はじめによんでください

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民族学; ethnology, みんぞくがく

解説:池田光穂

民族学は、かつて民族(ethnos, エトノス)に 関する学問である/あった(→エトノロギー)。エトノスに関する学問であるので、民族学は外来語をそのまま転用しエスノロジーと呼ばれることがある。それは、同じミンゾクガ クという発音でも、民俗(folk, フォーク)を対象にする民俗学(みんぞくがく)と混同するからである。現在の民族学は、狭義の「文化人類学」と同義語である。

ちなみに、民俗学(folklore)のほうはフォークロアと呼ばれ、学問のロゴス (=論理、学)の接尾辞がついて《フォクロジー(=実在しない用語)》とは言わない。フォークロアは、 学問ではなく、ロア(-lore)=語りであり。民話(フォークロ ア)と同義語である(→「民俗学(フォークロア)」)

民族(エトノス)とは、特定の文化・習慣を共有する人々のことであり、ある時には地域の特定の集団、また ある時にはおなじ集団の構成員である意識を共有する人たち(→民族境界論を参照)のことをさし ている。しかし「科学人種主義」が現在でもしぶとく命脈を保っているために、現在でも、民族と「人種」概念を混同して理解している人が多い。そのような民族と「人種」を混同したような理解を、「人間集団の質的差異を本質化」していると、表現する。

民族(民族集団、エスニシティ)の定義を人間の集団のひとつと考えると、民 族についての学問である民族学と、人間についての学問である人類学と、人間集団の文化についての 学問である文化人類学と、社会という人間集団についての学問である社会人類学、ある いは、人々の語り(folklore)についての伝承的構成である学問である民俗学(日本 語の発音は、みんぞくがく)は、それぞれ、学問の名称は異なって いても、共通する部分は多い。

そのため、実際に、文化人類学の同義語として、日本では民族学や民俗学が、英国では社会人類学が、フランスでは民族学や社会人類学が、ドイツ・ オーストリアでは民俗学や民族学が、スペインでは民俗学が、そして米国では、民俗学や文化人類学という用語がそれぞれ使われている。Adam Franz Kollár (1718-1783)がethnologia (ethnology) の創案者(1783)である。

"The term ethnologia (ethnology) is credited to Adam Franz Kollár (1718-1783) who used and defined it in his Historiae ivrisqve pvblici Regni Vngariae amoenitates(ハンガリー王国の歴史:ラテン語)published in Vienna in 1783.[3] as: “the science of nations and peoples, or, that study of learned men in which they inquire into the origins, languages, customs, and institutions of various nations, and finally into the fatherland and ancient seats, in order to be able better to judge the nations and peoples in their own times.”[4]/ Kollár's interest in linguistic and cultural diversity was aroused by the situation in his native multi-ethnic and multilingual Kingdom of Hungary and his roots among its Slovaks, and by the shifts that began to emerge after the gradual retreat of the Ottoman Empire in the more distant Balkans.[5]"

オーストリア=ハンガリー帝国(Österreichisch-Ungarische Monarchie, 1867-1918)期(1911)における民族=人種分布地図

また、文化人類学と民族学の違いを、前者は人間文化の共通性や一般性を主に探求し、後者はいわゆる特定の民族集団に関する民族誌あるいは民族誌学(ethnography)を記述し比較分析する学問であると区 別する人もいる。なぜなら、民族学というものは、民族誌(エスノグラフィー)という 基盤(ないしは下部構造)がなければなりたたない学問だからである。

このようにみると、民族学、文化人類学民俗学社会人類学、 [形容詞抜きの]人類学は、みんな同じだということになってしまうが、実際には、 それらの用語法に関連づけた理論化がなされたり、先にあげた、それぞれの国の事情や国家の歴史的経緯の影響を受けて、独自の発展を遂げた——つまり多様性 があり、それらの学問名のあいだにコンセンサスは無理としても具体的峻別をつけることができる——という事情があるため、それらをやみくもに統一する必要 はないように思われる。[→プロクルステス的な概念の濫用

Merriam-Webster 英語辞典では、その2番めの文字に「諸文化の比較と文系を主におこなう人類学」すなわち「文化人類学」と同じ意味で民族学(ethnology) を定義しているが、この2番めのものが、日本語で通常いわれる「民族学=エスノロジー」の意味に近いといえよう。

民族学と民俗学の 関係については、後者の項目「民俗学」 を参照ねがいたいが、日本における民俗学者は文化人類学の著述をよく読んでおり、その逆も言える。両者の間には友好的な協力関係もあり、ライバル関係にな るのは、むしろ学説上の特定の論争をめぐってである。民俗学が、日本における人種主義の勃興に大きな影響を与えることがなかったのは、先に述べたように 「明確なネーションや市民(シトワイヤン)の政治的概念が意識されたことのない」経験からかもしれない。しかし、1920年代の柳田国男の国際連盟信託統 治委員の時代に、ジュネーブに赴任し、そこで経験した複雑な人種主義とナショナリズムの影響を通して、それが、日本の琉球や八重山をして、民俗学における 日本ではない日本としての南島の位置づけを確立したのではないかという主張もある(村井 2004)。

●VölkerkundeからEthnologieに語法が変化したのはいつか?(→「ベルリン民族学博物館」を参照)

◎坪井正五郎は1889年にEthnology (Ethnologie)を「人種学」と訳した!!!

◎民族学の同義語としての「文化人類学」

◎四分類人類学

◎民族学=人類学のトポス

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