人種概念としての「ミンゾク」・ネーション(国民)としての日本民族
MIN-ZOKU as a race concept, NIHON-MINZOKU as a nation: terminological
confusion in Japanese
近代日本における民族の概念は、柳田國男による雑誌 『民族』(1925-1929)の発刊の以前と以後にわけてみるとわかりやすい(→「日 本文化人類学史」)。
つまり、1925年以前には、志賀重昴(1863- 1927)、三宅雪嶺(1860-1945)、徳 富蘇峰(1863-1957)などが「我等大和民族」などと使い、ナショナリズム的文脈で、他者と区別する際に「民族=みんぞく」という用語を使っていた。
しかし、この文脈で使われる「民族」(特にヤマトミ ンゾクと発話された時にみられるミンゾ ク)は、端的に言うと、人間の集団の特性における固有性が全面に出た概念であり、文化人類学者がいうところの人種(race)の概念として使っていること に注意すべきである。この「人種としての民族」の使い方は、国民=ネーション(nation)概念との混同に起因するものであり、日本人が素朴に使ってき た「我々は単一民族国家であり、一つの家のようなものだ!」という表現 の中に典型的に現れる。そして、現在でもなお「民族(ミンゾク)」という言葉が発せられた時に、じつはネーションという意味をもっていたものが、国民の意 味であったことを忘却して、今日では、さまざまな解釈を生み、議論が混乱する原因となっている(→「国民国家」)。
それに比して、柳田国男(そして柳田の『民族』の共同編集者であり、後に留学してオーストリア民族学のウィーン学派学徒になる岡正雄)が使う1925年ごろ以降の「民族」は、ドイツの19世紀から1945年まで反ユダヤ主義とドイツの国民統合を促したドイツ語のVolk(フォルク)=国民(ネーション)に該当するものと言ってもよい。ただし、柳田の民族は、現在生きている民俗の実態や、かつてそうであった近代化という文化変容を受ける以前の静態的な文化概念を担う人びとのことを指している(→「フォルク」)。
おまけに、日本では、例えば、かつての「日本の民族 責任」という用語は「日本国民の責任」に ほかならないのだが、戦争責任論などの議論では、「責任の所在は当時の政府にあったのではなく国民ではない」という責任の回避論を平気でおこなう自民党や 民主党(現在の民進党)の国会議員が出てくる始末である。総力戦の概念の登場以降——戦費の調達も議会の承認がいる——政府の戦争遂行に対して国民が全く免 責される根拠というものはなく、政府は国民の下僕なのであるから、かつての戦争遂行や他の主権国家に対する侵略行為や領土併合などの権力行為には、当然 「日本国民の責任」が生じているのである。だが、こうい うことを忘却した/健忘した人たちは、靖国神社が、かつては、帝国陸海軍の護持と指揮管理下にあり、霊璽簿(れいじぼ)に登録する業務と直接関係する、戦死者への恩給 などの登録システムと無関係であったことを再度思いだす/学ぶべきだろう(1945年の敗戦後はそれらの業務が厚生省社会・援護局、厚生労働省援護局に引き継が れる)。
また、民族をレイス(人種,race)として実際に充てて いる用語法もあった。
1930年11月永井潜(Hisomu Nagai, 1876-1957)らによって創設された(旧名称)日本民族衛生学会の英語名称はThe Japanese society of Race Hygine で、1931年に創刊された雑誌は当初『民族衛生』と日本語のみで表記されていた。永井は当時最先端の優生学研究を日本に導入し、理事長として優生学研究 の推進と国民優生法(1940年)の前身である民族優生保護法の策定に多いに貢献した。日本民族衛生学会の第一回学術大会は日本医学会の第13分科会とし て開催された。学会創設より5年前の1925年には「日本優生学協会設立草案」が草起されている(莇 2002:346)。こ の雑誌は、16巻(1947?-)から29巻(1960?)まで "Race Hygyne" と英文を並記し英語論文を収載するようになる。日本民族衛生学会は1935(昭和10)年「民族衛生協会」へ改組される——この前年の1934年に(エス ノロジーの意味が用いられた)「日本民族学会」が創設される。さて『民族衛生』の英文名 称は、30巻からは "Human ecology and race hygiene" と民族(=人種)の用語は引き続き受け継がれ、この状態は第48巻(1982)まで続いていた。1983年になりようやく "The Japanese journal of health and human ecology" となり学会名称も日本健康学会に変更された。しかし日本語の学会名称「日本民族衛生学会」名称はそのまま使用されなんと、2017年3月まで使われてい た。したがって、学会のホームページが公的に述べるような「創立当時の世界情勢によって本学会 が民族主義的優生学の学会と誤解されることもあったが、当時、圧倒的に優勢だった要素還元主義・人体機械論及び決定論的パラダイ ムから距離を保ち、包括主義・人体有機体論及び確率論的パラダイムを志向する学会であり続けて今日がある」日本健康学会について)という、文章の最初の 文節(太字で表記)は明らかにこの学会の真の歴史から目を背けた欺瞞的な内容になっている——これは学会の名称変更の歴史に対しての批判であり、この学会 そのものや構成員を非難するものではない。
さて、日本民族衛生学会設立(1930)の趣旨は 「生命の根本を浄化し培養せんとするのが我が民族衛生学会の使命」であるとして「政治を浄化し、経済を浄化し、法律を浄化し、宗教を浄化し」と記載されて いる(莇 2002:346)。その起源は、1905年にヘッケルの影響を受けた人たちが〈ドイツ民族衛生協会:Die Gesellschaft für Rassenhygiene 〉(German Society for Racial Hygiene)を創設にしたことに遡れる。 1936年の日本民族衛生協会第五回学術大会では「日本民族衛生協会の建議」が採択され、日本民族衛生研究機関の設立、断種法の制定、結婚相談所の設置、 民族衛生学(優生学)思想の徹底化、各種制定の「民族衛生学的統制」の推進を謳っている。その冒頭には明治天皇の御歌「よきたねを 選び選びて教草 う ゑひろめなむ 野にも山にも」(明治四十五=1912年)を掲げている。
★ヨーロッパに「日本」の名称が知られるようになるのは、キリスト教の布教が試みられる少し前のHistoria de las más notables, ritos y costumbres del gran reyno de la Chinaが出版された1585年以降のことと思われる。
「ファン・ゴンサレス・デ・メンドーサ」を参照のこと(写真は1589年に出版されたイタリア語版)。
●戦前の知識人が嵌(ハマ)ったG.W.F.ヘーゲルが説く家族・民族・国民・国家の関係
家族は、国民=ナツィオン(Nation)へと拡大
し、家族は民族=フォルク(Volk)へと拡大すると、両者を同義として扱う面がある(『宗教哲学』17.52f.,72. 1832年頃)ズーアカンプ(Suhrkamp)版。民族=フォルク
(Volk)は、最初のうちはまだ国家(Staat)にはなっていない。家族などが国家状態に移行は、理念一般が形式を備えた民族=フォルク(Volk)
のなかで実現されるだろう(『法の哲学』349節, 1821年)。
総じて、民族=フォルク(Volk)は、国家(Staat)の内なる呼びかけに、国家間には国民=ナツィオン(Nation)と使い分けているふしがあ
る。ただし、国民=ナツィオン(Nation)の内部が分節化している時、それはまとまりを持たない群衆で、国民=ナツィオン(Nation)にはなって
いない(『法の哲学』301節, 1821年)。これは『歴史哲学
講
義』における、東洋では王が、ギリシャやローマでは一部の人が自由を享受するのに対して、ゲルマンではすべての人間が自由でなければならない、というヘー
ゲルの主張にかなっている。民族=フォルク(Volk)は、自然集団の延長を免れないが、国民=ナツィオン(Nation)には、そうならなければならな
い命令語法のようなニュアンスがある。『ドイツ憲法論』(1, 472ff., 1799
-1800年頃)
には、ひとつの人間集団が国民=ナツィオン(Nation)であるためには、「所有物全体の共同保有」の意識が重要であり、国民=ナツィオン
(Nation)の構成員のあいだで、習俗、教養、言語あるいは宗教の同一性を条件としない(=国民の間に習俗、教養、言語、宗教の多様性は問題にならな
い)と主張しているため。本源的紐帯的なものを民族=フォルク(Volk)、社会構成的な契約にもとづく紐帯を国民=ナツィオン(Nation)としてい
る節がある。※「ヘーゲルと現代社会」
●ジジェクのネーション的〈モノ〉
「ネーション的〈モノ〉は、共同体のメンバーがそ
れを信じている限りで存在する」(ジジェク 2004:384)=これは、戦前の短歌ではないか?!(→「臣民」化における短歌と医療の関係)
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"I should not like my writing to spare other people the trouble of thinking. But, if possible, to stimulate someone to thoughts of his own," - Ludwig Wittgenstein
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