はじめによんでください

反逆する自然、癒される自然

Revolting Nature and being healed Nature: On socialization of the concepts on Biodiversity in Japan

池田光穂(大阪大学名誉教授)

この研究は、今日の地球温暖化や絶滅危惧種などの報道において頻出する「生物多様性」の語用論 (pragmatics)に関する文化分析の研究の一環として、〈自然表象としての動物の存在様式と、〈文化〉や〈社会〉の領域を占有している人間の 存在様式のあいだの関係性について考察することを目的としている(Descola & Palsson 1996; Descola 2006)。

1960 年代末から70 年代前半のエコロジー運動の隆盛があるものの、僅か四半世紀前までは、生態学研究(ecological studies)はきわめてマイナーな分野であった。だが1975 年以降、社会生物学を経由した進化生物学理論の影響を受けつつ、生態学はその革命的変貌を遂げつつあった。他方、気候変動(つまり地球温暖化)の観測事実が明らかにな るにつれて、環境汚染問題は地域レベルを超えて大陸や地球レベルで論じられるようになる。生態学者もまたこれらの問題に対して学問的解明のみならず、実践 的な役割を期待されるようになっていく。

1970年代にシステム生態学を基幹とする保全生物学(conservation biology)の精緻化がすでに進行していたが、1980年代以降とりわけ90年代では生物多様性(biodiversity)という生態学理論の基本 分析概念が、地球と地域レベルの環境保全を語るための重要な用語として、専門家間の流通を超えて、自然保護主義者、エコツーリスト、先住民支援者、多国籍 製薬企業、生物資源大臣、そして市民にまで膾炙するに至った。

現在では「生物多様性」は環境保全とほぼ同義の使われ方がされ、環境的健全さの指標のみならず途 上国の資源管理、生物盗賊(biopiracy)や伝統的生態学的知識(TEK)、さらにはEUを中心とする先進国での動物権利(animal rights)の浮上など多義的な表象を、市民に対して単一用語で容易に想起させる意味で「基幹的隠喩(root metaphor)」(Turner 1974)になった。これらの社会的過程を私は「生物多様性概念の社会化」と呼びたい。これは今日、生物多様性概念(BD)を初めて学んだ人たちからしば しば聞かれる「BDとは人間中心主義的な概念ではないのか」という意見のとおり、自然概念の文化化(enculturation of "Nature")とも言える。

この研究では上記の過程の一端を、2010年10月名古屋市で開催された生物多様性条約締結国関 連会議(CBD-COP10/MOP5, Nagoya 2010)とそれに関連した市民行事、とりわけ先住民とCOP10関連のアクティビスツの関連行事、日本の生態学者が参加する学会や学術会議、個別生態学 者との接触を通してこれまで調査してきた。発表者はこれと前後して、本発表の研究に関連付けつつ「実験室における社会実践の民族誌学的研究」(科研・萌芽 研究・H18-19・代表者:池田光穂)や「人間と動物の関係をめぐる比較民族誌研究:感覚とコスモロジーからの接近」科研・基盤研究・H20-23・代 表者:奥野克巳)において、急速な環境保全意識——生物多様性の保全と密接に関係性をもつ——の世界的な広がりのなかで、〈自然の表象〉としての野生・飼 育を問わず〈動物の存在〉が大きく変化しつつあることを実感してきた。

その状況は端的に表現すると、重要な〈他者としての動物〉の登場に他ならない。人間は元来狩猟や 家畜化を通して種別概念として動物を非連続性(例:屠畜)に取り扱い、生存のために動物を必要とするために生活上の連続性を維持(例:TEK)ということ を同時に使い分けてきたが、これまで過小評価されたり問題なく管理されてきたはずの〈他者〉としての具体的な動物の現前の影響力は増すばかりである。


Otamatea はニュージーランド北東の町

言うまでもなくBDの概念と用語は元来は生態学上の理論であり、また今日では地球温暖化防止の二 酸化炭素排出権概念と共に環境保全のためのグリーンエコノミー&ポリティクスにおける国際政治経済用語でもある。そこには一見、〈他者としての動物〉が登 場する余地は無いように思われる。しかしながら特定外来種の駆除や希少野生種保全のため輸入における〈動物種のナショナル化/人種化〉、ペットを家族とし て同様な地位を与える意見(=両者の連続性)と各地の「動物愛護関連施設」で大量殺処分(=両者の圧倒的な非連続性)の同時進行など、それぞれ興味深いに も関わらず解釈が待たれている人類学上の課題も多い。奇しくもCOP10サイドイベントでは辺野古沖移転反対のためにジュゴンやサンゴ保全の政府アセスメ ントを糾弾する集会(=非連続存在の都合のよい流用)があり、ツイッター上では期間中に頻発した野生熊が里に降り危害を加えるのはこれまでの紋切り型の 〈森林の荒廃〉批判に加え人間中心的なCOP10に「野獣(=熊)が抗議行動している」という主張(=直接行動する連続的存在)すら現れた。

 これらの現象はBDという文脈——宇宙論的直示を可能にする——の登場により、従来の自然と文 化(社会)の二元論が理論として破綻したとか議論生産のためのツールとして陳腐化したというよりも、その二元論を前提にして2つの領域が駆け引きしたり、 相互侵犯が頻繁に起こり相互に〈破れ〉たり〈修繕〉されたりする不安定な領域間ダイナミズムとして理解することの必要性を雄弁に語っている。

リンク

  • ︎持続可能性の意味と医療人類学「持続可能性」イデオロギー入門︎▶︎︎気候モデル(ウィキペディア)▶気候変動に関する国際連合枠組条約(ウィキペディア)▶排出権取引︎︎(ウィキペディア)▶気候変動(つまり地球温暖化)︎▶︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎
  • 「哺 乳類目次」侵入生物データベース(国立環境研究所)
  • 文献

    1. 池田光穂:沖縄のジュゴン (学名 Dugong dugon)と辺野古基地移設反対運動
    2. 池田光穂:生物多様性概念の 社会化の研究
    3. 池田光穂:生物多 様性
    4. もっとリン クをみたい方はこちらです:人間と動物の関係性 に関する文化人類学的考察
    5. エリック・ホッファー「自然の回復」『現代という時代の気質』柄谷行人訳、所収、 Pp.105-129、筑摩書房(ちくま学芸文庫)、2015年

    解説:池田光穂

    Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099

    科学研究費補助金(挑戦的萌芽研究)22650211