1 月1日。ニューヨークのジャズクラブ「ロイヤル・ルースト」からのラジオ生放送があった。曲の合間 に、司会のシンフォニー・シド(Symphony Sid, Sid Torin 1909-1984)は、当代きってのサクソフォニストである28歳のチャーリー・パーカー(Charlie Parker Jr., 1920-1955)に次のようにたずねる。[Jumpin' With Symphony Sid / Be-Bop (Live At The Royal Roost, 1949)

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シ ンフォニー・シド:チャーリー、こ こで、ちょっと君をここに呼んで話をしたいのだけれど、今、 騒がれている、君とマチートの競演のレコードね。

チャー リー・パーカー:はい。

シ ド:ノーマン・グランツが作った バーブの、今度のマチートとの新作、実にセンセーショナルだ ね。

チャー リ・パーカー:「マンゴ・マン ゲ」

シ ド:そう「マンゴ・マンゲ」だ。こ れはマーキュリーのバーブ・シリーズから出ていますので、み なさんも是非お聴きになってください。でもどちらかというと、バップというか、コマーシャルな感じだね。どう?

パー カー:そうかも知れないけど、 バップというのもただのタイトルなんだよ。僕にとっては全部、音楽なんだよね。

シ ド:全部、いかした音楽なんだ。

パー カー:そうとも。


Mango Mangue, by Charlie Paker

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これはモダンジャズの歴史を切り開いた神 童の面目躍如たる実に格好いい(クールな)会話である。さて、この放送の6年後に若干34歳で夭折す るチャーリー・パーカーが「ただのタイトル」と言ったビ・バップよばれる演奏スタイルは、しかしながら、ジャズの歴史における最大の出来事であり、ビ・ バップをもってモダンジャズが確立したと今日では言われている。

それから55年目の日本の春。

東京大学駒場キャンパスにおいて、菊地成 孔と大谷能生による20世紀のポピュラー音楽を解説する授業が開かれた。この興味深い空前絶後のジャ ズ講義は、その2年後の今日では2冊の出版物『東京大学のアルバートアイラー:東大ジャズ講義録』となって出版された。授業担当の一人であるジャズ演奏家 の菊地によると、「東京大学でアルバート・アイラーがかかることは二度とないだろう」と言及している。

アイラーAlbert Ayler, 1936-1970)は1960年代に活躍するサクソフォニストで、ビ・バップで確立されたモダンジャズの形式性を破壊したフリージャズの第2世 代の旗手 と呼ばれる革命児であったが、1970年11月ニューヨークのイーストリヴァーにおいて変死体で発見される。彼もまた享年34歳。日本ではこの日に三島由 紀夫が割腹自殺し、9年後に作家・中上健次のエッセーのタイトル『破壊せよとアイラーは言った』で有名になる。アイラーの死は、モダンジャズの死ないし は、ある時代状況の終焉を表象するものとして——少なくとも日本の大学生を中心としたサブカルチャーにおいて——当時有名になった。

21世紀のジャズは、もはや大学のサブカ ルチャーを語る強力なタイトルではなくなり、ネットや有線放送で配信されるお洒落な音楽としてかろう じて、その命脈を保っているに過ぎない。菊池と大谷は次のように講義する。ビ・バップの誕生期である1940年代に、同時代的に生まれつつあったバーク リー音楽院で確立した教育法であるバークリーメソッドは、和声と旋律[そしてリズム]からなる音楽を、コードシンボルという記号化により、一気に商業音楽 の生産性を高めた。バークリーメソッドこそは、スウィングジャズから、ビ・バップを生む原動力となり、西洋音楽における即興演奏の重要性を再び甦らせるこ とに成功したという。

講義録にアルバート・アイラーの名前が冠 され、東京大学で彼のサックスの音色が響き渡らないことに、学外講師であった菊地と大谷がこれほど、 こだわる理由は、いったいどうしてであろうか。東京大学の教授陣としては似つかわしくない彼ら——菊池は高卒である自分が東大で講義することのアイロニー をおもしろおかしく表現する——は、ポピュラー音楽としてのジャズを、時に衒学的に、また時にうち解けた会話体で語る。その中には、彼らは自分たちが語る ジャズの音楽史解釈が他の歴史家の行為と同様、捏造行為であるとも言い切る。しかしながら現在のアカデミズムの状況を彼らは十分に感じており、彼らの道化 的役割を認識しているからこそ、このような皮肉とユーモアを駆使することができるのではなかろうか。

大学のキャンパス内におけるポピュラー文 化としてのジャズ研究の停滞(クールダウン)と、キャンパスの外でおこっているジャズ評論の活発さや 菊池らの講義の格好良さ(クール)のギャップはあまりにも大きい。

ここから我々が得る教訓はただひとつ。 キャンパスの内と外の温度差——つまり学問実践の格好悪さと格好良さのギャップ——を埋め、大学の講義 が、ひいては学問を実践する文化人類学が、格好良さを奪還するための戦術を練る必要があるということだ。

この目論見を達成するためのひとつの考え 方を私は提示してみたい。それは菊池と大谷が実例としてとりあげたモダンジャズの盛衰の歴史を文化人 類学的に再演することではない。ジャズレコードという商品の流通と消費の形式が確立した時代における、ジャズ演奏家と彼らが残したジャズのレコードが織り なす社会の共時的な物語として、人類学者がそれを[民族誌を読むように]どのように解釈するのかということが焦点化される。

予稿集において指摘したように、[民族誌 (エスノグラフィー)を生み出す]人類学と[ライブ録音を生み出す]ジャズ・ミュージック・メディアには、それらを記録の 収集、編集、公開のプロセスという観点からみると、お互いによく似ていることがわかる。図1.をみていただきたい。ジャズ音楽はジャズクラブやスタジオで 演奏され、録音され、編集され、最終的にレコードという商品にされ、市場を介してジャズファンの間に流通する。他方、人類学者は何らかのグラントを取得 し、フィールドワークに出かけ、記録をとり、それを研究室に持ち帰り、フィールドノート[録音記録]の整理と編集に勤しみ、民族誌[レコードとしての論 文]を公刊する。民族誌じたいの経済的価値はそれほど大きくないが、学術生産という象徴資本で展開される市場において、民族誌の著者[ジャズの演奏家]は さまざまな評価がなされ、それらが人類学者において流通、消費される。

民族誌とジャズレコード間にみられるふた つの共通点がある。それはまず、(1)近代に生まれた複製技術に大きく依存している学問と芸術のジャ ンルであるということ。そして次に、(2)人類学とジャズが、ともに近代生活における重要性をます文化と芸術というそれぞれの2つのシステムに深く関わる 営為であるということだ。そこで私は、アルジダス・J・グレマス[1992]の「意味の四角形」と呼ばれた分析技法を、これらの比較考量にもちいてみよ う。意味の四角形では、テキストにおける特定の項目に着目すると、それに明示されていない項目が明らかになる。次の[図2a.]をご覧いただきたい。

ジャズレコードは、演奏家がコード進行に もとづいておこなう即興演奏そのものである、という主張がある。この主張は、民族誌は社会(民族)の 記録そのものであるという主張とよく似ている。しかし後者の主張(言明)が指し示すものを、意味の四角形で分析してみると図2a.にあるように、次のよう な展開になる。つまり、民族誌は小説や詩歌(ポエトリー)にあるような創作的エクリチュールではないことを示し、民族誌が写真や録音などの複製技術によっ て支えられる[=類縁や含意関係をもつ]ならば、民族誌は、絵画制作や音楽演奏とは全く何も関係をもたない[=意味の絶対的な不在]ものであることを示 す。

ただしこれは、民族誌の制作がジャズ演奏 のような創作性をもった芸術行為ではないことをただ単に示すだけではない。民族誌とジャズレコードは 同じようなものと言った時には、民族誌はジャズ演奏を正確に録音したレコードのようであり、フィールドワーカーという録音[記録]エンジニアが、現地の 「文化」をいかに正確(クリア)に記録[録音]するのかということが、民族誌が世に問われるときに中心的な課題になるのだということを言わんとしている。 ある特定の民族誌が権威として正統性を確保している場合でも、民族誌は社会(民族)の記録(グラフィー)そのものであるという主張は生かされており、民族 誌記述において「文化」を写す正確(クリア)さは不可欠な要件と考えられている。

それでは図2a.で明らかになった意味の 四角形の分析をさらに推し進めてみよう[図2b.をご覧いただきたい]。民族誌をジャズのレコードの 形式性に着目すると、民族誌は本物[社会や民像]の複製(コピー)であると考えられている。本物が実在することが、ここでの民族誌の前提であるので、その 反対側には創造物(フィクション)がある。それゆえ小説・詩歌(ポエトリー)と民族誌は、すべて書かれたもの(エクリチュール)としての共通性をもつが、 創作かそうでないかという観点からそれぞれ相反するものである。これは文化人類学において、民族詩学(ethno-poetics)というジャンルにおけ る研究の蓄積があるが、その研究成果は、自文化における詩学(poetics without hyphen)の研究と連携協力がなかったことと符合しているのではなかろうか。民族誌はクリエイティビティをもたない、本物の複製物であるという知的伝 統が我々の意識にはある。

これまで述べてきたような意味の四角形に 組み合わせとは別の系列のものを考えることはできないだろうか。すなわち、民族誌とジャズのレコード という、ある種の異様な組み合わせから、論理の飛躍をせずに、経験的事実にもとづき興味深い洞察を引き出すことができるのだろうか。図3は、図2.でおこ なってきた分析の、構成要素を一部入れ替えた、その応用的展開として考えることができる。民族誌もジャズのレコードも、それぞれ、社会(民族)や演奏その 全体を表象したものであると考えるのである。民族誌資料の収集やさまざまな即興演奏による革新とおびただしいレコードの蓄積、つまりアーカイブ化は、同時 にそれを利用する人たちにより、部分的に流用されパッチワーク化されてゆく。全体を志向する文化の蓄積という行為は、その必然として文化の断片的利用とい う形態を生んでしまう。電子ネットワークやコンピュータによるデジタル化は、その状況を加速化させる。

モダンジャズの歴史を切り開いたビ・バッ プは、1950年代末に登場するモード奏法や60年代のフリージャズの台頭によって、そしてその最後 には1970年代以降のクロスオーバーというジャンルの登場によって、モダンジャズの演奏のレパートリーのひとつになり、即興演奏のパターンとしてアーカ イブ化されてしまったと、菊池ら[2005:230-1]は主張する。彼らによると、モダンジャズの歴史とは、ビ・バップが確立した即興演奏の様式化とい う手法を、どんどん進化させてきた歴史に他ならない。演奏パターンのアーカイブ化と蓄積は、ある面ではジャズというジャンルに厚み[すなわち多様性]が、 増してゆくことであると考えられるが、他方では、演奏者に対して新しい即興演奏の手法を開発する欲望(ドライブ)が減退していくことを意味する。この流れ を加速させるだけではなく、結局のところ即興演奏に重点がおかれていたモダンジャズのパラダイムそのものを崩壊させたのが、1982年にヤマハから規格が 提唱され、翌年に発表されたデジタルシンセサイザーDX-7に採用されたMIDI(Musical Instrumental Digital Interface)規格の登場であった。その時以来、マンネリズムを脱却し、つねに新しい即興演奏を追い求めるモダンジャズから「モダン」という性質が 脱落したのだと、菊池らは論評する。このような自体の影響は甚大で、彼らはMIDIの影響が、20世紀のポピュラー音楽を牽引したバークリーメソッドにみ られるコードシンボルというシステムをも消滅させてしまったとまで言っている[2005:262]。

モダンジャズのレコード演奏がもつ全体性 を、コンプリートな性質を期待されている民族誌と関連づけてみると、モダンジャズ以降の音楽状況にお けるデジタル・サンプリングから創造される音楽と、ネットワーク情報社会において断片化しパッチワークされている民族の表象が、全体と部分という対比項と して、対応するように思われる。それらの関係を「意味の四角形」であらわすと図3.のようになる。民族誌もジャズのレコードも、記録化・アーカイブ化のド ライブがかかると、徹底的に収集しようとする。マリノフスキーのトロブリアンド諸島民の民族誌のように次から次へと公刊されるし、ジャズのコンプリートア ルバムの発売は、わずか1曲の未発表テイクを加えただけでも新たな商品価値が生まれる。

すでに消失してしまった祝祭や儀礼に関す る民族誌、博物館に収蔵されている民族誌的な物質文化(マテリアルカルチャー)、そして民族音楽のレ コードなどは、時間を経て、文化を担う/担うべき人びとの手によって、再び発見され、自分たちの文化的資源として再利用されることがある。民族文化の全体 性の喪失を、代替物や部分的に復元することで、補償することは時に論争を引き起こす可能性のある奇妙な社会現象を生み出す。しかし、それは解決不能な難問 ではなく、技術の革新がもたらす新しい類の社会問題の提起にほかならない。MIDI以降における音楽のデジタル・サンプリング化においても、さまざまな社 会的影響が生じた。音楽のオリジナリティや、それに付随する著作権の境界があいまいになることなどである。だがこのような新たな諸問題の登場は、我々に とって解決すべき理論的テーマが登場したという点で、むしろ学問的福音になるのではないだろうか。

文化人類学者に求められているのは、その ような奇妙な社会現象の現場で耳をすまし、そこで発せられている音声を聞き、それに想像力を触発され るということである。講義録『東京大学のアルバート・アイラー』が、日本の大学の文化人類学者に発している挑戦的なメッセージを、私は次のように受け入れ る。現在の文化人類学は、大学の学問的制度の枠組みに飼い慣らされて、もはや大衆文化の一翼を担う、社会的影響力を持ち得ていないのだ。現在の文化人類学 が再び活力をもつには、(大学の)「研究教育体制自体の刷新」であるところの「人類学のシステムアップ」が求められている。しかし、それはただ単に、大学 組織内での改善運動に向かうことは得策ではない。人類学的な批判力の大学外部に向けての発信と、その大衆化という知識の実践化もまた求められているのでは なかろうか。システムを入れ替える前に、システムの原動力である文化人類学の事例研究そのものをもっと面白くできるはずだ。皮肉とユーモアで語られた、レ コードを使ったジャズ音楽の大学の講義録がもたらしたものが、我々に寓意(アレゴリー)を通して教えてくれたのだ。

クレジット:表題:記憶=記録の悪魔:ド キュメントにおける記憶(声)とジャズレコードの記録(刻印)について

日本文化人類学会第40回研究大会 東京 大学駒場キャンパス 分科会「音的近代/民族誌的近代——音の記録史から声の文字化を再考する」(分科 会代表:太田好信・九州大学大学院教授)

★MIDI (Wikipedia 英語からの翻訳)

MIDI (/ˈmɪdi/; Musical Instrument Digital Interface) is a technical standard that describes a communication protocol, digital interface, and electrical connectors that connect a wide variety of electronic musical instruments, computers, and related audio devices for playing, editing, and recording music.[1]

A single MIDI cable can carry up to sixteen channels of MIDI data, each of which can be routed to a separate device. Each interaction with a key, button, knob or slider is converted into a MIDI event, which specifies musical instructions, such as a note's pitch, timing and loudness. One common MIDI application is to play a MIDI keyboard or other controller and use it to trigger a digital sound module (which contains synthesized musical sounds) to generate sounds, which the audience hears produced by a keyboard amplifier. MIDI data can be transferred via MIDI or USB cable, or recorded to a sequencer or digital audio workstation to be edited or played back.[2]

A file format that stores and exchanges the data is also defined. Advantages of MIDI include small file size, ease of modification and manipulation and a wide choice of electronic instruments and synthesizer or digitally sampled sounds.[3]: 4  A MIDI recording of a performance on a keyboard could sound like a piano or other keyboard instrument; however, since MIDI records the messages and information about their notes and not the specific sounds, this recording could be changed to many other sounds, ranging from synthesized or sampled guitar or flute to full orchestra.

Before the development of MIDI, electronic musical instruments from different manufacturers could generally not communicate with each other. This meant that a musician could not, for example, plug a Roland keyboard into a Yamaha synthesizer module. With MIDI, any MIDI-compatible keyboard (or other controller device) can be connected to any other MIDI-compatible sequencer, sound module, drum machine, synthesizer, or computer, even if they are made by different manufacturers.

MIDI technology was standardized in 1983 by a panel of music industry representatives, and is maintained by the MIDI Manufacturers Association (MMA). All official MIDI standards are jointly developed and published by the MMA in Los Angeles, and the MIDI Committee of the Association of Musical Electronics Industry (AMEI) in Tokyo. In 2016, the MMA established The MIDI Association (TMA) to support a global community of people who work, play, or create with MIDI.[4]


MIDI(/ˈmɪdi/; Musical Instrument Digital Interface)とは、音楽を演奏、編集、録音するために、様々な電子楽器、コンピュータ、関連するオーディオ機器を接続するための通信プロトコル、 デジタルインターフェース、電気コネクタを記述する技術標準である[1]。

1本のMIDIケーブルで最大16チャンネルのMIDIデータを伝送することができ、それぞれのMIDIデータを別々のデバイスにルーティングすることが できます。キー、ボタン、ノブ、スライダーを操作するたびにMIDIイベントに変換され、ノートのピッチ、タイミング、ラウドネスなどの音楽的指示が指定 されます。一般的なMIDIアプリケーションの1つは、MIDIキーボードやその他のコントローラーを演奏し、それを使ってデジタル・サウンド・モジュー ル(合成された楽音を含む)をトリガーして音を発生させ、観客がキーボード・アンプで生成された音を聴くというものです。MIDIデータはMIDIケーブ ルやUSBケーブルで転送したり、シーケンサーやデジタル・オーディオ・ワークステーションに録音して編集したり再生したりすることができる[2]。

データを保存し交換するファイルフォーマットも定義されている。MIDIの利点は、ファイルサイズが小さいこと、修正や操作が簡単なこと、電子楽器やシン セサイザー、デジタル・サンプリング・サウンドの選択肢が豊富なことなどが挙げられる[3]: 4 キーボードでの演奏をMIDIで録音すると、ピアノや他のキーボード楽器のように聞こえるかもしれない。しかし、MIDIは特定の音ではなく、その音符に 関するメッセージや情報を記録するので、この録音は、シンセサイザーやサンプリングされたギターやフルートからフルオーケストラまで、他の多くの音に変更 することができる。

MIDIが開発される以前は、異なるメーカーの電子楽器は一般的に互いに通信することができなかった。そのため、例えばローランドのキーボードをヤマハの シンセサイザー・モジュールに接続することはできなかった。MIDIでは、MIDI対応のキーボード(またはその他のコントローラー・デバイス)であれ ば、たとえ異なるメーカーのものであっても、他のMIDI対応のシーケンサー、音源モジュール、ドラムマシン、シンセサイザー、コンピューターに接続する ことができる。

MIDIテクノロジーは、1983年に音楽業界の代表者からなるパネルによって標準化され、MIDI製造者協会(MMA)によって維持されている。すべて の公式MIDI規格は、ロサンゼルスのMMAと東京の社団法人音楽電子事業協会(AMEI)のMIDI委員会が共同で開発・発行している。2016年、 MMAはMIDIを使って仕事をしたり、遊んだり、創作したりする人々の世界的なコミュニティをサポートするため、MIDIアソシエーション(TMA)を 設立した[4]。
Impact
MIDI's appeal was originally limited to professional musicians and record producers who wanted to use electronic instruments in the production of popular music. The standard allowed different instruments to communicate with each other and with computers, and this spurred a rapid expansion of the sales and production of electronic instruments and music software.[12]: 21  This interoperability allowed one device to be controlled from another, which reduced the amount of hardware musicians needed.[24] MIDI's introduction coincided with the dawn of the personal computer era and the introduction of samplers and digital synthesizers.[25] The creative possibilities brought about by MIDI technology are credited for helping revive the music industry in the 1980s.[26]

MIDI introduced capabilities that transformed the way many musicians work. MIDI sequencing makes it possible for a user with no notation skills to build complex arrangements.[27] A musical act with as few as one or two members, each operating multiple MIDI-enabled devices, can deliver a performance similar to that of a larger group of musicians.[28] The expense of hiring outside musicians for a project can be reduced or eliminated,[2]: 7  and complex productions can be realized on a system as small as a synthesizer with integrated keyboard and sequencer.

MIDI also helped establish home recording. By performing preproduction in a home environment, an artist can reduce recording costs by arriving at a recording studio with a partially completed song.[2]: 7–8  In 2022, the Guardian wrote that MIDI remained as important to music as USB was to computing, and represented "a crucial value system of cooperation and mutual benefit, one all but thrown out by today's major tech companies in favour of captive markets". As of 2022, Smith's original MIDI design was still in use.[29]
インパクト
MIDIの魅力は当初、ポピュラー音楽の制作に電子楽器を使おうとするプロのミュージシャンやレコード・プロデューサーに限られていた。この規格によっ て、異なる楽器同士やコンピュータとの通信が可能になり、電子楽器や音楽ソフトウェアの販売や生産の急速な拡大に拍車をかけた[12]: 21 この相互運用性によって、あるデバイスを別のデバイスから制御することが可能になり、ミュージシャンが必要とするハードウェアの量が減少した[24] 。

MIDIは、多くのミュージシャンの作業方法を一変させる機能を導入した。MIDIシーケンシングは、楽譜を書くスキルのないユーザーでも複雑なアレンジ を構築することを可能にした[27]。 1人か2人のメンバーで、それぞれが複数のMIDI対応デバイスを操作する音楽活動は、大人数のミュージシャンと同様のパフォーマンスを提供することがで きる[28]。 プロジェクトのために外部のミュージシャンを雇う費用を削減または排除することができる[2]。キーボードとシーケンサーが統合されたシンセサイザーと同 じくらい小さなシステムで、7つの複雑な作品を実現することができる。

MIDIはまた、ホーム・レコーディングの確立にも貢献した。自宅の環境でプリプロダクションを行うことで、アーティストは部分的に完成した曲を持ってレ コーディング・スタジオに到着し、レコーディング・コストを削減することができる[2]: 7-8 2022年、Guardian紙は、MIDIは音楽にとってUSBがコンピューティングにとって重要であったのと同様に重要であり続け、「協力と相互利益 という重要な価値体系を、今日の大手ハイテク企業は虜になる市場を優先してすべて捨ててしまった」と書いている。2022年現在、スミスのオリジナルの MIDIデザインはまだ使用されている[29]。
History
In the early 1980s, there was no standardized means of synchronizing electronic musical instruments manufactured by different companies.[5] Manufacturers had their own proprietary standards to synchronize instruments, such as CV/gate, DIN sync and Digital Control Bus (DCB).[6] Ikutaro Kakehashi, the president of Roland, felt the lack of standardization was limiting the growth of the electronic music industry.[6] In June 1981, he proposed developing a standard to the Oberheim Electronics founder Tom Oberheim,[5] who had developed his own proprietary interface, the Oberheim System.[7]

Kakehashi felt the Oberheim System was too cumbersome, and spoke to Dave Smith, the president of Sequential Circuits, about creating a simpler, cheaper alternative.[7] While Smith discussed the concept with American companies, Kakehashi discussed it with Japanese companies Yamaha, Korg and Kawai.[5] Representatives from all companies met to discuss the idea in October.[5] Initially, only Sequential Circuits and the Japanese companies were interested.[8]


Dave Smith (right), one of the creators of MIDI

Using Roland's DCB as a basis,[6] Smith and Sequential Circuits engineer Chet Wood devised a universal interface to allow communication between equipment from different manufacturers. Smith and Wood proposed this standard in a paper, Universal Synthesizer Interface,[9] at the Audio Engineering Society show in October 1981.[10][11]: 4  The standard was discussed and modified by representatives of Roland, Yamaha, Korg, Kawai, and Sequential Circuits.[5][12]: 20  Kakehashi favored the name Universal Musical Interface (UMI), pronounced you-me,[7] but Smith felt this was "a little corny".[13] However, he liked the use of instrument instead of synthesizer, and proposed Musical Instrument Digital Interface (MIDI).[13][11]: 4  Robert Moog, the president of Moog Music, announced MIDI in the October 1982 issue of Keyboard.[14]: 276 

At the 1983 Winter NAMM Show, Smith demonstrated a MIDI connection between Prophet 600 and Roland JP-6 synthesizers. The MIDI specification was published in August 1983.[5] The MIDI standard was unveiled by Kakehashi and Smith, who received Technical Grammy Awards in 2013 for their work.[15][16][17] In 1983, the first instruments were released with MIDI, the Roland Jupiter-6 and the Prophet 600. In 1983, the first MIDI drum machine, the Roland TR-909,[18][19] and the first MIDI sequencer, the Roland MSQ-700, were released.[20]

The MIDI Manufacturers Association (MMA) was formed following a meeting of "all interested companies" at the 1984 Summer NAMM Show in Chicago. The MIDI 1.0 Detailed Specification was published at the MMA's second meeting at the 1985 Summer NAMM Show. The standard continued to evolve, adding standardized song files in 1991 (General MIDI) and adapted to new connection standards such as USB and FireWire. In 2016, the MIDI Association was formed to continue overseeing the standard.[8] An initiative to create a 2.0 standard was announced in January 2019.[21] The MIDI 2.0 standard was introduced at the 2020 Winter NAMM Show.[22]

The BBC cited MIDI as an early example of open-source technology. Smith believed MIDI could only succeed if every manufacturer adopted it, and so "we had to give it away".[23]
歴史
1980年代初頭、各社が製造する電子楽器を同期させるための標準的な手段は存在しなかった[5]。 各社は楽器を同期させるために、CV/gate、DIN sync、Digital Control Bus(DCB)といった独自の規格を持っていた[6]。 [1981年6月、ローランドの社長である掛橋郁太郎は、標準化が進んでいないことが電子音楽産業の成長を妨げていると考え、独自のインターフェイスであ るオーバーハイム・システムを開発していたオーバーハイム・エレクトロニクスの創業者であるトム・オーバーハイム[5]に標準規格の開発を提案した [7]。

掛橋は、オーバーハイム・システムがあまりにも煩雑であると感じ、シーケンシャル・サーキットの社長であるデイヴ・スミスに、よりシンプルで安価な代替品 を作ることについて話をした[7]。スミスがアメリカの企業とこのコンセプトについて話し合う一方で、掛橋は日本のヤマハ、コルグ、カワイと話し合った [5]。


MIDIの生みの親の一人、デイブ・スミス(右)

ローランドのDCBを基礎として[6]、スミスとシーケンシャル・サーキットのエンジニアであるチェット・ウッドは、異なるメーカーの機器間の通信を可能 にするユニバーサル・インターフェースを考案した。1981年10月に開催されたAudio Engineering Societyのショーで、スミスとウッドは論文「Universal Synthesizer Interface」[9]でこの規格を提案した[10][11]: 4 この規格は、ローランド、ヤマハ、コルグ、カワイ、シーケンシャル・サーキットの代表者によって議論され、修正された[5][12]: 20 かけはし氏は、ユーミーと発音するユニバーサル・ミュージカル・インターフェイス(UMI)という名称を好んだ[7]が、スミスはこれを「少し陳腐」だと 感じた[13]。 しかし、彼はシンセサイザーの代わりに楽器を使うことを好み、Musical Instrument Digital Interface(MIDI)を提案した[13][11]: 4 ムーグ・ミュージックの社長であるロバート・ムーグは、1982年10月号のKeyboard誌でMIDIを発表した[14]: 276。 

1983年冬のNAMMショーで、スミスはProphet 600とRoland JP-6シンセサイザー間のMIDI接続を実演した。1983年8月、MIDI仕様が発表された[5]。MIDI規格は、2013年にテクニカル・グラ ミー賞を受賞した掛橋とスミスによって発表された[15][16][17]。1983年、MIDIを搭載した最初の楽器、Roland Jupiter-6とProphet 600が発売された。1983年には最初のMIDIドラムマシンであるローランドTR-909[18][19]と最初のMIDIシーケンサーであるローラ ンドMSQ-700がリリースされた[20]。

1984年にシカゴで開催されたサマーNAMMショーで「関心のあるすべての企業」が集まり、MIDI Manufacturers Association(MMA)が設立された。1985年のサマーNAMMショーで開催されたMMAの2回目の会合で、MIDI 1.0詳細仕様が発表された。規格は進化を続け、1991年には標準化された楽曲ファイル(General MIDI)が追加され、USBやFireWireといった新しい接続規格にも対応した。2016年にはMIDI Associationが設立され、規格の監督を続けている[8]。2019年1月には2.0規格を策定する構想が発表された[21]。MIDI 2.0規格は2020年のWinter NAMM Showで発表された[22]。

BBCはオープンソース技術の初期の例としてMIDIを挙げた。スミスは、MIDIはすべてのメーカーが採用しなければ成功しないと考えていたため、「私たちはそれを手放さなければならなかった」[23]。
https://en.wikipedia.org/wiki/MIDI


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