帝国医療の問題系
Imperial Medicine: An Anthropological Questions, year 2004
――ファントム・メディシンの諸相――
帝国医療の問題系
――近代化のレッスン――
池田光穂(熊本大学)・奥野克巳(桜美林大学)[肩書きは当時です]
21世紀の幕開けは、すでに時代遅れと思われていた〈帝国〉という用語とそこから喚起される想像力が学問領域に席巻することから始まった。前 近代的な権力観、臣民のさまざまな生き方よりも均質で体系的な統治のシステムが優先される〈帝国〉は、「修辞としての帝国」が名実ともに耐用年数に来た時 に過去のおぞましいものとして封印されてしまった。だが、帝国医療も優生学も、好ましい臣民の未来を約束する合理的な人間管理技術であり、楽観的で将来を 約束された科学として登場したのだ。我々は帝国の悪夢を封印して以来、この〈地獄へと続く善意の石で敷き詰められた道〉の存在のことをも久しく忘却してい た。そして、近代という時代が暮れた終わったと思想家たちがいうこの時代になって、〈帝国〉は我々(=味方)と他者(=敵)が共に生きている世界を理解す るための重要な概念として復権するにいたった。
私たちが試みようとするのは、未だ暮れてはいない近代社会の成り立ちや在り方を、帝国医療や植民地医療という分析的想像力を介して検討するこ とである。そうすることで、近代医療や熱帯医療が、科学者や行政官としての医療者たちの英雄的努力によって構築されてきたという史観の影響を中和し、宗主 国内部における衛生政策を通しての国民主体の構築、植民地の統治対象としての帝国臣民の形成、医療と人種主義の関係などに光を当ててみようとする。
もちろん、突き詰めて言えば帝国医療というものも「修辞」の性格からは自由にはなれない。従って、この分析概念はこれまでの民衆史観や抵抗理 論と同様に、帝国という抑圧者モデルをより単純化し、モデル化によって生じた被害者の主体をより悲劇的かつ英雄的に描くという別のかたちの対抗神話を生産 することに荷担する危険をもたらすかも知れない。
そして帝国医療を研究する人類学者たちにはどのような実践的課題があるだろうか。私たちの挑発的な提案はこうである。帝国医療に押しつけられ てきたこれまでの修辞上の戦略を熟知し、それに対してアイロニカルな視座をとること。さまざまな経験的事実のフィールドデータの解釈から、これまでとは異 なった別のタイプの帝国医療像を提示してゆくこと。これである。課題とレッスンからなる、これらの知的審問を通して、プリズム的な帝国の在り方から、我々 の社会の在り方の現在を占ってみようとするのである。
Copyright Mitzu Ikeda and Katsumi Okuno, 2004