循環論法・論点先取
Circular reasoning,
Begging the question
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議論が前提のひとつを結論にしているとき、その論証は循環しているという。循環論法はなにも証明していない。前提を繰り返しているだけである。前提を言い
直したものであるので、それを聞く人は注意が必要である。大学の先生が授業などでおかす代表的なエラーである。
サミュエルソンの経済学
の本は、全国の大学で使われている。これはサミュエルソンが経済学の権威だからである。そのことは誰も否定できない。権威だということがわかれば、彼の著
作が多く読まれていることでもわかるだろう。権威がなければ、それほど多く読まれることはあるまい。 |
かなり幼稚な論点先取の技法 |
「「日本民俗学」の創始者で、近代日本を代表する思想家でもあった柳田國男(1875~1962)は、……として生まれる。幼少期に体験した飢饉、故郷を離れて見聞きした庶民の暮らしや間引き慣習の悲惨さを思い、「経世済民の学」を志向、東京帝国大学法科大学(現東京大学)で農政学を学ぶ。
大学卒業後、「農政官僚」となり、明治34年に信州飯田藩出身の柳田家の養嗣子となる。視察や講演旅行で日本各地の実情に触れ、普通の人々への関心を深め、文書に書かれた政治や事件が中心の従来の歴史学を批判、名もなき庶民(常民)の歴史や文化を明らかにしたいと考え、「常民文化の探求」と「郷土研究」 の必要性を説く。それが、人々の現実の悩みに応え得る途と思ったからである」 https://www.seijo.ac.jp/research/folklore/kunio-yanagita/intro/ |
・「日本民俗学」という学問のイデオロギーを体現する人間としての柳田国男がその人生の過程でその学問の精神を実現するように説明されているのでこれも「洗練された論点先取」である。 1)経世済民を目指したのは「幼少期に体験した飢饉、故郷を離れて見聞きした庶民の暮らしや間引き慣習の悲惨さ」だが、これは柳田が後年になって述懐した、柳田自身の論点先取の修辞を略歴をまとめた筆者が再演している。1)「常民文化の探求と郷土研究」は「名もなき庶民(常民)の歴史や文化を明らかに」することなので、同語反復。3)これらの研究は「人々の現実の悩みに応え得る途」であるので、これが経世済民のそのものでやはり、同じことを繰り返している。4)日本民俗学は経世済民のための学問であり、それを確立した柳田国男は、日本民俗学そのものである、という以上のことを何も言っていない文章である。 |
★循環論法の論理形式(グーラ 2006:162)
1)Aが真なので、Bも真理である。
2)Bは真理なので、Aも真理である。
3)したがって、Aは真理なのだ。
リ ンク
文 献
そ の他の情報
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099
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