研究ノート:医療的多元化の理論
Critical Notes on Medical Pluralism, by Mitzubishi Ikeda
以下のノートは引用者によるコメント込み です。原典にあたらないと後悔するでしょう。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++1.多 元主義・多元論の2つのレベル
(1)パラレルまたは代替システムとして
(2)異なるシステムの要素の取り込み(incorporacion)として
2.現 在までの人類学研究の問題点
(a)治癒の超自然的側面のみを強調し、それ以外の部分が疎かにされている
(b)現地のシステムの全体論が理解されずに、医学と宗教の固有のモデルを外挿
3.宗 教と医学の(ヘゲモニーの)問題/葛藤
(a)メソアメリカ地域でシャーマンやクランデーロの利用が低下してきたのは、近代医療の普及よりも宗教ミッション(Accion Catrica, Evangelista etc.)の活動による。
(b)近代医療の普及は政治的システムによって援助される。
その例)グアテマラではクランデーロが公的に禁止されている(Velimirovic, 1978:181)。またエヴァンヘリコや近代主義的カトリック(アクション・カトリカ)なども呪術的治療を批判する。コスミンスキーによると、シャーマ ンやクランデロの利用頻度がメソアメリカで低下しているのは、西洋医療の普及よりも、上記のような宗教ミッションによる布教のためであると考えられる。
(c)エスピリティスモ(espiritismo)は、ヨーロッパの文化的伝統に由来し、メソアメリカでは近代的とも伝統的とも考えら れない。
(d)民間注射師(enyeccionista)のような民間医療セクターの存在
(e)治癒の超自然的面を強調し、それ以外の部分がおろそかになる。
(f)人類学の古典的な宗教/医療の概念枠組を無批判に流用している。
4.伝 統と近代
医療資源としての2つの医療の選択のパターン(伝統+近代,近代のみ:伝統一本というのは少ない)
家庭内での処方:autotratamiento con remedios caseros
注射療法者(inyeccionistas)
スピリティズム:ヨーロッパの文化的伝統に由来し、メソアメリカでは、近代的とも伝統的とも言えない。
伝統と近代の関係は、2つの医療の選択であり、それらは人びとにとっての医療資源と なっている。
5.社 会集団による選好性(Fabrega and Manning 1979)
インディヘナ/伝統的療法の選好
メスティーソ/近代的療法の選好
※ただし、メキシコのメスティソ社会の女性には2つの利用パターンがあり、伝統的志向の女性は、伝統的および近代的利用資源の両方を利 用する(重み付けは、前者>後者)。しかし、近代的志向の女性は近代的医療資源のみの利用するにとどまっている。[McClain 1977: Soc.Sci.&Med.11:341-7]
8. 病気=患者と治療のタイプの関係
Fabrega and Manning(1979)のサンクリストバルでの研究:伝統=先住民、近代=ラディノという二元論で説明される。
10. 医療選好の経時的な利用パターン
複数の医療の利用はきわめて一般的にみられるが、それはシーケンシャルな形態をとるが、時に同時に利用されることもある。
11. 多元主義の相互関係について
相互作用について「何が」関与するかについて示されるが、「どうして」とか「どのように」ということを説明する研究は少ない。
選択の決定因については次のようなものがある。
「多元的医療とは、患者によって利用される様々の伝統・専門家・イデオロギーや[医療の]実践の共存だけでなく、民間医療によっておこ なれる、それぞれの伝統の要素の統合でもある」(p.178)
8.ハ イブリッド状況(池田)
通常に用いれるエックス線やビタミンの概念を検討すると、西洋医学用語やそのカテゴリーがますますよく利用されるようになったが、その ことと人びとが理解している概念の中身は全くの別物と考えてよい。すなわち、折衷主義という形で「開いている」民間医療システム
ビタミン注射(p.179)について
ビタミンが食物に含まれるという考え方がない
注射やトニックを与える重要性が、医師、薬剤師、クランデロなどによって(西洋医療の側からも)裏書きされている。このことにより、すくなくともイデオロギー的/表面的には相互に排除するようにみえても、西洋医療の医者も患者と認識 論的地平は共有しているのだ。
西洋医学の病気の用語とカテゴリーが、ますます利用されるようになっている。ただし、人びとはそれを(西洋医学的に正しく)理解する必 要はないのである。
そういう意味で、民間医療はオープンシステムである。
21.西洋医療[遂行上]の問題点/薬剤 の不適切な使用
(1)医師が短い時間単位で患者に処置すること
(2)患者の経済的理由
(3)患者が西洋医療に対して現実とかけ離れた短期な効果を期待すること
23.保健の商品化の問題
医薬の消費の伸びが、皮肉なことに生活の質を向上させる消費を押さえつけている。あるいは近代医療の不適切な利用の効果として、精神的 治癒をねらうクランデーロやエスピリティスタの利用が高まることがある。
グアテマラでは1976年の薬剤の消費だけでも4000万ドルに及んでいる。
商品化を促進させるのが、マスメディアによる宣伝である。
【近代化の逆説的効果】
医薬の消費の伸びが皮肉なことに、人びとの生活の質を向上させる一般的な食品や生活の改 善に使われる消費を圧迫する。
26. 西洋医学の間接的社会効果
心理的=精神的不安の増加による、精神的治療を提供する治療資源(クランデロやエスピリトゥイスタ)への依存の増加傾向
Medical Pluralism
refers to the coexistence of differing medical traditions and practices
grounded in divergent epistemological positions and based on
distinctive worldviews. From the 1970s, a globalised health market,
underpinned by new consumer and practitioner interest, spawned the
importation of ‘non-Western’ therapeutics to the UK. Since then, these
various modalities have coexisted alongside, and sometimes within,
biomedical clinics. Sociologists have charted the emergence of this
‘new’ medical pluralism in the UK, to establish how complementary and
alternative medicines have fared in both the private and public health
sectors and to consider explanations for the attraction of these
modalities. The current positioning of complementary and alternative
medicines can be described as one of ‘mainstream marginality’ (Cant
2009, The New Sociology of the Health Service, London: Routledge):
popular with users, but garnering little statutory support. Much
sociological analysis has explained this marginal positioning of
non-orthodox medicine by recourse to theories of professionalisation
and has shown how biomedicine has been able, with the support of the
state, to subordinate, co-opt and limit its competitors. Whilst
insightful, this work has largely neglected to situate medical
pluralism in its historical, global and colonial contexts. By drawing
on post-colonial thinking, the paper suggests how we might differently
theorise and research the appropriation, alteration and reimagining of
‘Asian’ therapeutic knowledges in the UK. |
医療多元主義(Medical
Pluralism)とは、異なる認識論的立場と独特の世界観に基づく、異なる医学の伝統と実践の共存を指す。1970年代以降、グローバル化した医療市
場は、新たな消費者や開業医の関心に支えられ、「非西洋的」治療法の英国への輸入を生み出した。それ以来、こうした様々な治療法は、生物医学的なクリニッ
クと並存し、時にはその中で共存してきた。社会学者は、英国におけるこの「新しい」医療の多元性の出現を描き、補完代替医療が民間と公的医療部門の双方で
どのような地位を占めてきたかを明らかにし、これらの治療法の魅力についての説明を考察してきた。補完代替医療の現在の位置づけは、「主流派の周縁性」
(Cant 2009, The New Sociology of the Health Service, London:
Routledge)といえる。多くの社会学的分析は、専門化理論に依拠することで、非正統医学のこのような周縁的位置づけを説明し、生物医学が国家の支
援を得て、いかに競争相手を従属させ、共闘させ、制限してきたかを示してきた。洞察に富んでいる一方で、この研究は、医療多元主義をその歴史的、世界的、
植民地的文脈に位置づけることをほとんど無視してきた。ポストコロニアル的思考を活用することで、本論文は、英国における「アジア的」治療ノウハウの流
用、改変、再構築を、どのように理論化し、研究するかについて提案する。 |
Sarah Cant, Medical Pluralism,
Mainstream Marginality or Subaltern Therapeutics? Globalisation and the
Integration of ‘Asian’ Medicines and Biomedicine in the UK. Society and
Culture in South Asia. Volume 6, Issue 1 https://doi.org/10.1177/2393861719883064 |
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Venera Khalikova, Medical
pluralism, Chinese University of Hong Kong, Chinese University of Hong
Kong. -- Cite as: Khalikova, Venera. (2021) 2023. “Medical pluralism”.
In The Open Encyclopedia of Anthropology, edited by Felix Stein.
Facsimile of the first edition in The Cambridge Encyclopedia of
Anthropology. Online: http://doi.org/10.29164/21medplural |
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Abstract Medical pluralism describes the availability of different medical approaches, treatments, and institutions that people can use while pursuing health: for example, combining biomedicine with so-called traditional medicine or alternative medicine. If we look closely at how people deal with illness, navigating between home remedies, evidence-based medicines, religious healing, and other alternatives, we can notice that some degree of medical pluralism is present in every contemporary society. As a concept, medical pluralism lies at the heart of the discipline of medical anthropology, which owes its birth to the study of non-Western medical traditions and their encounters with biomedicine. This entry describes the history of debates in the scholarship on medical pluralism, the search for an appropriate terminology, and current theoretical and methodological developments. In the 1960–1980s, many studies were focused on patients and their strategies of choosing a ‘medical system’ from a plurality of options. In the 1980–1990s, the notions of medical systems and medical traditions came under severe criticism for their inability to describe how medical thought and practice change over time, often being too eclectic to fit single systems or traditions. As a result, anthropologists began investigating patient-doctor negotiations of treatment, their diverse health ideologies, as well as the role of political-economic factors in shaping the hierarchies of medical practice. Additionally, scholars began examining the processes of state regulation and institutionalisation of medical traditions (for example, as ‘complementary and alternative medicine’ [CAM] in Europe and North America). This opened the field of medical anthropology to new debates, terminology, and geographical horizons that are trying to account for the pluralist nature of medicine in the twenty-first century. Transnational migration, the Internet, the rise of alternative medical industries, and the global flow of medical goods and knowledge all serve as catalysts for ever-more pluralistic health-seeking practices and ideologies. |
要旨 医療多元主義とは、人々が健康を追求する際に利用できる、さまざまな医学的アプローチ、治療法、制度のことを指す。例えば、生物医学といわゆる伝統医学や 代替医療を組み合わせることである。例えば、生物医学といわゆる伝統医学や代替医療を組み合わせることなどである。人々が病気とどのように向き合っている のか、家庭療法、エビデンスに基づく薬、宗教的な癒し、その他の選択肢の間をどのように行き来しているのかをよく見てみると、どの現代社会にもある程度の 医療多元主義が存在していることに気づくだろう。医療人類学は、非西洋医学の伝統と生物医学との出会いを研究することで生まれた学問である。本項目では、 医療多元主義に関する研究における議論の歴史、適切な用語の模索、そして現在の理論的・方法論的発展について述べる。1960-1980年代には、多くの 研究が患者と、複数の選択肢から「医療システム」を選択する彼らの戦略に焦点を当てていた。1980-1990年代には、医療制度や医療伝統という概念 は、医療思想や実践が時代とともにどのように変化していくかを説明することができず、しばしば単一の制度や伝統に適合するにはあまりにも折衷的であるとい う厳しい批判にさらされるようになった。その結果、人類学者たちは、患者と医師との治療交渉や、彼らの多様な健康イデオロギー、さらには医療行為のヒエラ ルキーの形成における政治経済的要因の役割を調査し始めた。さらに学者たちは、医療伝統の国家による規制や制度化の過程(例えば、ヨーロッパや北米におけ る「補完代替医療」[CAM]など)を調査し始めた。これにより、医療人類学の分野は、21世紀における医療の多元主義的性質を説明しようとする新たな議 論、用語、地理的視野へと開かれた。国境を越えた移民、インターネット、代替医療産業の台頭、医療品や知識の世界的な流れはすべて、これまで以上に多元的 な健康を求める実践やイデオロギーの触媒として機能している。 |
はじめに 医療多元主義とは、人々が健康を維持したり病気を治療したりするために、さまざまなアプローチや治療法、制度を利用できることを指す。最も一般的な医療多 元主義は、西洋医学(または「生物医学」)と、「伝統医学」や「代替医療」と呼ばれるものとの併用である。例えば、がん患者は化学療法を鍼治療や宗教的 ヒーリングで補うかもしれないし、妊娠を望む女性はホルモン治療を家庭療法やヨーガと組み合わせるかもしれない。医療多元主義の研究者たちは、伝統医療、 先住民医療、民間医療、地域医療、代替医療など、さまざまな用語を使っているが、いずれも生物医学との区別を意味するため、この項目では「非生物医学的」 実践と呼ぶことにする。 理論的枠組みとして、医療多元主義は20世紀後半に発展し、特に生物医学との多様性、共存、競争において、地域の医療伝統を調査した。これらの研究は、医 療人類学という分野を確立する上で中心的な役割を果たした。今日のグローバリゼーションの中で、医療多元主義はその分析的重要性を保っている。特に、人々 が地域や国境を越えて代替療法を探し求め、「ホリスティック」、「伝統的」、「自然的」な治療法の消費市場が拡大し、多くの国民が代替療法を国民医療に取 り入れようとしていることを検証している。 初期の人類学者は、非西洋社会における地域医療の伝統に焦点を当てていたが、現代の学者たちは、ヨーロッパや北米を含むすべての社会における複数の医療の 位置づけを検討している。この変化は、例えば「統合医療」や「代替・補完医療」(あるいは「CAM」)を含めることで、私たちが医療多元主義を説明する範 囲と用語を拡大した。これらの用語の用法には違いがあるが、大雑把に言えば、統合医療とは、ある医療提供者がホリスティックな治療コースの一環として、生 物医学的要素と非生物医学的要素の両方を提供することを意味し、CAMとは生物医学以外の処置を指す。 人類学的研究は、非生物医学的実践を多角的に検証し、その形成における患者、医師、市場、政府の役割を明らかにする。この項目で示すように、概念としての 医療多元主義は、西洋/非西洋、近代/伝統、ローカル/グローバルといった二元論を超えた医学の分析を可能にするものである。このような認識は、本エント リーの最初のセクションで説明したように、医学の「システム」、「伝統」、「多元主義」という概念そのものを問題視する学術的議論の結果であった。続い て、医療多元主義が国家によってどのように影響され、規制されているかについての研究、そして近代性、科学、有効性、ジェンダー、グローバリゼーションに 関する言説との関連における医療多元主義についての研究について述べる[1]。 医療の「システム」、「伝統」、「多元主義」 非西洋医学に対する人類学的関心は、W.H.R.リヴァース(W.H.R.Rivers、1924年)が医学を独立した知識体系として扱うべきだと提唱し た20世紀初頭にさかのぼる。しかし、医療制度が人類学研究の焦点として浮上し始めたのは、1950年代に入ってからである。医療多元主義」という言葉は まだ導入されていなかったが、ジョージ・フォスター(George Foster、1953年)のような学者は、植民地的・世界的なプロセスが現地の医療に与えた影響を考慮することの重要性を示した。 医療多元主義の研究は、1970年代後半から1980年代初頭にかけて、人類学者がアジア医学の比較研究を開始したことから始まった。この巻のタイトルと 内容、そして医学の多元性を一つの社会における「異なる設計と概念の医療システム」(Janzen 1978: xviii)と定義していることから、これらの研究の中心的な概念が「システム」であったことがわかる(Kleinman 1978; Leslie 1978, 1980; Press 1980も参照)。人類学者が親族システムや宗教システムを研究したのと同様に、医療人類学者は異質な医学的知識や実践を全体的な「システム」として理解 し、分類しようとした。そのためには、各医学体系が独自の認識論、疾病病因論(疾病の起源と原因)、それに対応する診断法や治療法によって特徴づけられて いるという仮定がしばしば必要とされた。たとえば、現代の南アジアや中央アジアで実践されているグレコ・アラビアの伝統医学であるウナニ医学は、病気を避 けるために一定のバランスを保つ必要がある4つの体液(エレメント)の影響を受けるものとして、身体や身体プロセスを精巧に理解しているため、医療体系と いえる。人が病気になった場合、訓練を受けたウナニの専門家は、体液バランスの異常の種類を特定し、健康な体液状態を回復するための治療を処方するために 様々な技術を採用することができる。 医療体系を分類する試みにおいて、学者たちは様々な基準を用いた。あるものは地理的な尺度を用いて、地域的なシステム(民間療法)、地域的なシステム(ユ ナニ医学や伝統的な中国医学など)、国際的な医学を区別した(Dunn 1976)。また、疾病の病因論を用いて、疾病が人間や神などの行為者の意図的な行為の結果として説明される場合には、すべての医学体系は「個人主義的」 であり、疾病が天候や体液などの非個人的な力によって引き起こされると考えられる場合には、「自然主義的」であると提唱する学者もいた(Foster 1976)。他の学者たちは、文章による記述を持たない「小伝統医学」を、医学書に基づく「大伝統医学」と区別する基準として文章を選んだ(Leslie 1976; Obeyesekere 1976、Redfield 1956の引用)。 しかし、医学知識を独立した「異なる設計と構想の」体系からなるものとして示そうとする試みは、重要な相互の発展や影響を軽視するものであるため、すぐに 問題であると認識された。例えば、いわゆる民間医学は、アーユルヴェーダのような地域医学からアイデアや方法を借りることがあり、それ自体、他の地域医学 や国際的な生物医学の影響を受けることがある。同様の問題は、医学の多元主義が「伝統」という概念を通して定義される場合にも生じる。例えば、「一つの社 会における多様な医学的伝統の共存」(Durkin-Longley 1984: 867)である。批判的な反省がなければ、「伝統」という用語は、医学的知識と実践を、古来から連綿と続く不変のものとして不用意に提示することになりか ねない。実際には、医学の「伝統」は常に変化し続け、社会経済的なプロセスに迅速に対応するものであり、それは生物医学と同様に現代的なものである。さら に、「乖離した伝統」という考え方は、医学的知識と実践を、広い文化圏に一様に存在する、別個の分離可能な存在に属するものとして提示するものであるが、 実際には、相互に絡み合い、異質で、多様であることが多いため、過度に還元主義的である可能性がある。 それゆえ、医療人類学者が医療多元主義そのものを定義するのに苦労してきたことは驚くべきことではない。伝統そのものが複数であるならば、複数の伝統につ いてどのように書けばよいのだろうか。この問題に対処するため、研究者たちは、医学の「システム」や「伝統」は分析的な構成概念として理解されるべきであ り、見かけ上、内部的に均質で硬直した境界を持つ、医学知識の実際の分離可能な領域として理解されるべきものではないことを強調してきた (Nordstrom 1988; Waxler-Morrison 1988)。また、別個の「システム」や「伝統」という考え方は、患者や医師自身が様々な医薬品をどのように理解し、使用しているかということとは切り離 されているという議論もある(Khalikova 2020; Naraindas, Quack & Sax 2014; Mukharji 2016)。例えば、マーク・ニヒターは、南インドの治療者が患者の懐具合や嗜好に合わせて治療法や医薬品を独自にブレンドして提供していたことを記録し ている(Nichter 1980)。このように異なる医学的アプローチを混ぜ合わせ、融合させる現象は、「医学的シンクレティズム」と呼ばれることもある(Baer 2011: 419参照)。 医学的シンクレティズムの他にも、学者たちは折衷主義やハイブリディティといった分析的な概念化を試みている(Brooks, Cerulli & Sheldon 2020)。これは、一見異なる医学の伝統が折衷的で絡み合った方法で実践され、医師と患者が出会うたびに多様な医学的な考え方や治療法が交渉され、その 結果、統合されたものとは認識できないほどユニークな結果がもたらされることを強調するものである。他の学者たちは、「治療遍歴」、すなわち「患者がたど る正確な道筋」や、患者が治療方針を選択し、それを継続する理由という概念を好む(Orr 2012)。しかし,他の人類学者は,様々な治療理念,方法,態度の混合,借用,交差を表現するために,「医療の多様性」という用語を使っている (Krause, Alex & Parkin 2012)。 これらの例はすべて、医療多元主義の研究が、人類学者たちに、医療がどのように実践されているかを検討するよう急速に促したことを浮き彫りにしている。境 界をもった実体としての文化という概念をポストモダンが批判する以前から、また実践と主体性を強調する理論的枠組みが出現する以前から、医療人類学者の一 部はすでに、医師と患者の関係や患者の健康追求戦略など、実践の場で展開される医療を検証し始めていた。例えば、「医療手段の階層性」 (Romanucci-Ross 1969)に関する研究は、人々がいつ、なぜ、ある治療法を他の治療法よりも選択するのかを問うものであった: 人々は一つの病気に対して複数の治療法を求めて「買い物をする」のだろうか、それとも病気の種類によって異なる治療法を用いるのだろうか。患者は様々な治 療法を同時に使うのか、それとも順次使うのか?このような疑問を研究した結果、学者たちは、さまざまなシナリオを導く文化的、医学的、社会経済的要因の重 要性を実証した。人々の選択は、病気の種類、その民間的解釈、患者の社会的地位、世界観、入手可能な情報、さらには治療の費用や入手しやすさによって左右 される(Gould 1965; Beals 1976)。 もうひとつの研究は、認知人類学から借用した用語である意思決定モデルを利用したものである。これらのモデルは、人々が何をどのような順序で選択するかで はなく、どのように治療法を選択するかに関心を示している(Garro 1998; Janzen 1978; Young 1981)。医療を求める行動の認知的側面、医療の選択肢に関する会話、意思決定の実際的側面に重点が置かれている。例えば、人々はしばしば親族に相談し たり、年上の家族から与えられたものを受け入れたりして、医療上の意思決定を行う。親は子どものために、夫は妻のために、そして大人は高齢の親のために治 療法を選択する。このような医療多元主義における親族関係の中心性は、治療上の意思決定に関する研究で重要な発見であった(Janzen 1978; 1987)。 医療多元主義の理論化におけるもう一つのマイルストーンは、それが西洋社会にも存在するという認識であった。伝統医学は当初、単一の「コスモポリタン医 学」と対照的に、非西洋社会やポストコロニアル社会で研究されることがほとんどであったが、学者たちはすぐに、アメリカのような一見均質な、あるいは先進 的な社会においても、医学は本質的に多元的であることを実証した(Leslie & Young 1992; Kleinman 1980)。人々がどのように病気と向き合っているのか、生物医学的な薬物療法や家庭療法、心理療法や宗教的な癒し、オステオパシーやカイロプラクティッ ク、その他の代替療法を交互に使っているのか(Naraindas 2006; Zhang 2007)をよく見てみると、医療の多元性はどの現代社会にも存在していることがわかる。さらに、生物医学そのものが多元的である。開業医は健康と病気に ついてさまざまな概念を持ち、医療サービスは民間と公的セクターを含めて大きく異なり、確立された生物医学的治療と実験的な生物医学的治療が共存し、互い に競合している。 したがって、(20世紀初頭にリヴァースが行ったように)西洋療法と非西洋療法を並列に並べるのではなく、1970年代から1980年代にかけての医療人 類学者は、生物医学とその他の医学的アプローチとの相違点だけでなく類似点にも関心を寄せてきた。こうして医療多元主義は、生物医学対民族医学、西洋対そ れ以外という還元主義的な二分法から脱却する重要な枠組みを提供した。この観点からすれば、生物医学は、世界中の患者が利用する数多くの選択肢のひとつで あり、もうひとつの伝統として研究することができる。 しかし、生物医学は他の薬と同列の中立的な選択肢ではない。非生物医学的な伝統は、社会的名声、教育、雇用機会、資金面において、しばしば覇権的な生物医 学に従属的な地位を占めているのである(Baer 1989, 2011)。例えば、生物医学の医師は、代替医療を提供する医師よりも高い給与と社会的尊敬を確保していることが多い(ただし、常にそうであるとは限らな い、Kim 2009を参照)。批判的な医療人類学者は、生物医学が世界中に広まったのは、生物医学の「自然な発展」や医学的優越性というよりも、植民地時代の過去や 国家権力と生物医学の連携といった強制的な要因が前提になっていると主張してきた(Lock & Nguyen 2010; Young 1981)。 とはいえ、生物医学の技術的優位性を主張する近代化論者の論理に反して、地域療法は消滅しなかった。なぜだろうか。一部の学者は、生物医学に対する人々の 不満や、伝統医学の方が地域の病気に適しており、安全で副作用がないという認識と関係があると指摘した(Farquhar 1994: 19; Lock 1980: 259)。代替医療と生物医学の専門家は、それぞれ異なる医療ニッチを占め、異なる顧客層を対象としている(Waxler-Morrison 1988; Leslie 1992)。 上記の問いと答えは、医療多元主義に関する理論的研究のほとんどが、植民地時代とポストコロニアル時代の文脈に基づいているという事実によって形作られ た。植民地主義は、現地の医学的知識と実践に対する学者たちの解釈に多大な影響を与えた。公衆衛生政策においても、初期の医療人類学者の著作においても、 しばしば理想化された西洋医学が、他の治療法を評価する基準として考えられていた。今日、学者たちは「西洋」医学と「東洋」医学、「近代」医学と「伝統」 医学、あるいは「科学」と「信仰」といった二項対立を批判するようになっている。さらに、現代の医療人類学者は、非生物医学的システムの間や、生物医学そ のものの中に存在するヒエラルキーに注意を払っている。 とはいえ、このような二項対立の残滓は、学術文献や一般的な言説の中に依然として見出すことができる。そこでは、「補完代替医療」という新たな用語が、非 生物医学的知識や実践の被支配的地位を知らず知らずのうちに強化していることがある。多くの場合、非生物医学的療法が国家によって正当化されないために、 従属的な立場に置かれることになる。それゆえ、国家がどのように、そしてなぜ医療多元主義を規制するのかは、学問的探究のもう一つの顕著な分野である。グ ローバルな政治経済的不平等に焦点を当てた研究は、特に国家イデオロギーや国境を越えた市場の影響を受けた医療行為の多重性と階層性を解きほぐすために行 われることが多い。 国家 代替医療を「ヤブ医者」や「疑似科学」として禁止したり、部分的に生物医学のインフラに統合する方法を提供したり、独立した機関として全面的に支援したり することができる(Adams & Li 2008; Berger 2013; Kloos 2013; Lock 1990; Scheid 2002)。政府はどのようにしてこのような決定を下すのだろうか。ある医療伝統が正統性を否定される一方で、他の医療伝統が推進されるのはなぜなのか。 非生物医学的伝統が公式に承認されるとき、何が問題となるのか。正統性が認められ制度化された後、その存在論や認識論にはどのような変容が起こるのか。開 業医、患者、そして社会一般にとって、どのような影響があるのだろうか。これらは、医療多元主義と国家の関係を調査した研究で提起されたいくつかの中心的 な疑問である。 特に世界保健機関(WHO)が「サービス提供のギャップにアクセスする手段」として伝統療法の統合を推進した1970-1980年代以降はそうである (Hampshire & Owusu 2013: 247-8)。ギャップを埋める」というのは、生物医学的なサービスや機関が限られている農村部の人口が多い国々では、公式のレトリックとしてよく使われ る表現である。ここでは、標準化され規制された代替医療が、共通の利益を達成するために必要な手段として提示される。しかし、より批判的に言えば、代替医 療の認知は、政府がアクセスしやすく手頃な価格の生物医学的医療を提供することに失敗し、インドのケースで一部の学者が主張したように、人々を「大規模 で、規制されておらず、資格のない開業医集団」のサービスに頼るように追い込んでいる、と見ることもできる(Sheehan 2009: 138)。同様に、ソビエト連邦崩壊後のキューバでは、社会主義ブロック諸国からの供給が減少した後、生物医学的医薬品の大幅な不足をごまかす戦略とし て、政府が伝統的なハーブ療法を医療制度に部分的に組み込んでいる(Brotherton 2012: 46)。 多文化的な文脈では、代替医療の正当化は、民衆の需要を満たすという政府の責任としてとらえられることもある。多くの場合、移民集団と関連して、複数の 「文化的に敏感な医療」が市民の権利として要求されることもある。特に、健康や病気について生物医学的なモデルを共有していない移民に対して、差別のない 医療サービスを提供することの重要性を指摘する学者もいる(Chavez 2003)。また、少数民族の権利とアイデンティティを認め るため、非生物医学的治療を統合することが近代民主政 府の目標であるべきだとまで主張する学者もいる。例えば、イスラエルの公的医療制度には多くの代替医療が含まれているが、アラブの漢方薬は含まれておら ず、アラブ少数民族の文化的嗜好が損なわれたままであることを示している(Keshet & Popper-Giveon 2013)。 国家に関する文献から得られる重要な洞察は、政府が医療の伝統に与える正当性と支援の度合いについて選択的であることを示している。したがって、医療多元 主義は、人口と経済を管理するために注意深く計画され、制定された政府の努力のためのメカニズムであり、その最終的な産物となりうるのである。例えば、 Steve Ferzacca (2002)は、スハルト大統領下のインドネシア新秩序政府を分析することで、医療多元主義を国家統治の一形態として理解することを提案している。フェル ザッカは、インドネシア政府が「開発」という包括的なイデオロギーに適合する医療行為のみを認め、促進することによって、医療行為の多元性をどのように操 作したかを示している。 非生物医学的知識と実践の選択的正統化のもう一つの例は、ヘレン・ランバート(Helen Lambert, 2012)によって示されている。彼女は、政府がアーユルヴェーダやヨーガ、その他のテキストに基づく医療体系を支援する一方で、インドにおけるボーン セッターのような地域伝統の実践者が、地域コミュニティでは専門家とみなされているにもかかわらず、「政府の正統性の周縁」にとどまっているとき、医療の 多元性が「正統性の階層」によってどのように特徴づけられるかを強調している。 これは重要なことである。というのも、非生物医学的な医師にとって、公的な承認は知名度、さらなる社会的受容、法的雇用をもたらすからである (Blaikie 2016)。ひとたび伝統医療が公的な地位を獲得すれば、その実践者はより高い給与、より良い施設、資金、より多くの機会を求めることができる。これとは 対照的に、政府の正統性の外に置かれた治療者は、コミュニティからの尊敬を失い、顧客を失い、次第に消えていく危険に直面する(Hampshire & Owusu 2013; Kleinman 1980)。同時に、リンダ・コナー(Linda Connor, 2004)は、国家の正統性が必ずしも人々の医療嗜好に影響を与えるわけではないと論じている。オーストラリア郊外の住民を対象としたエスノグラフィック 研究の中で、彼女は、人々がしばしば公式の医療環境以外の非生物医学的な治療法を選択するのは、その有効性が認識され、医薬品とは対照的に「自然」である と想像されるからであることを実証している。 伝統医療が専門化した結果、女性の知識が疎外されることになった。ガーナでは、Kate HampshireとSamuel Owusu (2013)が、伝統的なヒーリングを「専門化」しようとする政府の努力によって、「専門的な」医師になるための手段やコネクションを持つ男性施術者が優 位に立つようになったと観察している。対照的に、女性にはそうした手段がないため、特に子どもの病気に関する伝統的な知識が失われかねない状況が生まれ た。 しかし、公式に認可され、統合された医学的伝統でさえも、国家、生物医学的医療、あるいは市場が、その価値体系を無視したり、損なったり、変容させたりす ることによって、その地域の医学的知識を適切なものに変えてしまう「翻訳」の問題など、多くの課題に直面している(Bode 2008; Cho 2000; Craig 2012; Janes 1995; Saks 2008)。例えば、中国政府からのイデオロギー的な圧力により、チベット医学のある種の手技は、「宗教的」で「非科学的」であるとして、実践の周辺に押 しやられてきた(Adams, Schrempf & Craig 2010)。これと同様に、インドでは、アーユルヴェーダの8つの支流のひとつであり、人間以外の存在を扱うbhūtavidyāは、現代のアーユル ヴェーダの患者や医師の多くから否定されている(Naraindas 2014: 112-3; Hardiman 2009)。 制度化によって伝統医学の意味やレパートリーが歪められることはないとしても、それにもかかわらず、制度化は柔軟な治療実践を標準化された治療の一貫した 単位へと変容させ、治療規範性と正統性を押し付ける。つまり、選ばれた医学書、思想、手技だけが、その「正しい」解釈とともに医学教育や訓練に含まれるこ とになり、医師は、制度的な場に留まりたいのであれば、こうした規範的な医学のやり方に従わなければならない。例えば、1950年代における中国伝統医学 の制度化には、共産主義イデオロギーに適合するよう、選択された実践を「定義し、区切り、命名し、「純化」」する措置が伴っていた(Farquhar 1994: 14-5)。また、伝統医学の専門化は、医学知識の伝達や学習方法にも影響を与える。伝統的な医学知識は、教師から一人または数人の生徒への徒弟制度を通 じて伝えられることが多いが、国家の関与によって大学制度が導入されることも多く、教師と生徒、年長者と年少者の縦割り構造が崩れる可能性がある (Farquhar 1994: 15; Smith & Wujastyk 2008: 7)。 様々な政治的・社会的アクターが特定の医療イデオロギーを推進することに大きな利害を有しているため、医療人類学者は、政府内の異質な権力や、対立する市 民グループの存在、医療伝統に関する彼らの競合する主張、そしてそれらの主張に埋め込まれた様々なイデオロギー的立場を示すことに注意を払ってきた (Khan 2006)。例えば、西洋帝国主義と生物医学の間には共同構成的な関係があるため、「土着の」医療システムの「復興」はしばしば反植民地主義的・民族主義 的言説の中に組み込まれている(Langford 2002)。言い換えれば、ポストコロニアル国家は、植民地支配の構造からの解放の証として、地域医療の復興を目指しているのである。この目標は、ナショ ナリストのイデオロギーが活性化されうる複数の非生物医学的システムを有する国々において、特に複雑なものとなる(Alter 2015; Khalikova 2018)。 近代性、科学、有効性 国民主義と国民医療に関する言説は、しばしば近代性に関する議論と絡み合っている(Croizier 1968; Khan 2006)。この文献から得られる重要な洞察は、「伝統的」と「近代的」という用語の問題化である。20世紀の人類学者は、非生物医学的実践をすでに近代 的なものとして見なさない傾向があったが、世紀末になると、学者たちは近代的なものと伝統的なものがどのように共同構築され、流動的であるかを探求し始め た。 ボリビアにおける3つの医療伝統(コスモポリタン医学、アイマラ土着医学、家庭療法)に関する研究に基づき、リベット・クランドン=マラムド(1991) は「医療イデオロギー」という概念を導入し、人々が自分の病気について何かを語るとき、それは自分自身についても何かを語り、政治的・経済的現実について も発言していることを示した(1986: 463; 1991: ix, 31)。その結果、ある医学的伝統の治療的信憑性、有効性、正当性に関する人々の信念や議論は、ローカルかつグローバルな文脈において、その社会について 多くのことを説明することができる。 世界の多くの地域で、とりわけ植民地主義の文化的・政治的遺産と闘っているポストコロニアル諸国では、医師と患者が近代性、科学、技術進歩の概念を通して 伝統医学を再構成しようとしている。医療従事者はしばしば、患者や政府の政策、その他のアクターからの要求や期待に応えて、近代性と伝統の両方のイデオロ ギーを用いる。科学の概念についても同様である。たとえば、ヴィンカンネ・アダムスは、中国におけるチベット医学の実践者たちが、共産主義国家の科学志向 のイデオロギーに適合するために、いかに科学の言葉を使わなければならないかを記録している。その一方で、チベット医学は「独自の」方法で効能があり科学 的である(つまり、生物医学的な基準では測定不可能である)と主張している。それによって、文化的に適切な治療を求める地元住民の願望と、「ユニークな」 チベット医学を求める国際市場の要求を満たしているのである(2002b: 213)。 しかし、なぜ患者は代替医療を求めるのだろうか?それは効果があるのだろうか?効能の問題は、医療多元主義が提唱されて以来(Leslie 1980)、その研究において重要視されてきたが、人類学者たちは、「効能」が何を意味し、それをどのように分析すべきかについて、いまだコンセンサスを 欠いている(Waldram 2000)。もし有効性を、薬物が望む救済をもたらす統計的に測定可能な能力とするならば、一般的に医療多元主義の研究者は、代替治療が有効かどうかにつ いての主張を避ける傾向がある(Ecks 2013: 12; Langford 2002: 200)。その代わりに、研究者たちは、代替医療の使用を合理化する際の患者や医師の感情、主観的経験、見解に注目することで、「知覚される」有効性を理 解することに関心を寄せている(Poltorak 2013)。 患者はしばしば、自分に合うものを見つけるまで、治療法の選択肢を交互に「買いあさる」。ここでの関心事は、代替医療が測定可能な治療効果をもたらすかど うかではなく、どのような効果をもたらすかである。例えば、インドでは、アーユルヴェーダやホメオパシーなどの非生物医学的治療法は効果があるが、徐々に 効果が現れるため、身体への負担は軽いと主張する人が多く、一方、生物医学的治療法は即効性があるが、多くの副作用がある(Langford 2002)。言い換えれば、代替医療も生物医学も、効能はあるがその方法は異なるということである。北米では、生物医学に不満を持つ患者が代替医療を利用 するのは、自然、全体性、調和に訴えかけ、心地よい環境で治療を提供することで、「安全、快適、幸福」の感覚を植え付けると考えられているからであるのに 対し、生物医学は「苦しみの個人的・文化的次元に関与していない」、「快適さではなく生物学的有効性を目的とした、痛みを伴い、混乱させ、妨害する治療」 を伴うと批判されている(Kirmayer 2014, 38-9)。代替医療は温かく個人的なものであり、一方、生物医学は冷淡で制度的なものであるというこのような並置は、異なる治療法がどのように、そして なぜ効くのかについての多くの文化的言説を組み立てている。 シエナ・クレイグは、代替医療の効能に関する疑問をさらに掘り下げて、「ある薬は効くのか」という問いそのものが、覇権的で臨床的な視点によるでっち上げ であると論じている。そのような主張は、誰によって、どのようになされ、どのような目的のためになされるのか」(2012: 4)と問う必要がある。クレイグは、有効性の問題は、非生物医学的知識を生物医学や科学の言語に「翻訳」するためのメカニズムとして機能しており、それ自 体が(WHOなどによる)医療のグローバル・ガバナンスと新自由主義の成果であると主張している。言い換えれば、生物医学の有効性は、その社会的・経済的 権力に組み込まれていることを学者たちは強調している。つまり、有効性とは中立的な客観的カテゴリーではなく、何がエビデンスとしてカウントされ、誰がそ れを定義するのかという点に関して吟味される必要がある。 マーガレット・ロック(Margaret Lock)とマーク・ニクター(Mark Nichter)が思い起こすように、効能の社会的な主張は患者の健康に実際の影響を及ぼしうる。なぜなら、「効能の帰属がどのように決定され、それが肯 定的であれ否定的であれ、治療への期待、ひいてはそれ自体の有効性に影響を及ぼす」からである(2002: 21)。それゆえ、人類学的研究では、効能に関するさまざまな真実の主張、意味論、言語論が探求されることが多い。効能が現地の言葉でどのように語られ、 患者や医師自身によってどのように引き出され、効能に関するさまざまな考え方が健康上の結果にどのような影響を及ぼしうるか、ということである。代替医療 の有効性が主張されることで、確立された生物医学的治療(ワクチンなど)に対する不信感が醸成されることもある。したがって、複数の医学的選択肢が存在す ることが混乱を引き起こし、人々の健康に悪影響を及ぼす可能性があることを認識することが重要である。自分にとって正しいと思われる治療法を探し回る一方 で、患者は効果が証明されている医薬品の使用を遅らせる可能性がある。 ジェンダー 20世紀のほとんどの期間、医療多元主義に関する研究では、女性に関する言及は散見される程度であった。例えば、代替医療の主要な利用者や伝統的な治療者 としての女性である。今日、医療多元主義の文脈におけるジェンダーとジェンダー・イデオロギーを批判的に取り上げる文献が増えつつある(Cameron 2010; Fjeld & Hofer 2011; Flesch 2010; Menjívar 2002; Schrempf 2011; Selby 2005; Zhang 2007)。関連する研究分野として、生殖、伝統的な出産介助者、そして多元的な医療環境におけるジェンダー平等の問題、特にラテンアメリカにおける異文 化間医療の制度に焦点が当てられている。 チベット医学、中国伝統医学、アーユルヴェーダ、ユナニ医学、生物医学など、多くの医学的伝統は、かつては女性の医師、教師、医学書の著者が存在しない か、稀な領域であった(ただし、Fjeld & Hofer 2011を参照)。21世紀になって状況は変わり始め、以前は男性が支配していたこれらの医学の伝統を実践する女性が増えてきた。しかし、これはまた新た な不平等を生み出しかねない。例えば、Mary Cameron (2010)は、ネパールにおけるアーユルヴェーダの女性施術者の増加を調査することで、「アーユルヴェーダの女性化」は、生物医学が支配する医療制度の 中でアーユルヴェーダが公式に疎外されることと絡み合っていると論じている。言い換えれば、女性が代替医療従事者として受け入れられるようになったという ポジティブな変化は、ネパールにおけるアーユルヴェーダの威信の喪失によって否定されている(インドではこのようなことはない)。もう一つの問題は、代替 医療における女性施術者の増加は、女性の「生来の」治癒能力や自然との近さというステレオタイプを強化しかねないということである。これは、米国で鍼灸と 東洋医学を学ぶ女子学生に関するハンナ・フレッシュの研究(2010年)に記録されている。このように、これらの研究は、代替医療/伝統医療に関する言説 がしばしばジェンダー化されていることを明らかにしている。 他の研究者たちは、非生物医学的な健康関連の実践が、いかに男らしさや社会政治的イデオロギーと結びついているかを示している。ジョセフ・オルター (Joseph Alter, 1992)は、インドの伝統的な男性レスラーを調査することで、独身主義、自制心、食事療法といった彼らの実践が、近代性、男らしさ、国民性に対する彼ら 独自の解釈と結びついていることを発見した。多くのインド国民が生物医学を近代性と健康につながるものと考えている一方で、伝統的な力士たちは、西洋の消 費主義や性の解放がもたらす有害な影響に対抗することで、国民の体格を強化し、文化的に適切な男らしさを達成するために、非生物医学的な実践に取り組んで いる。 グローバル化 医療多元主義とグローバリゼーションの研究は、2000年代初頭に、国境を越えた移民、医療ツーリズム、代替医薬品の世界的な流れ、インターネットの普 及、その他、国家や文化の境界を問題化し、ローカルで「新しい時代」の医療知識の世界的な交換の道を作り出した過程に直面する医療行為を理解しようとする 試みの中で生まれた(Lock & Nichter 2002; Krause 2008; Wujastyk & Smith 2008; Hampshire & Owusu 2012)。確かに、植民地時代やそれ以前にも、文化を超えたつながりは盛んに築かれてきた。しかし、世界が密接につながり合うようになったのは比較的最 近の現象であり、それによって人々は治療の旅程をこれまで以上に多様化させ、地理的にも分散させざるを得なくなった。このような複雑性から、学者たちは医 療多元主義の概念を、もはや一つの社会に限定されたものではなく、国境を越えたものとして再考せざるを得なくなっている(Raffaetà et al.) 特定の地域内の医療の選択肢に制限されるのではなく、現代の健康を求める人々は、物理的にも仮想的にも国境を越えることで、多元的な医療アプローチ、専門 家、機関を利用することができる。 一方では、ブラジルにおけるドイツのアントロポゾフィー医学の人気、インド以外でのヨガセンターの普及、東アジア以外での鍼灸の普及に代表されるように、 非生物医学的な実践がその発祥地の外で行われている(Alter 2005; Kim 2009; Wujastyk & Smith 2008)。20世紀における「中核」と「周縁」の間の影響に関する多くの研究(世界システム理論による)とは異なり、現代の学者たちは南-南やその他の グローバルなつながりを探求している。さらに、新しい通信技術が多元的医療に与える影響に関する文献も出てきている(Hampshire & Owusu 2012; Krause 2008)。このような研究は、「遠隔医療」、自己啓発インターネット・ブログ、海外の非生物医学的医師との電子メール相談、その他の技術(例えば、瞑想 やヨガに関するデジタル・アプリ)を取り上げており、これらは医療の多元性がどのように考えられ、実践されるかを大きく形成している。 同時に、患者自身も非生物医学的治療を求めて世界中を旅している。ここで、生物医学的治療に関連するメディカル・ツーリズムを、伝統医療や代替医療に関連 するヘルス・ツーリズムやウェルネス・ツーリズムと区別する学者もいる(Reddy & Qadeer 2010: 69; Smith & Wujastyk 2008: 2-3 も参照)。例えば、健康を求める観光客は、「本物の」アーユルヴェーダ療法やヨーガ、スピリチュアルな癒しを求めてインドを訪れる(Langford 2002; Spitzer 2009)。 特に、移民が異なる医療イデオロギーや態度を持ち、公衆衛生、保健政策、公共言説の領域で懸念を生じさせる可能性があるためである(Andrews et al.) こうした研究の中には、生物医学に支配された状況において、マイノリティ集団がどのように満足のいく治療を求めるかを検討したものもある。例えば、トレイ シー・アンドリュース(Tracy Andrews)ら(2013)は、米国の成人ヒスパニック系移民が、生物医学的な医療提供者と近隣の有名なメキシコ人治療者の両方を含む多元的な医療環 境の中で、子どものためにどのように治療上の決断を下すかを検証している。多くの研究が、移民が代替医療、特に自分たちのコミュニティの治療者に頼るの は、言葉の問題、文化的嗜好、特定のハーブやスピリチュアルな治療法の探求、生物医学的治療者から見下されることへの恐れなどが理由であると強調している (Green et al.) このような困難が、移民に即時の治療を先延ばし にし、代わりに出身国まで出向いて治療を受ける動機付けとなる。そのため、医療人類学者はしばしば、移民、特に健康や疾病に関する生物医学的モデルを共有 していない可能性のある移民に対して、差別のない医療サービスを提供することの重要性を指摘し、「統合的」で「文化的に敏感な」医療政策を提唱している (Green et al.) 患者に焦点を当てるだけでなく、グローバル化した医療の研究者たちは、医療従事者や物質的なものの国境を越えた移動可能性についても研究している。伝統的 な」医薬品、ヒーリングクリスタル、お守り、その他の道具類は、正式な商取引チャネルを通じて交換されることはなく、しばしば国境を越えたつながりのイン フォーマル経済に沿って移動する(Hampshire & Owusu 2012; Krause 2008; Menjívar 2002)。Kristine Krause (2008)は、ロンドンに住むガーナ人移住者、他のヨーロッ パ諸国に住む彼らの親戚や友人、そしてガーナの伝統的な治療者 をつなぐ「国境を越えた治療ネットワーク」の例を示している。このようなトランスナショナルな経路で、ヨーロッパのアフリカ系ディアスポラのメンバーと、 出身国の友人や供給業者との間に、金銭、薬物、祈りが送られる。 アルジュン・アパデュライ(1988)をはじめとする物質性の研究者たちに触発され、医療人類学者たちは、知識と実践としての医学の探究を、身体性と医療 対象物の「作用的特性」の検討へと広げてきた。錠剤、摂取票、超音波プリント、カルテ、聴診器、注射器、その他の器具は、人々の行動に影響を与えたり、行 動を強制したり、コミュニケーションをとったり、恐怖や信頼を植え付けたり、さらには治癒をもたらすことができるため、受動的な対象物ではなく、臨床的相 互作用における能動的な行為者なのである。例えば、現代の代替医療に携わる医師は、他の医療伝統、特に生物医学から物質的なものを頻繁に取り入れている。 インドでは、アーユルヴェーダの医師を訪れる患者の中には、聴診器を当てるだけで治療効果があると信じて、聴診器による診察を要求する者もいる (Nichter 1980)。このように、聴診器は医師の部屋にある無言の物体ではなく、語りかけ、行動を促し、自信をもたらす作用物質なのである。 このような物質性の研究は、医療の多元性はしばしば無標識であるという重要な洞察を与えてくれる。タンザニアでのステイシー・ラングウィックの研究に見ら れるように、「伝統的な」ヒーラーは日常的に注射器を使い、生物医学的な病院からX線写真を持ってくるように頼むことがある。近代的な」医療技術の存在 は、「伝統的な医療と近代的な医療との境界の自明性に挑戦する」ことができる(2008: 429)。 無許可の非公式な国境を越えた医薬品の流れに関する上記の研究とは異なり、「代替」医薬品の商業的な流れや、国境を越えた代替産業の活動に関する新しい研 究がある。国内における代替医療の市場化に関する先行研究(Adams 2002a; Banerjee 2009; Bode 2008; Craig 2011, 2012; Kim 2009)を踏まえ、この研究は、グローバルなネオリベラル経済の圧力の下での変容を浮き彫りにしている。それは、それらを国境を越えた、主流で、革新的 で、利益主導の産業として認識するケースを作り出している(Kloos 2017; Kloos et al. 2020; Pordié & Gaudillière 2014; Pordié & Hardon 2015)。 結論 1970年代から1980年代に発展した医療多元主義の概念は、多様な医療行為と生物医学との関係を理解する新しい方法を提供した。それは20世紀初頭の 先住民の治癒信仰に関する記述を超えるものであり、医療人類学という分野を確立する上で極めて重要な概念であった。西洋医学/近代医学、非西洋医学/伝統 医学という二元論的な表現を克服しようとすることで、医療多元主義の研究者たちは、医学的な考え方、アプローチ、専門家、制度の多様性が、西洋であっても あらゆる複雑な社会に存在することを示した。単に健康と治癒に焦点を当てるのではなく、医学的多元主義は、医学の思想と実践に浸透している異質性、多様 性、競争を強調するものである。多くの学者が「多元主義」という概念に異議を唱え、折衷主義や多様性といった他の用語に置き換えることを提案しているが、 医学的多元主義は依然として価値ある枠組みである。 多くの人類学者が、医学的「システム」や医学的「伝統」という考え方は、過度に硬直的であり、本質化さえしていると批判するようになった。その代わりに、 彼らは医師と患者の交渉の探求に向かい、異なる行為者が治療を多元的なものとして見ているかどうか、治療の多元性が何を意味するか、誰がその推進から利益 を得ているか、そして様々なカテゴリーの医学の間にどのような不平等が存在するかに注意を払った。このような不平等の最も顕著な例としては、科学的言説に 支えられた生物医学の覇権的立場があり、そのために非生物医学的知識や実践は、完全に偽物ではないにせよ、「代替」や「補完」と呼ばれている。 しかし、医療多元主義の研究は、逆説的ではあるが、伝統的医療や代替医療が生物医学の支配下で消滅したわけではないことも示している。時には公的な支援に 欠けることもあるが、それらは農村の人々だけでなく、富と権力を持つ消費者たちによっても、世界中で広く求められている。メディカル・ツーリズム、イン ターネットの普及、土着療法の医薬品化によってもたらされる多元主義の分析は、重要な研究分野となっている。この学問は、医療提供者、観光客や移住者、企 業、国民指導者、その他のカテゴリーといった複数のアクターが、さまざまな医療の伝統にそれぞれの利害関係を持っていることを認めている。したがって、植 民地やポストコロニアルな状況に焦点を絞るのではなく、研究者は「新しい」(Cant & Sharma 1999)、「トランスナショナルな」(Raffaetà et al. ローカルメディアやグローバルメディア、移民、医療技術やその他の技術の急速な発展を説明する差し迫った必要性によって、学者たちはその方法を変えざるを 得なくなった。彼らは、単一のコミュニティにおける健康実践の研究から、(マーカス1995のように)国境を越えて人、物、考えを「追う」ことに移行し、 人々の治療選択肢が真に国境を越えたものになり、さらに多元的になったことを示している。生物医学的な癒しと非生物医学的な癒しの両方がますます提供され るようになった「ヴァーチャル」な場を考慮に入れれば、多元主義の激化も目に見える。その結果、学者たちは、非生物医学的な実践を、小規模で、ローカル で、低コストで、周縁的な代替的伝統として説明することから、大規模で、利益主導で、国内ではかなりの市場セグメントを占め、世界的にも急速に拡大してい る主流の「産業」として認識するようになった。これらすべては、医療の多元性が現代生活の重要な特徴であり続けるだけでなく、その形態と内容において常に 変化し続けていることを示している。 文献 https://www.anthroencyclopedia.com/entry/medical-pluralism |
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https://www.anthroencyclopedia.com/entry/medical-pluralism |
●関連ノート
・治療をマネージする集団 (therapy managing group)
patient-healer関係におけるpatient部分の拡張
"Therapy managing group"(Zaire:Janzen 1978; Tanzania:Feirman 1981)
・インドにおける医療的多元化 (Colson 1971)
Colson, 1971, The differencial use of medical resorces in developing countries, Jornal of Health and Social Behavior 12:226-237
・タンザニアにおける医療的多元化
Feirman 1981, Alternative medical services in rural Tanzania: A physicians's view, Soc.Sci.Med. 15B:399-404
・ザイールにおける医療的多元化
Janzen 1978, Yhe quest for therapy in Lower Zaire, Berkeley, University of California Press
・エクアドルの医療的多元化
Pederson and Coloma, 1983, Traditional medicine in Ecuador: The structure of non-formal health sysytems, Social Science and Medicine 17:1249-1255.(paper in special issue "Some case studies in Latin America")
Medical
Pluralism in Mesoamerica,1983, In Heritage of conquest : thirty years
later / edited by Carl Kendall, John Hawkins, Laurel Bossen,
University of New Mexico Press , 1983
(ただし引用はEl puluralismo medico en Mesomareica, en "La Herencia de la Conquista", Fondo de Cultura Economica, 1986, Mexico による)
リンク
文献
その他の情報
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099