科学の語彙や科学の隠喩を解明する!
So quel che fai!!!
解説:池田光穂
ある運動をおこなうという経験と、その運動をみるという経験の間には、ある種の並行関係があるということを、クリアに論証することができな いが、そのような経験的事実を我々はうすうす感じているのではないだろうか? 例えばスポーツ観戦について考えてみよう。具体的なスポーツを想起したま え。スポーツの経験のある人とそうでない人——これには経験を通したルールを知るということも要因があるかもしれない——の間には、どうも興奮の度合い や、その解説などにかなり温度差があるようだ。また、経験の有無とも関係するジェンダーの違いによる、ある種のスポーツへの「熱中」の度合い——なでしこ ジャパンへの日本人の態度の変遷はその好例かもしれない——の温度差などに、その例をみることができる。
行為をおこなうことと、行為をみる経験との間の並行関係が、大脳における情報処理に関してみられる神経学的「示唆」の好例が、ミラーニュー ロンの存在である。ミラーニューロンに関する説明を聞くと、(i)論証ぬきに「すごい」と感じる人と、(ii)いろいろ理屈を探して「だからどうなん だ?」と感じる人と、(iii)無理解を前提にして「そのことがどうしてすごいんだ?」という3つのパターンにわけることができる(と、私は思う)。論証 できないものは、事実ではないと棄却することと、日常経験の確からしさに関する懐疑主義は、双子の兄弟であり、ある種の不安神経症状を我々に齎すこともあ る。だからと言って、ある運動をおこなうという経験と、その運動をみるという経験の間の並行関係は、「完全に科学的に証明された」というのも、ミラー ニューロン仮説の学者のお先棒を担ぐようで、チト居心地が悪い。
ミラーニューロンの存在によって、世界が変革するような気には私はならなかった。しかし、それを手がかりにして、ある行為をおこなうこと と、行為をみる経験との間の並行関係について、これまで思いつかなかった「新たなる反省的ポイント」(視座?)について気づくようになった経験を私はも つ。それが私じしんの感情の同語反復的経験なのか、それともこれまで経験したことのない新たな認識の誕生なのか、定かではない。
この授業の主宰者にとって関心があることは、そのような科学の発見を素直に喜ぶ気持ちではないような気がする。私が関心をもつのは、科学者 やジャーナリストが、その「実験的事実」を伝えようとする時に、どのように「事実を伝えるのか」また事実の「解釈をどのように表現するのか」ということに ある。
つぎの3つの文章を読んで、「神経」と「人間の特定の活動」がどのように関連づけられ、どのように説明されているのか考えてみよう。
■ミラーニューロンの定義(mirror neurons)
「F5野※(1)の機能特性の分析で見てきたとおり、つかむ、持つ、いじるといった運動行為の間に、この皮質野のニューロンはその大多数が 発火し、視覚刺激にも反応するものがある。視覚刺激に反応するニューロンの運動特性(たとえば、ニューロンがコードするつかみ方のタイプ)と視覚的選択性 (対象物の形、大きき、向き)は明らかに呼応しており、そのおかげで、対象物に関する視覚情報を適切な運動行為に変換するプロセスでこれらのニューロンが 果たす役割が決定的なものとなる。このようなニュロンは「標準ニューロン」(カノニカル・ニューロン)と呼ばれている[訳注:感覚情報を運動情報に変換す るのが感覚ー運動ニューロンの標準的な機能]。前運動皮質が視覚ー運動変換にかかわっているかもしれないと長い間考えられていたからだ。ところが、 1990年代の初めに行なわれた実験(サルを使った実験で、サルは特定のタスクを実行するように訓練されてはおらず、自由に行動できるようになっていた) で、カノニカル・ニューロン以外にも視覚ー運動特性を持ったニューロンのタイプがあることがわかった。驚いたことに、サル自身が運動行為(たとえば食べ物 をつかむ)を行なったときと、実験者が運動行為を行なっているのをサルが見たときの両方で、活性化するニューロンが見つかったのだ。これらのニューロンは F5野の皮質凸状部で記録され、「ミラーニューロン」と名づけられた」(リゾラッティとシニガリア 2009:96)。
※注:(1)F5野とは、大脳の腹側(前方側)の運動前野——運動をコントロールする大脳の部分で、一次運動野(M1)、運動前野、補足運 動野に機能的に分類されている部分のひとつ——で、頭頂連合野の後方にある7野から視覚・体性感覚の情報を、側頭連合野から視覚・聴覚の情報を受け取って いることが知られている。
■fMRIでの研究成果
「コミュニケーション行為を目にしたときの[ヒトの——引用者]脳の活性化は、まったく違うものになった。ヒトが話しているかのように口を 動かすのを見たときは、観察者の下前頭回※(2)の後部(ブローカ野に相当する領域)に強い活性化が引き起こされた。しかしサルが唇を鳴らすのを見たとき は活性化は弱まり、イヌが吠えるのを見たときは完全に消えた。純粋に視覚的な観点に立てば、それぞれのコミュニケーション行為の違いは、三つの種のそれぞ れの個体が行なった行為としては、かじるという食物摂取行動の違いより大きくは見えない。したがって、それぞれの神経系活動のパターンに見られた違いは説 明がつかないように思える。イヌが吠えているのを見ている間、ミラーニューロン系の領域で反応がなかったのは、たんに受け取った視覚情報のタイプのせいに するわけにはいかない。前章で見たように、ミラーニューロンの活動は特定の感覚入力とは結びついていない。それは動きの構成と実行を統制する、行為の語彙 に支配されている。どう見ても、吠えるという行為は人間の運動行為の語彙に入っていないのだ」(リゾラッティとシニガリア 2009:154)。
※注:(2)下前頭回(かぜんとうかい:Inferior frontal gyrus)は、前頭葉の脳回(しわの隆起した部分)のひとつで、左側のものは文法学習と関係があるとされている(JST Online)。
■語学の適性は「気質」ではなく「器質」に還元される?
「JST目的基礎研究事業の一環として、東京大学大学院総合文化研究科の酒井邦嘉准教授らは、英語の文法能力と高い相関を示す脳の局所体積 の個人差を磁気共鳴映像法(MRI)で調べたところ、語学の適性と密接に関係する脳部位を特定することに成功しました。その脳部位は、左前頭葉の「下前頭 回」にありました。これまでの研究により、外国語としての英語が約6年の習得期間で定着するに従って、左前頭葉の「文法中枢」※(2)の活動が高まり、維 持・節約されるというダイナミックな変化を遂げることが明らかとなっています。一方、文法能力などの語学の適性が脳のどのような構造的な特徴と関係がある かについては明らかになっていませんでした。今回、英語を外国語として習得中の中高生(日本人)と成人(海外からの留学生)を対象として、英語文の文法性 の判断能力の調査に加え、脳の局所体積をMRIで測定し、その個人差を詳細に分析しました。その結果、脳の下前頭回という部位の局所体積において、右脳の 対応部位より左脳の対応部位の方が大きいという“非対称性”の程度が、文法課題の成績に比例することが分かりました。さらにこの脳の部位は、以前本研究グ ループが語学の習得期間に関連した脳活動を調べる実験で明らかにしてきた「文法中枢」と一致しました。語学の適性に関係する脳部位を、年齢や習得期間と独 立した要因として特定したのは初めてのことで、脳の局所的な構造が言語の機能に影響を与えることが強く示唆されます。今回の成果は、各個人の語学の適性を 知る上で最初の脳科学データであり、語学教育の改善や、脳の左右差という謎の解明へとつながるものと期待されます」(JST Online)。
課題:おおざっぱに、次の議論について全員でレビューやコメンタリーをした後で、どれか1つの課題を選択して、グループ討論にかけてください。 なぜその課題が、選ばれたのか、そして選択の過程があったということについて討論のメンバーはきちんと自覚してから、選ばれたひとつの議論にとりかかって ください。ただし、その「議論の料理方法」は、課題で示された疑問やツッコミから逸脱してもかまいません。ただし多様な議論を展開するよりも、ある種の命 題文※(3)で表現できるようなものを、最後の結論にもってくるようにお願いします。
【1】最初の文章:ミラーニューロンという表現は、ミラー(鏡)ないしは鏡像という比喩——隠喩という——によって表現される。説明文から、な ぜミラーという表現が採用されたのか、みんなで推論し、そのネーミングの理由について考えてみよう。
【2】次の文章:fMRIでの実験は、視覚表象を使った脳の活動部位の記録による成果の報告をまとめたものである。にも関わらず「行為の語彙」 という言語表象にまつわる説明文が付されている。被験者は、ヒト、サル、イヌのしぐさ(それぞれ口を動かす、唇をならす、吠える)を見せられただけなの に、それを「運動行為の語彙」の観点から説明している。しかし、それを「経験の近さ/遠さ」や「経験することができる確からしさ/不確かさ」からでも説明 できるのではないかとツッコミを入れたくなる。このことに関して、何か討議を通してコメンタリーすること、ないしは修正意見を言うことは可能だろうか?
【3】最後の文章:文法課題の成績と左前頭葉の「下前頭回」の局所容積の関係が分かることが、本当のこの研究グループの連中は「語学教育の改善 や、脳の左右差という謎の解明」に寄与出来ると思っているのか? むしろ(多くの市井の人たちや、論文査読や学術審査をする専門家たちは)さらなる研究費 がほしいから、このデータの効用を大きく見せて(enlarge)いるだけなのかもしれない。あるいはその両方かも? このような連中の「下心」(ないし は潜在意識)は、この説明文から推論することはできるだろうか? あるいは彼らにある種の口頭による面接によって、引き出すことは可能だろうか? ミラー ニューロンというインスピレーションを参考にしてもいいので、彼らの言説をそのまま信じればよいのか、メタ的な解釈——その説明の水準とは異なり語られた 文脈も包含したより上位=検討する要素を増やした理解や解釈——も考慮して、議論してください。
ヒント:次のような議論の手続きをするのはどうでしょうか?
(a)各人が取り上げたい課題番号を選択し、それがなぜ面白いのか意義深いのかについての理由を考えておく、→(b)このことについて全員が自 分の主張や意見を紹介する、→(c)ディベートや多数決方式で課題を選択する、→(d)選ばれた課題に取り組む(ブレインストーミング※(4))、→ (e)グループ議論の落としどころ(=命題文)について考える、→(f)議論に参加していない他の人たちにも、おとしどころが分かるような、表現上の工夫 を皆で出し合う、→(g)ホワイトボードに書き出し「見える化」する。
注※(3)命題文:〜は〜である、という平叙文で表せる文章の内容(=表現内容)を命題(Thesis, These)という。命題文はその文章のこと。
注※(4)ブレインストーミング:自由連想で集団で発想を出しまくる方法のこと。結論を急がず、自由に語るべし、質より量をめざし、アイディア を結合させる、という四原則が有名。「創造」という最終目的をもったおしゃべりと考えればよい。
参照文献
選ばれた課題番号【 】
命題文:
議論の落とし所や適切な表現方法に関するコメンタリー:
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