はじめによんでください

アイヌへのコロニアリズム(植民地主義)とは何か?

Japanese neo-colonialism of the Ainu people and their land, Hokkaido or Ezo

池田光穂

アイヌ民族、貝澤和明氏の言葉より。

同じく、野本正博氏の言葉より

●久保寺逸彦(1933:38)

●アイヌ族研究(1935年)

■西川長夫(2006)の『新・植民地主義論』では、グローバル化時代の植民地主義には 次の4つの点が認められるという。

1.植民地放棄せず同時に植民地であったこと を忘却させようとする日本政府、

2.植民地(北海道)における植民地状況の継続が現在においてもある。

3.植民地であると同時に国内植民地でもある北海道の状況はもはや見過ごせない。

4.内面化された植民地主義の継続を想起し、過去の歴史的事実と対話すべきである!

それぞれを解説していきましょう。

1.植民地放棄せず同時に植民地であったことを忘却させようとする日本政府

日本は、明治2(1869)年8月15日太政官布告による蝦夷地を北海道と改める以 前の江戸時代を日本の領土とみなし、北海道旧土人保護法(明治32(1899)年3月2日法律第27号)以前より旧土人としてアイヌ民族を国民の一員とし て北海道の領土の住民として、そして保護法はアイヌの国民国家への同化政策としてアイヌ文化の存続には否定的で優勝劣敗によりやがてアイヌ民族は国民とし て包摂されることを前提に政策を遂行してきた。日本の北方領土の拡張や割譲・領有さらには領有の放棄などを通してもなお、先住民としてのアイヌを国民を構 成する成員として認めつつも、現実におけるアイヌに対する経済的文化的差別の現状に消極的な対応をもって続いてきたのも事実である(旭川人権擁護委員連合 会 1971)(アイヌとシサムためのアイヌ文化入門)。

1997年(平成9年)7月1日、アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知 識の普及及び啓発に関する法律(1997年(平成9年)法律第52号、アイヌ文化振 興法)の施行に伴い旧土人保護法ならびに旭川市旧土人保護地処分法(1934年(昭和9年)法律第9号)も廃止された。また、2007(平 成19)年9月「先住民族の権利に関する国際連合宣言」、2008(平成20)年6月6日衆参両議院にて「ア イヌ民族を先住民族とすることを求める決議」採択、2009(平成21)年7月「アイヌ政策のあり方に 関する有識者懇談会」が官房長官に報告書提出されてもなお、日本政府はアイヌを先住民(先住民族)として認めつつも、「先住民族の権利に関する国際連合宣 言」で保障された先住民族の自己決定権を容認していない。

つまり日本国政府は、江戸幕府時代から北海道に居住するアイヌを先住民(=自分たち とは異なる先住の民)とし、(土地所有の概念が無いという認識のもとで)「彼/彼女らの土地」を植民化してきたことについての認識がありながら、北海道の 他、北方領土ふくめて、それが先住民の土地であったことをすら認めていない(=歴史的に植民地であったという事実の否認)。

日本政府にとって北海道は植民地でありつづけている事実があるにも関わらず、それが 植民地であったことを忘却するのみならず明確に否認している。

2.植民地(北海道)における植民地状況の継続がある

皮肉なことに、北海道は植民地であるにも変わらずそれを植民地であるという認識がな い(ないしは忘却している)ために、北海道は植民地であり、その植民地を支配するイデオロギーが現在までも続いている。西川の用語に倣うと、「植民地ある 真正の植民地主義」とりわけ、彼/彼女らの文化を保護するという名目を掲げつつ日本国における文化多元主義を実現するための同化主義を続けていることにな る。

3.植民地であると同時に国内植民地でもある北海道

北海道はアイヌの自己決定を認めず、日本国民としての同化主義を続けている点で、植 民地であると同時に国内植民地でもある。

西川は、グローバル化時代には戦争というものが内戦のような様相を示すのと同様に、 グローバル化時代の「国内植民地」の国内は「地球内」と理解すべきだと提唱する(西川 2006:20)。

参照文献:Internal colonialism : the Celtic fringe in British national development / Michael Hechter ; with a new introduction and a new appendix by the author, New Brunswick, N.J. : Transaction Publishers , c1999.

4.内面化された植民地主義の継続

アイヌは日本国民でありながら文化的な他者として保護対象となる。また、そのような 社会と文化の運命を国家に奪われて、自分のことを自己決定できない状況に留め置かれているというのがアイヌの現状であると判断せざるをえない。日本の文化 人類学者を含むアイヌ研究者は、この事実を知りながら明確に言明化せず、また、研究対象であったアイヌ民族当事者たちに、きちんと説明してこなかった。

注記:2017年1月10日 池田光穂,大阪

■西川長夫先生とは?:西川長夫Nagao NISHIKAWA, 1934-2013

"What can we expect concerning conflicts for difference and identity from Tagore on anti-nationalism and Illich on vernacular value?" - International Symposium, Identity and Alterity in Multiculturalism and Social Justice: "Conflicts", "Identity", "Alterity", "Solutions?" February 18, 2008, Ristumeikan University, Kyoto, Japan. http://www.arsvi.com/a/e2008ae.htm#0217

「反ナショナリズムに関するタゴールやヴァナキュラーな価値に関するイリッチから、差異やアイデンティティをめぐる葛藤について何を期待できるだろうか?」

知 里真志保「和人わ船お食う」(1947)、「学問ある蛙の話」(1949)

日本政府の観光庁の英文のアイヌ観光の紹介ページには、これ までの幕府ならびに近代政府が、先住民たるアイヌの「国民」としての尊厳はおろか、現在にいたるまでさまざまな差別や偏見の被害者になっており、政府はそ れとようやく対話しようとしている、という姿勢についての紹介を怠ってきました。

■ディアスポラと民族「殲滅」は、日本およびロシア——つまり帝国と国際社会——の 責任

■岩波書店のネオコロニアリズム——ホメロスにされてしまった知里幸恵に「反論の権 利」 はないのか?


リンク

文献

Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099

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