エコ・ツーリズムのジレンマ
Dilemma of doing
Ecotourism
エコ・ツーリズムのジレンマ
(あるいはサステーナブル・ネィチャー・ツーリズムのジレンマ)
(1)エコ・ツーリズムとは人間中心的な発想の産物である。つまり、人間の快楽のために自然を 奉仕 させようとする考え方が基本にある。(営利としてのエコ・ツーリズムが可能なのは、このことによる。)
(2)良質とされているエコ・ツーリズムの最終目標=イデオロギーとは、観光客に自然環境の大 切さ を学ばせ、自然の持続性を保証させるための行動に誘うことであるとされる。このイデオロギーの中には、生態学の基礎知識から、自然保護の理念、あるいは自 然とふれあうことの喜びという、倫理的・道徳的次元にいたるまでのものがある。
(3)自然保護(つまりエコロジー)とツーリズム(つまり開発)の間にはトレード・オフの関 係が ある。したがって、比較的良心的なエコ・ツーリズムの企画には、訪問客の数を制限したり、観察条件を制限しているものがある。ところが、これは観光による資 本主義的な開発の論理には反する。
(4)このトレード・オフの問題を解決させる唯一の方法が「持続性」 (sustanability)である。しかし、この概念そのものは有効性を予測することが非常に難しい。生物の個体性維持は、概念を導出するだけでは実 現できない。捕鯨の最大持続生産量(MSY)の議論と同じで、科学的算出方法自体にも限界があるし、またクジラを食物のカテゴリーとして考えない保護派の 人びとにとっては、その議論そのものを無効にしようとする動きがある。つまり現代のエコ・ツーリズムなどは、将来の人びとにとって、まるでかつてのアフリカ やインドにおける猛獣狩り、捕鯨と同じようなものとして見られるかもしれない。
(5)さらに資本主義の論理の厳しい現実がある。開発の論理には収益をあげ、それを維持し、 さら に発展させていくイデオロギーがつきまとう。持続性は、どこかのところで限界を見いだし、それを維持運営するという発想に根ざしており、これを概念的に両 立することは、ある種の[宗教的な]改宗ということすら、人びとに要求するだろう。
【自然保護と開発のジレンマ】
ジャマイカの湿原は、従来は稲作のための水田開発か、あるいは燃料用の泥炭(peat)のた めに 利用されてきた。しかし、その湿原のひとつであるネグリル(Negril)リゾート開発がもちあがった。ときの首相は石油会社の経営にかかわりかつては燃 料資源としての泥炭開発に興味をもっていた。しかし首相は湿原の国立公園化と外国人観光客が落とす外貨の獲得をめざしたリゾート開発のほうに関心を移し た。リゾート開発にのりだしたのはネグリルの材木企業であり、国立公園を支援する側にまわった。
米の自給と燃料確保が外国人向けのリゾート開発による外貨確保が、トレード・オフの関係に あった わけである。このような状況のもとでは、自然保護派は、ある意味で目標を達成するめに資源確保よりもリゾート開発を選択する道を歩んだ。エコ・ツーリズムに 関係する開発には、つねにジレンマがあり、目標を達成するための状況に応じて様々な選択をとらねばならないことが、この事例で理解されよう。 [Bacon, Peter R.,1987, Use of Wetland for Tourism in the Insular Caribbean, Annals of Tourism Reseach 14:104-117.]
【ベリーズの現実】
ベリーズでは、環境保護論者と米国を中心とする「エコ・ツーリズム」開発の投資家のあいだに軋 轢が ある。エコ・ツーリズムの観光客を泊めるためにベリーズ市のホテル地区に巨大なホテルが建設されたのだが、これはベリーズのダウンタウンの都市環境問題を無 視していると批判された。また郊外のホテル建設のための土地取得は米国あるいは国外在住のベリーズ人の主導のもとでおこなれれ、地元住民の意志を反映して いないとも批判される。また、外国人観光客が投下する外貨は、現地の経済的貧困層には環流されず、海外に逃避するという懸念もある。(コスタリカのように 中規模の現地観光資本が少なく、またそれが育つという可能性がすくないのではないか——引用者コメント)[Higinio, Egbert and Ian Munt, 1993, Eco-Tourism Gone Awry, NACLA XXVI(4):8-10.]
リンク
【文献】
Farrell, Bryan and Dean Runyan, 1991, Ecology and Tourism, Annals of Tourism Research 18:26-40.
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