ルワンダでの出来事から考える
Introduction
to Conflict Resolution: an anthropological approach
■ 用語法の確認
難民とは?[→難民][ルアンダで何がおこったか][暴力について考える][構造的暴力]
■ 歴史的背景
ルワンダ Rwanda
__________ 15世紀以前:約1000年前にバンツー系農耕民フツHutuが定着する。 15世紀以降:牛牧を主とするツチTutsiが定着し、ムワミmwami王制をひき、ルワンダ王国を形成 1899年:ドイツ植民地 1916年:ベルギー植民地 1959年11月:フツの反乱と暴動によりツチの難民2万 1962年:フツ解放運動党(PARMEHUTU)とベルギー政府の合意によりルアンダ共和国成立、ムワミ(mwami)王制 度の廃止 1963-4年:ツチ抵抗勢力の軍事攻勢、フツの反撃でツチ1万人死亡、10万人難民化 1973年:ハビャリマナJ.Habyarimana国防相クーデタ 1987年:ツチ系のルアンダ愛国戦線(FRP)結成 1990年:FRPがウガンダより侵攻、内戦状態に 1993年8月:政府と愛国戦線が和平合意 1994年4月:J・ハビャリマナ大統領機撃墜、以後ツチに対する虐殺行為が増加(→千の丘ラジオ)。ツチの難民化 1994年7月4日:FRP首都制圧、フツの難民化がはじまる。 |
ブルンジ Burundi
__________ 1962年:ムワミを元首とする国民統一進歩党(UPRONA)により独立 1966年:ツチ軍人M・ミコンベロが王制を廃止して共和国制を宣言 1972年:ムワミ処刑、クーデター未遂、フツの反乱とフツの大量虐殺(約20 万) 1994年4月:ブルンジ大統領、ルワンダ・ハビャリマナ大統領と共に航空機撃 墜により暗殺(→ルワンダの項参照) |
【文献】
■事例分析
場所:G県T村
登場人物
Fは甥/姪(性別不詳)殺害の咎で3年の刑に服し、1997年10月に出所した。
●系譜図で用いられる記号(→親族系譜図の基本的スタイル)
※なお、調査時に死亡は下図のように斜めの線を引く
●事例のケースの系譜図(→ 映像資料の親族系譜関係)
【文献】
Malkki, Liisa H., 1995.Purity and Exile: Violence, memory, and national cosmology among Hutu refugees in Tanzania. Chicago: University of Chicago Press.
【映像資料】
NHKスペシャル「なぜ隣人を殺したか——ルアンダ虐殺と煽動ラジオ放送」ca.1998.1.18放送