エコツーリズム研究リソース
Research Database on Ecotourism and
Anthropology of Tourism
(全文編)提供:池田光穂
このページを利用される学生・研究者ならびに企業研究者が、エコツーリズム振興とその高邁な精神 をひとりでも有効に活用できるようにこのページを公開しております。論文や報告書、あるいは口頭発表における引用の際には、その旨をこのページの作成者ま で報告していただければ、幸甚です。もちろん、生産的な批判も大いに歓迎します。
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1. ホエール・ウォッチングの七不思議 ◆[ホエール・ウォッチングの七不思議]
3. 持続性(sustanability)の概念 ◆持 続性(sustanability)の概念
6. エコツーリズムと黄金の卵(エッセイ)◆ エコツーリズムと黄金の卵(エッセイ)
7. コスタリカのエコツーリズム◆ コスタリカのエコツーリズム
10. エコツーリズム関連機関名とその略称◆ エコツーリズム関連機関名とその略称
11. エコツーリズム語彙(スペイン語)◆ エコツーリズム語彙(スペイン語)
12. ヒント集(エコツーリズム)◆ ヒント集(エコツーリズム)
13. コスタリカの科学観光◆ コスタリカの科学観光
14. 保護が引き起こす環境変化◆ 保護が引き起こす環境変化
15. エコツーリズムの定義◆ エコツーリズムの定義
16. 文献・エコツーリズム◆ 文献・エコツーリズム
17. エコ開発/エコディベロップメント◆ エコ開発/エコディベロップメント
18. ネヴァダの滝めぐり:観光の表象分析◆ ネヴァダの滝めぐり:観光の表象分析
19. ポストモダン状況におけるエコツーリズム◆ ポストモダン状況におけるエコツーリズム
2201 生態系/システム的生態学◆ 生態系/システム的生態学
23. 環境科学のなかのアマゾン◆ 環境科学のなかのアマゾン
2301 ブラジル東北部における慢性的な降雨の減少◆ ブラジル東北部における慢性的な降雨の減少
2302 熱帯林の脆弱性の神話?◆ 熱帯林の脆弱性の神話?
2303 保全をめぐる専門家の2つの意見◆ 保全をめぐる専門家の2つの意見
24. 資源管理の最大持続収量◆ 資源管理の最大持続収量
25. カーソン『沈黙の春』◆ カーソン『沈黙の春』
26. オースター『ネイチャーズ・エコノミー』◆ オースター『ネイチャーズ・エコノミー』
27. ファレルとランヤン「生態学と観光」論文◆ ファレルとランヤン「生態学と観光」論文
28. イルカの知的行動:その記述と解釈◆ イルカの知的行動:その記述と解釈
29. エコツーリズムのジレンマ◆ エコツーリズムのジレンマ
30. 環境教育のドミノ理論◆ 環境教育のドミノ理論
32. 「あなたの『エコロジー度』をチェックする!」 ◆ 「あなたの『エコロジー度』を チェックする!」
33. スミソニアン熱帯研究所◆ スミソニアン熱帯研究所
34. マスツーリズム――エコツーリズムの鏡◆ マスツーリズム――エコツーリズムの鏡
35. 知性的存在としてのクジラとイルカ ◆ 知性的存在としてのク ジラとイルカ
3501 批判的意見――知性的存在としてのクジラとイルカ◆ 批判的意見――知性的存在としてのクジラとイルカ
36. エコの用語をめぐって(エコツーリズム批判を含む)◆ エコの用語をめぐって(エコツーリズム批判を含む)
3601 環境テロリストとエコ・ポルノ◆ 環境テロリストとエコ・ポルノ
38. 余暇社会におけるエコツーリズムの位置 ◆ 余暇社会におけるエコ ツーリズムの位置
39. 世界のエコツーリズム ◆ 世界のエコツーリズム
40. マヌエル・アントニオの悲劇◆ マヌエル・アントニオの悲劇
41. フィクションのなかのクジラ目◆ フィクションのなかのクジラ目
42. クジラとイルカで儲ける◆ クジラとイルカで儲ける
※これ以外にもいろいろ項目があります。スクロールして眺めてください(要時間)。
(1)どうして日本でホエール・ウォッチングが流行るのか?
(2)どうして西洋開発国でホエールウォッチングに人気があるのか?
(3)どうしてかつて捕鯨に従事していた人が、ホエール・ウォッチングをはじめるのか?
クジラに関する知識やノウハウをもっている?
(4)クジラおたくは、どうしていろいろなクジラをみたくなって世界を駆けめぐるのか?
(5)どうして、反捕鯨の人たちが、お節介なことにクジラをみて喜ぶという習慣を世界中に広めようとするのか?
(6)クジラウォッチャーは、意外と辛抱強くなく、クジラがいなくなると、そこにはどとまらずに家へ帰ってしまうのだろうか?
(7)どうして、クジラウオッチャーは、自然保護と研究と趣味を上手にリンクして、それを楽しみに変えてしまうのだろうか?、彼らは魔法の使い手か?
(番外)どうしてIWC加盟国にホエールウォッチングが普及しているいっぽうで、非加盟国には人気が少ない、あるいは知られることが少ないのはなぜか?、 本当は反対のような気がするのになぜだろう?【註】
(1)1995年度熊本日々新聞主催の夏の読後感想文コンクールの小学4・5年の課題書は中村庸夫(なかむら・つねお)『クジラはなぜ歌う』旺文社、 1990年。中村庸夫(1949~)は(株)ボルボックスを経営する。
(2)「西欧の動物に対する取り扱い方は、その動物に好ましい性質をあてはめるかどうかによって大きく影響される。例えば、一九六〇年代に登場したイルカ の行動に関する多くの非科学的な論文が、たしかに「われわれがやっと克服し始めた宗教的狂信に近い」(Prescot 1981:131)誤った考えを広める結果となった。」(フリーマン編『くじらの文化人類学』p.142)
(3)日本におけるホーエル・ウォッチングの急成長は、西洋のウォッチング推進者にとっての驚きであった。世界屈指の捕鯨国であり、また調査捕鯨を通して 頑なに捕鯨を続けているという日本に対するステレオタイプにとってあまりにも対照的な出来事だったからである。しかし、沿岸捕鯨の民族誌的な調査(フリー マン編『くじらの文化人類学』)が明らかにした象徴的食物としての鯨肉や鯨供養などによって、肉の消費と動物に対する親しみが相反するものではないことを 示している。
(6)ニュージーランドにおける経験によると、海上の天候不良などによってホエール・ウォッチングが中止になると、そのまま別の観光地にでかけるものが多 いという。報告書は、観光客の歩留まりをするための施設やイベントなどを推奨している。(→『ホエール・ウォッチング読本』参照)
・はじめの自然保護思想には「多様性」概念はなかった。
・生態学的に言えば、生物の多様性は生態系の安定に寄与するというのが一般的な説明である。
・「生物多様性条約」は地球サミット(1992)で採択された。この場合の多様性は、生態学的な多様性のみならず、生物群集、種、そして生物の遺伝子など の多様性も含まれる。
・この多様性の論理から、生物の集団における遺伝子の系統なども保存の対象になる。すなわち、北洋と南極海のミンククジラでは、遺伝子の交換が不可能なほ ど離れており遺伝子の構成も異なる。また同じ海域でも、遺伝子分析によって系統が異なる集団が同定されており、これもそれぞれ保存の対象になる。
・持続性=サスティナビリティの概念を早い時期に表明していたのは、ワールドウオッチ研 究所所長のレスター・ブラウンで1981年には『持続可能な社会の建設にむけて』を発刊していた。(沼田真『自然保護という思想』岩波新書、1994: 91)
・ケニアのNGO、the Environmental Liaison Center によるSustainable Development の概念は、(a)生態学的に健全であること、(b)経済的に価値があること、(c)社会的に公正であること、(d)文化的に適切であること、そして(e) 人間的であること、と性格づけている。[ELC,1985:22](Farrell and McLellan,1987:8よりの引用)
ELC, 1985, Sustainable Development. Nairobi: ELC.
・環境保護運動家の役割
「タマウリパスの鴨猟区やラーゴス・デ・モンテベージョ(南西部の湖沼地帯)のような多くの事例で、観光という潜在的な所得創出能力は、環境面での国際協 力を支持するように現地の政治勢力を動員するのに決定的な要因であった。‥‥。その他の自然的歴史的宝(考古学的遺跡、天然の洞窟、湖、海岸線など)を人 間の破壊から守ろうとする努力は、行政的・金融的支援が不足していて、系統だったスタッフの訓練計画がなかったために部分的にしか成功しなかった。」 (p.61)
・政策そのものの失敗
「つまり、環境悪化の最悪の結果のいくつかを修正しようとする政府の介入は、問題を逆転させるどころか、抑えるのにさえ、効果的ではなかった。状況があま りにも深刻になったので、新大統領は[1988年、サリーナス]は首都における環境問題を自分の政府の最優先課題であると宣言するにいたった。」 (p.64)
・エコロジー運動と国際協力
「民間団体の努力で最も成功したのは、メキシコのグループが外国の団体と協力した場合であった。最も有名な二つの例は、渡り鳥や魚のような長距離を移動す る動物種を保護する自然保護区の創設であった。コククジラ(バハ・カリフォルニアとコルテス海)とオオカバマダラチョウ(ミチョアカン)がそれである。そ の結果、両保護区とも、観光業が栄え、何千人もの観光客が自然観察に訪れる一方で、定期的なサイクルの一部としてメキシコにやってくる動物種の保護もなさ れるようになった。」(p.72)
・住民と観光客とのギャップ
「しかし、観光客の多くの豊かさは、これらの[註:バハ・カリフォルニア,ミチョアカン]両地域に住む人の貧しさや、保護区を維持する努力の一部として 自分たちの社会を再編することに対して彼らが受け取る報酬の少なさと著しい対照をなしている。ミチョアカンでは、現地住民は狭くて汚い道路の改修工事と飲 用水と電気を見返りに与えられた。しかし、彼らは、自分たちで組織して観光施設を建設する経験も資金ももっていないので、外部者の訪問の質を改善すること も、もっと多くの雇用を作り出すことも、観光支出のほんの少し多くの割合を手にすることもできないのである。」(pp.72-3)
・海亀とイグアナ
「巨大海亀を保護・研究しようとする類似の努力が太平洋でさなされつつある(Alvarado and Figueroa 1988)。ミチョアカンでは、運動の組織者のたちは、地域の人々をプロジェクトに統合することによって運動を強めようとしている。彼らは海亀漁に代わる 雇用と所得の新たな源泉としてイグワナ農場の創設の可能性を検討している。すなわち、彼らは、共同体(結局のところ、保護努力の社会的基盤に他ならない) の維持のための代替的源泉を生み出しながら、動物保護区を作り出す努力と両立する「エコロジカル・ツーリズム」(環境を破壊しない観光)の概念を発展させ ているのである。このプロジェクトは、まだ概念の段階ではあるが、そのような展開の可能性を示すと同時に、現存の生産機構の枠組み内で代替策を見いだそう とする際に、地域組織が直面する困難性をも示すものである。」(p.73)「第2章開発戦略と環境悪化」
D・バーキン『歪められた発展と累積債務』訳書,pp.59-79
池田光穂
地球環境問題が深刻になりつつある現在、人類文明が環境と調和してゆくこと、すなわち 「地球にやさしい」というスローガンを我々はしばしば耳にするようになった。そのような状況のもと、従来の「観光開発」が行ってきた地球環境に対する否定 的な効果を反省しようとする機運がこのところますます高まってきたことは言うまでもない。
他方ヘッケルの「生物(界)の経済」という構想から生まれた生態学は、ヨーロッパにおける植物を中心とした景観相の把握、さらには英米におけるモデル化 および数量化という革新を通して西洋近代の自然観の影響を受けつつも、同時に創出された理論が社会にフィードバックし彼らの自然観の形成に多大なる影響を もたらしてきた。
「エコツーリズム」とは、そのようなエコロジー(生態学)とツーリズム(観光)が合成された用語であり“生態観光”と言うべきものである。自然保護サイ ドから観光開発サイドまで、エコーツリズムの定義には、概念づける人たちの理念やポリティクスが絡まって多様なものがみられる。いづれにせよ、観光の目的 地となる自然および社会的環境の保全と尊重を第一の課題とし、その土地に住む人びとの持続可能な開発(sustainable development)をも図ってゆこうというものである。
スコットランドにおいて訪問者が守るべき規約をまとめたカントリ・コード、会員が10万人にもおよぶスイス自然保護連盟が運営するエコロジー・センター の夏期講座、国立公園外の田園地域を保全する米国のグリーライン・パーク計画、中米コスタリカにおいて国立公園の周辺地域で研究調査をするのための“観光 地”として位置づけるNGOグループの「科学的観光」計画、など全世界の各地で様々な試みがすでに始められている。
このようにエコツーリズムの諸実践を概観すると、観光には虹色の未来が開けているかのように印象づけられる。だがそのような理念と実践が生まれてきた背 景にはいろいろな苦渋や失敗があったし、このような一連の試みに十分な将来性があるかというと疑問な点も多い。エコツーリズムが抱える最大のアポリア(難 問)とは、保守保全の発想に基づいた“自然保護”と異種の環境に人類が進出する“観光”が果して両立可能であるか?、ということだ。
エコツーリズム開発に伴うこのようなジレンマを表現するのにしばしば“黄金の卵を産む雌鶏(あるいは鵞鳥)”の比喩が使われてきた。この例えでは、豊か な自然は“雌鶏(鵞鳥)”そのものである。雌鶏自体は特に変わったところはない。一見どこにでもみつけることのできる鶏と同じなのだ。そこには“人間に与 えられたもの”--少なくとも人間はそう信じている--としての自然環境の遍在性を知ることができる。そして我々は、そのような当り前の事実をつい見落と しがちである。
“黄金の卵”とは、持続可能な開発を続けることによって得られる富の隠喩である。それは雌鶏に餌をやり世話をし続けることによって、まさに“持続的な 富”を享受することが可能になるからだ。環境容量を超えたエコツーリズム開発とは、まさに雌鶏に黄金の卵を産み続けることを過剰に強要することであり、ひ いては雌鶏を殺してしまうことにつながりかねない。黄金の卵を待つことなく、鶏を殺して食べてしまうことは、従来の「環境破壊=人工環境への改変」型の開 発パターンであったというわけだ。
この比喩は、欧米で一般人むけの環境保護教育などでしばしば使われるという。私自身はコスタリカのエコーツリズムに関する事前調査をしている過程のなか で、この種の話を初めて耳にした。日本の自然観の中で育ち、欧米で生まれた生態学の基礎教育を日本の大学で受けたことのある私にとって、この種の比喩は論 理的な展開をとったストーリーとして十分理解できるし、有益な話であると信じている。
にもかかわらず、常に違和感を禁じ得ないのはその比喩の事物である。我々にとって“統制不能”として信じられる自然のイメージ--生態学はその脅威の片 鱗を明らかにするにすぎない--を、雌鶏というきわめて卑近な存在に例え、黄金の卵という富を収奪する手段として位置づけたことである。
このような一見取るに足らないような“印象”を取り上げてみても、彼ら自身が鏡になって我々自身の環境観を窺い知ることができるのである。エコツーリズ ム現象そのものを研究することは、欧米における生態学概念の形成、エコロジー運動とその自然観、持続可能な開発に対する各国の受容パターンの多様性などに ついて、豊富な情報を得ることにつながるのである。それが我々にとって、もうひとつの“黄金の卵”であることはもうすでにお分かりになられたことであろ う。
1990年の同国への外国人訪問者数435,030で、これは前年度比の15.7%の成 長。外貨総収入2億6600万ドルのうちの半額が観光収入にしめる。
中央アメリカ最大の観光立国であるコスタリカ共和国において、エコツーリズムは観光関 係者において最も関心が求められている領域のひとつである。
しかしながら、この最大の観光先進国においても、エコツーリズムの概念・哲学・方法などについては多様な意見が存在している。
コスタリカにおいてこの新しい観光の概念が容易に受け入れられた背景として、それ以前の観光客(おもに合衆国を中心とする)の受け入れの歴史、自然公園 の整備、および70年代以降のエコロジー/生態学概念の受容などがあげられる。それゆえにコスタリカ国民のあいだに環境保護の用語や概念が(”民俗的用 法”において)比較的広範に受け入れられている。また、この国こそがそのような観光を押し進めてゆくという期待と自負があることも、ごく普通の人々の会話 の中からも容易に窺い知ることができる。
にもかかわらず(あるいは、それゆえにこそ)実際のエコツーリズムを支持し、直接かかわってゆく政府(天然資源省国立公園局)や民間調査機関あるいは NGOなどの機関の関係者のあいだには、エコツーリズムのイメージばかりが先行して、着実な「支持可能な観光開発」についての具体的なデータが不足した り、それぞれの機関の連絡系統の不備、エコツーリズムにおける総合化に関するコンセンサスの不足などを異口同音に発している。
例えば国立公園局では、公園利用者の増加(特に外国人観光客)に伴う周囲の環境破壊などについて懸念を表明すると同時に、実際に最大どの程度の観光客を 受け入れることができ得るのか、という環境収容力(carrying capacity)についての具体的なデータを求めている。
またコスタリカの自然保護運動の特徴として、NGO関係の諸機関が国立公園周辺に独自の保護区域や調査地域を保有しており、それを公開していることであ る。このようなプロジェクトの代表的なものとしてOTS(Organizacion de Estudios Trpicales/ Organization of Tropical Studies)がある。OTSはこの国において科学的観光(Turismo Cientifico)を推進している。これは、コスタリカの自然環境を”科学的調査に便宜する地域/国”として位置づけ、そこに訪れる科学者、学生、調 査関係者などの招請を誘致するものである。すなわち、受け入れ側はそのような便宜を図ることによって、この国の自然環境に関する知識の蓄積に寄与させると ともに、国際社会における知名度の向上に貢献(”象徴資本の蓄積”?)させようとするのである。
エコツーリズムを含みかつ、それに重要性をもたせた、地域野生生物保護プロジェクト。 参加国はベリーゼ、グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、およびパナマである。パンテーラ(pantera)とは、中米の 豹であるパンサーのスペイン語であり、北米と南米の両大陸を結ぶ地峡地帯のユニークで多様な生物種を代表させるシンボルとして採用されている。
プロジェクトは5年まえに始まった(1988年??)が、大きく2つの問題を抱えている。第一は、大きく広がっていた森林が分断されために、植物と動物 の生物相が危機にさらされていること。第二に、海洋生物の乱獲や海岸部における汚染の問題、である。
プロジェクトは、保護地域の土地購入やその運営、環境教育の促進、(要請のあった)地域共同体との共同事業、地域開発のための利益の導入? (Channel profits into economic development)などからなる。
・プロジェクト地域は、ルータ/ムンド・マヤ地域とオーバラップする。
グアテマラ・ティカルを含む the Maya Biosphere Reserve
ベリーゼの Barrier Reef, Maya Mountains
ホンジュラスの la Biosfera del Rio Platano
ニカラグアの Bosawas 雨林
コスタリカの Si-A-Paz/Tortuguera
パナマの Bocas de Toro の保護区
◆連絡先
Mesoamerican and Caribbean Program, Wildlife Conervaion International, 4424 NW, 13th St., Suite A-2, Gainesville, FL 32609,USA., T(904)371-1713, Fax(904)375-2449:またはAlfredo Toriello, 7a Avenida 14-44, Zona 9, Guatemala City, Guatemala, T(502)2-340-323, Fax(502)2-340-341(後者はMundo Maya の問い合わせ先でもある)
【高度な社会性】
エコツーリストは、ともすればよく思われがちな厭世家=人間嫌いではないようだ。エコツーリズムに参加する人々は、おしなべて社交性があり、協調性が欠 けるというような特徴は見受けられない。
またエコツーリズムに参加する動機は、きわめて社会的な価値観に裏づけられたものである。すなわち、身体的に活発であること、新しいライフスタイルを求 めている、異文化の人びとを同行者にもつ、同じ価値観をもった人びとの集まりができあがる、時間を有効に利用して最大限の自然に親しもうとする、などは、 彼らの行動な社会性・社交性を最大限に引き出し、また強化するものである。【自然に高い価値観をおく】
カナダでの調査研究によると、エコツーリストは一般の観光客にくらべ、(言うまでもないことだが)熱帯林、鳥類、樹木、野生の花などの野生生物に興味を もつ一方で、ギャンブル、遊園地、ナイトライフ、スポーツ鑑賞、リゾート地、何もしないこと、などに低い価値しかおかない(Eagles 1992)。
【英語】
ELC: the Environmental Liaison Center, in Nairobi(NGO)
IUCN: International Union for the Conservation of Nature and Natural Resources
OPED: Organization for Economic Cooperation and Development
PATA: Pacific Area Travel Association
UNEP: United Nations Environment Program
WTO: World Tourism Organization
WWF: World Wildlife Fund
11.【スペイン語】
Instituto Panos (不詳):Hacia una Centroamerica verde 参照
UICN :la Union Mundial para la Naturaleza ;IUCN en ingles?
ORCA :la Oficina Regional para Centroamerica de la UICN
REDESCA :la Red Centroamericana de ONGs ambientalistas
CEPAL:
CADESCA:中米経済社会開発支援委員会(中米紛争の域内要因の解決支援を目的にコンタドーラグループのイニシアチブで9年前:1983?に創設され
たSELAのタスクフォース)
SELA:
CCAD:環境と開発に関する中米委員会(1989年創設。中米首脳会談による地域機関。中米のほかにパナマとベリーズが加盟)
CONAMA:国家環境委員会(中米各国で名称異同あり)
SI A LA PAZ:ニカラグア政府とコスタリカ政府が共同して、グラナダからニカラグア湖、サンファン河からカリブ海へいたるエコツーリズムの計画
【語彙】
recursos naturales 天然資源、自然の恵み
recursos disponible 自由裁量可能な資源
conservacion 保存、維持、管理
ecoturismo エコツーリズム
ecoturismo interno 内的エコツーリズム
ecoturismo regional 地域的エコツーリズム
turismo cientifico 科学的ツーリズム
turismo para los aficionados de la naturaleza
エコツーリズム(自然愛好家のためのツーリズム)
aficionados アマチュア、愛好家
naturaleza 自然、天然
visitante 訪問者、客
ONG: Organizaciones No Guvernamentales 非政府系機関(NGO)
medios de comunicacion de masas マスコミュニケーションメディア
capacidad キャパシティー、環境包容力(carrying
capacity)
impacto ambiental 環境インパクト
oportunidad de invacion (環境への)侵入の機会
desarrollo 開発
desarrollo integrado 統合された開発(integrated development)
desarrollo sostenible 持続可能な開発(sustainable development)
desarrollo no sostenible 持続不(可)能な開発
areas protegidas 保護地域
prioridad プライオリティー
legislacion 立法
inversionistas 投資家
inversion 投資
financiamiento 融資、資金調達
aprovechamiento 利益[beneficio]、利用
beneficios economicos 経済的利益
incentivo[s] インセンティブ、誘因
capacitacion 資格、資格付与
involucrar [本論以外のことを]さし挟む、混入させる
concientization 自覚化、自意識化
・エコツーリズムは20世紀で最大で最後のメディアだ!
・エコツーリズムのメディア性/それは従来の観光のメディア性とは一線を画する。
(マクルーハン“新しいメディアは、当初は古いメディアの内容を取り入れる”:その例として聖書の写本から印刷本へ/従来の観光の内容を取り込んでいる が、それは全く新しい可能性をもつ/可能性を活かすか否かは、ユーザーの問題であって、メディア自身の可能性の限界をしめすものではない。)
・エコツーリズム参加における“ごっこ”(=遊戯性)/環境と一体となるというフィクションをどれだけ楽しめるか?/要するにディズニーランドにどれだけ とけ込めるかということでもある!!
・中米のコスタリカのナショナル・フラッグ・キャリアーであるラクサ航空の機内誌『ラクサズ・ワールド』の今年の折込付録は「ネイチャー・カレンダー」で ある。
13.●科学観光(Science Tourism):コスタリカ
熱帯研究機関(OTS: the Organization for Tropical Studies)がコスタリカでおこなっているプロジェクト。
熱帯研究(とくに生態学を中心とした)に関係する研究者、学生、研究に関連するワーカーをコスタリカ内の研究地域(国立公園に隣接したOTSが管理する 保護地域)への受け入れを行っている。たんに研究の機会やフィールドにおける快適さを保証するだけでなく、国内外の大学(海外ではほとんどが米国の有名大 学)と提携して、エコツーリズムの単位なども用意している。
科学観光においては自然が一義的に引かれる要因になるが、調査のために最初に引かれるアプローチは、自然観光(Nature Tourism)とは微妙に異なる。自然観光では観光客は自然に密接に親しむことにあるからである。他方、科学観光では、自然環境は異なった目的――つま り研究――のために利用されるからである。
(出典:Farrell & Runyan, 1991:33)
エコツーリズムによって“商品化”される自然環境の保全とは、もとの環境をそっくりそ のまま保護することを意味するのではない。自然公園の整備だけをみても、管理施設の建設と建設後の職員の配備、観察(観光)経路の整備、場合によっては近 隣住民の再定住などが考えられる。
とくに近隣住民への配慮は重要である。なぜなら、エコツーリズムの対象となるような地域の住民の多くは、その地域の自然資源に依存する生業(魚撈・採 集・狩猟など)に従事しているからである。そのための代替地の確保、従来の生業あるいは別の就労機会の確保、地域住民そのものへのレクリエーション、教育 ニーズへの配慮などは不可欠な条件となる。
保護と観光の利害を一致することがエコツーリズムであるという主張もある。「絶滅に瀕した生物種、熱帯雨林あるいは湿原を保護することを、協力的な戦略 によって援助することができたとき、それはエコツーリズムとなる」(Farrell & Runyan,1991:34)
生態観光,エコツーリズム(eco-turism)・広義の定義
おもに「野生地」「自然」をめざし「未開」の土地や「文明の隔絶した」地方に出かけ、そこで非文明的感覚を楽しむ観光の形態。
未開の土地感覚を楽しむものであり、地球環境に思いを馳せるという、ことが主目的になるわけではない。副次的に、「未開」地方の荒廃を嘆くにいたり、地 球規模の経済活動や環境破壊に気づかされる――〝ここにも西洋文明の波が押し寄せているとか、廃油ボールや森林伐採に驚くという類である〟――ことがある が、それ自体はeco-turismの基調にはならない。・別の視点
生態環境を楽しむ観光の形態。ただし、エコロジスト的な傾向よりも、ただ楽しむための観光。[ブラジルにおける、小型飛行機などで移動し、観光サイトを 巡る西欧とくにスイスやフランス人などの少数の旅行グループ]。たんに自然環境をだけを対象とするのではなく、そこに住む少数の民族集団、集落と接触する ので、現地の経済や信条体系に与える影響の可能性が高い。・保護と観光の利害の一致
「絶滅に瀕した生物種、熱帯雨林あるいは湿原を保護することを、協力的な戦略によって援助することができたとき、それはエコツーリズムとなる」 (Farrell & Runyan,1991:34)・エコとグリーンという言葉がさまざまな人びとに与えるイメージについて、水谷知生 (1992:135-6)「グリーンツーリズム」『環境研究』No.85,pp.118-136,1992を参照のこと。しかし、彼が主張しているような エコよりもグリーンのほうがより適切であるということは、定義の問題よりも、言葉が与えるイメージの問題であるので、生産的な議論には展開しないだろう。
・エコツーリズムのイメージ
”自然環境について気づかせてくれる”(environmental awareness)
[具体例]川筏下り、ジャングル・クルーズ、野鳥や野生動物のウオッチング、ハイキング、バックパッキング、スキューバ・ダイビング、乗馬によるトレッ キング
エコロジーに敏感な旅行者(eco-conscious traveler)
ホテルが提供してきたような従来の「エコトラベル・ツアー・パッケージ」とは違う旅行形態である(→エコトラベルパッケージツアーの定義/概念づ け、の必要あり)。
あるいは、”一時的に通過するだけの観光”(voyeuristic tourism「航海者的観光?」:Mex & C.A. Handbook,1992:50)【テクスト1】
「自然環境との共存を図り、先住民の文化から学びながら、新しい旅の文化を生み出そうとの動きをいう。エコロジー(Ecology)とツーリズム (Tourism)を組み合わせた新造語。観光客の誘致を目的にした第三世界での大規模開発に対しては、環境破壊との批判も強く、地球環境問題への関心の 高まりを受けて生まれた。この精神にそうツアーをエコ・ツアーと呼ぶが、その起源は北欧では六〇年代にはじまった。日本では九〇年一一月にJTB(日本交 通公社)が主催したボルネオへの『熱帯雨林の視察と植林の旅』がさきがけとして注目された。九一年の太平洋アジア観光協会や日本旅行業協会の総会でも環境 問題は重要課題として取り上げられ、売り上げの一部を環境保護に還元するツアーの企画もみられる。」(出典:田中拓二「旅行」『知恵蔵1993』, p.1054,朝日新聞社,1993年)【テクスト2】
“エコツーリズムは比較的乱されていない自然地域の中で、景観や野生の動植物を観察し、研究し、楽しんだり、また、その地域に存在する過去・現在の文化的 特色を対象とする特別の目的をもった旅を含む観光である”国際自然保護連合(IUCN)H.C.ラスクライン[出典:『国際観光情報』 No.274,1992:5]【テクスト3】
“エコツーリズムは、環境との調和を重視した旅行、即ち野生の自然そのものや環境を破壊せずに自然や文化を楽しむことである”米国旅行業協会(ASTA) [出典:『国際観光情報』No.274,1992:5]【テクスト4】財団法人日本自然保護協会(NACS-J)
「旅行者が、生態系や地域文化に悪影響を及ぼすことなく、自然地域を理解し、鑑賞し、楽しむことができるよう、環境に配慮した施設および環境教育が提供さ れ、地域の自然と文化の保護・地域経済に貢献することを目的とした旅行形態」、または「参加者が、環境、自然(景観)、野生動植物、生態系を理解し、鑑賞 し、加えてそれらに関する倫理観を向上させるべく、自然地域の中において、環境、自然(景観)、野生動植物、生態系を損なうことなく、適切な人数の参加に よるツアー形式」。
[出典:日本自然保護協会『NACS-J エコツーリズム・ガイドライン』同協会、1994年/ただし、引用は佐藤晴子編訳『ホーエルウォッチング読本』 クジラ・イルカ保護協会、1995年より]【テクスト5】
「エコ・ツアーに参加する人びとが求めるものはおよそ、つぎのように要約できるだろう。つまり“安全性が確保された適度の危険の中に身を置きながら、好奇 心と差別感を満足させてくれる”こと。」[出典:藤原英司「エコ・ツーリズムの出現と新しい文化創造」『(不明)』(特集:環境観光)p.16【テクスト6】
「ところで日本でのエコツーリズムの紹介のされ方は、IUCNの検討を中心として紹介されている、コスタリカ、ケニアの例などを中心として、どちらかとい うと開発途上国において自然資源、地域社会を維持しつつ外貨獲得を図るためのツーリズム、ひいては地球上の自然遺産、文化遺産の保全手段という面が強調さ れて捉えられている傾向が強い。」[出典:水谷知生「グリーンツーリズム」『環境研究』No.85,p.121,1992]
【欧文】
Bacon, Peter R., 1987, Use of Wetlands for Tourism in the Insular Carribean. Annals of Tourism Research 14(1):104-117.Chapin, Mac ,1990, The Silent Jungle: Ecotourism Among the Kung Indians of Panama. Cultural Survival Quarterly 14(1):42-45
Deltabuit Magali, and Oriol Pi-Sunyer, 1990, Tourism Development in Quintana Roo, Mwxico, Cultural Survival Quarterly 14(1):9-13.
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Wight, Pamela, 1993, Ecotourism: Ethics or Eco-Sell, Journal of Travel Research vol.XXXI(3):3-9.
【邦文】
沼田真『自然保護という思想』岩波新書、1994水谷知生(1992:135-6)「グリーンツーリズム」『環境研究』No.85, pp.118-136,1992
17. エコ開発/エコ発展/エコディベロップメント (ecodevelopment)
UNEPのストックホルム会議(1972)および、メキシコのCocoyoc宣言(1981)
で採択された概念。植民地主義の残滓をあらためて拒絶すること。あらゆる開発は環境保護抜きには考えられず、開発の結果は現地の価値や文化にふさわしいも
のとなる必要がある、ことを主張する。現地のニーズに応え、多国籍利害に絡み取られないように配慮され、国際間の協力があってもそれは当該の国家の自助努
力を促進させるためのもの(Farrell
and McLellan, 1987:8)。
Dasmann, Raymond F.,1984, Ecodevelopment, A better way to go, in
"Environmental
Conservation",chapter 13, New York: John Wiley.
UNDP,1981, The Cocoyoc Declaration: In Defence of the Earth. Nairobi:
UNEP.
近代を問い直す作業/フレームとして「ポストモダン状況」を考える。
「エコツーリズム」への関心(市場的・世論的・研究的)が高まりつつある背景にあるもの //あるいは、同時進行中のこと
・環境問題の地球レベル化/→先進国におけるニュース情報の一元化とも関連
・「環境難民」の発生(→発生原因を「自然環境」にすること/内政[農業・政治・人口]の失敗と考えない/当面の技術などにおいて統御不能である、とする こと)
・科学技術における要素還元主義への不審(現場(例:バイオサイエンス)においては不審などはないにもかかわらず)とその反動としての「ホリズム」//→ 二つの主張が相互に排除する形で語られることよりも、相互に補完的に主張される。[→生態学における、方法論的還元主義を採用する生理生態研究ジャンルの ように]「環境保護」におけるエントロピックな語り
「環境ナショナリズム」と「環境インターナショナリズム」あるいは planetary conciousness
・ネイチャー&デッド・スワツプ(→先進国による支配か連帯か?)・近代的学問(=生態学)の利用と裏付け(→その利用には主張を異にする抗争がある:例 「焼畑」論争)
・環境問題をめぐる論争(資本 V.S. 自然保護派)
※「自然保護派」は集合のカテゴリーであり、実際の活動・依拠する理論・政治的党派性などは多様であることを、予め念頭におくこと。・「エコツーリズム」現地社会の反発
期待するほど経済効果が求められない(→通常の開発を念頭におくという誤解がある)
エコ・パッケージ・ツアーとして、容易に従来の観光のフレームのなかで商品化される(→先進国や多国籍企業に収益が回収されてしまう構図)【従来の枠組みの可能性と限界?】
・モダン観光における図式からの変更
<ホスト>と<ゲスト>の関係の変化、あるいは変質
ホストとゲストの切断が不明瞭
<ホスピタリティ>の二面性(ゴフマン)がなりたたない
帝国主義的解釈の困難性
《中島成久》
・屋久島の自然という言説
・電源開発、伝統的慣行の衰退、森林伐採の強化が昭和30年代に進んでゆく。
・ゾーネーション:core, buffer, human active area, という3圏にわけて開発する。
・タケマイリには、自然と文化が一体になるというイデオロギーがあった?
・<現実追認型による公園指定>の限界が明らかにされ、原状に復帰するという公園指定方式も検討されるべきになってきている。
・屋久島における自然との共存には、観光における共存と、生活者と自然との共存の2つがある。
《山極》
・世界遺産宣言
・バレンタインによるエコツーリズムの特色:非破壊滞在、小規模低コスト、体験優先、地場資源の活用、遺産地域との調和
・オープン・フィールド・ミュージアム::それまでの博物館の収集活動への批判
・科学者の調査が分かるような形で蓄積されていない。
・観光する側も観光される側にも自制が必要ではないか。楽しい自制こそがエコツーリズムにあるべきだ。商品にするには金が必要であり、政治には限界があ
り、NGOにしかできない。
《萬田》
・屋久島の低開発状態という認識を抜きに「生活と自然保護」は考えられない。
・島の人間にとっては「自然」は、島以外の人とは別の視点をもつのではないか。
・早生のポンカン、タンカンで生きている(前岳の山裾で)
・共生はうまくいっていないのだ。
《柴》:屋久島を守る会
・どうして原始林を残すのか。それは人類の遺産としての地球的に重要だから。もうひとつは、屋久島の人びとが豊かに生きてゆくための資源という点から必要
である。
・鹿児島県の環境文化村構想(7億円基金を目標にはじまっているらしい)
・西部林道問題では特別委員会が2分したことがある。
・エコツーリズムは、考えられるもっとも適した方途であると考えるが、問題もある。まず、法的な整備はどうなるのか?、つぎに財政負担はどうするのか?。
それに対して、県や国で特別立法を制定してゆくという方法などがある。
・柴さんの主張に、いうならば「共有された世界」というべきビジョンがあった。つまり、外のものになった者(=島外に住んでいる元島民、ひいては部外者)
も地の者(=島民)になったつもりで発言してほしい。
・屋久島をダメにしたのは国であり県だ。国や県は、島民が豊かに生活できるようにと政治をやってきたのではない。屋久島の世界遺産指定は島民の誇りであ
り、誇りを持てるような島民になるべきである。
《田川》
・屋久島においてはエコツーリズムにおいてコンセンサスというものはない。
・観光においては見させるということが必要だが、見させる部分と保護する部分はきちっと区別すべきである。
・ゾーネーションの区分は林野庁が提示したものと、屋久島の(行政の?)ものが同じだが、本来は島に住んでいる人びとがそれらの区分をおこなうべきであ
る。(→ゾーネーションの主体は住民にある。)
・植生の破壊が起こっているが、人為によって栽培植物がもちこまれ、それが野生種と交配し雑種化を促進させているという。とくに杉の品種はそのような事態
がおこりつつあり、屋久島以外の観光地にはない脆弱な点となっている。
《丸橋》
・グローバルなレベルで起こっていることが、局所場でもおこることがある(メタフォーとしてのフラクタル)。屋久島の自然と開発はまさにそのようなもの
で、ローカルな観点と、グローバルな観点の両方から見ていかねばならないだろう。
・ここでいう開発とはいったいなんだろうか?。屋久島の林業で生計を立てている人たちを、日本人の平均的な所得水準(年収四百万)に引き上げることが、は
たして目標なのだろうか。他者からみれば確かにそうだが、はたしてそうなのか?
《まき》
・タケマイリの崩壊は第一次産業の崩壊とパラレルである。昭和22、3年ごろから。
・生きものの生息圏が大きくかわってきた。山を切るからサルがでる。ヘビがうじゃうじゃいたのに消えてしまった。
《NGOのひと》
・議会/住民/国政の三極構造を、環境NGOを入れて四極構造にすべきだ。そして、学者は環境NGOに参加すべきだ。
・島民からは、島外の出身者からなる環境NGOに対する風当たりが強いが、島の住民<対>都会の住民という図式は問題がある。
【前世紀以前】
・紀元後3世紀にはゲームリザーブ(狩猟用保護地域)というものがあった(沼田の本では英王室とかオーストリアのウィーンの森、が例に挙げられているが、
歴史的には照応しない)。
・1807年アレキサンダー・フォン・フンボルト『天然記念物』(monument de la
nature)を刊行。
・1854年ヘンリー・デーヴィツド・ソロー『森の生活』が保全(conservation
of nature)の思想を明確化する。
・国立公園の設置:イエローストーン(1872年)、カナダ・バンフ(1885年)
・民間の保全団体と運動:英国のナショナルトラスト(1895年:3名から135万人までに発展)、米国でのランドトラスト(19世紀終わり)、シェラ・
クラブ(1892年)、オーデュボン協会(1905年)
【20世紀】
・自然保護の国際会議の嚆矢としてのワシントン会議(T・ルーズベルト呼びかけ:1909年)
・1912年「イギリス生態学会」設立。タンズレー(生態系概念の提唱者)の貢献大。
・国際自然保護会議(スイス・バーゼル;1913年)
・国際的な渡り鳥条約(北米;1916年)
・国際生物科学連合(IUBS)が自然保護機関を提唱(後のIUPNのモデル)。
・「生物相条約」(ロンドン;1933年)が後に発展して「自然保護および野生生物保存の条約」(1942年欧米の各国が調印)。
・1947年「国際自然保護連合」(IUPN:International Union of Protection of
Nature)の発足
・1956?年IUPNがIUCNに名称変更(→conservation of nature and natural
resourses)。沼田によると、Protection から Conservation への変化は重要という。
・1962年レイチェル・カーソン『沈黙の春』刊行。
・1961年WWF発足
・1970年(米)環境問題に関する大統領教書の発行と環境保護庁(EPA)の設置。
・1972年「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)
・1980年UNEP、WWF、IUCNによる世界保全戦略(WCS)報告書をまとめ、各国の政府に提言。
【わが国の自然保護】
・1910年前後に三好学がドイツ留学で、コンベンツのNaturschutz, Heimatschutzの考え方を日本に持ち帰る。
・1911年貴族院で「史跡及び天然記念物保存に関する決議案」が提出される。
・1919年(大正8)「史跡名勝天然記念物保存法」(現在では文化庁行政の対象)。
・1925年山林局長通牒「保護林設定に関する件」が、国有林のうち天然記念保存に関するものを保護することを規定する。
・1931年(昭6)「国立公園法」(厚生省所轄で、国民の健康と保養が主眼である)。
・1950年「文化財保護法」
・1951年日本自然保護協会、発足。この団体はもともと尾瀬が原を守る運動が発展したもの。
・1954年「日本生態学会」設立され、59年には「原生林保護についての声明書」を提出し、71年には「自然保護法の制定について」という勧告書を総理
に提出する。(生態学会が、学術研究のみならず自然保護のためのロビー活動もおこなっていることは注目される:これについては沼田1994:14-15を
参照)。
・1957年「自然公園法」
・1971年環境庁の設置
・1972年「自然環境保全法」
・1992年「世界遺産条約」加盟するが、ユネスコでの提案の20年後となる。
【出典】
沼田真『自然保護という思想』岩波新書、1994、pp.6-
【前史】
・19世紀初頭に細胞説が席巻し、自然保護と密接につながる博物学(Natural
History)の伝統が大学の伝統からは一時衰退する。博物学の伝統を復権したのがダーウィンの進化論(リンネ学会発表1858:『種の起源』初版
1859)で、これをベースにして生態学が科学的装いをもって登場する(すこし、話が旨すぎるかも?)。
・19世紀後半の生物学は、生命観の基礎に目的論的な考えが濃厚に投影されている。
・当時の生物学者は、自然科学(博物学)的な研究の中に、ある種の「生命哲学」を込めておこなう傾向があった。その例としてのヘッケル『生命の不可思議』
岩波文庫[1928]がある。したがって、ライアル・ワトソンのような学者は生態学のオカルト化の結果でてきたものではなく、むしろ近代化する以前の目的
論的な博物学的生態学からみれば、その古典的な流れの一つとみなすことができる。
・生態学は、生理学のサブディシプリンである関係生理学Beziehungsphysiologie、つまり生物と周りの環境の関係を生理学的にアプロー
チする分野として出発した。最初の命名者はヘッケル(Haeckel,1866)
・ヘッケルの生態学(エコロギーまたはビオノミー)とは「生活する有機物の外界に対する関係、その住処、その生活上の習慣および仲間、害敵、寄生虫、
その他に関する学問」(『生命の不可思議』上:90:訳文改変)
・沼田真によると、上記のような古典的な生態学の目的論的な思考から「意識的に」脱却したのは米国の植物生態学で1910年代であり、コウルスの植物生態
学の教科書(1911)に詳しいという(沼田,1994:30)。
【近代生態学】
生態学の理論化・数量化傾向
ナチュラリスト的事物収集から理論化・数量化傾向
植物学:実験生理学の野外化[生理生態学/植物生態学領域のひとつの流れ]
動物学:進化を基調にした行動生態学から/エソロジーと個体群生態学への二大分極化
1960年代の環境科学としての生態学の登場
北米の環境プロジェクト/連邦宇宙局
IBP(国際生物学事業計画1965-1972)/地球上の生態系における生物生産を測定、今日の生態系把握のためのスタンダードになる。
(参考文献:当時IBPの自然保護部門にいたニコルソンは1970年に The Environmental
Revolution を刊行)
・IBPの日本側の成果は、『自然保護ハンドブック』東京大学出版会、英文報告書(同出版会)。
・IBPの思想
(1)野外での記録を研究室において解析[時には実験室内で再現/還元としての要素資料]
(2)資料の理論化・数量化→普遍的法則、進化(安定と動態)モデルの構築
・1972年ストックホルム国連人間環境会議で、IBPを引き継いで「人間と生物圏
Man and the Bioshere」計画が提唱しユネスコが推進。。
●生態学におけるアマゾン・熱帯雨林の位置(マッキントッシュ『生態学』)
学問としての生態学の成立は、19世紀の終わりの10年(ヘッケル)[ヘッケル以前は、かりにそのような思想的傾向が見られるにせよpaleo-
ecologistと位置づけできる]
生態学の本流は、生物の環境と適応の問題に収斂されてゆくが、傍系とくに狩猟管理と「林業」(ウエストビー,1990:38)のなかに「自然保護」の
発想が1930年代に生じてくる。
1890年前後のドイツにおける植物生理・生態学に、(植民地を中心とした)熱帯における生物の適応の問題に興味のある学者たちが登場。その例、ユー
ゲン・バーミング(Eugen
Warming)はブラジルで3年間を過ごす。『植物群落――生態学的植物生理学への寄与』(1895)/ほかにシンパー(Schimper,1898)
も同様[バーミング]p.64-65
ただし、植物生態学のその後の発展に熱帯は研究の対象にならなかった。その理由は、その方面の研究のほとんどは、北半球の寒帯および温帯地域でおこなわ
れた。
実質的に熱帯が取り扱われるようになるのは、ポール・リチャーズ(Paul Richards)『熱帯多雨林』(The
Tropical Rain
Forest,1952)の著作を嚆矢として、1960年代中ごろに熱帯生態学の知見が蓄積し出した[この時期はシステム的で大規模的な生態学調査である
IBPが開始される時期でもあった]。
熱帯における花粉研究も1971年に登場。[Vuillemeer,B.S.,1971,Pleistocence
changes in the fauna and flora of South America,Science,173:771-80.]
生態系という概念は、英国の植物生態学者タンズリー(1935)によって提唱された。その定義によると
「生態系とは、生物の要素だけでなく、最も広い意味における生息場所の要素である生物群系の環境を形成する物理的な構成要素も含めた(物理学的な意味で
の)系である」(ibid,p.298)。
その後、E・P・オダムの教科書(1953)によって生態系をして<生態学の基本単位>と言わしめた[彼が使った生態系の例は、湖沼である]。生態系生
態学はシステム生態学となり、彼の教科書(1959:2ed.,1971:3ed.)は、その方面のスタンダードとなった[この時期の生態学の別の方向の
リーダーはR・マッカーサー]。
システム的なアプローチが、徹底的な数量化[と不確定部分のブラックボックス化]を通してシュミレーションや撹乱の効果を測定する(パッチ理論)
ことによって、1960年代初頭に北米[地名:ハバード・ブルック]における総合研究がはじまる。
この研究の最大の成果は《生物量蓄積モデル》である。これは、伐採における全体的な撹乱がもたらす生物量の変化が、四つの発展段階に区分できるというも
のである。
2202. ●IBP
国際生物学事業計画(IBP)は、国際極地年・国際地球観測年に刺激され提唱。p.332
1959年当時に計画の骨子はできていたが、委員会は1964年に発足。
米国の生態学会などがロビーイングなどを行なったが失敗し、実質的に米国議会からの予算調達に成功するのは1968年以降である。折から、米国内にお
ける環境問題が表面化し脚光を浴びるようになった。
IBPの実行年度は1968年から1974年であったが、74年以降も、調査研究のための資金援助が続いた。
今日においてIBPは、(当初、喧伝されたような)地球の[生態学的]未来を予測し、生物生産の増加ならびに人口爆発に対する処方などを結局は提示でき
なかったと総括されているが、それは《生態学》に対して能力以上のことを要求されのだ、という研究者もいる(マッキントッシュ,1989[1985]:
341)。
24. 資源管理の最大持続収量(Maximum sustained yield, MSY)
沼田編『生態学辞典』(1974)によれば「個体群を減らすことなく収穫できる最大の 収量。最大収量 optimum yield ともいう。個体群の生産力は単位時間あたりに取除くことのできる最大維持収量の決め手になる。1年を単位にすれば、年間最大維持収量 maximum annual sustained yield という。」(p.128)
縦軸
年間の増加頭数
| 60%=MSY
| * **
| * : : *
| * : : : *
| * : : : *
| * : : : *
| * : : : *
| * : : : *
| * : : : *
|* : : : * 横軸
―――――――――――――――――――――――――― 資源量(%)
0 50% 60% 80% 100%
資源保護 |維持管理資源|初期管理資源← 捕鯨禁止 →|← 捕獲可能 →
川端によると、このグラフにより次のようにMSYを考える。最初10万頭いたクジラが 現在6割の最適水準にあり、年間2%の増加率であるとすると、6万頭の2%=1200頭がMSY。実際の捕獲数はその9割つまり、1080頭に留めるとい う。
ただし、初期資源を推定するのは不可能にちかい。また、クジラの種間競争なども考慮されていない。例えば、シロナガスクジラなどの大型クジラ類が減った ためにミンククジラはその数を増やしたと言われるが、これもその実態が明らかでない。
【出典】
川端裕人『クジラを捕って、考えた』PARCO出版、1995年、p.91
・この本にみる主張は、DDTを中心とする殺虫剤をはじめとする化学薬品の自然環境への 散布による汚染を告発といえる。論調は一貫してペシミスティックであり、無反省な汚染がこのままつづけば、やがて「沈黙の春」が訪れるだろうと説かれてい る。このような現実と未来予測に対する方策をみつけることはすくない。17章には「べつの道」と名づけられ、薬剤散布ではない別の方法、生物学的防除―― 天敵生物を放ち選択的に害虫を駆除する、不妊化した昆虫を撒き繁殖を妨げる、標的昆虫に対する寄生虫や菌類などの散布――が説かれている。
Rachel Carson, 1907-1964
1907年ペンシルバニア生まれ。ジョンズ・ホプキンス大・大学院卒(動物学専攻)後、合衆国漁業局に勤務。海洋生物エッセイを執筆。1952年?辞職 し、専業のライターになる。
・エコロジー前史としてのギルバート・ホワイト、カール・リンネなどを18世紀のエコロ ジーと呼ぶ(ただし、エコロジーの用語は1866年になるまで登場しなかった)。
・19世紀のエコロジーの流れは、オースターによると、ロマン主義と科学的進化主義の2つが代表的である。最初は、オースターによる命名された「ロマン主 義エコロジー」の提唱者ヘンリー・ディビッド・ソローであり、後者はダーウィンである。
・20世紀の前半の生態学的思考を代表するのが、フレデリック・クレメンツの「極相=クライマックス」説である。そして、20世紀後半の生態学思考を決定 づけるのが生態系(これそのものは今世紀前半のタンズレーによる概念だが)とそのエネルギー物理学的理解としている。
・このようなエコロジー意識の変遷をT・クーンのパラダイム・チェインジという観点からオースターは分析している。【オースター批判】
・エジャートンの批判(→マッキントッシュ『生態学』思索社、pp.31-)
Farrell, Bryan and Dean Runyan, 1991, Ecology and Tourism, Annals of Tourism Research 18:26-40.
27-1. Ecology and Tourism(生態学と観光)
・エコツーリズムのトレンド:自然資源管理と計画、環境景観、レクリエーション的機会という正 統的(=古典的:引用者)関与から、持続的開発の一翼を担うエコツーリズムへと移りつつある。
・Ecological Tourism という専門領域はないけれど、そのような観念や理念を追求する傾向に対して、そのようなラベルをつけて考察する。
・生態学=エコロジーというのは、一般の人びとがいだくイメージでは、動植物の関係あるはそれらと環境の関係についての生物学的研究と理解する。【文献】
Farrell, Bryan and Dean Runyan, 1991, Ecology and Tourism, Annals of Tourism Research 18:26-40.
・基本的テキスト: Pearce, Tourist Development(1989); Mathieson and Wall, Tourism: Economic, Physical and Social Impacts(1987).後者のテキストは、観光が環境に対して悪影響を与えてきたことを指摘する。
・そこから観光開発における自然環境のマネージメントの発想がでてくる。eg. Gunn, Tourism Planning(1988)・観光と自然環境に関する論文がある(p.28参照)。とくに沿岸保護関連のものなど。
・国連環境計画の出版物には環境収容力への言及がある。United Nations Envirnmental Program, Industry and Environment(1986)
・文献の完備したエコツーリズム文献は、Boo, Elizabeth, 1990, Ecotourism: The Potentials and Pitfalls(2 volumes), Washington DC: World Wildlife Found.【文献】
Farrell, Bryan and Dean Runyan, 1991, Ecology and Tourism, Annals of Tourism Research 18:26-40.
・個人による研究と、研究施設による研究があるが、後者に関する情報は入手しにくい。
・研究施設には、政府・非政府(NGO)・私的組織のものがある。
・諸研究には、OECD(1980), Budowski(1976), Dasmann et al.(1973), Bosselman(1978)。
・1970年代前半にはアジアやヨーロッパの旅行代理業者の集まりで環境に配慮したシンポジウムや集会が企画された。
・1980年WTOがマニラ宣言のなかで、82年の国連環境計画の宣言のなかで、観光と環境の調和について提言がなされている。【文献】
Farrell, Bryan and Dean Runyan, 1991, Ecology and Tourism, Annals of Tourism Research 18:26-40.
27-22 Special Topics and Particular Places
・アルプス地方における環境と観光の研究(p.29)
・北米では、人類学者Rodriguez(1989)が、ニューメキシコ・タオスのスキー場の開発が複雑な文化的および環境的問題を引き起こしたことを指 摘した。観光と都市開発が、リオ・オンド川流域の水質を悪化させ、下流域の農業や、観光に関与するすべての人たち(観光客、開発業者、現地の都市住民、観 光組織、環境団体、政府組織、初期のスペイン入植者たちの末裔)に影響を与えた。
・カリフォルニアTahoe湖周辺の長期にわたる環境研究をおこなってきたGoldman(1989)では、環境問題は様々な機関の間で論争がおこなわ れ、60年代には環境保護団体と開発派のあいだで紛争がおこった、ことを指摘。
・この種の問題は、沿岸地域、島嶼部、熱帯の珊瑚礁、熱帯雨林でひろくおこってきた。(文献はp.30を参照)【文献】
Farrell, Bryan and Dean Runyan, 1991, Ecology and Tourism, Annals of Tourism Research 18:26-40.
27-3. Natural Resource manegement and Tourism
・観光開発に関しては、公的機関とその政策(国立公園局、環境維持と開発政策)は重要な局面に 直面する。開発と環境維持が、基本的に相反するためである。
・環境に与える破壊の度合いは、環境収容力、ダメージの量と頻度、ダメージの性質などによって決定されるので、環境の維持管理(manegement)も そこから立案されるべきことは明らか。
・相異なる維持管理を論じた二文献、Sax, Mountains without Handrails(1980); Chase, Playing God in Yellowstone(1986)。
・観光の維持管理文献(p.31)。米国森林局の維持管理の文献(p.32)。また維持管理よりも積極的に構築的アプローチ――自然環境の消費ではなく育 成や拡張――もある。その例として、Wisconsin Department of Natural Resourses, Watchable Wildlife(1988)などがある。
・維持管理や管理技術の発展は、予算やそれらが容認されるような期待に依存する。その代表が費用-便益分析という方法で、いくつかの関連文献がある (p.32)。【文献】
Farrell, Bryan and Dean Runyan, 1991, Ecology and Tourism, Annals of Tourism Research 18:26-40.
27-4. Tourism and Envirnmental Quality
・通常の観光以上に直接自然に関与する観光形態がある。例えば自然観光(nature tourism)、生物観光(biotourism)、あるいは冒険観光(adventure tourism)と呼ばれるものである。
・例えば、カナダではかっては殺戮していたラブラドルハープアザラシ(Labrador harp seals)の写真をとりにチャーター機が飛ばされ、マニトバのチャーチヒルでは海氷をまつホッキョクグマ見学などがある。
・似たような例は、ガラパゴス、アフリカの野生動物保護区、ネパールのトレッキングなどでよく知られている。
・南極圏への旅行は、人間の側の僅かな過失が環境への多大な影響を与えることで有名になった例である。アルゼンチンのバイア・パライソ(パライソ湾)でタ ンカーが座礁し、17万ガロンの原油がパルマー・ステーションの周りに流出する。この地域は南米のネイチャーツアーの航海客を年間三千五百ほどを受け入れ ている箇所である。南極地方のリビエラ地方へのアクセスポイントであった。チリでは犬ぞりやスキーなどを含めたキャンプ&ハイクを解説していた。この事件 がきっかけになって、責任あるツアーオペレーターは、無責任な観光客にペナルティなどを科すような規則を作ったが、実際の南極観光は規制や限度なしに行わ れている。
・環境観光は脆弱な基盤のうえにたっている。【文献】
Farrell, Bryan and Dean Runyan, 1991, Ecology and Tourism, Annals of Tourism Research 18:26-40.
・熱帯研究機関(OTS: the Organization for Tropical Studies)がコスタリカでおこなっているプロジェクト。・熱帯研究(とくに生態学を中心とした)に関係する研究者、学生、研究に関連するワーカーを コスタリカ内の研究地域(国立公園に隣接したOTSが管理する保護地域)への受け入れを行っている。たんに研究の機会やフィールドにおける快適さを保証す るだけでなく、国内外の大学(海外ではほとんどが米国の有名大学)と提携して、エコツーリズムの単位なども用意している。
・科学観光の文献は、Laarrman and Perdue,1988,1989。またコスタリカのエコツーリズムに関しては、Hill, 1990がある。
・科学観光においては自然が一義的に引かれる要因になるが、調査のために最初に引かれるアプローチは、自然観光(Nature Tourism)とは微妙に異なる。自然観光では観光客は自然に密接に親しむことにあるからである。他方、科学観光では、自然環境は異なった目的――つま り研究――のために利用されるからである。
・観光研究における環境と気候問題は、Wall(1991)を参照。【文献】
Farrell, Bryan and Dean Runyan, 1991, Ecology and Tourism, Annals of Tourism Research 18:26-40.
・エコツーリズムは極めて最近にでてきた観光研究の領域である。観光客と自然保護論者の 両方が見るような環境に焦点があてられ、観光形態を保持しながら環境の保護を図る形態とされる。
・絶滅の危機に瀕する種のいる熱帯林や湿原を共同戦略によって保護できるようになるとき、それはエコツーリズムと呼ばれる。義理の両親である自然観光 (nature tourism)の一構成要素であり、自然と観光を同等のパートナーとみるようなもの(p.34)。Boo(1990)もこの立場にちかい。
・定義には異同があり、自然観光とエコツーリズムを分けるものがある。エコツーリズムをより排他的に、観光を通して自然を保護ないしは補強することを目的 ないしは焦点にしたものと、著者たちは位置づけている(ibid.)。(コメント;エコツーリズムの定義は、行動の理念を表明し、そこに具体的な戦略を盛 り込ませるためには、有益な概念装置であると、みなしてよいだろう。)
・エコツーリズム研究には、ケニアのもの(Lusigi,1981; Myers,1974)、カラハリ(Hitchcock nad Bradenburs, 1990)がある。ブリティッシュコロンビアのポートアルベニー(Port Alberni)では保護論者と観光客が協力してダグラス樅の完全伐採を阻止しながら、ログハウスに有用な材を確保しようとしている。ジャマイカでは水田 や泥炭採掘よりも湿原を保存して観光と連携することを決めたさまざまな団体がある(Bacon, 1987)。
・ユカタン半島での研究(Daltabuit and Pi-Sunyer, 1990)。ハイダ族での研究(May, 1990)。パナマ(Johnston,1990)。これらの研究は、観光が利益をもたらす場所では共同戦略がいつも施策だけに終わることはないことを示 している。
・エコツーリズムを健全な生態系を維持するために活気に満ちた現代的戦略としてみる研究者がある。このような研究者は、WWFなどの路線にそって生物とそ の多様性を保護することに関心がある。Boo(1990)の研究は先駆的で非常に重要である。【文献】
Farrell, Bryan and Dean Runyan, 1991, Ecology and Tourism, Annals of Tourism Research 18:26-40.
・持続的開発の議論はいまだムラがあり、その用語も素人を惑わせる専門用語に満ちてい る。これについての有益な文献はO'Riordan(1988)がある。
・環境と開発に関する世界委員会(the World Commission on Environment and Development; WCED)あるいはブルントランド報告のインパクトは大きく経済および社会――とくに先進国――に大きな影響力をもった。
・観光研究における持続的開発を取り扱ったものに、その影響をもっとも強く受けた国であるカナダのアルバータ州での調査報告、Wright, Tourism in Alberta(1988)がある。
・WTOなどでもその方針に沿った行動方針をたてている。
・ネパールとマラウイの事例研究では、持続可能性の問題が、権威筋が押しつけてくる「基本的ニーズ」のモデルと共同体が行おうとするアプローチ――つまり ボトムアップモデルの対立の中で描かれる(Hough and Serpa, 1989)。
・コスタリカでは生態学者D・ジャンセンがグアナカステ国立公園プロジェクトにかかわり、生息域の再強化、現地のリクリエーション、教育的必要性のほか に、観光にも適切な位置を与えている。
・同様のことがハワイでもあった(Farrell,1982)【文献】
Farrell, Bryan and Dean Runyan, 1991, Ecology and Tourism, Annals of Tourism Research 18:26-40.
27-6 Ecology and Tourism(Farrell, Bryan and Dean Runyan)
・環境と観光は学問領域ではなかなか具体的な問題とならなかったが、現実にはその間の関 係が以前にも増して重要な課題になりつつある。現在では、生態学的な観光に触れないような観光研究の入門はあり得ない。
・さらに持続可能開発に触れない研究もない。熱帯や地域研究も重要だが、疑いもなく、それは理論化されていて維持管理=マネージメントの問題と統合される [必要がある]。
・観光は、自然環境のなかでそうあるべきだというよりも、なるようなかたちのままできたのが現状である。自然をそのまま享受してだけで、それを維持運営管 理するという発想が、観光にはなかったが、現在では関連する会議などでは盛んに論じられるようになってきた。
・観光が観光客に対して真空の環境を提供することを任じてきた、また観光客も観光のシステムに対してそのように期待してきた。しかし、エコロジーの理念が 観光にも重要な影響を及ぼすまでにいたって、観光が社会性をもつことを、つまり観光地の自然環境や社会や文化との関わりが強調されるようになってきたので ある。
・観光することが、何かの責任の一端を担うようなものにかわりつつある。そのような状況(イデオロギーである――引用者)は持続可能開発の中から生まれて きた。それは観光研究アカデミーの89年の集会でもとりあげられた「観光のもうひとつの形態」「責任ある観光(responsible tourism)」などの動きと明らかに連動している。【文献】
Farrell, Bryan and Dean Runyan, 1991, Ecology and Tourism, Annals of Tourism Research 18:26-40.
・アリストテレス
「海の動物の中で話題の最も多いのはイルカであって、それらはイルカのおとなしくて馴れやすい性質を示しているが、タラスやカリアやその他の地方での少年 に対する愛情や欲情の実例さえあげている。またカリア地方で一頭のイルカが捕らえられて負傷したとき、イルカの大群が一度にどっと港へおしよせてきて、漁 師が捕らえられたイルカを放してやるまで去りやらず、放してやると、みんな一しょに出ていったという。また小さいイルカたちには必ず大きなイルカが一頭つ きそって守っている。すでに大きなイルカが泳いでいて、死んだイルカが深みへ沈みそうになると、その下へ泳いで行って、背中にのせて持ち上げているのが見 られた。まるで死んだイルカに同情し、他の肉食動物に食われないようにしてやっているようである。‥‥」『動物誌』(下)p.113[ベッカー版 p.631](紀元前4世紀)・ベイトソン
「イルカは人間とのつきあいに積極的で、溺れているひとを助け、攻撃されても自分からは攻撃しないことがよく知られているが、そのことをグレゴリーはこん なふうに解釈していた。多くの哺乳動物は自分と同じ種に属する子供を攻撃しないのだが(人間もなかりの程度までそうだ)、こうした子供への攻撃を禁じるシ グナルが、イルカの場合、人間にも適応されるのだろうと。言いかえれば、人間はイルカにとって子供のような存在に映り、子供に接するような態度で人間に接 するということだ。」(メアリー・C・ベイトソン『娘の眼から』国文社、1993:300)
(あるいはサステーナブル・ネィチャー・ツーリズムのジレンマ)(1)エコツーリズムとは人間中心的な発想の産物である。つまり、人間の快楽のために自 然を奉仕させようとする考え方が基本にある。(営利としてのエコツーリズムが可能なのは、このことによる。)
(2)良質とされているエコツーリズムの最終目標=イデオロギーとは、観光客に自然環境の大切さを学ばせ、自然の持続性を保証させるための行動に誘うこと であるとされる。このイデオロギーの中には、生態学の基礎知識から、自然保護の理念、あるいは自然とふれあうことの喜びという、倫理的・道徳的次元にいた るまでのものがある。
(3)自然保護(つまりエコロジー)とツーリズム(つまり開発)の間にはトレード・オフの関係がある。したがって、比較的良心的なエコツーリズムの企画に は、訪問客の数を制限したり、観察条件を制限しているものがある。ところが、これは観光による資本主義的な開発の論理には反する。
(4)このトレード・オフの問題を解決させる唯一の方法が「持続性」(sustanability)である。しかし、この概念そのものは有効性を予測する ことが非常に難しい。生物の個体性維持は、概念を導出するだけでは実現できない。捕鯨の最大持続生産量(MSY)の議論と同じで、科学的算出方法自体にも 限界があるし、またクジラを食物のカテゴリーとして考えない保護派の人びとにとっては、その議論そのものを無効にしようとする動きがある。つまり現代のエ コツーリズムなどは、将来の人びとにとって、まるでかつてのアフリカやインドにおける猛獣狩り、捕鯨と同じようなものとして見られるかもしれない。
(5)さらに資本主義の論理の厳しい現実がある。開発の論理には収益をあげ、それを維持し、さらに発展させていくイデオロギーがつきまとう。持続性は、ど こかのところで限界を見いだし、それを維持運営するという発想に根ざしており、これを概念的に両立することは、ある種の[宗教的な]改宗ということすら、 人びとに要求するだろう。【自然保護と開発のジレンマ】
ジャマイカの湿原は、従来は稲作のための水田開発か、あるいは燃料用の泥炭(peat)のために利用されてきた。しかし、その湿原のひとつであるネグリ ル(Negril)リゾート開発がもちあがった。ときの首相は石油会社の経営にかかわりかつては燃料資源としての泥炭開発に興味をもっていた。しかし首相 は湿原の国立公園化と外国人観光客が落とす外貨の獲得をめざしたリゾート開発のほうに関心を移した。リゾート開発にのりだしたのはネグリルの材木企業であ り、国立公園を支援する側にまわった。
米の自給と燃料確保が外国人向けのリゾート開発による外貨確保が、トレード・オフの関係にあったわけである。このような状況のもとでは、自然保護派は、 ある意味で目標を達成するめに資源確保よりもリゾート開発を選択する道を歩んだ。エコツーリズムに関係する開発には、つねにジレンマがあり、目標を達成す るための状況に応じて様々な選択をとらねばならないことが、この事例で理解されよう。[Bacon, Peter R.,1987, Use of Wetland for Tourism in the Insular Caribbean, Annals of Tourism Reseach 14:104-117.]
【ベリーズの現実】
ベリーズでは、環境保護論者と米国を中心とする「エコツーリズム」開発の投資家のあいだに軋轢がある。エコツーリズムの観光客を泊めるためにベリーズ市 のホテル地区に巨大なホテルが建設されたのだが、これはベリーズのダウンタウンの都市環境問題を無視していると批判された。また郊外のホテル建設のための 土地取得は米国あるいは国外在住のベリーズ人の主導のもとでおこなれれ、地元住民の意志を反映していないとも批判される。また、外国人観光客が投下する外 貨は、現地の経済的貧困層には環流されず、海外に逃避するという懸念もある。(コスタリカのように中規模の現地観光資本が少なく、またそれが育つという可 能性がすくないのではないか――引用者コメント)[Higinio, Egbert and Ian Munt, 1993, Eco-Tourism Gone Awry, NACLA XXVI(4):8-10.
]
一つのきっかけがあると、人はその関心をどんどん弁証法的に展開して、グローバルな環 境認識にいたるという図式である。これは、現実の人間の認知プロセスを必ずしも反映させないが、教育に内在する知的探求心が連鎖的に展開するというお馴染 みの論理である。次の具体例を参照せよ。
「一個の動物について深く関心を注ぐことで、大衆は海洋汚染、油の流出、過剰漁獲、流し網の障害などの問題について学ぶ。もし、個々のクジラたちに興味を 持ち始めたら、人はその“種”についても関心を持つようになる。すると、やがて、他の鯨種やクジラたちの生存に必要なことがらについても、注意をむける。 そして、クジラの住家である海洋を守るということが新たな急務になる」『ホエールウオッチング読本』p.8(原文はエリック・ホイトによるもの)
その項目例:水谷論文p.129
・以下は1992年イギリスでおこなわれたヨーロッパのレンジャー、ワーデン、インタープリターを対象とした「グリーンツーリズム」をテーマにするセミ ナーで講師が問うた、ビジターに対する意識化を考える際の項目(一部改変)である。
(1)行動
1.1 行動が周囲と調和しているか?
1.2 行動は穏やかで他者や野生動物を撹乱していないか?
1.3 どのような方法で旅をしているか?
(2)地域住民との接触
2.1 地域住民と対話しているか?
2.2 地域住民の生活様式を理解しているか?
2.3 あなたがたの存在により地域住民が何かを得ているか?
(3)公園の環境
3.1 公園の環境から何かを体得する機会を得たか?
3.2 公園の環境に対してインパクトを与えたか?
3.3 旅をすることによって公園の環境にとって何かがもたらされたか?
(4)宿泊施設
4.1 滞在中にどれほどのエネルギー、水を消費するか?
4.2 宿泊施設は地方の素材で造られているか?
4.3 景観にうまく調和しているか?
4.4 交通量の増大をもたらしていないか?
4.5 地域住民を雇用し、適当な賃金と条件を与えているか?
4.6 健康的な食事と郷土料理を提供しているか?
4.7 バーでは地域のビールを出しているか?
(5)金銭
5.1 セミナーの費用のうちどれほどが実際に地域におちているか?
5.2 地元産のみやげ物を買ったか?
(6)認識
6.1 この地の特質、問題、美しさ、伝統、これからどう変わってゆくか、などについての考えをもってこの地を後にするか?
6.2 この旅について友人に語るか?
6.3 この後、再訪することを望むか?
[出典:水谷知生「グリーンツーリズム」『環境研究』No.85,pp.118-136,1992]
※このアンケートは1993年度旭川医科大学の教養課程の「生態学」受講学生の講義に 先立って実施したものである。アンケートの目的は導入のための受講啓発のものであり、統計を出すような社会調査目的のものではない。
【以下本文】
●アンケート:あなたの「エコロジー度」をチェックする!
つぎの問いに“はい”と思うものに○をしてください。
1.原発推進派と反対派の議論にはすこしは関心がある。
2.ディーゼル車に乗ると何かうしろめたい気持ちになる。
3.金に不自由しなければ、農薬で育った野菜よりも無農薬のものを口にしたい。
4.地球サミット=「環境と開発に関する国連会議」の開催年と場所を言うことができる。
5.ハンバーガー・コネクションについて聞いたことがある。
6.シコ・メンデスの名前を聞いたことがある。
7.酸性雨の発生メカニズムをおおむね説明することができる。
8.マングローブが何であるか知っている。
9.森林における極相林と二次林の違いを指摘できる。
10. 豊かな熱帯雨林だが、その土壌がなぜ栄養に富んだものでないか説明できる。○の数でわかる、あなたの「エコロジー度」?!
0 :ご立派! 本講義は100%新鮮に受講できますナ。
1~2:多数派のなかのすこしマイノリティ部分でしょうか?
3~4:受講学生の多数派がこれに属すると想像?されてます。
5~6:エコ・コンシャスネス(ナウいエコロジー感覚)あり。
7~8:あいのエコロジーの求道者(?)になれます。
9~10:筋金入りのエコロジストですゾ。本講義は寝ていても満点あげます。
33. スミソニアン熱帯研究所 Smithsonian Tropical Research Insitute(STRI)
・STRIはパナマ国内の数カ所に研究施設を擁する。
・旧運河地帯に本部が、およびバロ・コロラド島がこの研究所の柱である。
・バロ・コロラド島は、1932年昆虫学者の発案で島全体が研究用保護地区に指定され、1946年STRIの発足にともない正式に研究所の管轄のもとにお かれた。
・STRIの保護林は5400ヘクタールにも及んでいる。
・環境保護プロジェクトには、農民の生活向上をもくろむグリーン・イグアナ養殖計画もあった。
・1990年8月「征服による環カリブ社会の変容」シンポジウム開催。【資料出典】
飯島みどり、1992、海外ラテンアメリカ研究センター紹介(13)スミソニアン熱帯研究所、『日本ラテンアメリカ学会会報』、No.41,p.2.
・エコツーリズムの特性、例えば小規模・現地主義・生態的に敏感、の逆としてマスツーリ ズムが否定的に描かれる。この例に即せば、マスツーリズムの特性は、大規模、外部資本主導、生態的に鈍感である。
・あるいはエコツーリズムが登場するまでのマスツーリズムはSsで表れされる。つまり、太陽(sun)、海(sea)、砂(sand)、そしてセックス (sex)が、その要素となる。
・マスツーリズム、つまり伝統的な大衆観光に対比されるのは、エコツーリズムというよりも、オルターナティブ・ツーリズムともいえるものである。これは、 適切(appropriate)、持続可能性、エコロジカルである。
・マスツーリストは、観光業者が提供した空間――よく例えられるのが繭――のなかで保護され、快適に旅行することができる。それに対して、オルターナティ ブな観光では、そのような繭の保護から出て、地域に溶け込んだり、冒険をしたり、観光客が現地にあわせてゆくという特性が強調される。
・知性的存在としてのクジラ類とその愛好趣味
ジョン・リリーのイルカ本(J.C.リリー『人間とイルカ』学習研究社)
ベイトソンなどは、この言説にどのような貢献をした/しなかったのか?。ベイトソンは1963年6月に、妻のロイスとともにヴァージン諸島セント・トー マスに住む(リリー研究所の所長補佐として)。同時リリーはイルカに英単語を発話させる計画を行っていた。しかし、ベイトソンは、リリーの実験を道徳的に も科学的にも容認できないとしている(「クジラ目と田の哺乳動物のコミュニケーションの問題点」『精神の生態学』)。ベイトソンは60年代半ばには、この ほかにハワイなどで過ごしイルカのコミュニケーション研究に大いに関心をもった。
・鯨は知的生物であるがゆえに、その権利も大きいと主張するのが、つぎのスカーフの意見である。[Scarff,James, 1980, Ethical issues in whale nad small cetacean manegement. Environmental Ethics 3:241-279.]。この見解は、アニマル・ライトや、そのうちの極端な動物愛護論者を軌を一にする。
3501.・批判的意見――知性的存在としての クジラとイルカ
「西欧の動物に対する取り扱い方は、その動物に好ましい性質をあてはめるかどうかによって大き く影響される。例えば、一九六〇年代に登場したイルカの行動に関する多くの非科学的な論文が、たしかに「われわれがやっと克服し始めた宗教的狂信に近い」 (Prescot 1981:131)誤った考えを広める結果となった。その知能と社会行動、魅力的な個性、独特の生活様式、および自然史に関するわれわれの無知ゆえにつき まとう神秘性のために、「鯨は他の動物よりも大きな権利をもっている」というスカーフ(Scarff 1980)の意見は、その典型である。魂をもたない動物に対して西欧人が示した責任感は、一貫性が欠如していたとしか言いようがない。」(フリーマン編 『くじらの文化人類学』p.142)キャサリン・ベイトソン『娘の眼から』にも、G・ベイトソンによる、イルカと人間がなぜ 親和性があるのかについての見解が述べられている。
Prescot, J.H. 1981, Claver Hans training the Trainers or the potential for misinterpreting the result of the dolphin research. Annals of the New York Academy of Science 364:130-136.
・エコツーリズム批判
エコツーリズムにおける「エコ」概念のとらえかたには、様々な意見がある。これを理解するためにはいくつかの対立項を立てて整理する必要がある。
まず、人間とエコロジー的活動の関係についてのビジョンにおける対立である。つまり、人間の活動そのものにエコロジー性を見いださない悲観派と人間のエ コロジカルな可能性を信じる楽観ないしは努力派である。前者の悲観派は、人間の活動は、いくらあがいてもエネルギーを浪費し、自然を汚染しつづけることを 完全に止めることはできないといみる。後者は、多くの環境保護派がそれに属しており、実現を近未来にみる楽観的見解から、「長い革命」をめざす長期努力派 まで多様な広がりをもつ。
つぎに、エコツーリズムにおけるエコロジカルな行動の可能性についての見解の対立である。これは、エコロジカルとツーリズムは共存する/共存しないとい う考え方の対比である。もちろん、共存するという立場をとるものでも、エコツーリズムと対立するマスツーリズムという概念を対極にもってきて、そのマス ツーリズムの弊害を克服したものに「真のエコツーリズム」を掲げるという理想をもっている。エコツーリズムを実施するツーリストオペレーターや観光局など の監督官庁、あるいはそれを支援するNGOなどは、計画にエコ意識(eco-consious)があるか、どうかのチェック項目をもたせている。つまり、 無条件にエコツーリズムが可能になるという見解をとるのではなく、維持管理するという努力の上にエコツーリズムが可能であるとする立場なのである。このよ うな立場をとると、そのような条件で行われる観光は監視・監督される必要があるし、また観光客には一定の守るべき倫理綱領が要求される。例えば、カナダで は「カナダ観光産業協会」と「環境と経済の国民円卓会議」が「持続的観光のための倫理綱領とガイドライン」(1992)を策定してる。
他方、エコツーリズムそのものが形容矛盾であったり、そのようなネーミングが商品としてのカモフラージュであるという意見も多い。「エコツーリズムは現 在ファッショナブルなマーケティング戦略になっている。また、しばしば誤解されるよりも、利用され搾取されていることが多い。消費者はこのような弊害から 保護される必要がある。「エコ」ちょうど「自然=ナチュラル」という言葉と同じくらい曖昧なものになっているのである。」(Masterton 1991, sited in Wight,1993:4)「(旅行代理店の)人びとは決して(旅行の)計画書を変えることはない。彼らは(エコという)言葉を商売目的のために使うの だ」(Ignacio 1990, sited also)。そして、ライトによると、ベリーズの新聞に掲載されたあるロッジの広告では、完全に電化されバーが完備されたロッジがマヤ文明の遺跡のど真ん 中にあり、訪問者はマヤのピラミッドに登りたくなるような環境におかれている、と宣伝されている。このような宣伝は、グラビアを多用した観光関連雑誌の広 告には枚挙のいとまがない。もっと極端なものになると、豪華な客室や隣接する広大なゴルフコースやマリーナを抱えてエコツーリズムと称するものがある。こ のような広告は、エコツーリズムを否定したり慎重な管理を必須とする論者にとってみれば、ほとんどエコ・ポルノ(後述)まがいのものと言えよう。
(Masterton, A.M.,1991, Ecotourism: An Economic Isse, Tour and Travel News, April 24:1,51-52.;.Ignacio G., 1990, Ecotourism Spawns New Breed of Adventure Tours, Tour and Travel News, February 5:24-25.)
環境テロリストとは、環境破壊の元凶をなし、人びとに恐怖を引き起こす現象を環境テロリズム と命名してもよいだろう(池田光穂の造語的使用)。テロリズムは、個人(ゴミの不当放棄)でおこなわれることもあるし、組織(工場排水による水系の汚染) や社会・国家(原子力汚染、戦争による環境破壊)によるものもある。テロおよびテロリストは、否定的意味をもったラベルであるので、具体的な相手や標的を もった際には慎重な対処が必要になるだろう。
他方、エコ・ポルノは、環境保護や「地球にやさしい」などを売り文句にして消費の拡大を正当化する言説のことを椰揄して表現したことば、D・スズキによ る。[→D・スズキ『未来への選択』NHK出版,p.169]出典:細川弘明「省エネと「省エネもどき」」原子力資料室通信224号 (1993.1.30)p.10。
(1)狭義の意味での先住民以外の集団との連帯
(2)環境保護運動・反核運動との密接なかかわり
エコツーリズムとの結びつき。この背景には、先住民の人びとの生活が環境との調和の中で生きている/生きていたという、人びとが共有するイメージが不可 欠である。
(3)メディアの重視
(ブラジル先住民やアボリジニーが映画・ビデオを作成し、それが彼らにとっての広報活動や「白人を教育するため」機能を果たしている)
(4)権利回復として「土地権」運動の盛り上がり
(自分たちの選んだ生活様式を選択する権利:例オーストラリア・アボリジニー:土地の「所有権」ではなく、その利用権を共同体という団体で土地登記す る)
[→1989年のILOの107号(先住民に関する)条約改正:従来は、先住民は教育し、社会的向上をはかり主流社会に同化すべき、という近代文明に馴 染ませるという発想が、土地権や独自の文化や言語を維持する権利などを積極的に認める内容に改正された。]
余暇概念によって裏付けられ、可処分所得を消費する行動としての“近代観光”は産業社 会の成立ともに始まった。
他方、消費する側からみた近代観光というライフスタイルは、それが発生した西ヨーロッパという地域性を超えて、いまや全世界の、とくに上流および中産階 級に普及しつつある。特定の歴史的・社会的条件のもとで生まれた生活の様式が世界を席巻するようになった。しかしながら、それはすべての人々が同じような “観光”をおこなっているのではなく、(余暇概念に基づく消費という基本型をもつながらも)さまざまな形で観光を展開している。また同じ社会の人々のなか でも、旅行する個人や集団の主体的な選択によって、多様な観光形態が見られるといっても過言ではない。
19世紀末の富裕階級を「余暇階級」(leisure class)としたT・ヴェブレンは、彼らの消費パターンの目的が実質的なものの消費にあるのではなく、他者に「見せびらかす消費」 (conspicuous consumption)であるとした。20世紀末の日本の外車(とくにヨーロッパ車)の崇拝と購入などは、「質がよく安全性が高く、機能の充実した車」 であると消費者を煽るメディアの追い風にのった、ある種の見せびらかす消費といえよう。しかし、このようなひねくれた見方を取らなくても、現代の中産階級 は、その見せびらかしの程度は慎ましいもののさまざまな差異の記号――たとえばブランド品、家具調度、生活スタイルなど――をもって小さな見せびらかしの 消費そのものを実行している。このようなことが可能になるのは、商品の価値が相対的に下がると同時に、付加価値やブランド、素材などその商品の種類を生産 する社会においてである。19世紀末のアメリカ合衆国の余暇階級は一握りの人たちであったが、20世紀末の日本の余暇を享受できる階級は社会の大多数を占 める中産階級にある。形態は同じくしながら(世界的な規模で展開しつつある)近代観光において、観光にこめ る人々の意味や価値には、多様な広がりがあると同時に、それが固定的に決まらないという事情がある。これは、近代観光にこめる意味や価値が文化や社会に よって一元的に決まっているのだという強迫的な観念をもって、観光現象を調査することの不可能性を示唆している。(→これは、ワールドミュージックなどの 受容/消費のパターンなどとよく似ている)
(先進諸国の中産階級を意識する)現代の観光の最大の特徴は、“観光において消費される イメージ”が次々と変化していることである。現代の観光が、人々がそのイメージを投射しやすいメディア(媒体・手段)と化しているのである。旅をしたいと いう「欲望」が、いったいどこからもたらされたのかは、依然不明ではあるが、観光が何を人びとに見させようとするのかは、時代における社会条件の変化とと もに、今後はより早いサイクルで変わっていくかも知れない。
40. マヌエル・アントニオの悲劇――その人気さ ゆえの犠牲
MANUEL ANTONIO NATIONAL PARK, COSTA RICA:
VICTIM OF ITS OWN POPULARITYコスタリカの太平洋岸に面するマヌエル・アントニオ国立公園は、国内のみならず海外の 観光客にもよく知られた、海岸と森林が組み合わされた自然の景観があり、クモザルの有数の生息地であった。この人気が高じて投資家は付近に多くのホテルを 建てた。その結果、野生動物の多大な脅威を与える結果になった。
そのため生態系保護のために公園の半分は閉鎖された。野生生物の生存可能な生態系を確保するための公園の拡張のほかに、観光客の厳しい入場制限が必要に なった。これは地元が開発した公園へのアクセスや土地利用への制限に対しては反対運動がおこっている。コスタリカは国家政策としてエコツーリズムをかか げ、資源の消費的利用に熱心な数少ない国である。国土の11%が国立公園として確保されている、国の主要な森林は公園の外にある。観光産業の成功は森林を 環境的に圧迫しており、そのために森林への観光のインパクト制限し管理する包括的研究が求まれている。【出典】[抄訳と要約]
RAINFOREST ACTION NETWORK INFORMATION SERVICE, Rainforest Action Network Fact Shet;(C) Rainforest Action Network, 1994, Written by Kenneth McCormic
フィクションの映像においては鮫が邪悪な象徴になる(例:『ジョーズ』『アトランティ ス』)になるのに対して、クジラ目においては、かのシャチにおいてさえ、高等な知能、ウイット、「ヒューマン」な性格を与えられる。このステレオタイプ は、アリストテレスの記述に遡るほど、人間の観察にもとづくものの反映であろうが、リリーがおこなったイルカの飼育と人間の音声言語を媒介にしたコミュニ ケーションの実験が、西欧の人びとに大きな影響を与えて以降、急速に人びとに受け入れられるようになったのではなかろうか。
【小説】
・メルヴィル『白鯨』1851年::エイハブにとって悪の権化だが人格的存在となる。
・アサー・C・クラーク『イルカの島』(小野田和子訳)、東京創元社、1994[1963]
大洋で子どもたちを救ったイルカとイルカ研究者の話。小説の<イルカ島>研究所所長のカザンは近未来のリリー博士のような存在である。
・D・ブリン『スタータイド・ライジング』ハヤカワ文庫
主人公が宇宙船に乗るSF
【映像ドラマ】
・『腕白フリッパー』
・『オルカ』『オルカ2』
・資本主義社会における自然の商品化の問題
・維持可能な計画的な自然の利用など、果たして可能なのか?
脊椎動物門
哺乳綱 Class MAMMALIA
鯨目 Order Cetacea
Ⅰ.歯鯨亜目 Suborder Odontoceti
Physeter マッコウクジラ sperm whale
Delphinapterus シロクジラ white whale
Monodon イッカク narwhal
Delphinus マイルカ common dolphin
Lagenorhynchus カマイルカ striped dolphin
Tursiops バンドウイルカ bottle-nosed dolphin
Grampus(=Orcinus) サカマタ、シャチ killer whale
Globicephala ゴンドウクジラ piloy whale
Neomeris スナメリ finless porpoise
Ⅱ.ヒゲ鯨亜目 Suborder Mysticeti
Eubalaena セミクジラ black right whale
Balaenoptera ナガスクジラ finner whale, rorqual,イワシクジラ sei whale
Megaptera ザトウクジラ humpback whale
Eschrichtius コクジラ California grey whale
Copyright Mitzubishi Chimbao Tzai, 2001