奴隷は反抗できるのか?
Can you, who is now taking as slave-like position, librearte yourself ?
質問コーナー:垂水源之介(回答者)
質問:
はじめまして、幸村ともうします。最近映画『風と共に去りぬ』が大好きでよく見たり原作を読 んだりしています。そこでセンセイの「黒人奴隷の歴史について教えて!」につい てウェブページを拝見しいろいろと勉強させていただきました。そこで質問なのですが、あの時代の奴隷制度の中、本当に黒人が(召使)があんなに反抗的で あったり、意見を述べたりすることができたのでしょうか?
おこたえ:
垂水源之介(あるいは市智河團十郎)になりかわり池田光穂がお答えします。
私のウェブページに関心をもってくださってどうもありがとう。
私は「風と共に去りぬ」という作品を読んだことも見たこともないので あなたのいうところの「黒人の反抗的態度」については正直申し上げてよくわかりません。
しかし奴隷と白人と言っても、同じ知的能力・判断能力のある人間どおしですので、 どのような社会状況であっても反抗という人間的態度をとることは十分に 考えられます。もちろん、当時の社会状況下では、奴隷に白人と平等な人権があるとは考えられず、 また法的にも保護されませんでした。反抗するという行為は、リンチにあったり 殺されるというリスクもあったわけですから、黒人にとっては命をかけた ものだったのでしょう。
従軍慰安婦も性の奴隷であったからと言って、当時の日本兵とコミュニケーションが全く なかったと言うことができないでしょう。彼女たちが歴史の証人であるからこそ、耳を傾けなければならないのです。DVの犠牲になっている人が 夫の暴力におびえていても、時には抵抗することもあるでしょう。
問題は、そのような記憶が権力をもった人たちによって抹消されたり、思い起こすことが嫌いな 人たちによって〈無理やりに〉抹消させられているだけです。そのような〈反乱の記録〉はさまざまな角度から復元しなければなりません。もちろんさまざまな 断片から構成される記憶ですから、唯一正しい歴史がどこかにあるはずだという〈極端な偏見〉に陥ってはなりません。
奴隷制度下には奴隷の人格が全く否定されており、その実態として奴隷にはまったく発言権がな かったという理解も極端です。制度や恐怖が人間に強いる「〜してはならない」という〈規則〉と、実際 そのような規則を破る行為があるという〈事実〉を混同してはいけません。
意思をもった隷属状況にある人が抵抗するほかの例として、2004年3月にある学校でおこった 〈君が代斉唱や起立拒否〉と、拒絶した教師たちへの自治体の処分問題です。これについてはどう思われますか?
入学式や卒業式において教師は「君が代斉唱の時には起立すべき」という制度のなかでも、 処罰を覚悟してそれに従わない人がいます。態度だけ服従して心は 従わなくてもよいという生き方からみれば、処罰まで賭けた行為は 愚かに見えますが、その行為に現在の生活や信念をかけている人からみれば、裏表のある 生き方のほうが耐え難いと感じるのでしょう。どっちもどっちですが、 重要なことは、その意識の落差はその問題に直接関わる人たちに とっては人生を賭ける闘いゆえに、ものすごく大きいということです。
この事態にエキサイトしていない人たちにとって大切なことは、どうして〈処罰する側〉や〈抵 抗する側〉がエキサイトしているのかということに驚いた時に、それを理解しようとするココロを持つことです。〈私たちこそ正しい〉という双方の主張がどこ にあるのかを冷静に考量することです。そうすることで、その問題に対する関心が生まれてくるでしょうし、また、過去の歴史や〈君が代斉唱〉を日本の国民が どのように受け入れよう/拒絶しようとしているのかという社会状況が見えてくるでしょう。
質問に十分に答えになったかどうかわかりません、また新たに生まれた 疑問や追加の質問があれば承ります。
どうもありがとう!
クレジット:奴隷は反抗できるのか?:オマ
ケ:君が代斉唱や起立を拒絶する権利はあるか?
[T]he man who
possesses no other property than his labor power must, in all
conditions of society and culture, be the slave of other men who have
made themselves the owners of the material conditions of labor. He can
only work with their permission, hence live only with their permission.
- Karl Marx, Critique of the Gotha Programme, 1875