かならず読んで ください

日本民族という時の〈ミンゾク〉とはだれか?

What is "MINZOKU" in Japanese?

左 から柳田国男、祖父江孝男、徳富蘇峰.

池田光穂

一般の日本人がいう「日本民族」 と民俗学、あるいは文化人類学や民族学のいう「民族」の定義はことなるのですか? もしそうならそれらの違いを教えてください。

回答者:池田光穂

答え:

日本民族というときの「民族」は、人種のことをさしています。 しかし、民俗学者とあきらかに歴史的にそ の取り扱い方が異なってきました。まず民族の定義をめぐる混乱の状況から整理して みましょう。

(1)民俗学者

(2)民 族学文化人類学

(3)かつての一般の日本人(=現在でもこのような用語を振りかざすこ とは百害あって一利なしです)

(サイドストーリー)坪井正五郎は1889年にEthnology (Ethnologie)を「人種学」と訳した。

「坪井正五郎は1889年の『東京人類学会雑誌』で、Ethnology (Ethnologie)を「人種学」と訳し、今日、民族誌あるいはエスノグラフィーと呼ばれている、Ethnography(Ethnographie)を、人種誌または土俗学と訳していた。これは、歴史的に、とりわけ戦前に、我々大和民族とよばれるよばれる「民族」には、レイス(人種)のニュアンスが込められていたことにも関係する。 民族を人種的にとらえたり、または、ネーションとレイスを同一視する味方は、第二次大戦後、とりわけ、新興国の独立や、その後の、独立運動における、ネー ションの自己決定による、武力闘争すなわち、国民解放戦線(national liberation front)のことを、戦後の日本のジャーナリズムは、長く「民族解放戦線」と誤って表記しつづけてきたことにも関連している。それゆえ、おしなべて、日 本では、民族をレイスと同一視したり、または、県民性についての議論にみられるように、県民性がなにか固定的で県境の内側の人間の性格がなにか、固定的な ものとしてみる、愚かな自画像をいまでも持ち続けている」民族学

■まとめ

 日本人が「日本民族」と言うときは自己表象として使っており、その意 識は多少なりとも自民族中心主 義的あるいは人種主義的なニュアンスが払拭できていません。

 石原東京都知事(2000年当時)の「三国人発言」にみられるような あからさまな人種主義的主張と 受け取られる発言だけでなく、朝日新聞社などリベラリズムを標榜しているマスメディアにも、「民族」を人種主義的なニュアンスで使っている記事もみられま す。

 日本において「人種」「民族」「〜族」「〜人」という一般の人の用法 ならびにマスメディアの論調に みられる人種主義的偏見、白人至上主義、東洋蔑視などが入り組んだ用語法を払拭できないのは、日本の文化人類学者たちが、(a)自分たちの研究成果を社会 に還元してこなかかったこと、(b)マスメディアに対して学会として抗議してこなかったこと、などの努力不足があったことはいなめません。もっとも最近の 日本民族学会では、この問題に継続的に取り組んでいます(文献参照)。

 あなたが、これらのことにより積極的な関心がおありでしたら、興味深 い事実関係の情報提供も含め て、是非以下の文献を読まれるようつよくおすすめします。

以上です。