構築主義
Constructivism, Constructionism
構築主義ないしは構成主義の元祖は、ネルソン・グッドマンによると、イマヌエル・カントにまで遡れる。カントは、その議論をディビッド・ヒューム(David Hume, 1711-1776)
の発
見にもとめている。ヒュームは、実在世界の事物のあいだの関係(=因果関係)は、出来事に依存するのではなく、客観的世界の上に投影されている心的構築物
であると考えた。
A. 構築主義とは何か
私の言うところの、構築主義とは、ある事物や現 象というものを、そ の中味(例:特定の唯一あるいは限られた複数の構成要素)や必然性(例:特定の原因に強い因果性を求める)という確固としたものに帰属させるのではなく、ある事物や現象を、複数の中味(複数の構成要素)や確率性(例:複数の原因 による相互作用の帰結)という不確定で動態的なものに帰属させるという考え方や主義主張である。構築主義の反対概念は 本質主義(essentialism)と言われ、先の「その中味(例:特定の唯一あるいは限られた複数の構成要素)や必然性(例:特定の原因に強い因果性 を求める)という確固としたものに帰属させる考え方や主義主張のことを指す」。
理論用語ないしは概念として、比較的初期に提唱した のは、英国の心理学者のフレデリック・バートレット(Frederic Bartlett, 1886-1969)である。科学社会学者のデイビッド・ブルアによると、バートレットの『心理学と未開文化 (Psychology and Primitive Culture, 1923)』や『想起(Remembering, 1932)』には、「社会的構成性(social constructiveness)」という用語と説明にある程度記述されるが、後の"The Mind at Work and Play," 1951 や"Thinking," 1958 にはすっかりその用語法はなくなってしまうと指摘されている(Bloor 2000:194)。
社会学でいう「社会問題の構築主義」という立場で は、その分析視角の核心を次のように考える。社会問題を「な んらかの想定された状態について苦情を述べ、クレイムを申し立てる個人やグループ の活動」と定義するところにある。「ある状態を根絶し、改善し、あるいはそれ以外 のかたちで改変する必要があると主張する活動の組織化が、社会問題の発生を条件づ ける」と考えるわけである27)。その焦点は「クレイム申し立て活動」(claims-making activity) にある。すなわち社会問題の構築主義は、ある状態が最初から「問題」と考えないし「客観的に」問題だと定義 することもできないとする。それは「問題」と定義するクレイム申し立て活動があっ て初めて「問題」となると考える。たとえば喫煙問題は、アメリカの反喫煙運動によ る「悪の創出」過程とそれに対する喫煙擁護勢力との「問題の定義」をめぐるせめぎ あいの社会史として記述されるべきものである。社会問題論におけるこの視角は今日では「社会構築主義」(social constructionism) として各領域の経験的研究に採用されている。
B. 構築主義的な立場からの医療研究
あらゆる知識は、社会的に偶発的 (contingent) であり社会的に構築される。これは医 学的知識もまったく同様であると構築主義者は考える。医療社会学やそれを「健康関連問題」 (health-related issues) に拡大させた「健康と病気の社会学」(sociology of health and illness) でさままな角度から研究が進んできた。
医療について社会構築主義がとられるようになった きっかけは四点ほどある。まず (1)1970年代に始まる精神医学批判。ゴッフマン(Goffman, E.)やサズ(Szasz, T.) やコンラッド(Conrad, P.)は、医学的知識の応用が技術的に中立な営みではなく政治 的な営みだということを強調した。次に(2)現象学的社会学の受容。これを応用し て、病気に対する人びとの態度や常識的観念が社会的に構築されたものとする研究が 現れる36)。そして第三に(3)『臨床医学の誕生』など一連のフーコー(Foucault, M .)の権力論とその方法論的基盤をなす言説分析がある。これに(4)社会問題の構築 主義論の系譜の研究が重なって、1980年代以降の社会構築主義的医療研究の隆盛にいたるわけである。
ネトゥルトンによると、社会構築主義的医療研究の主 要論点は次の五点に整理できる。
第1に、現実の問題化。病気はたんにリアルであるだ けなく、社会的推論と社会的 実践の産物でもある。それは医学が一定の時間と空間のなかで実験室の試験と理論の 助けを借りて定義する仕方なのである。したがって、それは「発見されたもの」では なく、むしろ「製作されたもの」というべきだということ。
第2に、「事実」の社会的創造。医学の対象(病気と 身体)は安定した現実ではな い。クーン(Kuhn, T.)の科学論によると、世界に関するあらゆる科学的「事実」は科 学的共同体の産物であり、フーコーによると、われわれが前提している安定した現実 はじっさいにはさまざまな言説的文脈の中で現実化されたものである。いずれにせよ 科学的事実の出現は科学的共同体と社会的文脈に関連する。
第3に、医学的知識が社会関係を媒介するというこ と。病気カテゴリーは現存の社 会構造を強化するために応用される可能性があり、その応用は社会関係をあたかも 「自然」であるかのように見せる。病気のことばは客観的であるとされており、その ためその社会的由来が見えにくくなるのである。
第4に、技術的知識の応用。医療専門家は、その本質 的に卓越した営みゆえにヘル スケア分業内で優位な位置を獲得したのではなく、特定の技術的な手続きと実践の制 御手段を作りだし維持することに携わってきたゆえに、そうなのだということ。
第5に、医療化。医学は強力な社会統制の制度として 作用する。老化・出産・アル コール依存・子ども行動といった、従来は医学の対象と見なされてこなかった生活領 域についての専門的知識にクレイムをつけることによって、医学は通常生活のさまざ まな側面を医学的問題として再定義する。
以上のネトゥルトンの整理によって明らかなように、 社会構築主義的医療研究は、 「生物医学」(biomedicine) をメインパラダイムとする西洋近代医学への厳しい批判の もとに生まれた。医学は、身体を社会環境的文脈に位置づけるのに失敗しているにも かかわらず、その有効性が過度に強調され、その結果、専門家支配が強化されてき た。それに対して社会構築主義は医学に対するもうひとつの「身体の経験科学」たらんしている。
構築主義に対する反対の立場を「本質主義(Essentialism)」と呼びます。
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文献
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Scholar Danielle Talerico notes that the image would have recalled to the minds of contemporary viewers the story of Princess Tamatori, highly popular in the Edo period.(Uhlenbeck, p. 56; 161.:Uhlenbeck, Chris; Margarita Winkel; Ellis Tinios; Amy Reigle Newland (2005). Japanese Erotic Fantasies: Sexual Imagery of the Edo Period. Hotei.)The Dream of the Fisherman's Wife (蛸と海女 Tako to ama, Octopus(es) and shell diver), also known as Girl Diver and Octopuses, Diver and Two Octopuses, etc., is a woodblock-printed design by the Japanese artist Hokusai. It is included in Kinoe no Komatsu (English: Young Pines), a three-volume book of shunga erotica first published in 1814, and has become Hokusai's most famous shunga design. Playing with themes popular in Japanese art, it depicts a young ama diver entwined sexually with a pair of octopuses.