極端な事例による構成
ECF, Extreme Case Formulation
解説 池田光穂
「学生が喜んだ」などと
いう個人的にあるいは身近な報道など限られた情報をもとに「対面講義は良い」という一般化・普遍化して、みんなに同意を求める方法を「極端な事例による構
成」(Extreme Case Formulation, ECF)といいます。誤謬コミュニケーションのひとつです
つまり、難しく言うと、ECFは社会事象の理論にもとづく説明において、極端な事例をあげて一般化すること、ないしは、そのような話法や修辞法をさす。
例えば、断酒会の席上において、参与者が過去の飲酒歴を語る際に、事実とは異なる(=それほどの頻度はもたなかった)にも関わらず「毎日酒 呑んで、妻に暴力を常に振るっていました」という場合などである。
あるいは、極端な児童虐待の事件報道を報じた後で、「最近このようなケースが増えています。我々の子供に対する人 権意識は荒廃しつつあるのではないでしょうか」と一般化するケースである。
この場合のECFは、素人による誇張語法のひとつと考えられるが、このような語法が用いることを通して、あることを説明する話者のアイデンティ ティあるいは主体を構築する作用(ときに機能)がみられる。つまり、<生活破綻の元飲酒者>や<児童虐待を憂慮する良識ある市民>の構築である。
また、社会科学者は、しばしばこの種のレトリックを授業や講演、あるいは論争の席上で援用する傾向がある。
経験的にみると興味深いことがみられる。つまりECFを論じる人のたちにも、この語法がみられる。つまり、ECFがファシズムや政治宣伝(プロ パガンダ)を発見するための鏡になるのだ、という極端な学問的効用である。
かくのごとく、我々の日常生活において常にECFが多用される現在においても、ECFを用いた論証によって人間行動や道徳の形成が容易にお こなわれないのはなぜでしょうか。それは、ECFを用いた論証に頭で頷いても、我々の身体経験の諸相から、そのような過度のケースが稀であるという常識的 判断力(ないしは思いこみを回避するような負のフィードバック)が働いているからであろと考えられる。
ECFが過度の思いこみに発展しないという経験的事実からECFが理論として我々に対して与える教訓は次の2つのように思える。
(1)ECFという分析枠組を通して、商品宣伝や政治宣伝あるいは迷信から、距離をとることができるという保身的効用
(2)ECFは、我々の日常生活における修辞上の重要な戦術であり、この修辞の上手な使い手になることを通して、ECFの恐ろしさを知ると同時
に、ECFを通して、社会における生存上の技法をまなびうることができるという積極的効用である。
語りにおけるECFは非合理的な宇宙人のものでも、熱狂的なファシストのものでもない。我々の日常性における語法(修辞法)にほかならない。
ディビッド・ヒュームはすでに1739年に言っている。人間はたかだか経験を一般化する心理的な傾向をもつだけだと・・・[引用はハッキング 1986:6]。
【文献】
Anita Pomerantz, Extreme case formulations: A way of legitimizing claims, Human Studies , 9:219-229.1986.
ハッキング、イアン『表現と介入』渡辺博 訳、産業図書、1986年
【練習問題】
上掲の私の説明文の中にECFを発見しなさい。(答は太字で示してあります)
【応用問題】
ゼミナールの際に、あなたの周りの先生や同僚の中にこのような用法を発見しなさい。
【オンライン】
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099