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日本民俗学

Japanese folklore studies, にほんみんぞくがく; NIPPON-MINZOKUGAKU

解説:池田光穂

民俗学(folklore)とは、英 語のフォークロアの翻訳に由来する学術用語であり、人びとの 語り(文字通りフォーク=人々の、語り=ロア[folk -lore])を収集整理する記述学問体系のことである。日本を対象とする日本語の民俗学とは、グローバルな民俗学すくなくともインタナショナルな民俗学 (International folklore studies)ではないので、日本の一国民俗学(nationalistic folklore studies in Japan)ないしは、日本民俗学(Japnaese folkore studies)と呼ぶ——このページの解説がまさにそれ!!——ことが適切な学問である。以下は、この日本民俗学を築いてきた先人について解説する。

ミンゾクガクはしばしば、民族 学(エスノロジー)と よく混同される。そのため、民俗学 (folklore)のほうはフォークロアと呼ばれ、学問のロゴス (=論理、学)の接尾辞がついて《フォクロジー(=実在しない用語)》とは言わない。フォークロアは、学問ではなく、ロア(-lore)=語りであり。民 話(フォークロア)と同義語である。

これまで、自由民権思想運動の時 期を除いて、明確なネーションや市民(シトワイヤン)の政治的概念が意識されたことのない日本では、日本国にいる人々は、民衆や大衆と呼ばれることが多 く、民俗学は、レイシズム(=人種主義)の勃興により戦前には十分に学問的成長を遂げることはなかったが、基本的に政治的に従順な大衆(民俗)のことであ り、民俗学もまた、([それ自体が神話であるが]幕末期を除いた江戸時代)大きな社会変動の ない「静態的な社会」をモデルとした。それゆえ、日本民俗学の「偉大な父」といわれる柳田国男Yanagita Kunio, 1875-1962)は、『明治大正史世相編』を書いて、日本社会の民俗性が継続し ていることを主張せざるをえなかった。

日本では、民俗学は、近代国民国家(modern nation state)形成時期に、国の正史を編纂する歴史学(history, historiography)に対して、それと補完ないしは対抗しつつ、国をになう国民(nation)としての民衆=人びと(folk)の口頭つまり 非文字による歴史的記述や、神話(myth)や民話(folklore)などの編纂の必要性が、国家形成にかかわる知識人ナショナリストなどから出てきた という経緯がある。[→民族]。他方、フォークロアが、北米先住民の口頭伝承研究に特 化する傾向があった北米民族誌学の領域では、人類学の下位領域としての文化人類学(ないしは民族学)の領域で研究されることになった(→「日本文化人類学史」)。

以下では、日本の民俗学(フォークロア研究)にやや焦点化して解説を続けよう。

日本では、国民を形成するフォークを民族という用語で使った例もあり、また民俗学と民族学は、と もにみんぞくがく、という発音がおなじために、さまざまな混乱が現在までも続いているし、またその副産物として、民俗学と民族学は実質的に同義語として機 能していることもある(日本語とりわけ戦前の「日本民族」という言葉における民族には、エスニシティとしての「民族」、民俗・民衆としての「フォーク」として、人 種としての「ミンゾク」の大きく3つの意味をもつ)。

さらに現在では、歴史学の領域のなかから文字化されていない人びとの語りを、歴史的に文脈化して ゆく口頭伝承ないしは口頭史(oral history)という領域も形成されて、状況は複雑である——だからといってその全体像把握は困難というわけではなく、むしろ研究が多角化してさまざま な研究の可能性を切り開いた。

なお、現在の用法による民俗学と文 化人類学の違いは次のように理解すればよいだろう。日本での民 俗学はしばしばフォークロアとよび、文化人類学の同義語である民族学の英語読みであるエスノロジーと、呼称によって区別している。そして、前者のフォーク ロアとは実質的に日本民俗学と呼ばれる学問領域であり、主に、日本ないしはアジアをフィールドにするエスノグラフィー(民族の生業にを中心とした生活の記 述)をもとに、さまざまな文化的現象について考察している。他方、文化人類学の多くの研究者たちは、自文化以外の人間集団を研究対象にするエスノグラ フィー(民族の生業にを中心とした生活の記述)をもとに、さまざまな文化的現象について考察しているとみてよいだろう。

日本における民俗学者は文化人類学の著述をよく読んでおり、その逆も言える。両者の間には友好的 な協力関係もあり、ライバル関係になるのは、むしろ学説上の特定の論争をめぐってである。

民俗学が、日本における人種主義の勃興に大きな影響を与えることがなかったのは、先に述べたよう に「明確なネーションや市民(シトワイヤン)の政治的概念が意識されたことのない」 経験からかもしれない。しかし、1920年代の柳田国男の国際連盟信託統治委員の時代に、ジュネーブに赴任し、そこで経験した複雑な人種主義とナショナリ ズムの影響を通して、それが、日本の琉球や八重山をして、民俗学における日本ではない日本としての南島の位置づけを確立したのではないかという主張もある (村井 2004)。

他方、日本における人種主義の勃興に大きな影響を与えたのは、民族学(エスノロジー)のほうかもしれない(→「民族学」を参照せよ)。

しかし、これだけでの説明で、民俗学(フォークロア)の解説を終えてしまうのは、民俗学は日本の あの古くさそうな国学ないしは「民衆の国学」ですかいと誤解されてしまう。もちろん断固として民俗学はそのようなものではない。これでは、正当な学問の中 で強弁を取られたり、キャンパスの内と外(在野)で勉強されている地道で真摯な民俗学者の方々に申し訳ないからである。英米では、在野では人類学と民俗学はほとんど同義として扱われている。 言い方を変えると、国内での様々な民族集団や地域集団あるいは職域集団の中で、民話(folk-lore)を収集し、それを研究する人たちは人類学者と長 年、市井の人々に呼ばれてきたのである。日本語の古い古い(例えば戦前の)英和辞典で、anthropology の訳語に「民俗学」が充てられていることもある。

実際に、現代英語の同義語あるいは分 類語彙からのanthropologyの関連性のある語彙のうちfolklore は以下の図の4語彙のひとつとして確固とした地位をしめている。

それらの事実を証明するのは、ウィキペディアの、英語のfolkloreの解説からもよくわか る。

また、同項目には、ピーター・ブリューゲル(父)の「オランダことわざ集 (Netherlandish Proverbs; Nederlandse Spreekwoorden)」の図像が冒頭に掲げられているが、それらは、民俗学者は民話学者(民間学者とも言われる)でもあり、民衆の 民話やことわざ(諺)を収集するものと見されていたこの分野の学問の歴史の古さを証言するものである、

Netherlandish Proverbs - by Pieter Bruegel the Elder.

なお、日本の民俗学者の6傑の選出は、福田アジオ・神奈川大学評論編集専門委員会編『日本の民俗学者:人と学問』御茶の水書房, 2002年による。

また、瀬川清子と植松明石編『日本民俗学のエッセンス : 日本民俗学の成立と展開』ぺりかん社、1994年によると、その本の章立てと18人の民俗学者は以下のようになっている。

1 明治以前の民俗研究 2 日本民俗学の胎動 3 南方熊楠 4 柳田国男 5 高木敏雄 6 中山太郎 7 伊波普猷 8 金田一京助 9 比嘉春潮 10 折口信夫 11 早川孝太郎 12 柳宗悦 13 大間知篤三 14 久保寺逸彦 15 石田英一郎 16 桜田勝徳 17 倉田一郎 18 山口貞夫 19 堀一郎 20 和歌森太郎 21 瀬川清子 22 渋沢敬三 23 有賀喜左衛門 24 岡正雄 25 宮本常一 26 沖縄の民俗研究史 27 日本民俗学の動向と展望

リンク

文献(後述)

その他の情報


◎ 余滴

「1921 年(大正10年) - 渡欧し、ジュネーヴの国際連盟委任統治委員に就任。国際連盟において、英語とフランス語のみが公用語となっていることによる小国代表の苦労を目の当たりに する。1922年(大正11年) - 新渡戸稲造と共に、エスペラントを世界の公立学校で教育するよう決議を求め、フランスの反対を押し切って可決される。エスペランティストのエドモン・プリ ヴァ(Edmond Privat)と交流し、自身もエスペラントを学習。1923年(大正12年) - 国際連盟委任統治委員、突如、辞任してを帰国(これを契機に新渡戸との交流が途絶える)」ウィキペディア「柳田国男」より

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