デカルト劇場
Cartesian Theatre, CT
解説:池田光穂
ルネ・デカルト(René Descartes, 1596-1650)によると(人間しか持たない)意識は、非物質的な「魂」に由来するものである(デカルトによると、魂と身体の結節点は脳の基底部にある 「松果体」にあると想定された)。魂は「死せる物質」すなわち「寿命がなくなる身体」に対比するものとしてある。これは、今日では、デカルト的二元論 (Cartesian dualism)あるいは心身二元論 と呼ばれている。
これに対する意見は(デカルトの仮想敵であるが)アリストテレスである:「魂と身体とがひとつであるかどうかを探求する必要はない」『魂について』第2巻第1章412b6(中畑訳、p.62)
では、心(マインド、精神)はどこにいるのか? デカルトは心は、船の中の水夫のようにどこかにいるのではなく、身体全体にみなぎっているとし
た(デカルト『省察』の第六省察、白水社版『デカルト著作集』第2巻、103ページ、『省察』岩波文庫、117ページ:サール『マインド:心の哲学』55
-56ページ)。
唯物論的な自然科学者とりわけ今日の神経学者や脳科学者たちは、デカルトのこの想定をナンセンスなものとして退けている。
しかしながら、自然科学者の多くの人が、デカルト的二元論を批判しているにも関わらず、意識のことを論ずると、しばしば意識を観察している別の 客観的観測者を想定する——しばしば小人であるホルムンクスに喩えられる——思考の習慣が、いまだに残っている。
ここでは意識は場所か入れ物、すなわち劇場のように考え、その劇場の中に、別の客観的観測者(=観客)を想定する思考を繰り返してしまう。(さ らなる別の客観的観測者を想定する不毛はしばしば「無限後退」論と言われる)
ダニエル・デネットは、このような無批判な微小観察者の前提を馬鹿にして、その意識を入れ物(空間)のように表現する誤謬をデカルト的劇場と批 判した。また(唯物論的には批判される)このような考えを持つ人をデカルト唯物論者だと揶揄した。
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文献
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099