「くつろぐ」とはどういうことか?
What do you mean "I'm relaxing,"
yeh?
Mary Cassatt (1845
-1926)「Little Girl in a Blue Armchair」1878年
■ 解説
「くつろぐ」とはどういうことか? 手許の『リーダーズ英和辞典第2版』を逆引き検索する と、cose, take one's ease, gel, get down, let one's (back) hair down, hang (up) one's hat, kick up one's heels, kick back, take [get] a load off (one's feet), loosen up, relax, sit back, unbend, unbuckle, unlax, unwind という表現が見つかる。いずれも締め上げていたもの[=緊張?]を解く、リラックスする、肩の力を抜く、荷を降ろす、という表現をもつ用語が多い(→資料 (1)「大阪の居酒屋」の写真参照)。
そのため、くつろぐという行為は、何かをやっていることを中止する、あるいは(もうやらな くてもよい状態である)なにかをやり遂げたあとに、どうも必要なものとされている。しばしば私たちは、自分の部屋という空間に戻ったとき、自分の部屋でリ ラックスして過ごしている時、くつろぎを感じることが多い(→資料(2)参照)。しかしながら、くつろぐことは、何もしないということではないだろう。テ レビを見る、「気晴らしに」散歩やスポーツをする、趣味の工作や工芸に精を出す人がいる。しかしビデオゲームのように、くつろぐつもりが、そのゲームに没 入してしまい、疲れ果てることもある。くつろぐということは、遊びと単純に同一視することもできないようだ。
人びとが仕事の緊張から解放されてゆくリゾート(行楽地)もまたリラックスする(くつろ ぐ)場である。何か仕事をやり遂げたために「自分にご褒美のための」ショッピングや会食もくつろぐためにあるようだが、ぶらぶらと街に出かけて気の赴くま ま歩いたり食事をしたりするのは、それまでの緊張を一時解きほぐすと同時に[その後に控えている新しい仕事のために]リフレッシュしするという役割をもっ ているようである。しかし、リラックスするために、わざわざ人が押し寄せるショッピングモールに出かけたり、お財布の中身と相談しながら欲しかったものの 値札を見つつ(心の中で「えいやっ〜」とか「まっイイかっ?!」と叫びつつ)買い物をすることが、なぜくつろぐことなのか、真面目に考えると変なこともあ る(→資料(3)「イタリアの街路」の写真を参照)。
にもかかわらず、どうもくつろぎは人生にとって不可欠なものらしい。仕事一本の人生は(学 術や伝統芸能などでは)素晴らしいという世間の賞賛がある一方で、同時にそのバランスを取るような表現もある(All work and no play makes Jack a dull boy:「仕事ば〜っかりして遊ばん奴はホンマに粋のないお方になってしまうでぇ」)からだ。
日常生活の経験から、くつろいでいる人とくつろいでいない人を弁別することは(誰しも容易 とは限らないだろうが)できるようだ。Mary Cassatt (1845-1926)による油絵"Little Girl in a Blue Armchair"(1878)を見て、人はよもや油絵の少女が、くつろいでいると感じる人は少ないだろう。どうやら、くつろいでいることを人に見せるた めの「身体技法」があるようだ。さらに身体技法が短い時間のあいだに集団において「伝染」することがある。グループ旅行で温泉に行って、誰かが浴衣に着替 えたら連鎖反応のように皆が一斉に着替えだし、露天風呂に直行ということはよくある。浴槽の中では裸だが、お湯につかってくつろぐ様子は高度に様式化され ており、別の身体技法という「文化の衣」をいまだ着けているようでもある。
■ 課題
皆さんにとってくつろぐとは、いったい具体的にどういう行為を指し示しているのか? 皆さ んがくつろぐ経験をされている状況を具体的に想起して、そこで、自分の身体および心の中でいったいどのようなことが起こっているのか(差し支えない範囲 で)グループのメンバーとそれらの経験が共有(勿論仮想的に)しつつ「くつろぎ」について「くつろいだ雰囲気の中で」皆さんと議論してください。
■ 資料
1)大阪の居酒屋(ルドフスキー 1973:308):なお清酒の『偕老(かいろう)』は京都北山のお酒
2)パリについてのハンナ・アーレントの言葉
「パリでは旅行者は気楽にくつろげる、なぜならこの町では自分の部屋にいるのと同じ生活がで きるから。ちょうどアパートの一室は、そこで暮らすことによって快適なものとなるように、この町をただ宿泊や、食事や、仕事のために使うだけでなく、目標 や目的を持たずに町中を歩き回り、そして都市の生活すなわち歩行者の流れがその前を過ぎて進んでゆく街路沿いの数かぎりないカフェのどれかに足を止めるこ とによって、ひとはこの町を快適に感じるようになる」(出典:Hannah Ardent, "Reflections," The New Yorker, Oct 19, p.102, 1968.ただし引用はルドフスキー(1973:106)による)
3)イタリアの街路(ルドフスキー 1973:104)
4)絵の出典:Mary Cassatt (1845-1926)「Little Girl in a Blue Armchair」1878年、油絵89.5 x 129.8 cm, National Gallery of Art, Washington.
5)Manuel Alvarez Bravo (Mexican,
1902–2002), Los Agachados, 1934, 17.7 x 23.4 cm: http://www.metmuseum.org/art/collection/search/265452
■ 寛ぐの対局表現
跪く男:塚廻り古墳群第4号古墳(群馬県太田市)出土
■ 作者と作品
■ 文献
ルドフスキー,バーナード 1973『人間のための街路』平良敬一・岡野一宇訳、東京:鹿島 出版会[Rudofsky, Bernard. 1969. Streets for people : A primer for Americans. Garden City, N.Y.:Doubleday.]
ルドフスキー,バーナード 1999『さあ横になって食べよう』奥野卓司訳、東京:鹿島出版 会[Rudofsky, Bernard. 1980. Now I lay me down to eat : notes and footnotes on the lost art of living. Garden City, N.Y. : Anchor Books.]
Bernard Rudofsky
(April 19, 1905 - March 12, 1988): Rudofsky earned a doctorate in
architecture in Austria before working in Germany, Italy, and a dozen
other countries. He temporarily settled in Brazil in the 1930s and
opened an architectural practice there, building several notable
residences in São Paulo. An entry in a 1941 design competition brought
an invitation from MOMA to tour the US; in the wake of Pearl Harbor, as
an Austrian native, he was given the option of staying in the US. He
remained based in New York City until his death, although he continued
to travel (sometimes for years at a stretch). Rudofsky variously taught
at Yale, MIT, Cooper-Hewitt, Waseda University in Tokyo, and the Royal
Academy of Fine Arts in Copenhagen. He was a Ford, Fulbright and
Guggenheim Fellow.
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■ リンク
■ クレジット
「くつろぐ」とはどういうことか? 担当:池田光穂(阪大CSCD) 現場力と実践知(Practical wisdom for Human Care)第7回 2008年11月25日