物神化する文化
Commodity Fetishism of "Culture": On globalization of the cultural heritage.
【目次】
1.旅する事物
歴史的に由緒ある事物は人びとにステレオ タイプされた感銘を与える。だが、いったん事物がおかれた文脈が少しでもずれると、それは人びと に複雑で奇妙な気持ちを喚起する■1。
ドミニカ共和国の人間博物館(Museo del Hombre Dominicano)の入り口には博物館功労者の胸像がある。学者であったりまた文化官僚として活躍した人びとの像であり、国民 文化の殿堂おいて顕彰さ れるべき人物である。その向かいに、写真と説明に埋め尽くされた5センチにも満たない小さな土製の面がある。これはドミニカ共和国において、おそらく世界 においても、初めて宇宙旅行を成し遂げた土偶の面であり、NASA発行の証明書や一緒に旅行したシャトル乗務員の写真と共に飾ってある。宇宙旅行した土偶 とは、要するに共和国内で出土した土偶の面がスペースシャトルにのって大気圏外に出たということである。土偶の宇宙旅行の経緯について私は不案内である が、ある考古学者によると土偶は先住民族タイ ノの航海者(navegante)をあらわしているという(Lamarche 1993:102,104)。タイノ(Taíno) はドミニカに居住していた先住民の名称であり、彼らは先史時代に環カリブを頻繁に移動していた。
Fundación J.A. Caro
Álvarez, Santodomingo, Rep. Dominicana
1992年の新大陸「発見」の五百年紀の 記念行事はラテンアメリカの人びとに賛否両論の論争を引き起こした。とくにコロンブスが新世界で 初めて上陸、植民したイスパニオラ島にあるドミニカ共和国においてはコロンブスの聖遺物をめぐって激しいかたちで表出した。流血のデモにまで発展したコロ ンブス聖廟(Faro a Colon)は、建築の構想から50年以上もたって建設されたいわくつきの国家的記念碑である。その聖廟に入るためにコロンブスあるいは彼の遺品 は「発見」 の五百年後に再び舞い戻ってきたが、その事物の「帰郷」は全ての人たちから祝福されたわけではなかった。ローマ法王の同国訪問の際にも聖廟への訪問はドミ ニカの人びとを刺激するという理由で回避された。聖廟にはコロンブスの遺品が安置されているらしい。そう表現するのは、遺物は海軍の兵士に厳重に守られた 棺桶のようなもの中に入っており一般の入館者はその中を直接見ることができないからだ。
1992年に発行されたコロ ンブス聖廟(Faro a Colon)の記念切手
これらの事態は18世紀のド・ブロスや 19世紀のコントにおける信仰の起源論にはじまり、マルクスによって資本主義社会の神秘を解き明か す鍵とまでいわれた物神性(fetishism)の概念で一見説明できそうだ。しかし議論はそれで片がつくだろうか。ナポレオンのエジプト遠征によるロ ゼッタストーンの発見(1799年)とヒエログリフの解読にみられるように文化(=知)と政治(=権力)は事物を媒介として強く結びついてきた。社会とい うものに記憶があるのなら、それは身体を含む事物(corps)を媒介によって保存され想起されるだろう。これはフランス社会理論の伝統が我々にもたらし てくれた重要な命題である(e.g.アルヴァックス 1989)。
事物の社会分析は、社会的な想起とは何で あるか、想起にもとづく個体の行動はいかなるふうに社会に影響をもたらすのか、ということを我々 に教えてくれる。事物は審美的な観想の対象となることをやめて、我々の記憶に直裁的に訴えかける政治的な事物として立ち現れる。本稿では、遺跡や考古学遺 物そのもの、あるいはそれらの文化表象の地球規模での流通という経験的現象を検討することを通して、事物が歴史的に与えられてきた価値というものが社会的 合意を得られなくなってきた現代的状況について把握し、かつその理由を探究する。
文化遺産(cultural heritage,patrimonio cultural)には、モニュメント、動産財、土着文化やそれらにまつわる観念などが含まれる■2。 博物館や遺跡はそのようなもろもろの事物を収容したものであり、その総体であると考えられている。
修復された古代建築物に代表される<遺 跡>や、石碑や土器あるいは遺体や装飾品といった<遺物>が、人びとにどのような意味をもつのかを 問うことは重要である。その際に、観念表象としての文化が、ある種の価値をもつ事物として対象化され、またそれゆえに操作可能な実体として人びとに認識さ れるようになるという「文化の客体化」の議論は有効な視点となる(太田 1998)。マヤの遺跡・遺物にまつわる文化をこのように操作可能な実体としてとらえたさいに見えてくるものは何だろうか。文化は富や資源であり、生産さ れ流通し消費されている。つまり事物の象徴的側面が強調されると同時に、それが同時に経済的比喩として社会学的に分析可能になるのである(ブルデュ 1990)。
富や資源としての文化遺産は、国家の財産 や国家権威の象徴として位置づけられ、修復された遺跡の光景やマヤの神々、あるいはスペインの征 服に抵抗した先住民の首長のイコンが中央アメリカ各国の紙幣や貨幣に使われている。各国の政府広報や政治家の演説に耳を傾ければ、国民はその文化遺産を保 有し、また次の世代に継承してゆく主体として位置づけられており、冷戦終焉以降はその傾向が増加している。国民文化を担う主体はスペイン語を話すメスティ ソ(ラディノ)の「メキシコ人」であり、先住民文化と植民地文化が融合しているとみられる「ホンジュラス人」であったりする。国民は仮想的に自分たちの祖 先をイベリア半島のカスティリア人征服者にではなく、アステカ人、マヤ人、トルテカ人、サポテカ人にたどる。実際に各国によって複雑な経路こそあれ、近代 の国民国家の枠組の中での文化遺産(=文化財)は、それは国民によって担われ、国家は国民を代表して文化遺産を法的に管理するという、いわゆる文化財行政 というかたちで具体化されてきた[表1.]。しかし近年、先住民文化の復権運動がさかんにな り、先住民の人たちは文化の継承者であると同時に、文化を媒介として自分たちの集団のアイデンティティにかかわる重要な政治的問題でもあることを認識する ようになってきた。そのため国家が先住民文化の擁護者として振る舞う擬制に対する批判も登場してきた。文化遺産を受け継ぐ者が誰であれ、そこには文化遺産 は経済的な尺度体系には還元不能のものという前提がある。
他方、文化財保存における価値決定の原則 は考古学や民族学——中央アメリカでは「人類学 Antropologi'a」と総称——の固有の知見にもかかわらず、市場経済的な尺度によって見事に修飾されている。文化遺産の価値が本質的に計量でき ないといわれているにもかかわらず、実際には遺跡の規模や副葬品にもちいられた宝石や貴金属の量や数からその価値は表現されている。国民の誇りとしての文 化遺産は貨幣価値に還元することで、つまり一般的な尺度に客体化されるため、誇りや(あるいはそれが傷つけられた場合は)痛みを、より具体的なかたちで、 国民にわかりやすい形で提示できるのだ。国外の考古学発掘隊が調査する際に、近隣の住民からは遺物を隠密裏に国外に持ち出したのではないかとしばしば嫌疑 をかけられたりする。このような窃盗に対する敵意は、物神性を軸として奪われる側の権利主張として洗練されるとそれ自体で立派な植民地批判の言説■3になり、また国際社会でもその主張はすでに認められている事実■4である。
遺跡の発掘・修復・保存に関して国際的な 協力体制が必要とされるときに、文化を担う主体がイニシアチブをとるべきだという「文化主権」の 概念が登場したのもこのような背景があるからである■5。遺跡の発掘をめぐる国際協力は、文化を 担う主体が植民地体制のもとで進行していた宗主国による文化遺産の物理的および学問的収奪という忌まわしい過去のイメージを清算し、遺跡に表象される文化 とそれを担う主体のアイデンティティ(同一性)を確認する作業であると同時に、それをもとにした文化操作の分業体制を確立させようとする動きであると解釈 できる。遺跡に眠る文化遺産を固有の領土にむすびつけられた「資源」という経済的比喩により近づけるならば、遺跡の発掘のための交渉は、あたかも森林伐採 権あるいは石油採掘権(concession)の取り引きのようであり、文化主権を損なわず学術成果の共有し、かつ現地側への援助を誘導するというさまざ な駆け引きを観ることもできる■6。
文化遺産の生産とは、過去の歴史が改竄さ れたり遺跡遺物の偽物が捏造されることをさすのではない。文化遺産の恒久的な価値が、実際は過去 についての現在の解釈が供給されている事実を指し示すことばである。文化遺産は現在の権威ある正当な解釈、つまり科学的で最新の考古学の研究成果をつねに 必要としている。そして学問の権威とは宙に浮いているのではなく、その成果が人びとの関心を通してチェックされている。
現代世界の人びとが直面している文化的事 物をめぐる状況について考えたとき、もっとも目につくのは文化現象の流用と言われるべき現象では ないだろうか。文化が事物を媒介として表象される場合はその現象は加速化する。そこでは人類学者が理念的に把握してきた、それぞれの要素が相互に連関し全 体を形成するという文化の概念そのものが疑問に付されるのだ。文化の諸要素が断片化し、事物という媒体を介して浮遊することもそのひとつである。例えば、 ショッピングモールやショーウィンドウにみられる異国風の飾り、テーマパークにみられる本物らしさの強調、あるいは家庭の居間を飾るトータル・デザインの 鍵となる色調や象徴などである。このような事態は、すでにある種の文化要素の越境のなかに我々が生きて久しいことを気づかせてくれる。
マヤ遺跡観光のなかに、この種の文化の越 境が起こっているとすれば、それは生産地を離れ商品として流通している観光芸術や土産物の中に顕 著に観察することができる。あるいはすでに遺跡を訪れた、訪れている、あるいは訪れようとしているかつての観光客、現在の観光客、あるいは将来の観光客の 意識において、この種の文化の越境がみられる(Castaneda 1996)。マヤ遺跡を訪れる観光客は、そこに一時的にしか逗留しないが、観光客は旅行に出かける前からマヤ文明についてのイメージをもち、旅行後も経験 によって加工されるもののイメージは失われることがない。旅行は一時的であるが、観光にまつわる現象はより持続的である。つまり、観光現象のほとんどの部 分は脱コンテクスト化されている。この点は重要である。というのは「観光現象は研究対象になりにくい」という伝統的な人類学の枠組みからおこなわれる批判 は、人類学そのものがコンテクスト化された文化事象を中心に取り扱ってきたことをはからずも意味するからである。逆に言えば、伝統的な人類学だけでは脱コ ンテクスト化された文化事象を取り扱うことはできない。それは現実の学問の生産現場での事実に照応する。たとえば、文学批評家は、植民地をみる眼差しをそ の当時に書かれた旅行記の分析を通して試みることがあるが、現在の観光のイメージを理解するためには、文学批評が洗練されてきたテクスト分析の助けを借り る必要もでてくるだろう。あるいはマヤをはじめ新大陸の考古学のデザインの流通には、その図像を適切に解釈したり、脱コンテクスト化されたデザインが別の 文脈においてどのような美的判断がなされているのかという学問的検討を要する。マヤ遺跡観光は人類学における異種の学問の「流用」を可能にするような格好 の素材を提供している。
越境し流通しているのは現代のマヤの フォークアートやそのコピーさらには古代マヤ文明にまるわるイメージにとどまらない。遺跡から盗掘さ れた土器や副葬品などの流通がある。盗掘品の流通は、それが盗掘品と見なされていない時代からはじまった。米国のジョ ン・ワイズ(John C. Wise, 1902-1981)はニューヨークのマディソン・アベニューのギャラリーで古美術などを扱う商人だった。1930年代の初頭 に、彼はコロンブス以前期の土器や塑像 などの「作品の見本」として輸入しはじめていた。この当時の「古美術品 antique」すなわち盗掘品の相場は、もちろん商品の人気やニューヨークにおける業者の審美眼から導き出されものから決定されてはいたが比較的安価で あった。例えば、メキシコ西部コリマ(Colima)出土とされる犬のテラコッタ像の価格が、ニューヨークで25ドル前後——ただしメキシコでの仕入価格 は2ドルだったからこの時点で値段は10倍以上だった——になっていた。だが、それから20年も経たない1948年には価格はより高騰し、同等のものが、 250ドルから400ドル程度で売られていた。マヤ圏の国々おいては1900年代のはじめごろから文化財保護の法令が制定されはじめ40年代には各国にお いて最初のものが出そろっている。それから30年後、つまり考古学遺物の流通が非合法だということが十分に承知されるようになった1970年代では、当然 のことながらそのような「古美術品」はすでにギャラリーでは展示販売されることはなくなったが、限られた顧客に情報が流され、バイヤーが顧客に直接販売す るような形態が代わりに定着した。このような非合法的な業者の数はニューヨークでも50近くになっていたという(Meyer 1990:30)。
考古学上の遺物はそれが置かれる社会的文 脈で、その受け取られ方が全くことなる。研究室では、研究を生産する素材そのものになるし、博物 館においてはその利用者にとって一種の「礼拝的価値」をもつ(ベンヤミン 1995)。また、同じ博物館でも展示するテーマ、例えば「コロンブス以前期の社会」と「コロンブス以前期の芸術」では、同じ出土品がまったく異なる意味 を担う実体として扱われる、展示者の意図はそれをねらったものである。盗掘品はそれが掘り出された地域や出土状況(地層の位置や他の出土品との関係)と いった考古学的な社会的文脈から外れることによって、まったく別の意味をもち始める。他方で、闇の市場において審美的な価値を担わされた考古学遺物も、学 術的な価値からまったく自由になることはない。盗掘から流通そして購入によって、遺物がその居場所を見いだすまで、考古学上の知識は、盗掘の技術を支え、 また遺物の闇の市場価値にまで影響を与えることがある■7。現地の専門の盗掘屋(saqueador) は、掘り出す作業がいうまでもなく違法で——だだし文化財保護に関連する法律[表1.]は厳しくてもその実際の運用はあまり厳格ではない——、国際的な仲 買業者の手を経なければ価値をもたないことを知っている。脱コンテクスト化されればギャラリーでも堂々と展示することが可能であり、複製と称して販売する ことも可能である。また、メキシコ南部のパレンケ遺跡の通称パカル王のヒスイの仮面のように、一度メキシコの国立人類学博物館から盗難されたのちに、あま りにも著名なために国際的な仲買のシステムに乗らずに、もとのところに返還された例もある。このような遺跡と遺物とそれに関連する事物が、コンテクストに よって多様な意味づけをもつことを記号意味論的に考察してみよう。
言語学者のアルジルダス・ジュリアン・グ レマス(1917-1992)は、意味 論研究(1992)において、特定のテクストのある項目に注目すれば、そのテクストに明示されていない項目が 何であるかを予測発見することを可能にする「意味の四角形」 (semiotic rectangle)という論理的図式を考案した[図1.]。まずある意味体系Sに おいて、 s1とその反対の意味をもつs2を反対の関係にとれば、すなわちグレマスによれば「相反する意味素に分節」すれば、それぞれに対応して矛盾する意味である ‾s1(s1ではない)と‾s2(s2ではない)[→図中ではこれをSの上部に−が引かれた表記形で示している]が、同じく反対の関係として存在すること を示唆することができる。否定の否定は肯定であるから、s1と‾s2、s2と‾s1の間には含意関係がなりたつ。大文字で書かれたSは相反するs1とs2 を分離と接合という二重の関係によってs1とs2を複合的な意味として再定義され、〜SはSと矛盾するものとして、すなわち「意味の絶対的な不在として」 対立することになる(グレマス 1992:156-8)。
すなわちひとつの項目を取れば、その一 方は反対の関係と含意の関係という2つの要素が並び、2つの対角線の要素は矛盾の関係で構築される というものである。これによって一つの項目が決まると他の項目も自動的に決まり、特定のテクストにある一つの項目に注目すれば、テクストに明示されていな い項目が何であるかを予測・発見することができるというのが、グレマスの主張である。
このモデルを流用して、文化遺産として の遺跡(s1)という現象から残りの3つの項目を導出してみることにしよう。まず文化遺産としての 遺跡がしばしば巨大な建築物である——アメリカ大陸の考古学遺跡にはそれが著しい——ことを念頭におくと、その反対は現代建築モニュメント(s2)であ る。現代建築モニュメントの欠如概念は、モニュメンタルなものではないもの(‾s2)であり、文化遺産としての考古学遺物を含意するものである。古代的な ものという意味で遺跡と遺物は含意関係にあると言ってよいだろう。他方「文化遺産としての遺跡に矛盾し、かつ遺物ではないもの」(‾s1)は何であろう か。これにあたるものは現代の宝飾品である。そしてこれは、現代的なものという意味で現代建築モニュメントと関連づけられてい。
グレマスによればSと〜Sはそれぞれ矛 盾の関係にある意味体系である。これらの四角形の要素を眺めてみれば、Sはモニュメンタルな建造物 の体系であり動くことのない不動産の体系でもある。またそれに矛盾する〜Sは価値を担わされた動産という事物の体系であることがわかる。私の議論にひきつ けて考えると、これらの体系間の関係は事物(〜S)とそれが置かれる社会的文脈(S)の関係に対応する。このことが明らかにしたわけだが、ここでさらに事 物と文脈の関係を別の角度から考えて、これらの4つ項目から発見される文化的事象を考察してみよう[図 2]。
私が新たに導入したいのは、異所性(heterotopia, heterotopy)という分析的診断用語である。もともとこの用語は、医学の分野で「内臓が本来の場所とは異なる所にある異常」のことである。異所性 の概念は、生命体の個体発生過程において臓器が配置する本来の場所は決まっているという前提にもとづくものである。これをヒントにして、事物の系列(〜 S)が本来置かれるべき社会的文脈の系列(S)と含意関係をもつ場合と矛盾項の関係をもつ場合について考察してみよう。
1.文化遺産としての遺跡という社会的文脈に置かれている考古学遺物の組み合わせがある(s1と‾s2の関係)。この典型的な例として、 遺跡から発掘されつつ彩色土器について考えてみよう。ここでは学問的鑑識眼によって遺物の価値が決定されると同時に出土品の内容如何では遺跡の学問的位置 づけ、すなわち学問的価値そのものをも変えてしまうこともある。発掘された遺物の偉大さによって、出土した遺跡そのものの価値が格上げされるような場合で ある。
2.遺跡から発掘された考古学遺物が研究室に持ち込まれ分析の対象になったり、また学問上の評価が確立され考古学の博物館に収蔵、展示さ れるような関係(‾s2とs2の関係)がある。これは、考古学遺物が本来あるべき場所(埋蔵されていたオリジナルの場所)から離れて存在している異所性 (矛盾項の関係)である。この異所性には、そのオリジナルの場所との関係において強度の違いがある。つまり考古学博物館は異所性が弱いが、現代美術館には 異所性がより強くなるという具合である。本来の場所である考古学博物館にあるべきような彩色土器が、脱コンテクスト化された状況である政府の迎賓館や現代 美術のギャラリーに存在することを想定すれば、この事態は容易に推測できる(これはs2と‾s1の関係にあたる)。異所性の強度が強いということは、遺物 にとっては疎外状態にあるということである。
3.考古学遺物(‾s2)と「文化遺産としての遺跡に矛盾し、かつ遺物ではないもの」(‾s1)の関係は意味の四角形によると相反項の関 係にあるため、この例として現代の宝飾品を先に挙げた。しかし、これは考古学遺物が異所性の性質をもち、別の価値が付与されたときには、遺物そのものの属 性が変わりうるということを指している。この代表が芸術品としての考古学上の盗掘品である。なお盗掘品の定義は相対的に決定される。ロゼッタストーンのよ うに歴史的に組織的な盗掘結果掘り起こされたと場合でも、事物の異所性よりも固有の価値に力点がおかれることもある(これはs2と‾s1の関係がs2と ‾s2の関係に移行することを意味する)。
4.文化遺産でもなく、遺跡を含意するものでもない社会的文脈に置かれた物の例は、観光客が記念に買い求める彩色土器の複製品や模倣とし てのフォークアートである(s1と‾s1の関係)。おみやげ品は、そこにしか売っていないという理由で購入されることがあるが、それはおみやげ品が遺跡と いう空間領域(s1)に属していることを証明する。しかし、結果として観光客によって自宅に持ち帰えられるわけ(=異所性を増す)であるから、これらの項 目の関係は図式のどおり矛盾項の関係にある。おみやげ品は本来あったところ(制作された工房や売店の店頭)から矛盾した場所を見いだす。これは見方を変え ればコレクションの一員として新しい場所を見いだすことにほかならない■8。複製品が遺跡との関 連性を失い、脱コンテクスト化された彩色土器の複製品が装飾という機能だけになるような場合もある(‾s2と‾s1の関係)。例えば、観光案内所や旅行代 理店に置かれている複製品は脱コンテクスト化された状況にあるが、遺跡観光を演出するだけに機能している(=異所性という概念が意味をもたなくなる)。極 端な例は遺跡にも考古学遺物にも属さなくなった意匠や商標である■9。
これまでの論述を通して、文化遺産としての遺跡や考古学遺物に伝統的に与えられてきた価値に対する社会的合意が得られなくなってきた状況 について紹介してきた。またグレマスの意味の四角形を手がかりにして、事物と事物がおかれる社会的文脈の関係がずれたときに事物の意味が変わりうること を、意味論的に理解可能なかたちで提示することができた。事物というものの価値の社会的合意が崩壊するようになってきた最大の理由は、文化的事物のグロー バルな流通の結果、事物と事物がおかれる社会的文脈のあいだに恒常的な関係を維持することができなくなったからである。このような事物の価値の多元化は、 一方で事物そのものに対する相対的なものの見方をもつことを我々に要求する。つまり事物の価値の多元化は、我々をして事物の物神化から逃れるような認識論 を受け入れるような社会状況をもたらしているといえる。しかしながら他方で、事物にまつわる露骨な政治(=権力)という現実があるということを我々は受け 入れざるをえない。事物の価値は、その社会的文脈によって決定されるものであり、その社会的文脈を定義するものは、事物の固有の価値というものに回帰する ことができない。そのため、事物の価値を決定する社会状況を定義する外的な力を想定せざるをえないからだ。固有の価値が多元化しているという事実は我々を して文化(=知)の物神化への欲望を削ぐものであるが、そのような相対的な認識を持てば、文化の物神化への欲望が抑制されるという単純なことでもないよう だ。また他方で、文化にまつわるポリティクスを考える際に事物という具体的な媒介を通して考えることは、文化の物神化という現象に対して認識論的に距離を とるという効用があるようだが、そのような手続きは今度は逆に政治を事物の中に物神化してしまう危険性を抱え込んでしまう。事物の文化的表象にかかわる社 会的研究は端緒についたばかりなのだと言わざるをえない■10。
●付録
鄭銀珍(じょん・うんじん)1973-『韓 国陶磁史の誕生と古陶磁ブーム』思文閣出版, 2020
博士論文 「近代韓国陶磁史研究 : 浅川伯教・巧兄弟の活動を軸として」 (立命館大学, 2013年) に加筆訂正を加えたもの。その他のタイトルは標題紙裏による。文献目録: p421-437「「高麗青磁」と「朝鮮白磁」に代表される韓国古陶磁。19世紀中葉以降の近代化にともない、在来の日用品的な陶磁器が廃れていく一方 で、古陶磁が「美術品」として「再発見」され、収集、鑑賞、そして研究が本格化した。その中で大きな役割を担ったのが浅川伯教・巧の兄弟である。韓国の人 々とその文化に心を寄せた二人は、民芸運動の創始者である柳宗悦にも決定的な影響をあたえた。浅川兄弟の活動を軸として、近代における韓国陶磁史の誕生と 古陶磁ブームの全容を鮮やかに浮かび上がらせる」BOOK database.
第1部 東アジアの近代化と陶磁産業(近代日本の陶磁輸出—アメリカ、中国、朝鮮;日本産業陶磁の朝鮮半島への進出;日韓両国内の陶磁生産の状
況)
第2部 高麗青磁の再発見とその再現(韓国陶磁研究の始まり;高麗青磁再現史)
第3部 朝鮮白磁の美の発見—民芸運動の萌芽と韓国陶磁産業への展望(朝鮮白磁の美の発見;浅川兄弟の方法論と朝鮮民俗調査;地方への視点—新たな陶磁産
業への展望)
学術調査と古陶磁ブーム
【文書資料】 物神化する文化——文化遺産のグローバルな流 通に ついて, On globalization of the cultural heritage.,池田光穂(IKEDA, Mitsuho), pp.17-28,『三田社会学』2000年7月
オリジナルヴァージョンは慶応大学リポジトリーにあり、ダウンロードが可能になっています。http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AA11358103-20000000-0017
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