日本民族という時の〈ミンゾク〉とはだれか?
What
is "MINZOKU" in Japanese? - The true answer must be "race" as blood
pure tribe.
池田光穂
一般の日本人がいう「日本民族」 と民俗学、あるいは文化人類学や民族学のいう「民族」の定義はことなるのですか? もしそうならそれらの違いを教えてください。
回答者:池田光穂
答え:
日本民族というときの「民 族」は、人種のことをさしています。 しかし、民俗学者がいう〈ミンゾク〉とあきらかに歴史的にそ の取り扱い方が異なってきました。まず民族の定義をめぐる混乱の状況から整理して みましょう。
(1)民俗学者
日本の民俗 学者が「民族」をどの程度理解しているか、回答者であ る私には定かではありません (現在の民俗学者で「民族」の概念に積極的に取り組んでいる研究者を私は不幸にして知りません)。柳田国男が雑誌『民族』を発刊した1925年ごろは、研 究対象としての民族に、日本(Volk)とそれ以外の人びと(Ethnos)を与えて区別していますが、漢字は民族のままです。
1925年から1927年ごろの講演を集めたものに『青年と学問』がありま
すが、1926年の講演「Ethnologyとは何か」で、フランスの学術誌『民族誌評論(Revue
d'Ethnographie)』を、「民俗誌評論」と訳語を与えている。柳田は、民俗と民族をほぼ同じものであると判断しているようである(高木
2017:17)。
柳田国男は
国際連盟委任統治委員として、1921年から1923年まで欧州に滞在するとともに、日本の間を往復している。「Ethnologyとは何か」で、前年(すなわち1925年)、ベルリンの古書店で、フランツ・ボアズと邂逅し、英語のフォークロアをドイツ語
でどう表現するのか、古書店のセクションをボアズに聞いている。ボアズは、フォークロア(民俗学)
に相当するドイツ語は、Volkskunde
であり、エスノロジー(民族学)はVölkerkunde に相当するのだと、柳田にアドバイスしている(高木 2017:21)。なお、Völkerkunde という用語は、帝政ドイツ期の1873
年にKönigliches Museum für Völkerkunde において使われており、同博物館は、2000年に Ethnologisches
Museum へと改称されて、 Ethnologieという用語が採用されるようになった(→「フォ
ルク」)。
民俗学者は、長い間、国民国家と人種の関係について考察することを してきませんでした。そのため、民俗学者に(文化的な概念である)「日本民俗」のことは説明できても、(人種的な概念である)「日本民族」のことについて 十分な説明はできないことになります。
もっとも、現代の民俗学者は、文化人類学や社会学における人種の社会的構築についても 十分よく知っているので、柳田のあいまいな民族の使い方を墨守している人は存在しません。
︎日本文化人類学史▶︎▶︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎
日本民族というときの「民族」は、人種のことをさしています。
ここでの日本は国家概念に包摂されるものですので、日本人種と同種になります。日本とは、文化ないしは国家/国民概念に包摂されますので、科学的にはまっ
たく実体的根拠をもたない、後天的な帰属概念ということなります。しかし、人種の古典的な定義では(先天的な概念である)生物学的に規定されるために(=
ちなみに、現在このような概念を墨守する人は良識ある人では存在しません)、帰属概念と矛盾します。したがって、日本民族という概念は、空疎な存在ないし
は、「みんながそうだと思っている」想像上の共同体にすぎません。
民族と いう言葉には、エスニック集団という意味があります(「民族・民族集団・エスニシティ」)。ただし、 上に述べた理由から、日本民族には民族=人種というニュアンスが含まれるために、歴史的に日本のナショナリズムや人種主義を考えるための用語としてのみ、 その存在意義がある用語です。土人や非人という用語同様、日常用語としては廃語になりましたが、社会的・歴史的には、存在意義のある言葉ということになり ます。
現在の日本の民族学=文化人類学者の多くは、Frederic Barth (ed.), "Ethnic Groups and Boundary," 1969.あたりの議論を受け容れて、アイデンティティをおなじくする場とそれらの境界を維持するという、社会構築的な立場を民族=エスニック集団の定義 としています。([民族境界論])そのため「日本民族」英訳すると、Japanese race というのが、適切な翻訳語になるでしょう(cf. Yoshino 1997)。
三宅雪嶺と雑誌『日本及日本人』▶︎日本文化人類学史︎▶インディアナ・ジョーンズ・タカオ︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎
(3)かつての一般の日本人(=現在でもこのような用語を振りかざすこ とは百害あって一利なしです)
「日本民族」という場合の用法は、英語でいうraceにもっとも 近いかと思います。国粋主義者 であった徳富蘇峰(Soho Tokutomi, 1863-1957)などの時代では「我等大和民族」と言っていたようで、この「大和民族」が戦後に「大和」→「日本」という言い換えを経て、使 われているのだ と思います。ただし、「われわれ大和ミンゾク」といっても、自分たち同胞という意味で当時の日本人の人たちが、つねにレイスとしての「人種」概念に凝り固 まっていたわけではありません。むしろ、民衆(フォーク)としての素朴に「自分たち同胞」 と理解していた可能性があります。ただし、そのような無自覚な同胞意識は、「われわれ大和ミンゾク」の内(例:アイヌ民族、被差別民[「部落民」や「エタ」という呼称が身分制を否定し法の下での帝国臣民を分け隔て なく平等であることを謳っている旧民法下においてすら日本の民衆は使用していました]) と外(例:侵略や併合や信託統治した、朝鮮人、台湾人、大東亜共栄圏の各国民、さらにそこに住む先住民族)に、同胞でありながら、同胞ではない「ひとび と」の存在を認めていました。
︎フォルク▶︎人種▶︎︎人種概念の誤解について▶︎イデオロギー▶︎︎人種主義(人種差別)
▶民族学(日本語)︎▶︎︎民俗学▶日本民俗学︎▶エトノロ
ギー(民族学;ドイツ語)︎︎▶︎▶︎
(サイドストーリー)坪井正五郎は 1889年にEthnology (Ethnologie)を「人種学」と訳した。
「坪
井正五郎は1889年の『東京人類学会雑誌』で、Ethnology
(Ethnologie)を「人種学」と訳し、今日、民族誌あるいはエスノグラフィーと呼ばれてい
る、
Ethnography(Ethnographie)を、人種誌または土俗学と訳していた。これは、歴史的に、とりわけ戦前に、我々大和民族とよばれるよ
ばれる「民族」には、レイス(人種)のニュアンスが込められていたことにも関係する。
民族を人種的にとらえたり、または、ネーションとレイスを同一視する味方は、第二次大戦後、とりわけ、新興国の独立や、その後の、独立運動における、ネー
ションの自己決定による、武力闘争すなわち、国民解放戦線(national liberation
front)のことを、戦後の日本のジャーナリズムは、長く「民族解放戦線」と誤って表記しつづけてきたことにも関連している。それゆえ、おしなべて、日
本では、民族をレイスと同一視したり、または、県民性についての議論にみられるように、県民性がなにか固定的で県境の内側の人間の性格がなにか、固定的な
ものとしてみる、愚かな自画像をいまでも持ち続けている」民族学)
■まとめ
日本人が「日本民族」と言うときは自己表象として使っており、その意 識は多少なりとも自民族中心主 義的あるいは人種主義的なニュアンスが払拭できていません。
石原東京都知事(2000年当時)の「三国人発言」にみられるような あからさまな人種主義的主張と 受け取られる発言だけでなく、朝日新聞社などリベラリズムを標榜しているマスメディアにも、「民族」を人種主義的なニュアンスで使っている記事もみられま す。
日本において「人種」「民族」「〜族」「〜人」という一般の人の用法 ならびにマスメディアの論調に みられる人種主義的偏見、白人至上主義、東洋蔑視などが入り組んだ用語法を払拭できないのは、日本の文化人類学者たちが、(a)自分たちの研究成果を社会 に還元してこなかかったこと、(b)マスメディアに対して学会として抗議してこなかったこと、などの努力不足があったことはいなめません。もっとも最近の 日本民族学会では、この問題に継続的に取り組んでいます(文献参照)。
あなたが、これらのことにより積極的な関心がおありでしたら、興味深 い事実関係の情報提供も含め て、是非以下の文献を読まれるようつよくおすすめします。
以上です。
【リンク】
【文献】