見 えない関係
Invisible Relations
池田光
穂
フィリピンのミンダナオ島にブキドノンとよばれる人びとがいる。ブキドノンとは「山の人びと」という意味をもち、文字どうり山地においてトウ モロコシや陸稲で焼畑耕作を営んでいる。さて、以下は今世紀初頭に報告された彼らの出産に まつわる習俗である。
「出産の時がやってくると、産婆はその女性を居間の床の上に寝かせ、腹をこする。子供が生まれるやいなや、産婆は臍の緒を切り、後産を取り除 く。これは最初は汚い布で、次に立派な布で包まれる。なぜならそれは赤ん坊の兄弟だからだ。それは動物の手の届かない家の階段とか、ストーブの下に埋めら れる。すぐにそれは土になるが、その霊は空に昇り、その子供のモリン・オリンとなる。」
「子供が生まれると『兄弟の守護霊』も同じように生まれる。後産が埋められて土になると、その霊は空に昇り、そこから生きている兄弟を見守る」 (ともに河合利光訳)
ブキドノン族を現地調査した河合利光さんによると、子供と「一緒に生まれた」後産は、同じ母親から生まれたキョウダイであると同時に、その子 供にとっての守護霊になるという考え方は彼らのあいだに現在でもみられる。そして、そのように後産を意味づける見方は、彼らだけにとどまらずフィリピンの 周辺地域で広くみられるという。
これに類似する観念は、インドネシアのスマトラ島のバタク族などにもみられる。おなじフィリピンのミンダナオ島のティルラィ族やスバヌン族で は、出生時にヘビがその子供のキョウダイになり、子供が死亡する時にはそのヘビも死ぬという考え方が人びとのあいだにあったことが報告されている。
また、これらの地域とは直接関係のない中央アメリカの伝統的社会にも、「人にとり憑く」あるいは「守護する」動物――あるいは動物霊――がお り、その守護動物が殺されたりすると、同時にその本人も死亡するといった観念があることが知られている。
このようなことから、少なくともいくつかの文化において、生まれおちた「いのち」は、その人間の眼にみえる「からだ」だけにとどまらない生命 のネットワークのようなものに配置される、という考え方がみられることが分かるであろう。
そして、ひとの「いのち」を見守る霊の存在は、たんに眼にみえている生命を越えたものであることも理解されよう。そこでは、いま「生きてい る」か「死んでいる」かという皮相的な質問を不問にしてしまう。1978年に物故した文化人類学者マー ガレット・ミードは、ニューギニアの北東に位置する アドミラルティ諸島のなかのマヌス島民においては、そのようなことが起こりえたと指摘している。彼女によると、マヌス島民は――といっても調査がおこなわ れた1920年代末であるが――自然に流産した、あるいは堕胎した子供に対しても一人前の名前がつけられ、「完全な人間」であるかのように取り扱われる。 それらは、何年もあとになってみると、流産か、死産か、生後死んだ子供かが区別されないという。そして、すでに死んでいてその「からだ」をみることができ ない子供たちにも、財産が割り当てられ、諸行事においてもあたかも人格があるかのように取り扱われたという。
以上のようなことから、そのような社会に住む彼らのまわりには、私たちには直接みることはできない「見えない関係」がいろいろなかたちで存在 していた。そのような関係のなかで人びとは生きていた。そして、その見えないものも、人びとの「いのち」をかたちづくる点で重要であったのだ。
かつて「未開社会」とよばれ伝統的な生活様式を守りつづけていた無文字社会は、世界的な規模での工業化・近代化の進展に巻き込まれることに よって、現在ではその多くが「低開発地域」とよばれる空間に押し込まれてしまった。このような地域は、じっさい高い出生率と同時に、また高い乳幼児死亡率 で知られている。「先進諸国」からみると、彼らの貧困の原因は人口の急激な増加――人口爆発!――にあると考えられている。したがって、それらの地域が近 代化を成し遂げるためには、その地域の乳幼児の死亡率を下げると同時に高い出生率を抑制する、すなわち母子保健の徹底化と出産のコントロールが必要であ る、という「対策」がひねり出されるのである。
ともあれ、低開発地域では多産多死を特色としながら、人口の急速な成長がみられる。だからと言って、このような地域が伝統的に、死んでゆく子 供たちに対して、あるいは人間全体の生命に対して、想像されるほど冷淡に対処してきたわけではないことは今までのいくつかの例をみても明らかであろう。
もっとも、話をややこしくするつもりはないのだが、死んでいった子供たちに対して人格はおろか霊的な存在としても認めない社会も、じつは数多 くあった。その際、生後おこなわれる名づけが完了していないものは人間としては取り扱われず、社会的に受け入れられていた制度としての嬰児殺しを容認する 「論理」にもなった。ただし、人間界の仲間入りを認定されたのちでは、子供といえども相応の取り扱いがなされなければならなかったことも事実である。
ここで理解されることはこうである。それぞれの文化における「いのち」に対する考え方は多様である。それは、その考え方と深い関係にある日々 の慣習の実践によって裏打ちされている。さらに、そのような観念は人びとの「からだ」の感覚にまで反映されているということである。
現在、気功などの流行がみられるのは、私たちの「からだ」にまつわる、すでに失われた「見えない関係」を人びとが取り戻そうとしている兆しな のかもしれないのだ。
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このコーナーでは、「いのち」に関する世界のさまざまな民族や社会でみられる興味深い慣習や信条 を紹介します。そのねらいは、周囲から消え去ってゆく「変わった習慣」を面白がったり、懐かしむことではありません。むしろ「いのち」の多様なあり方につ いて読者の皆さんとともに考えたいのです。いろいろなテーマについて多角的に取りあげますので、皆さんからのご意見をお待ちしております。
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