人類学者とは誰のことか?
Who is "the" cultural anthropologist?
解説:池田光穂
人類学者とは誰のことか?:海外での文化人類学のフィールドワーク調査の経験から
日本保健医療社会学会・関西地区例会 第28回「臨床実践の現象学研究会」 2011年10月1日大阪大学豊中キャンパス
まず、人類学者を定義する(definition of anthropologist[s])。人類学者とは「人類学を勉強し、フィールドワークをおこない、その成果をエスノグラフィー(民族誌)や人類学の論文や報告書にまとめようと努力する人」のことである。
人類学(anthropology)
文化人類学の構成要素
文化の定義
「自らの世界を形づくるための固有の 方法」であり集団や社会により「共有 されるもの」( リオノール・ノラン)
文化の意義
メンバー(成員)に対して経験を組織化する、理 解し、他者に伝達することができる。生産性を高 め、創造力を育む。環境や社会に対するメンバー の適応能力を高める。世界の構造化に寄与する。
文化の構成要素
文化的差異
差異、現在では多様性とも言われる。人類におけ る差異、文化における差異、社会の内部における 差異、個人間の差異など
習得の自然化
長い人生の生活のなかで獲得されたもの(=文化) は、自然化される、つまり、それが当たり前で、普 通で、また他の集団の人のものよりも「良いもの・ 優れたもの」に見える(→自文化中心主義)。慣習 は自然化されたものの典型であり、しばしば第2の 自然(second nature)という。あるいは同語反復 性:「豚は不潔だから豚と呼ばれるのである」(豚 =不潔という結びつきが自然化されている。豚は動 物行動学的には〈知的で清潔な動物〉)[→豚飼いエウマイオスの伝記]
自民族中心主義 (ethnocentrism)
複数の民族的「他者」に対して、自己の民族とは 異なった存在であり、かつ自分たちが他者よりも 優越する価値を有するという倫理的態度のこと。 倫理的とは、その態度が人々に対して価値判断を 含む感情を生み出すから、善悪の判断もまた含ま れるからである。
文化的認識(cultural knowledge)
文化的認識は、自分の文化に対する再帰的な知識 のことである。まず文化的認識は、その文化に対 する自己反省的な意識から生まれることがある。 また、先の自民族中心主義という自然化のため に、他者や他文化の存在やその世界に異文化の人 が飛び込むことが、そのような自然化を当たり前 にしないという反省的経験を形作ることがある (例:フランツ・ボアズの恋人に対する手紙にみ る「文化相対主義」の誕生)
文化相対主義(Cultural relativism)
他者に対して、自己とは異なった存在であること を容認し、自分たちの価値や見解(=自文化)に おいて問われていないことがらを問い直し、他者 に対する理解と対話をめざす倫理的態度のこと。
接触する諸文化
異文化の接触は、無知、無視、恐怖、衝突、寛容、融 和などの反応を引き起こす(自文化中心主義から文化 相対主義へのスペクトルに応じて)。異文化に対する 反応は、これらのリアクションのレパートリーが交互 に現れるなど、歴史的に社会的に多様なパターンをと る。つまり「異文化間の人の集団ではかならず紛争を 引き起こす」という見解は必ずしも正しくない(類似 の例として、万人の万人に対する闘争という「リバイ アサン・テーゼ」)。逆に、人間は生まれながらの平 和的動物という理解も極論で正しくない。
人類学者の行動や信条(credos)
フィールドワーク
フィールドワーク(field work)とは、研究対象と なっている人びとと共に生活をしたり、そのよう な 人びと[インフォーマント]と対話したり、 インタビューをしたりする社会調査活動のこと、 である
参与観察
参与観察(participant observation)とは文字 通り、人びとがおこなうイベント(祭礼、儀礼、 結社、偶発的行事など)に参加することを通し て、観察データをえること。
全体論
全体論(holism)とは、全体は部分の総和以上の ものがあるという見解。要素論や、要素還元論 (要素還元主義)と区分される。ただし、全体主 義(totalitarianism)は政治学の用語で全体論と は無縁なので注意すること。
領域分析
領域分析(domain analysis)とは 、文化領域 (cultural domain)という仮説やビジョンにも とづいて、人間の経験を秩序づけるためのカテゴ リーの文化領域をあぶりだす手続きのこと。では 文化領域とは、ローカルな社会習慣のなかで重要 な意味をもつ生活領域や生活分野(area of life)のことをさす。
領域分析の手順
(Spradley 1979,1980; Nolan 2002:17)
私のフィールドワーク経験
- 宮崎県幸島のニホンザル1979-1980
- 生化学の実験室1981-1982
- 日蓮宗寺院、修験道寺院1982-1984
- ホンジュラス共和国保健省首都1984-1985
- ホンジュラス共和国西部高地農村1986-1987
- グアテマラ共和国西部高地マヤ系先住民1988-現在
- 中米・カリブの観光地1993-1994
- コスタリカの生態学研究ステーション1997
- 神経生理学の実験室2006-2007
- メキシコ合衆国チアパス高地マヤ系先住民2010-現在
フィールド研究の面白さ
フィールド研究の困難さ
フィールドワーク
- フィールドワーク(field work)とは、「研究対象と なっている人びとと共に生活をしたり、そのよう な人びと[=調査対象者であるインフォーマン ト]と対話したり、インタビューをしたりする社 会調査活動のこと」である。
- 文化人類学者は、フィールドワークにもとづい て、人びとの生活に関する記述であり同時にその 人類学的考察である記録(=質的情報や量的情報 で構成される)である民族誌を著します。
インフォーマント
- インフォーマント(informant)とは、調査において人 類学者に情報(information)を提供してくれる人のこ とです。
- ジャーナリズムの用語で言うと、取材を受ける人、情報 提供者、被調査者など、さまざまな言い換えが可能です が、人類学は狭義のジャーナリズムではないので、その ようには考えません。また、軍事作戦におけるイン フォーマントは、「現地の情報に精通し、またスパイに もなる民間の協力者」(内部通報者)ということになる かもしれなませんし、そのように使われています。
インフォーマントと情報的価値
- インフォーマントは、情報論的にはデータそのものであり、調査 者はインタービューを通して、インフォーマントの情報すなわち 地域や文化の情報を引き出すことになりますが、これもまた人類 学の理論におけるインフォーマントのことではありません。
- では、インフォーマントとは誰のことか
- 人類学におけるインフォーマントは、調査のプロセスで接触する すべての人々のことと考えてもらってもよいでしょう。現地の人 と出会い、話し合うことを通した自分の活動を内省的にみれば、 人類学者自身もまた相手にとってインフォーマントとなりうる資 格をもっています。したがって、人類学の調査では、あらゆる人 がインフォーマントのことになります。
狭義のインフォーマント
他方、人類学では同時にインフォーマントを[今 度は逆に]狭く厳密に捉えることがあります。こ の場合のインフォーマントは、人類学者の調査の 趣旨を理解してくれ、人類学者の対話の相手にな る、同僚または先生のことでもあります。この狭 義のインフォーマントは、人類学の著名な調査に は人類学者の有能な助手となるだけでなく、人類 学者の導きの糸たる先生にもなり、人類学者の名 声と共に人類学の歴史に名を残す人もいます。
インフォーマントの「搾取」について
- よく人類学という学問的枠組みに対する政治的批判におい て、人類学者がインフォーマントを知的あるいは経済的に 「搾取」するイメージで語られることがありますが、先の ように先生(=インフォーマント)と生徒(=人類学者) の関係のようにフィールドワークのプロセスにおいてその地 位がしばしば逆転することがあったり、長く友愛の関係で 結ばれることが〈経験的事実〉としてありますので、人類 学者がインフォーマントを搾取するというイメージは(全 くそのような危険性がないとは言えないものの)不適切で あることは、強調してもよいと思います。
インタビュー
-インタビューとは、対話や問答を通して人に ものを聴く・聞くことである。
-人類学的インタビューとは、人類学者や人類 学を勉強する人たちが、インフォーマントと よばれる調査協力者に対して、人類学調査に 関わるさまざまなものを聞くことである。
インタビューの倫理性
- したがって、調査者は、その研究の目的のためにさまざ まなインタビューをおこなうが、その方法は多様なもの がある。また、友人との日常の会話から行政や司法の場 面における査問まで、それらの行為には調査者の倫理性 が伴うことも忘れてはならない。
- また、通常、インタビューは対面調査でおこなうものを さすが、コミュニケーション技術の発達などにより、電 話や電子メールなどでインタビューに準じたものが行わ れることがある。これらの手続きや倫理に関する事象 も、対面調査で行われるものに準拠した扱いでおこなわ れるべきである
フィールドワークの倫理・壱
- 人間を対象にする調査研究は、根元的に人体実験* 的性質をまぬがれえない。
- そのために、調査研究において、調査する人間が 調査される人間の尊厳を傷つけたり、される側の 資源(人体の一部あるいはその隠喩[例:知 識])をする側が搾取するという事態がおこりう る。
フィールドワークの倫理・弐
- このような事態は、研究者じしんが道徳的である か、よい人間であるかというとは関係なしに、行 為が社会的にどのように意味づけられるかによっ て、構造的に決定される性質のものである。調査 者の倫理は、その人の内面を規定するものではな く、その人がどのような手続きをふんで調査をお こなおうとするのか、おこなっているのか、おこ なったのか、という観点からきめられる。
フィールドワークの倫理・参
- したがって、調査者は調査をはじめる前に、その 調査が、人間の倫理にかなっているか、調査をお こなう正当性をもちうるか、研究がもたらす社会 的影響力等について責任を負うであろうことに、 十分な配慮をもたなければならない。
- 反倫理行為は構造的に決定されるために、倫理の 学習は、さまざまなケースを通して学ばれる必要 がある。
フィールドワーク倫理を考える要点
- 誰のための、どんな研究か? ただしどんな研究でも「言った こと」と「実践すること」には齟齬が不可避的に生じる。
- 現場の人びとの個別情報には、大きくわけて(1)秘密や親 密、(2)プライバシーや個人情報、(3)知的財産や個人の 威信を維持するための利益情報、があり、調査にはこれらの3 つの性質に関して契約上の責任をもつ。
- 説明責任(accountability)と応答責任(responsibility)
- 倫理は社会的かつ歴史的に相対的だが、個人の責任はそのよう な相対化を超えて作働する宿命をもつことも理解すべし!
困難克服回復法
amigos con yugo
遠い祖父母の思いで
遠い祖父母の思いで
この写真は1985年から87年にかけて中米のホンジュラスの農村に私が青 年海外協力隊員として住んでいた時に、私の向かいの家に住んでいたアリ タ一族の族長? ドン・キンティン・アリタとそのアリシア夫人です。ド ンは、わしらはインディオの末裔で、この村にオコテペケから移住してき たと言っていました。移住してきた時には、この村にはわずか数軒の小屋 しかなかったとも。ドンは若い時には、カリブ海地方のプランテーション で働いた経験があり、グリンゴ(米国人)から学んだという怪しげな英語 をはなしたこともありました。ドンの思い出でもっとも傑作なのは、この 写真がとられたケサイリカのお祭りに出かけ、夜半すぎに帰ってきた時に は酒を呑んでべろべろによっぱらい、興奮してえんえんと話つづけたこと でした。ドニャ・アリシアは、私が村に住んでいる時には、ほとんど毎 朝、パネラ砂糖のたっぶり入ったコーヒーを入れてくれたことでした。キ ンティンはすでにこの世にはいなく、数年前アリシアをたずねた時はひっ そりと生活をしていました。私には、ほとんど祖父母と一緒に過ごした記 憶がないので、彼らは私にとってほとんど祖父母のような存在でした
人類学者とは誰のことか?
- 看護師とならんで〈天職〉的性格の強い職業
- かなり病的な実証主義者で(それとは矛盾するが)か なり病的な文化構築主義者
- 質的調査の擁護者あるいは番犬
- 他者とのコミュニケーションを渇望するさみしがり屋
- 文化理論に対する誇大妄想的傾向がつよい
- 来世のことよりも現世に関心、だが心霊的にもつよい 関心をもつ
語りの伝搬者:
ミルナと交霊術者(グアテマラ市):人類学者のミルナ (仮名)がマサテナンゴ市サマヤックにいるエスピリ トゥイスタつまり交霊術者のところに出かけたのは、 1980年代の中ごろだという。というのは、当時は「と ても暴力的(muy violento)」な社会状況の中で、同 じ職場の同僚で、当時26歳の秘書が「誘拐」されたとい う。どうして「行方不明」ではなくて、「誘拐」と言え るのでしょうか、と私が質問したら、ちょうど彼女が失 踪した時に目撃者がいて、数人の男が彼女を自動車に押 し込め連行したというからである。
秘書が誘拐されて彼女の家族は手をつくして探したが彼女はいっこうに 戻ってこなかった。ミルナは、この失踪した秘書について手がかりを得 るために、サマヤックにいる著名な女性の交霊術者のところを、他の職 場の同僚とともに訪れたという。ミルナは、探している秘書が「誘拐」 されたということを隠して、この女性交霊術者に相談したが、交霊術者 はすぐに彼女が誘拐されていることを指摘した。ミルナは、彼女に相談 している間にエスピリトゥイスタが、憑依していることに気づいた。交 霊術者の声色が変わり、やがて<彼女>が呻きながら「お、お・・・私 は痛い」と言い始めた。そして「皆さん、私を探すのはもう止めてくだ さい・・・・私は、もう遠いところにいます・・私はもう休みにつきま した・・・」と途切れ途切れに発話するようになった。ミルナの表現に よると、彼女は、その時には「研究者でも人類学者でもなくミルナ自身 その人」になって、涙を流しながら聞いていたという。
犠牲者の父親は、彼女の失踪後、軍隊の事務所にある調 査申請記録簿に娘の名前を記載し、娘の写真を拡大して ポスターにして、さまざまなところで彼女の消息をいろ いろなところに訊ねていたが、とうとう娘の消息を知る ことなく、死んでいったという。ミルナによると、彼は 失踪した娘を探すことで、命を縮めて死んでいった。ミ ルナは、犠牲者の父親には、このエスピリトゥイスタへ の相談の内容を一切話はしなかった。「話すことなどで きるものですか!」
語りの伝搬者:04 これが、サマヤックにおけるミルナと交霊術者と の出会いであり、彼女は、この種の話をたくさん 知悉しているが、現在(1999年初頭)でもな お、グアテマラ人として公表することには、「恐 怖」を覚えるという。だから、外国人である私 が、この種の話を発掘して、より多くの海外の人 に伝えて、このような恐怖が、二度と起こらない ように、知らしめてほしいと話終えた。
おしまい
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Mitzub’ixi Quq Ch’ij Copyleft 2011- ∞ 人類学者とは誰のことか? 海外での文化人類学のフィールドワーク調査の経験から 池田光穂
日本保健医療社会学会・関西地区例会 第28回「臨床実践の現象学研究会」 2011年10月1日大阪大学豊中キャンパス
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099