フォートランの寓意
Fortran's Allegory
池田光穂
最近読んだ訃報のなかで、John Warner Backus (December 3, 1924〜March 17, 2007) と彼の開発したフォートラン(FORTRAN)のエピソードが極めて興味深かったので、その訃報を紹介しつつ、彼の人生がもつ、発見と知識生産のエコノ ミーに関して議論してみたい。
まず訃報のテキストの全文
FORTRANの 父、ジョン・バッカ ス氏死去 「プログラムを書くのが嫌いだったので」FORTRANを発明した——そう語っていたジョン・バッカス氏が82歳で亡くなった。
2007年03月 22日 10時14分 更新 ボストン(Associated Press)
1950年代にプ ログラミング言語 「FORTRAN」を開発し、人々がコンピュータを動かす方法を変え、近代ソフトウェアの道を開いたジョン・バッカス氏が死去した。82歳だった。
同氏は3月17日 に米オレゴン州 アッシュランドで亡 くなった。同氏がかつて務めていたIBMが明らかにした。
FORTRAN登 場以前は、コン ピュータは慎重に 「ハンドコーディング」——マシン内の行動を引き起こす数字の列をそのままプログラムする——しなければならなかった。FORTRANが「高水準」プログ ラミング言語とされるゆえんは、そうした作業を取り除き、プログラマーがより直観的 な体系でコマンドを入力できるようにしたところにある。このコマンド は コンピュータ自身が機械語に翻訳する。
この画期的発明 で、バッカス氏は 1977年に、業界 最高の栄誉の1つである米計算機学会(ACM)のチューリング賞を受賞した。このときバッカス氏の功績は「高尚で影響力がある、永続的な貢献」とたたえら れた。
同氏はまた、 1975年に米国家科 学賞を、1993 年には米国工学アカデミーの最高の名誉であるCharles Stark Draper Prizeを受賞した。
「わたしの成果の 大半は、わたしが 怠け者であること から生まれた」とバッカス氏は1979年にIBM社内誌「Think」で語った。「プ ログラムを書くのが嫌いだったので、ミサイルの軌道を計算するのに IBM 701(初期のコンピュータ)でプログラムを書いていた時に、プログラムをもっと簡 単に書くためのプログラミングシステムに取り組み始めた」
ジョン・ワー ナー・バッカス氏は 1924年に米デラ ウェア州ウィルミントンで生まれた。父は薬剤師で後に株式仲買人になった。プレップスクールと6カ月で退学したバージニア大学では、後に同氏が「波乱に富 んだ教育経歴」と呼んだ経験を得た。軍に招集された後、医学を勉強したが、無線工学の方がおもしろいと感じてやめた。
同氏は最終的に自分の天職は数学だ と気づき、ニュー ヨークのコロンビア大学で数学の学位を収めた。卒業後間もなく、マンハッタンのIBMオフィスを見学し、1万3000本の真空管を備えた初期のコンピュー タ「Selective Sequence Electronic Calculator」に出会い、その発明者の1人レックス・シーバー氏に会った。シーバー氏は「自社製のちょっとしたテストをして、その場でわたしの採 用を決めた」とバッカス氏は1979年に過去を振り返って語った。
バッカス氏の IBMでの初期の成果 は、1950年代 には最新技術だった扱いづらい大きなコンピュータで月の位置の計算することだった。だがハードウェアをハンドコーディングすることにうんざりしていた同氏 は1954年に、もっと簡単なシステムを設計するチームを立ち上げることを上司に認めさせた。
その結果生まれた FORTRAN (「Formula Translation」の略)はマシンを動かすのに必要なプログラミングの記述を 20分の1に減らした。
これは懐疑的な人 々に対し、ハンド コーディングなし でマシンが効率的に動くことを示した。幅広いプログラミング言語やソフトウェアアプローチが登場したが、FORTRANも長年をかけて進化し、今も利用さ れている。
バッカス氏は1991年に引 退するまでIBM に勤め 続けた。このほかの同氏の重要な功績としては、コンピュータ言語の特定の文法を記述する方法がある。このシステムは「Backus-Naur Form」と呼ばれている。
出典 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0703/22/news025.html(2007年3月24日)
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