少数民族の未来は?
質問(しつもん):
私は大学で文化人類学を学びたい高校3年生です。両親の仕事の関係で、以前シンガポールやマレー シアに3年暮らしたことがあります。そこで質問です。もし、これらの新興国の政府が少数民族に対して、彼らが住んでいる土地の物質的資源の利用に関する権 利を、ほかの自国民と対等なものに与えたら、彼らのもっている民族的アイデンティティはいったいどのようになるのでしょうか?
お応え(おこたえ):池田光穂
具体的なケース(マレーシアやシンガポール)について、仮定法にもとづいてお応えすることはできかねますので、今日の国際的政治的/文化的状況 に照らして一般論として以下に考えてみましょう。
もともと土地所有の概念が共同のものである場合、国家や共同体は、個人が可処分できる権限、つまり私有権に対して、それを定義しようとするで しょう。私有権が認められれば、それをめぐって開発業者や政府のエージェントが絡んでくるでしょう。
もし、共同体がしっかりしている場合、政府から与えられた土地の可処分に関する権利について、共同体の中でのルールにしたがって、その権利や可 処分にかんする会議(例:長老会議、コミュニティ全体での話し合い)が開かれるでしょう。
ともに、自分たちに与えられた権利とは何であろうか、に関してさまざまな議論が出るでしょう。場合によっては、論争がおきたり、敵対する派閥に 分かれることもあるでしょう。無事に紛争が収拾するときもあれば、泥沼化することもあります。
いずれにせよ、それまで議論されることのなかった話でしょうから、自分たちが何もので、それについてどこまでが成員(メンバー)であるのかにつ いても、問題になるでしょう。
したがって、自ずから人びとの民族的アイデンティティに関する議論は盛り上がるでしょう。
もっとも、中央政府などが、少数民族に対して対等あるいは敬意をもって、物質的資源の権限を認めることはことは稀です。(我が国の政府の対応な どは少数民族政策に関しては近代国家の中でも最悪の部類に属しますので、あまり見本にはなりませんが、状況は似たり寄ったりです)。
むしろ事態は、君が仮定するようなものではなく、少数民族じしんの民族的アイデンティティが高まる/高まりつつある中で、自分たちの民族に対す る固有の法的権限(=権限)――つまり土地所有権、鉱山や森林などの採掘・伐採権――を要求しているのがよく見られる姿です。
文化人類学者たちが今日において、国民国家と少数民族についての関係について、大筋で認めている見解(前提)は以下のようなものです。
――民族の定義は、その民族集団が固有にもっているものの他に、内部の集団や外部のより大き な集団(例:国家)などから影響を受けながら、流動的に変化してきた側面がある。
――ある民族集団が、固有にもつと思われてきた「文化的特徴」も、短いものだと数世代のうち に新規に採用されたり、放棄されてきたという証拠がたくさんある。
――ある民族集団にとって、固有の文化の独自性は、あくまでもその民族集団にとって重要であ り、尊重されなければならないという原則を守りながら、内部で異論を唱える人(集団)や、外部社会とのあいだで調整される必要性もあることも否定できな い。
――したがって、文化現象と一般の政治権力とは、全く別物とは言えなく、相互に関係してい る。
文化人類学の学問的伝統から、少数民族の権限を国際社会に認めてもらうよう努力している文化人類学者/民族学者も多いです。この領域に少しでも 関心をもってもらえれば幸いです。
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