医療と文化の多元主義:日本事例の検討
Medical and Cultural Pluralism in Contemporary Japan
本発表は、演者の属する高等教育機関(=大学)の医療通訳翻訳学のカリキュラム構想ついて医療人 類学者として関わった際に痛感した「文化の概念」に関する従来のとらえ方への反省と、自生的な市民運動家たちが作り上げている「多文化共生の実践思考」の 可能性への着想から出発するものである。とくに後者に関わるさまざまな社会活動を参与実践(participant practice)とよび、我が国および諸外国における類似の活動との比較検討を通して、この実践思考を国内に広げてゆくための戦術の理論面について考え たい。
日本語における「多文化共生」という言葉の総務省による官製の定義は2006年の報告書に登場す るが、その10年以上も前からあった「共生」という言葉は、西欧語の多文化主義のそれとはニュアンスも定義も明らかに異なる。多文化主義が人種主義や外国 人への排外主義へのアンチテーゼとして少数派の権利保障の概念として登場してきたのに対して、日本官製の「共生」は調和の概念の背景に社会的コントロール (=「調和」を通した少数派に対する多数派の統制)のニュアンスが含まれる。(→多 文化共生社会)
では日本には多文化主義の原義である多元主義にもとづく社会実践が皆無であったのだろうか?―― 事実はそうではない。日本における医療的多元主義(medical pluralism)は、爾来欧米の医療人類学者たちがその文化的特色として好んで取り上げてきたもののひとつであり、日本文化が多元主義を受け入れない 主張に対する有力な反証になる。しかし多文化主義に対する無理解無寛容が同時に存在する。人びとが自由に享受している医療的資源の夥しい多元主義と、世界 からレイシスト(人種差別主義)国家と誹謗されてもほとんど国内の関心がもたれない文化や民族の多元主義のこの極端な落差とその「共存」は、まさに文化人 類学にとっての難問と言っても過言ではない。
この難問の解明は、日本の多文化主義の実現に貢献する仲介的実践者(mediative practitioner)としての医療通訳の積極的育成に理論的正当性を与えるはずである。
この研究発表は、2008年7月15日に、第17回びわ湖国際医療フォーラムにおいて標題のタイ トルで発表されたものの要約です。
この研究は大阪大学グローバルCOEプログラム「コンフリクトの人文学国際研究教 育拠点」の研究プロジェクト「在日外国人支援の現場における参与実践」(代表者:池田光穂)に関するものです
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※これは、第17回びわ湖国際医療フォーラム(2008年7月5日)の一般演題で発表予定の予稿 です。文案は申請中のもので、査読後に変更を求められるかもしません。また、今後予告なく変更される可能性があります。
[T]heir claims have two important features
in common: (a) they go beyond the familiar set of common civil and
political rights of individual citizenship which are protected in all
liberal democracies; (b) they are adopted with the intention of
recognizing and accommodating the distinctive identities and needs of
ethnocultural groups. I will use the term 'multiculturalism' as an
umbrella term for the claims of these ethnocultural groups. (Since
these ethnocultural groups seeking recognition tend to be minorities,
for reasons I explain below, I will also use the term 'minority
rights'.)[Kymlicka 2002:335]