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ベーシック・ヒューマン・ニーズ(人間の基本的諸要件)

Basic Human Needs

池田光穂

国際経済あるいは開発途上国への経済協力論、さらに は、国内における開発論において、基本的で重要な用語となるのがこのベーシック・ヒューマン・ニーズ(他に、基本的人間ニーズ、BHN:Basic Human Needs)である。ベーシック・ヒューマン・ニーズ(BHN)は、まず一義的に、適切な食糧、シェルター(家や施設などの居住環境のこ と)、衣服などの基本的な「物資」の必要性をさし、次に(二義的に)、コミュニティによって/コミュニティのために供給されるべき基本的なサービス、すな わち、安全な飲料水、衛生環境、公共交通、教育と文化への便宜のことをさす[ILO 1977: ii ]。

英語版のウィキペディアには、この用語[Basic Human Needs]の項目には、心理学者のマズロー(Abraham Maslow, 1908-1970)の人間の「欲求のマズロー階層論」のリンクが張ってあるが、国際関係論あるいは開発経済学の用語としてのベーシック・ヒューマン・ ニーズとは無関係であることに留意されたい。

ベーシック・ヒューマン・ニーズの発想は、リチャー ド・ニクソン期の1973年にUSAID(米国開発庁)が打ち出した New Direction 計画に由来すると言われ、1976年6月に開催された国際労働機関(ILO)の世界雇用会議(the World Employment Condference)において、(ヒューマンの用語が無い)ベーシック・ニーズあるいはベーシック・ニーズ・アプローチ(the Basic-Needs Approach to Development)という用語が登場したのを嚆矢とする見方が有力である。

おりしもロバート・マクナマラ(1916-2009)が、1968年に世界銀行の総裁に就 任し1981年までの長きにわたり、世界経済とりわけ第三世界の経済開発協力政策に携わろうとしている頃である。冷戦構造期ではあるが、マクナマラ=世銀 の自由主義陣営にしても、リベラル左派の国際労働機関にしても、経済開発が、人々の生活の水準の向上にはそれほど成果をあげていないことや、成功と失敗の 客観的な理由を知りたいと考えており、テクノクラート的な発想から、この問題解決に着手しようとしていた時代である。

ベーシック・ヒューマン・ニーズの理念は、一見、地 球上の万人の人に福利を与える発想のように思える。だが、現実には、次の3つの課題が浮上する:つまり、(1)個々の「ベーシック・ニーズ」の取捨選択を 誰がどのように決めるのか、そして(2)「ベーシック・ニーズ」間の重みづけ――それは優先順位と個々の「ニーズ」の数量化が必要になる――をどのように するのか、そして(3)具体的な開発プログラムが軌道にのったとき達成された「ベーシック・ニーズ」の変化をどのように評価するのか――これもまた「ニー ズ」の数量化が必要になる――という課題である。

(1)

「ベーシック・ニーズ」というものが設定された瞬間 に、それは「人間にとって善きもの」であるから、それを充足することは、社会とその成員にとって、ある種の課題――カントの用語から派生する命令語法 (imperative)「〜しなければならない」――になる。したがって「ベーシック・ニーズ」というものが、デフォルトで必要だとその社会の成員が同 意した時には、コミュニティは「ベーシック・ニーズ」を成員が満たすための「義務」を負うことになる。また社会契約論という立場をとると、社会は個人が何 がしかの「ベーシック・ニーズ」を満たすために、社会が示す「義務」を履行する必要性が生じる。あるいは、社会やコミュニティがその成員に対して十分な 「ベー シック・ニーズ」を満たすための、具体的な方策を立てられない時には、成員は「ベーシック・ニーズ」を享受する権利――Basic Rights [Lee 1978:65-66]――があると主張されるようになる。

これ自体は、社会契約論の観点からは特段問題がな い。問題はむしろ「ベーシック・ニーズ」の種類の選別である。現在では、国際社会では当然のものとされている、男女同権も、いくつかの社会では完全に受け 入れられているわけではない。また「避妊へのアクセス」[Khan 1978:93]を「ベーシック・ニーズ」とすることには、コミュニティの枠組みのみ ならず、個人の宗教的信条――例えばカソリックは、「自制」と「不妊期を考慮する方法(=リズム法)」よる避妊以外の方法は原則的には容認していない―― や、家父長の権限などから、これまで多数の抵抗を受けてきた。また、当該社会以外の人たちによる構想されたベーシック・ニーズは、実際に導入するときに、 福利をえられるはずの当事者を含めてコミュニティから思わぬ反発を得ることもある。そうすると、理想主義的な「ベーシック・ニーズ」の理念とは裏腹に、現 実の「ベーシック・ニーズ」の運用は、社会、コミュニティ、集団、あるいは個人より多様な展開を遂げることになり、とても人間にとっての普遍なはずの 「ベーシック」がかならずしも、すべてに該当するわけではなくなることすらある。

(2)および(3)

社会福祉や看護理論における生活の質(QOL)の場合でもそうであるが、ベーシック・ヒューマン・ニーズ(BHN)も、その 評価思想の基礎は、質の評価――定性的な尺度基準――にある。しかしながら、(援助や開発計画が始まる以前の状態である)ベースラインが設定され、援助 (=介入)や開発が実際に軌道に移されると、それを同一地域やコミュニティにおいて時系列での分析おこない、また、地域や集団を異にするものの間の比較と いう発想が登場し、ベーシック・ヒューマン・ニーズの定量化がはじまる。実際に、ILOのその後の手引書において、BHNの数量化に関する簡潔な紹介があ る[IKhan 1978]。

資料編[ウィキペディア:United States Agency for International Development]より

■文献

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