サイバーパンク
Cyberpunk, Cyber-Punk
解説:池田光穂
サイバーパンク(cyber-punk, cyberpunk)というのは、コンピュータあるいは自動制御の用語であるサイバー(cyber)[→サイバネティクス]と、非行少年や青二才をあらわ す俗語由来のパンク(punk)の合成語である。
これにより、サイバーパンクとは、 ネットワークコンピュータと主体的にリンケージのした人間主体ならびにヒューマノイド・エージェンシーのことをさすようになったとい われている。
ただし、このような定義は世間の常識を逸脱した過激なものであるので、このページ の読者は下記の解説をよく読んで、自分なりの定義を模索すべきだ(ウィキなどでは、この用語に思想や社会運動の意味を込めているが、現実社会とサイバーパ ンクの関係の可能性について穿った見方である)。
さてサイバー(cyber)が接頭辞となって英語に流布するようになったのは言うまでもなくN・ ウィーナーのサイバネティクス(cybernetics)であり、これは通信と制御についての学問を彼が提唱した際に用いられた言葉だった(ウィーナー 1957)。サイバーの語源はギリシャ語の操舵手あるいは統治者(kuberne-te-s)に求められる。ウィーナーがなぜこのような造語をおこなった かというと、それは彼の「情報」の定義と密接に関係しているからである。
ウィーナーによる「情報」の定義とは、個体が外界に適応しようと行動したり、行動の結果を外界か らえる際に、個体が外界と交換するものの内容のことをさす。サイバーという用語が、後にcyberspace や cyberphobia(コンピュタ恐怖症)のようにインターネットやそれに繋がるコンピュータを明示するようになったのは、サイバーに行為主体(=操舵 手)としての意味を持たせようとしたウィーナーからみれば不本意であっただろう。
その意味で、奥出直人がサイバーパンクを「頭脳の構造を探るような高度なテクノロジーをマスター し、それを自分のためだけに使う連中」と説明した時、それは言葉が最初にもっていた意味を復活させたと言える(奥出 1990:158)。サイバーパンクはテクノロジーの発達(正確には変化)と切り離せない。つまり、サイバーパンクの定義は、テクノロジーと人間主体との 関係の変化により変容しうるということである。変容が終わった時、この言葉は廃語になる。
文学作品ではサイバースペースの中に自我が侵入するとまで表現される。そのためウィリアム・ギブ ソン(1948-)『ニューロマンサー』(1984)などのサイバーパンク小説が「技術的に増強された(technologically- enhanced)文化的諸体系において周縁化した人々※」を取り扱うと定義されていることは、サイバーパンクという概念が、人間のある種のカテゴリーを さすと同時に、そのような人びとが担ったり拘束されもする社会性=文化をも包摂する概念であることがわかる(Frank 1998)。フランクの解説にしたがうと、社会的に周辺化されている人々つまり弱者は、サイバースペースにおいては、現実社会における強者(=経済的、社 会的、権力的にパワーのある人のみならず、警察や司法、あるいはマフィア組織など裏社会の実力者を含む)に比肩するだけの力と機会をもちうるというレジス タンス小説としても、『ニューロマンサー』を理解することも可能である。
※原文は、Cyberpunk literature, in general, deals with marginalized people in technologically-enhanced cultural "systems".です(http://www.non.com/news.answers/cyberpunk-faq.html, March 7,2004)。
解説者による註釈
この文章における人間主体という用語は、近代合理主義が前提にする、一枚岩で合理的で主体と客体 の二分法をよく理解しそれを行動に反映させることができるような行為主体をモデルしている部分と、その自己意識はともかくとして、肌で境界づけられた身体 をもつ、単なる行為主体という意味をごっちゃにしています。サイバーパンクの定義は、マン=マシン・インターフェース(→ユーザーインターフェイス)の発達により、いかようにも変化しま すので、このような軟弱な定義づけの限界は目に見えてわかると思いますが、むしろ議論のたたき台としてご利用ください。
ちなみに、かつて、私がウィリアム・ギブスン(ギブソン)のインタビュー映像をみたときに彼がこ んなことをいっていたのを鮮烈に覚えている:「予防注射というのは、人類にとっての最初のサイ ボーグ化経験だったのさ」
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