エコの用語法をめぐって
エコの用語法をめぐって
・エコツーリズム批判
エコツーリズムにおける「エコ」概念のとらえかたには、様々な意見がある。これを理解するためにはいくつかの対立項を立てて整理する必要がある。
まず、人間とエコロジー的活動の関係についてのビジョンにおける対立である。つまり、人間の活動その ものにエコロジー性を見いださない悲観派と人間のエコロジカルな可能性を信じる楽観ないしは努力派である。前者の悲観派は、人間の活動は、いくらあがいて もエネルギーを浪費し、自然を汚染しつづけることを完全に止めることはできないといみる。後者は、多くの環境保護派がそれに属しており、実現を近未来にみ る楽観的見解から、「長い革命」をめざす長期努力派まで多様な広がりをもつ。
つぎに、エコツーリズムにおけるエコロジカルな行動の可能性についての見解の対立である。これは、エ コロジカルとツーリズムは共存する/共存しないという考え方の対比である。もちろん、共存するという立場をとるものでも、エコツーリズムと対立するマス ツーリズムという概念を対極にもってきて、そのマスツーリズムの弊害を克服したものに「真のエコツーリズム」を掲げるという理想をもっている。エコツーリ ズムを実施するツーリストオペレーターや観光局などの監督官庁、あるいはそれを支援するNGOなどは、計画にエコ意識(eco-consious)がある か、どうかのチェック項目をもたせている。つまり、無条件にエコツーリズムが可能になるという見解をとるのではなく、維持管理するという努力の上にエコ ツーリズムが可能であるとする立場なのである。このような立場をとると、そのような条件で行われる観光は監視・監督される必要があるし、また観光客には一 定の守るべき倫理綱領が要求される。例えば、カナダでは「カナダ観光産業協会」と「環境と経済の国民円卓会議」が「持続的観光のための倫理綱領とガイドラ イン」(1992)を策定している。
他方、エコツーリズムそのものが形容矛盾であったり、そのようなネーミングが商品としてのカモフラー ジュであるという意見も多い。「エコツーリズムは現在ファッショナブルなマーケティング戦略になっている。また、しばしば誤解されるよりも、利用され搾取 されていることが多い。消費者はこのような弊害から保護される必要がある。「エコ」ちょうど「自然=ナチュラル」という言葉と同じくらい曖昧なものになっ ているのである。」(Masterton 1991, sited in Wight,1993:4)「(旅行代理店の)人びとは決して(旅行の)計画書を変えることはない。彼らは(エコという)言葉を商売目的のために使うの だ」(Ignacio 1990, sited also)。そして、ライトによると、ベリーズの新聞に掲載されたあるロッジの広告では、完全に電化されバーが完備されたロッジがマヤ文明の遺跡のど真ん 中にあり、訪問者はマヤのピラミッドに登りたくなるような環境におかれている、と宣伝されている。このような宣伝は、グラビアを多用した観光関連雑誌の広 告には枚挙のいとまがない。もっと極端なものになると、豪華な客室や隣接する広大なゴルフコースやマリーナを抱えてエコツーリズムと称するものがある。こ のような広告は、エコツーリズムを否定したり慎重な管理を必須とする論者にとってみれば、ほとんどエコ・ポルノ(後述)まがいのものと言えよう。
(Masterton, A.M.,1991, Ecotourism: An Economic Isse, Tour and Travel News, April 24:1,51-52.;.Ignacio G., 1990, Ecotourism Spawns New Breed of Adventure Tours, Tour and Travel News, February 5:24-25.)
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