グローバル化がもたらす保健システムの変貌
Transformation of Health Systems under Globalization
研究代表者:池田光穂
1.共同研究の課題区分
課題1 文化人類学・民族学および関連諸分野を含む幅広い研究
2.研究課題
(和文)グローバル化がもたらす保健システムの変貌
(英文)Transformation of Health Systems under Globalization
3. 研究の目的
本研究の目的は、(1)グローバル化する近代医療とそれに呼応するローカルな保健システム が織りなす動態に関する研究成果を共同研究会を通して多角的に検討し、(2)文化人類学の学問的プレゼンス能力の向上のため、福祉国家像の再考や公的年金 の再配分など、次世代の社会制度設計に関する今日の議論に本研究成果が政策的に節合できるように種々の提言を考案するものである。
具体的な目標としては、(I)国民国家と近代医療制度が密接に関連してきた諸地域における 公衆衛生政策や大衆保健運動の民族誌学的分析を通して、国家主導の保健システムが社会に受容され大衆化する社会的過程を明らかにする。また(II)その歴 史的過程の検証として19世紀中葉から20世紀初頭にかけての欧米における(II-a)科学的医療の国家制度への組み込みと、ほぼ同時期の(II-b)帝 国植民地におけるキリスト教宣教医療やフィランソロフィ慈善団体の国際公衆衛生活動、そして(II-c)我が国の帝国拡大期における植民地熱帯医療と先進 地域における近代衛生政策の普及過程の三角測量的比較を試みる。
4. 研究の意義
近年の民族誌研究の諸成果によると、“ローカルな文脈においては土着医療が一様に衰退し生 物医療が地域の保健システムを席巻する”とは単純には言い切れず、人びとの保健に関する意識は必ずしも画一化に向かうものではないことが指摘されている。 この事実の存在は、疾病と社会文化の関係を一義的に定義してきた従来の〈文化主義な解釈モデル〉の限界を露呈させ、現代の保健医療の制度的改革に応える文 化人類学的パラダイムの信用そのものを低下させている。保健システム研究に携わる本共同研究の意義は、グローバル化する近代医療と、それに呼応するローカ ルな土着の保健システムが織りなす動態を分析する専門家として、これまでの歴史学や社会医学の成果を活用しつつ、民族誌にもとづく質的分析手法を用いて、 医療の近代化が直面している諸現象の解明に寄与できることにある。(→5.)
5. 期待される成果
期待される成果には、学問的貢献と社会貢献の2つがある。学問的貢献においては、人類学・ 医学・歴史学の研究者間の連携による研究の創発的効果である。英国ではすでに1980年代後半に歴史研究者たちが旧植民地の研究者と連携して帝国医療の研 究を開始した。それらの成果は、後の科学史やジェンダー研究に大きな影響を与えた。我が国では約10年間のギャップをもって歴史学研究者たちの成果が公刊 されつつあり若い文化人類学研究者に多大なる影響を与えている。時宜的にも活発な成果をあげている歴史研究とリンクする意義は極めて高い。社会貢献におい ても本研究は独自の地位を獲得できる。なぜなら、経済のグローバル化にともなう公的施策への財政的縮減や福祉国家論の見直しなどにおいて、政治経済学から の根拠の乏しい理念的な施策提言に対して、本研究のメンバーが有する経験知や実践知を共同研究をとおして共有することによる新たな視座の獲得は、先の政治 経済学的批判の可能性と限界を適切に指摘し、それに代わるべき具体的で確実な改革提言を可能にするだろう。
6. 研究の実施計画
複数の大学および研究機関による共同研究を円滑に遂行するために、次のような共同研究の理 念と行動原則を採用する。
(1)具体的なアウトカムを最終目的としたオブジェクト指向の研究:
個々の共同研究者の自由度を尊重しながらも、つねに研究全体のアウトカム(学術生産と 研究成果の社会的還元)を念頭におく研究理念を掲げる。かつ円滑に研究を進めるために、研究グループ内部を分節化させ、グループ間の思考過程を電子媒体を とおしてつねに共有できるような態勢とリーダーシップを確立する(その際には貴館が有する関連施設・資源を活用する)。
(2)情報公開原則にもとづく開かれた共同研究過程の維持:
閉鎖的な共同研究にありがちなパラダイムの固定化やジャーゴンの生産と内部共有を防ぐ ために、研究会の外部から学問的アドバイザーを適宜招致したい。さらに合意形成を経た上で研究過程を公開し、進行中の共同研究の成果が関係領域の研究者に も電子的にも共有できるように配慮する(その際には貴館が有する関連施設・資源を活用する)。
研究期間を通して次の(I)と(II)の2つの計画を実行する。
(I)国民国家と近代医療制度が密接に関連してきた諸地域における公衆衛生政策や大衆保 健運動の社会分析を通して、国家主導の保健システムが社会に受容され大衆化する社会過程を明らかにする。この研究領域は、主に文化人類学を専攻する研究者 による発表とそれ以外の研究者によるコメント批評によるフィードバック過程から構成する。
(II)保健システムの大衆化を歴史的に検討する課題として、(II-a)科学的医療の 国家制度への組み込みと、ほぼ同時期の(II-b)帝国植民地におけるキリスト教宣教医療ならびにフィランソロフィ慈善団体の国際公衆衛生活動、そして (II-c)我が国の帝国拡大期における熱帯医療と近代衛生政策の普及過程の三角測量的比較を試みる。この領域では、おもに共同研究者および外部から招致 する歴史学の研究者による研究成果の発表に関与しながら、文化人類学的観点からの批評と方法論的節合の可能性を模索する。
7.研究成果の公開計画
研究計画が採用された時点で、ウェブでの研究計画の概要の紹介をおこない、関連する分野の 若手研究者に広報する。共同研究会が開催後は、本研究に関する共同研究者によるこれまでの研究業績の電子化をすすめ、共同研究者が相互に利用可能な情報資 源とする(調査の倫理面ならびに著作権等の法的条件を完備した後に完全公開を目標とする)。発表論文のウェブでの公開ならびにその後のアドバイザー等から のフィードバックをもとに最終版を作成した時点での印刷物としての公刊を試みる(計画の2年目から公刊のための出版社ならびに財源の確保を試みる)。
8.関連プロジェクト(本研究と関連するプロジェクトの実施,あるいは計画がある場合は,その正 式名称(含代表者名)等を明記してください。)
・平成14・15・16年度日本学術振興会科学研究費補助金・基盤研究(C)(1)「グロー バル化する近代医療と民族医学の再検討」(研究代表者:奥野克巳)
・平成15・16・17・18年度日本学術振興会科学研究費補助金・基盤研究(B)(2) 「価値の多元化状況における保健システムの変貌」(研究代表者:池田光穂)
【審査コメント——2006年】
・公衆衛生政策や大衆保健運動の民族誌学的分析とは何か、具体的に説明せよ。
・マイクロヒストリーを民族誌記述の中で活かす方法を具体的に説明せよ。
・電子媒体での共有について、具体的に説明できるか?
【開催クロニクル】
(1)平成16(2004)年10月8日〜9日
・本年度研究打合せ(全員)
・池田光穂「ポスト帝国医療:沖縄の公衆衛生看護師を中心に」
・奥野克巳「ホモ・メディクス:進化・身体・土着医療から考える」
・西本太「ラオス公衆衛生事業における辺境住民の主体形成について」
(2)平成16(2004)年12月18日〜19日
・嶋澤恭子「出産場所を決定すること:ラオス女性の行動から」
・倉田誠「サモアにおける公衆衛生の普及と『伝統医療』」
・野村亜由美「『ぼけ(呆、惚)』概念の医療化について」
(3)平成17(2005)年2月11日〜12日
・奥野克巳・山崎剛「帝国医療研究の過去と未来:人類学文献の解題を通して」(基調報告)
・倉田誠・西本太「コメント:帝国医療研究の過去と未来」
(3)平成17(2005)年7月17日〜18日
・松岡悦子「マタニティーブルーズと文化結合症候群」
・嶋澤恭子「コメント:マタニティーブルーズと文化結合症候群」
・飯島渉「帝国とマラリア:植民地医学と東アジアの広域秩序」
・坂野徹「帝国日本の広域秩序と医学・人類学」
(4)平成17(2005)年10月8日
・研究打合せ
・全員「坂野徹『帝国日本と人類学者』総合合評会」
(5)平成17(2005)年12月17日
・末永恵子「旧満洲医科大学の戦争責任」
・下地明友「シャーマニズム的世界における精神医学」
(6)平成18(2006)年3月4日〜5日
・特集:「身体と憑依:グローバル化する保健医療との関わりから」
・花渕馨也「インド洋西域における精霊憑依:もうひとつのグローバル化と民族医療」
・奥野克巳「感覚の民族誌に向けて:ボルネオ島における身体の問題系」
・吉田尚史「持続可能な開発:カンボジアにおける精神保健」
(7)平成18(2006)年6月10日〜11日
・脇村孝平「グローバル化/環境変容/疾病:19世紀アジアにおけるコレラを中心として」
・田所聖志「クールー病からみるアンガ系諸集団の呼称」
・吉田匡興「メンタルケースの語り口:パプアニューギニア・アンガティーヤ社会の邪術から」
(8)平成18(2006)年7月1日〜2日
・野村亜由美「小沢勲『ぼけ論』の周辺」
・土屋貴志「15年戦争期の日本による医学犯罪:原典のレビューから」
・松岡秀明「中村古峡と日本精神医学」
・美馬達哉「鳥インフルエンザ論」
(9)平成18年(2006)年8月4日
・研究打合せ会議「グローバリゼーションと医療人類学の未来」
・院生ならびにポスドクのための研究会:話題提供と討論参加者(池田光穂、山崎剛、松尾瑞 穂、福井栄二郎、倉田誠、西本太)
(10)平成18(2006)年10月21日
・東賢太朗「呪術から災因論へ」
・森口岳「近代医療はグローバル化するのか」
・佐藤純一「『医学教育のグローバライゼーション』を通して『近代医療のグローバライゼー ション』はなるのか?」
(12)平成18(2006)年11月18日〜19日[→詳報]
・福田真人「日本最初の横浜梅毒病院と英国海軍軍医G. B. Newton」
・寺田光徳「19世紀フランス文学に見る梅毒」
(13)平成19(2007)年1月27日〜28日
・西本太「生態系・ベクター・文化」
・池田光穂「医療研究において人類学が取り組むべき課題はなにか」[→詳報]