近代生態学の流れ
Historical Trend of modern concept of ecology
エコロジーすなわち生態学は新しい科学であ り、生物学の重要な一分野と考えられている。エコロジー思想は、哲学、特に倫理学と政治学の確立された流れから派生したものである[2]。 その歴史は4世紀にまで遡る。著作が残っている最初の生態学者の一人はアリストテレスか、あるいはその弟子のテオフラストスであろう。テオフラストスは紀 元前4世紀には動物と環境の相互関係を記述していた。すぐにアレクサンダー・フォン・フンボルトが登場し、彼の植物地理学の研究が始まった[5]。チャー ルズ・ダーウィンの業績も生態学に貢献し、ダーウィンは生態学の若い歴史の中で誰よりもこの学問を発展させたとされる。20世紀初頭、生態学思想はさらに 拡大した:生物圏に関するエドゥアルド・スースとウラジーミル・ヴェルナドスキーの研究、アーサー・タンスレーの生態系、チャールズ・エルトンの動物生態 学、ヘンリー・カウレスの生態学的連続性などである[8]。 生態学は社会科学や人文科学にも影響を与えた。ヒューマンエコロジーは20世紀初頭に始まり、人間を生態学的要因として認識した。その後、ジェームズ・ラ ブロックがガイア仮説を提唱し、地球をマクロな有機体としてとらえるようになった[9][10]。シェルフォードとESA、国家環境政策法、ジョージ・ パーキンス・マーシュ、セオドア・ルーズベルト、スティーブン・A・フォーブス、ダストボウル後の自然保護など、重要な人物や運動がある。20世紀後半、 世界各国政府は生物圏と地球環境に対する人間の影響について協力した。 エコロジーの歴史は、自然保護や修復活動の歴史と絡み合っている[11][12]。
★より詳しくは「生態学史」を参照してください。
22. 近代生態学の流れ
【前史】
・19世紀初頭に細胞説が席巻し、自然保護と密接につながる博物学(Natural History)の伝統が大学の伝統からは一時衰退する。博物学の伝統を復権し たのがダーウィンの進化論(リンネ学会発表1858:『種の起源』初版1859)で、これをベースにして生態学が科学的装いをもって登場する(すこし、話 が旨すぎるかも?)。
・19世紀後半の生物学は、生命観の基礎に目的論的な考えが濃厚に投影されている。
・当時の生物学者は、自然科学(博物学)的な研究の中に、ある種の「生命哲学」を込めておこ なう傾向があった。その例としてのヘッケル『生命の不可 思議』岩波文庫[1928]がある。したがって、ライアル・ワトソンのような学者は生態学のオカルト化の結果でてきたものではなく、むしろ近代化する以前 の目的論的な博物学的生態学からみれば、その古典的な流れの一つとみなすことができる。
・生態学は、生理学のサブディシプリンである関係生理学 Beziehungsphysiologie、つまり生物と周りの環境の関係を生理学的にアプローチする分野として 出発した。最初の命名者はヘッケル(Haeckel,1866)
・ヘッケルの生態学(エコロギーまたはビオノミー)とは「生活する有機物の外界に対する 関係、その住処、その生活上の習慣および仲間、害敵、寄生虫、その他 に関する学問」(『生命の不可思議』上:90:訳文改変)
・沼田真によると、上記のような古典的な生態学の目的論的な思考から「意識的に」脱却したの は米国の植物生態学で1910年代であり、コウルスの植物生 態学の教科書(1911)に詳しいという(沼田,1994:30)。
【近代生態学】
生態学の理論化・数量化傾向
ナチュラリスト的事物収集から理論化・数量化傾向
植物学:実験生理学の野外化[生理生態学/植物生態学領域のひとつの流れ]
動物学:進化を基調にした行動生態学から/エソロジーと個体群生態学への二大分極化
1960年代の環境科学としての生態学の登場
北米の環境プロジェクト/連邦宇宙局
IBP (International Biological Program; 国際生物学事業計画1965-1972)/地球上の生態系における生物 生産を測定、 今日の生態系把握のためのスタンダードになる。
(参考文献:当時IBPの自然保護部門にいたニコルソンは1970年に The Environmental Revolution を刊行)
・IBPの日本側の成果は、『自然保護ハンドブック』東京大学出版会、英文報告書(同出版 会)。
・IBPの思想
(1)野外での記録を研究室において解析[時には実験室内で再現/還元としての要素資料]
(2)資料の理論化・数量化→普遍的法則、進化(安定と動態)モデルの構築
・1972年ストックホルム国連人間環境会議で、IBPを引き継いで「人間と生物圏 Man and the Bioshere」計画が提唱しユネスコが推進。
International Biological Program
International
Biological Program, from Wikipedia "The International Biological Program (IBP) was an effort between 1964 and 1974 to coordinate large-scale ecological and environmental studies. Organized in the wake of the successful International Geophysical Year (IGY) of 1957-1958, the International Biological Program was an attempt to apply the methods of big science to ecosystem ecology and pressing environmental issues." "The IBP was organized under the leadership of C. H. Waddington beginning in 1962 and officially started in 1964, with the goal of exploring "The Biological Basis of Productivity and Human Welfare". In its early years, Canadian and European ecologists were the main participants; by 1968, the United States also became heavily involved. However, unlike other more successful applications of the big science model of scientific research, the IBP lacked a clear, socially and scientifically pressing goal. Many biologists, particularly molecular biologists and evolutionary ecologists, were sharply critical of the IBP, which they viewed as throwing money at ill-defined or relatively unimportant problems and reducing the freedom of scientists to choose their own research projects.[1]" "The main results of the IBP were five biome studies, the largest of which were the Grassland Biome project and the Eastern Deciduous Forest Biome project (both of which had ties to Oak Ridge National Laboratory, which provided tracer isotopes for nutrient- and energy-flow experiments). Though the impact of these studies was modest, the IBP marked a dramatic increase in the scale of funding for ecosystem ecology, which remained high (relative to earlier levels) even after the conclusion of the program in June 1974. Far more influential than any of the IBP biome studies was contemporary Hubbard Brook ecosystem study of 1963-1968, which—lacking the hierarchical organization of IBP projects—grew gradually according to individual scientists' interest and involved more informal collaboration.[2]" "One of the most influential IBP projects in Europe was the Solling Project in Lower Saxony (Germany), led by Heinz Ellenberg. Evidence from here proved decisive in the 1980s to track down Acid Rain as major cause of Forest Decline." "In tropical areas, the LAMTO project held by French professor Maxime Lamotte in Ivory Coast provided a thorough analysis of the savannah energy budget and a profound knowledge of almost all biodiversity present in this savannah." 1) Hagen, An Entangled Bank, pp. 164-172 2) Hagen, An Entangled Bank, pp. 175-186
| 国際生物学プログラム、ウィキペディアより 「国際生物学プログラム(IBP)は、1964年から1974年にかけて、大規模な生態学および環境学の研究を調整するための取り組みだった。1957年 から1958年にかけて成功を収めた国際地球観測年(IGY)を受けて組織された国際生物学プログラムは、ビッグサイエンスの手法を生態系生態学や差し 迫った環境問題に適用しようとする試みだった。」 「IBPは、C. H. ワドディングトンの主導で1962年に組織され、1964年に正式に開始されました。その目的は、『生産性と人間福祉の生物学的基盤』を調査することでし た。初期の段階では、カナダとヨーロッパの生態学者が主な参加者でしたが、1968年までにアメリカ合衆国も積極的に参加するようになりました。しかし、 他のより成功した科学研究のビッグサイエンスモデルとは異なり、IBP には、社会的、科学的に緊急の明確な目標が欠けていた。多くの生物学者、特に分子生物学者や進化生態学者は、IBP を、定義が曖昧で比較的重要ではない問題にお金を投じ、科学者が自分の研究プロジェクトを自由に選択する自由を制限するものだと批判した。[1]」 IBP の主な成果は 5 つの生物群系研究で、そのうち最大のものは草原生物群系プロジェクトと東部落葉樹林生物群系プロジェクトだった(いずれも、栄養分およびエネルギーの流れ の実験用にトレーサー同位元素を提供したオークリッジ国立研究所と関係があった)。これらの研究の影響は限定的だったが、IBPは生態系生態学への資金規 模の劇的な拡大を象徴し、プログラムが1974年6月に終了した後も、資金規模は以前の水準に比べて高い水準を維持した。IBPのバイオーム研究よりもは るかに影響力があったのは、1963年から1968年にかけて実施されたハバード・ブルック生態系研究で、IBPプロジェクトのような階層的な組織を持た ず、個々の科学者の関心に応じて徐々に拡大し、より非公式な協力関係に基づいて進められた。[2]」 「ヨーロッパで最も影響力のあるIBPプロジェクトの一つは、ドイツのニーダーザクセン州でハインツ・エレンベルクが率いたゾーリングプロジェクトだっ た。このプロジェクトで得られた証拠は、1980 年代に森林減少の主な原因である酸性雨を追跡する上で決定的なものとなった。 熱帯地域では、コートジボワールでフランスのマキシム・ラモット教授が実施した LAMTO プロジェクトが、サバンナのエネルギー収支を徹底的に分析し、このサバンナに存在するほぼすべての生物多様性に関する深い知識をもたらした。 1) Hagen, An Entangled Bank, pp. 164-172 2) Hagen, An Entangled Bank, pp. 175-186
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Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099
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