セーフティ・ネットの政治経済
Political Economy of Social Safety Net
●厚生経済学の基本原理(Fundamental theorems of welfare economics) - Wikiより
「厚生経済学の基本定理(こうせいけいざいがくのきほんていり、英: Fundamental theorems of welfare
economics)とは、以下のパレート効率性と競争均衡配分の関係について述べた2つの定理のことである。1950年代にケネス・アローとジェラー
ル・ドブルーが厳密な数学的証明を与えた。」
厚生経済学の第一基本定理 |
消費者の選好が局所非飽和性を満たせ
ば、競争均衡によって達成される配分はパレート効率的(Pareto efficiency; Paretian
optimum)である、というものである。局所非飽和性とは、どんなにわずかにでも消費量の増減が許されるならば、より好ましい消費量を実現できるとい
う仮定である。 |
厚生経済学の第二基本定理 |
局所非飽和性に加え選好の凸性などのしかるべき追加的条件の下で、任意のパレート効率的配分は、適当な所得分配を行うことによって競争均衡配分として実現可能であるというものである |
パレート効率的/パレート最適(Pareto efficiency; Paretian optimum) | ある集団が、1つの社会状態(資源配分)を選択するとき、集団内の誰かの効用(満足度)を犠牲にしなければ他の誰かの効用を高めることができない状態を、
「パレート効率的 (Pareto
efficient)」であると表現する。また、誰の効用も犠牲にすることなく、少なくとも一人の効用を高めることができるとき、新しい社会状態は前の社
会状態をパレート改善 (Pareto improvement) するという。言い換えれば、パレート効率的な社会状態とは、どのような社会状態によっても、それ以上のパレート改善ができない社会状態のことである。(「パレート最適」) |
■金子勝(Masaru KANEKO, 1952- : a Japanese economist)の目標
日本経済の「再生」のために「市場の安定化に伴うリスクの増大を社会全体でシェアする(分かち合う)セーフティーネットを起点にした制度改 革という戦略である。……市場と社会の変化に応じて、機能不全に陥ったセーフティーネットを張り替え、それに連結する形で制度改革を実行してゆくという考 え方である」(金子 1999:15)。
「セーフティーネットの張り替えという知的戦略は、社会発展の多様性を認める枠組みである。……セーフティーネットとそれに連結する制度や ルールは、本源的生産要素の市場化の限界ゆえに、あらゆる資本主義市場経済が満たさなければならないという意味で、普遍的性格を持っている。と同時に、そ れを満たす方法は、コミュニティごとに多様でありうる。セーフティーネットとそれに連結する制度やルールには、歴史的に形成された経済発展のあり方や社会 の成り立ちが反映されているからである」(金子 1999:108)。
■「見えざる手」論
「人は自分自身の安全と利益だけを求めようとする。この利益は、例えば「莫大な利益を生み出し得る品物を生産する」といった形で事業を運営 することにより、得られるものである。そして人がこのような行動を意図するのは、他の多くの事例同様、人が全く意図していなかった目的を達成させようとす る見えざる手によって導かれた結果なのである」(『諸国民の富』第4編「経済学の諸体系について」第2章)。
"[H]e intends only his own security; and by directing that industry in such a manner as its produce may be of the greatest value, he intends only his own gain; and he is in this, as in many other cases, led by an invisible hand to promote an end which was no part of his intention." (出典:ウィキ日本語「見えざる手」)
"In economics, invisible hand or invisible hand of the market is the term economists use to describe the self-regulating nature of the marketplace.[1] This is a metaphor first coined by the economist Adam Smith. The exact phrase is used just three times in his writings, but has come to capture his important claim that by trying to maximize their own gains in a free market, individual ambition benefits society, even if the ambitious have no benevolent intentions."(Wiki-English: "Invisible hand")
ウィキ(英語)によると、『諸国民の富』Book1, Chapter 7. にも「見えざる手」の言及が登場する。
"By preferring the support of domestic to that of foreign industry, he intends only his own security; and by directing that industry in such a manner as its produce may be of the greatest value, he intends only his own gain, and he is in this, as in many other cases, led by an invisible hand to promote an end which was no part of his intention. Nor is it always the worse for the society that it was not part of it. By pursuing his own interest he frequently promotes that of the society more effectually than when he really intends to promote it. I have never known much good done by those who affected to trade for the public good. It is an affectation, indeed, not very common among merchants, and very few words need be employed in dissuading them from it."
■情報の非対称性
「経済学では、市場における各取引主体が保有する情報に差があるとき、その不均等な情報構造を情報の非対称性 (asymmetric information) と呼ぶ。情報の非対称性は、人々が保有する情報の分布に偏りがあり、経済主体間において情報格差が生じている事実を表している。/プリンシパル=エージェ ント関係において情報の非対称性が存在すると、エージェンシー・スラックと呼ばれるモラル・ハザードが発生する。……情報の非対称性を最初に指摘したの は、アメリカの理論経済学者ケネス・アローである。アローは1963年にアメリカの経済学会誌「アメリカン・エコノミック・レビュー」において 「Uncertainty and the Welfare Economics of Medical Care(医療の不確実性と厚生経済学)」という論文を発表し、医者と患者との間にある情報の非対称性が、医療保険の効率的運用を阻害するという現象を指 摘した。/情報の非対称性という用語は、アメリカの理論経済学者ジョージ・アカロフが1970年に発表した論文 "The Market for Lemons: Quality Uncertainty and the Market Mechanism" で初めて登場した。/この論文は中古車市場を例に、情報の非対称性が市場にもたらす影響を論じたもので、買い手が欠点のある商品とそうでないものを区別し づらい中古車市場では、良質の商品であっても他の商品と同じ低い平均価値をつけられてしまうことになる傾向があることを指摘し、これを売り手と買い手の情 報の非対称性が存在する環境一般の問題とした。/レモンはアメリカの中古車業界で不良中古車を指す隠語で、ここから、このような市場はレモン市場と呼ばれ るようになった」(日本語版ウィキ「情報の非対称性」)。(→「モラルハザード」)
■市場の「モラル的?」二重性
「意外かもしれないが、「市場で競争すること」と「信頼し協力すること」という一見して相容れない正反対の行為は、実は互いに補い合う関係 にある」(金子 199:57)
■金子勝によるセーフティネットの定義__金子(1999:57)は「セーフティーネット」と表記
「市場競争の世界には、信頼や協力の制度が奥深く埋め込まれており、相互信頼を前提とする「協力の領域」があってはじめて「市場競争の領 域」もうまく働くのである。この信頼や協力の制度に当たるのが、リスクを社会全体でシェアする(分かち合う)セーフティーネットである」『セーフティー ネットの政治経済学』。
■セーフティネットという「制度」
「セーフティーネットとは、具体的にどのような制度を指すのだろうか。それは、労働・土地・貨幣といった本源的生産要素と呼ばれる市場を中 心として形成されてくる。まず労働市場では、年金・医療・失業などに関する社会保障制度をセーフティーネットとして、それに連結する形で、雇用・解雇・昇 進などに関する労使協約、あるいは公教育や職業訓練と資格制度などが形成される。金融(貨幣的資本)市場では、中央銀行の最後の貸し手機能や預金保険機構 をセーフティーネットとして、その国独自の為替・金利体系・公的制度金融などが連結している。土地市場では、公営住宅や家賃補助や住宅金融制度などの公的 な住宅政策、あるいは土地投機を防ぐ都市計画規制などがセーフティーネットとして形成されてくる」(金子 1999:58)。
■セーフティネットの具体的諸相(金子 1999:58 より池田光穂作図)
■木津信用組合の破綻
「木津信用組合は預金高1兆円(最大時)を超えるマンモス信組であり、一般地方銀行並みかそれ以上の規模を誇っていた。だが、そのほとんど 全てを不動産関係の融資で運用したため、バブル崩壊のあおりを受け瞬く間に経営が悪化。あっけなく破綻した。金融機関という外見こそ持っていたが、その資 金運用は山師のそれに近い、無謀な投機そのものであった(破綻直後の調査では総資産1兆3131億円に対し回収不能債権9585億円、回収可能な不良債権 2355億円正常債権1191億円)。また三和銀行をはじめとする都市銀行から紹介預金により高金利の預金を受け入れていたが、大蔵省の指導により引き上 げることになり、その引き上げがいっそう高金利で大口預金者を集め、ハイリスクの融資を行う動機となり破綻の遠因となった。また、同じ大阪の東洋信用金庫 と共に尾上縫の詐欺事件に関与(架空預金証書が発行された)し、巨額の貸し倒れが発生したことも経営破綻の原因となった。とどめを刺したのが1995年8 月28日のコスモ信用組合破綻処理策の発表で、その際大口預金者に対する利率の引下げが行われることが明らかとなった。そのため、以前から経営に不安の持 たれていた当信組からの預金流出が加速した。破綻の直前に住専問題で後に問題となる末野興産が386億円を引き出していたことも明らかになっている」 (ウィキ日本語「木津信用組合」)。
■社会的セーフティネットは、ヨーロッパ流の呼び方(金子 1999:61)
■アンチ・セーフティネット論(寓意)
「主流経済学者は、綱渡りの下に張られた安全ネットという規制に守られているために、つまり失敗のリスクをとる自己責任が欠如しているため に綱渡り芸人は真面目に働いていないと主張する。彼らの主張にしたがって、アドホックな規制緩和を進めてゆくと、少しずつ安全ネットに穴が聞いてゆくこと になる。金融自由化政策である」(金子 1999:62)
■アンチ・セーフティネット論に対する反論(寓意)
「綱渡りに失敗したら死亡する危険性が高まってくるために、しだいに綱渡り芸人は高い報酬を求めるギャンブラーが中心となってくるだろう。 彼らが成功すると観客は熱狂し、高い報酬を得るのを見て何人かの芸人が「市場競争」に加わってくる。そのすち力量の足りない芸人も自ら生き残るために、こ の「競争」に参加してくる。そして綱渡りに失敗して死亡する芸人が出た瞬間に、観客はパニックに陥り、綱渡りを見にゆかなくなる。他方、綱渡り芸人も萎縮 して、思い切ったアクロバット(市場競争)ができなくなる。この芸人を銀行、力量の不足した芸人を弱小金融機関、観客は預金者、死亡を倒産に置き換えてみ れば、前述したプロセスは、そのままバブルの発生と破綻を表していると考えられる。ではバブルが破綻した後も、セーフティーネットの張り替えが進まないと どうなるのか。/前述したように、主流経済学による「小さな政府」や規制緩和論では安全ネットという「信頼と協力の領域」をますます外そうとするだけなの で、「市場競争の領域」も危うくなるという逆説が生ずる。この不況が長期化している原因もそこにある」(金子 1999:62-63)。
■アンチ・セーフティネット論:フリーライド&モラルハザード(金子 1999:76-77)
不良債権と公的資金問題:「こうした事態を招いたのは、社会的責任を回避しようとする銀行経営者や金融監督官庁と、自己責任に任せて市場 原理で対処すべきであると主張する市場原理主義者の間に、意図せざる「共謀」関係が生じたからである。銀行経営者や金融監督官庁の方は、自らの社会的責任 を回避するためにセーフティーネットの行使を遅らせた。他方、市場原理に任せて銀行を淘汰しなければ国際競争力を確保できないとする市場原理主義者も、公 的資金投入を遅らせた。もっとも、市場原理主義者の中には、実際に金融パニックの危険性が現実のものになりかけて、公的資金の投入を認める者が出始めた。 しかし彼らは、基本的に場に任せれば自動的に均衡に到達すると考えるがゆえに、なぜ巨額の公的資金の投入が必要になるのか説明できないままである」(金子 1999:77-78)
■セーフティネット論の濫用:(1)例外論(金子 1999:65)
■セーフティネット論の濫用:(2)使い分け論(金子 1999:67)
■セーフティネットは市場競争(ひいては市場原理主義)を補完する
「一見すると、弱者救済を主張する伝統的な社会的セーフティーネット論は市場原理主義に対するラディカルな批判に見えるが、これも批判とし ては底が浅い。筆者が問題としたいのは、市場から脱落してゆく弱者を救済すること自体が目的ではなく、弱者から順場から脱落してゆくと、市場そのものが麻 痺する危険性を持つという点である。つま弱者救済を含めて社会的公正を満たすがゆえにセーフティーネット(とそれに連結する制度やルール)は人々の信頼を 得ることができ、それによって、はじめて市場競争も安定に機能するという相互補完関係——そこにこそ問題の本質がある。こうした奥深い関係性を見ていない 多くの社会的セーフティーネット論は、その意味でセーフティーネットの例外論における一つのバリエーションにすぎないと言ってよい」(金子 1999:68)
■結局のところは、筆者の「人間観」なのか?
「人間のもつ合理的判断能力に限界があるからである。まず、新古典派経済学が想定するように、人間は瞬間的(無時間のうち)に自己の利害を 見通して行動できるわけではない。ましてや、近未来に起きる事象を確率的に見通して自己利益を合理的に計算できるものでもない。あるいは人間は、自分の経 済行動が社会全体にどのような経済的影響力を与えるかについても合理的に見通せるわけではない。つまり一言でいえば、人間は限定合理性を抱えている」(金 子 1999:69)。(→「SN例外論」批判)
「人間は限定合理性を抱えるゆえに、一定の確率で生ずる不確実なリスクに対して共同でシェアすることによって、はじめて思い切った行動をと ることができる」(金子 1999:89)。
■ワシントンコンセンサス批判(=IMF批判;金子 1999:70-72)
■Gary Becker's, 1930-, Human Capital(金子 1999:72)
"Becker's research was fundamental in arguing for the augmentability of human capital. When his research was first introduced it was considered very controversial as some considered it debasing. However, he was able to convince many that individuals make choices of investing in human capital based on rational benefits and cost that include a return on investment as well as a cultural aspect. His research included the impact of positive and negative habits such as punctuality and alcoholism on human capital. He explored the different rates of return for different people and the resulting macroeconomic implications. He also distinguished between general to specific education and their influence on job-lock and promotions"(Wiki-Gary Becker).
■第三の道・論
「求められているのは、新古典派的な「小さな政府」でもケインジアン的な「大きな政府」でもない。市場の不安定化に伴うリスクの増大を社会 的にシェアすることによって経済を再生への軌道に載せてゆく第三の道こそが、「セーフティーネットの張り替えを起点に展開する制度改革」という知的戦略な のである」(金子 1999:79)。
■情報の非対称性、理論の問題
モラルや公共性という要素を考えていないので、この議論は破綻しているという金子(金子 1999:80)は妥当性があるのか?
「いずれの事例を見てもわかるように、一般的に「情報の非対称」が存在するために普遍的にセーフティーネット自体がモラルハザードを発生さ せるのではなく、市場や社会の変化に伴ってセーフティーネットに穴が聞いてしまう時、モラルハザードが発生する。そしてセーフティl ネットに連結する制度やルl ルが前提としていた公共性が、市場や社会の変化によって失われたために、その規制体系を悪用することが反モラル的行為とは見なされなくなるのである」(金 子 1999:82-83)
■アセアン諸国のドル・ペッグ制の逆機能:セーフティネットから連鎖的通貨下落現象へ
「こうした状況が生まれると、域内の一部の国(タイ)の金融自由化をきっかけにして、従来セーフティーネットの役割を果たしていたドル・ ペッグ制に穴が聞いてしまえば、ドル・ペッグ制は、連鎖的な通貨下落すなわち伝染(コンテージョン)を生じやすくする逆機能へと転化する。あとは、バブル 破綻のプロセスと同様に、国際短期資本も、自らが損失を被らないために、我先にとババ抜きを開始することになっていった。いったんセーフティーネットに穴 が聞き逆機能を果たすようになると、「自己責任」を果たそうとすればするほど、「合成の誤謬」によって市場の麻痺が生じるのは、これまで見てきたいくつか の事例と同じである」(金子 1999:87)。
■情報の非対称性に対する3つの反論
1)「その議論では、伝染をあくまでも経済合理的行動の枠内で説明しようとするため、取り巻く状況の変化に伴って、ドル・ペッグ制の機能が 歴史的に変わってゆくというセーフティーネットの歴史性を考慮していない。市場の変化に応じて、新たなセーフティーネットとしてアジア通貨基金(AMF) などの制度の再構築が必要となるが、「情報の非対称」といった議論からは、せいぜい国際短期資本移動に対する規制といった一般的な政策的インプリケーショ ンしか出てこない」(金子 1999:87)。
2)「同じ伝染でも各国毎に波及経路は違っているが、「情報の非対称」論ではその違いを説明できない。実際、銀行セクターを経由して外資流 入に依存してきたタイや韓国は銀行セクターから、対外借入れが大きく累積債務額が膨張していたインドネシアは資本逃避(キャピタル・フライト)から、マ レーシアでは株式市場の抜け道から、というように波及経路は違っている。おそらく各国毎のセーフティーネットに連結する制度の構造の違いを比較研究しない かぎり、具体的な伝染現象を解明することはできないであろう」(金子 1999:87)。
3)「情報の経済学が見ていない点は、市場の麻庫やパニックが起きるのは、本源的生産要素市場における制度やルールに対して人々の信認が失 われるためだという点である。裏を返していえば、市場の安定的機能は、セーフティーネットに対する人々の信認に依存している。そのことは、実は市場が人々 の「共同主観」の上に成り立っていることを示唆している。しかし、それは、人と人との関係が物と物との関係として逆立ちして現れるという「貨幣の物神性 (フェティシズム)」に起源があるのではない。今日の事態が示すように、貨幣制度に対する人々の信認が崩れてしまえば、貨幣も動揺を免れない。市場それ自 体が「共同主観」を基礎として成立しているのである」(金子 1999:88)。
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[文献]
金子勝『セーフティーネットの政治経済学』(ちくま新書214)筑摩書店、1999年
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