「健康アーカイブ」
■ アリストテレス『弁論術』ベッカー版1361b, 岩波文庫・戸塚訳、p.60
「身体の徳は(優秀性)は健康である。だがその健康とは、身体を使っても、それで病気にならない状態のことである。なぜなら、人々が健康であると言われる場合、ヘロディコスが健康であったとされる意味で健康であることが多いが、これらの人々は人間の楽しみのすべてを、もしくはその大部分を控えているのであるから、健康だからといって彼らを幸福と思う者は誰一人としていないような者たちなのだから」。
『ニコマコス倫理学』1099a27
「メガラ出身で後にトラキアのセリュンブリア市民になった医者。医術と体育と結びつけて、運動と食事療法による治療を行った最初の人。プラトンは『国家』の中で、「死を長引かせている」と皮肉っている(406a-c)」(戸塚七郎訳『弁論術』p.421)による訳者解説)。
■ キオスのアリストン
禿頭だった彼の健康観はニーチェによって改良を加えられる。
汝の徳とは汝の魂の健康である
なぜなら
健康そのものというものはないからだ
君の肉体にとってすら健康とは何を意味すべきかを決定するのには、
君の目標、君の視界、君の力量、君の衝動、君の錯誤、とくに
君の魂の理想や幻想が極め手となるのだ。
それゆえに
数かぎりない肉体の健康がある
われわれが個別なもの独特なものに発言権を更めて認めてやるようになればなるほど
われわれが人間の平等というドグマを忘れれば忘れるほど
それだけますますわれわれの医師たちは正常の養生とか病状の正常な経過という概念ものともに
正常の健康という概念をもなくしてしまうに違いない。
そうなってこそはじめて
魂の健康と病気について熟考し
各人の固有の徳をそれぞれの健康の道につかせる
時がめぐまれるだろう※。
※ ニーチェ『悦ばしき知識』120番、信太正三訳、ちくま学芸文庫(pp.213-214)・一部改変
◎ 健康の「発明」 池田光穂
◎ メスティソ農民の健康の概念 池田光穂
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